1.結婚式も楽じゃない(前)
奈落と呼ばれる世界がある。
鋼のように冷たい大地に覆われ、瘴気を含む風が吹きすさぶ。ブルーワーズと同じく存在する数多の動植物は、しかし、ひとつとして同じものはない。
悪そのものである、悪魔たちの故郷。
悪魔諸侯が群雄割拠する修羅の地。
その奈落の一角に存在する〈無量戦野〉に、禍々しき城が建っていた。
巨大としか言えない、見上げるような建造物。ジャイアントですら乗り越えられぬ城壁は、その高さに見合った分厚さを誇り、外敵の侵入を許すことはない。
城自体は鋭角的だが完全なシンメトリーを有しており、美しさよりは偏執性を感じさせる。
その内部では、悪魔や魂を囚われた人間たちがいつ果てることなく戦争を繰り返しており、勇ましき勝ち鬨と苦鳴とが黒き風に遠くまで運ばれていく。
ある聖人を何百年にも亘って拷問し続け、彼が流した鮮血で染め上げられたとされている、火竜よりも鮮やかな赤色の城。
聖者の赤き涙と呼ばれる城塞の主、不殺剣魔ジニィ・オ・イグル。彼女は、壁一面にありとあらゆる武具が飾られた居室で鋼と命が衝突する戦場の妙なる響きを聞きながら、目の前のチェス盤に視線を注いでいた。
悪魔諸侯の一柱である彼女は、しかし、盤上の遊戯をたしなむようには思えなかった。
顔の造作自体は美しい。一方、手足は細長くバランスはあまり良くない。深い赤色の髪は襟足が長く、狼のたてがみのような野性味があった。
容姿だけであれば、知的とは評することはできずとも――好みにもよるだろうが――魅力的とは言えるだろう。
けれども、むき出しの獣性を隠そうともしない凶悪な笑みが、すべてを台無しにしていた。
暴力的な光を宿した瞳を盤上へ固定したまま、不殺剣魔ジニィ・オ・イグルが兵士役を表す駒を摘み、敵の遊撃役の駒と隣接させる。
聖者の赤き涙で繰り広げられる戦争と、チェス盤とを同時に俯瞰する者がいたならば気付くだろう。駒の動きと戦争が、連動していることに。
そのまま、しばしの時が流れる。
不意に、不殺剣魔の兵士役の駒が消滅した。同時に、相手側の駒が動く。ジニィ・オ・イグルの向こうには、誰も存在しないにもかかわらず。
まるで、透明な指し手と相対しているかのよう。
その奇妙な状況も、いつものことなのか平然と受け入れている。
なにより、不殺剣魔ジニィ・オ・イグルの関心は、盤上にも、それにも増して配下が繰り広げる戦争にもなかった。
悪の半神ヴェルガを退けた、聖堂騎士ヴァルトルーデ・イスタス。人の身としては最高の、否、神の階に足を踏み入れた剣士。
「イイ。凄くイイな」
その噂は、この奈落にも響き渡っている。無論、ユウト・アマクサの名も同時に。悪魔諸侯のなかでは、大魔術師のほうが関心を集めているが……不殺剣魔ジニィ・オ・イグルは異端の悪魔諸侯である。
「ヘレノニアの聖女というのが、特にイイ」
いずれ、やり合わねばなるまい。
だが、まだそのときではなかった。討魔神剣を失った彼女では、魅力が半減。
ヘレノニアの聖女が新たな力を手に入れたそのときこそ、不殺剣魔ジニィ・オ・イグルが新たな玩具を手に入れる瞬間でもあるのだから。
「家臣、領民一同、このときを一日千秋の思いでお待ちいたしておりました。心より、お慶び申し上げます」
「あ、ありがとう」
仲間たちが去ったユウトの執務室。
入れ替わるように入ってきたのは、イスタス侯爵家の筆頭書記官クロード・レイカーと次元竜ダァル=ルカッシュ。
ユウトがイスタス侯爵家の大脳だとするならば、クロードは運動を司る小脳にあたるだろう。どれだけ斬新な政策を思いついても、この書記官が実際に手足である文官を自在に動かさねば実現は不可能。
その絶対に欠かすことができぬ逸材が、人目をはばからず涙を流していた。以前から感情豊かだとは思っていたが、結婚報告だけでこうなるとはさすがに予想外。
祖父のような部下の反応に、どうしたら良いのか分からなくなる。
「放置でまったく問題ないとダァル=ルカッシュは考える。強く心を打ち震わせるのは、知性持つ生物の特権」
「知性持つ生物は、目の前で泣いてる同胞を無視したりしないんだよ」
「それは貴重な知見。ダァル=ルカッシュは感謝する」
「どういたしまして」
次元竜の端末である少女は、エネルギーが固体化したかのような虹色の髪も光を映さぬ瞳も動かすことなく淡々と言った。
律儀にかけているフォックスタイプの伊達眼鏡が、なんとも味わい深い。
「はっ、失礼いたしました」
そうこうしているうちに、クロードが自力で復活する。これが分かっていたから、ダァル=ルカッシュは放置しろと言ったのかも知れない。
ユウトたちが不在の間、滞りなく領地経営が行われていたのは、彼らの力があってこそ。秘書役を務める次元竜と筆頭書記官になんらかの絆が結ばれていても不思議ではなかった。
「それで、今回のお相手は領主様だけなのでしょうか?」
「……え?」
「アルシア様やアカネ様は、いかがいたしましょう」
クロードから言われてはじめて、その問題に気づく。
結婚式と言えば普通は新郎新婦が一人ずつ。新婦が同時に複数などというのは想像と常識の遥か外。
だが、アカネもアルシアも婚約者という立場には変わりない。
「一緒にやらないと、マズいですかね?」
「必ずしも、そういうことではございませんが……」
「……世間の目か」
クロードが言わんとするところに気付き、ユウトは天を仰ぐ。
二人とも、ユウトとヴァルトルーデが先に挙式することについて異存はない。それどころか、当然だと思っているし、祝福もしてくれている。
しかし。
周囲は、婚約者の結婚式に列席する二人を見てどう思うだろうか。
疑問に思われるだけならば、まだ良い。けれど、それで大切な人が侮られでもしたら自分で自分が許せない。ヴァルトルーデも同じ気持ちだろう。
「俺が考えなしだった……」
世界を救い、領地を発展させることはできても、世評にまでは気が回らない。社交スキルの低さに、歯がみする思いだった。
もっとも、他からは秘密主義にも思える没交渉だったからこそ、婚姻など余計なしがらみに頭を悩ます必要がなかったという面もある。
「いえ、そこまで深刻に受け止められることはありませんぞ」
泰然自若に、クロードがそんな主に声をかける。
王侯貴族であれば、複数の妻を娶るのは当たり前。そうなれば、どうしても順位というものはついてしまう。
「領主様とのご結婚を公表されると同時に、お二人との挙式についても正式に発表してしまえば良いのです」
「なるほど。アルシア姐さんと朱音の立場を、公式化してしまえば良いのか……」
当人同士では事実となっていた関係も、外から見ればあやふやに見える。隠しているわけではないが公表もしていない二人との関係は、言ってみれば口約束に過ぎない。
ただの愛人関係だと思われていた可能性もある。
「でも、俺たちのことなんか、そんな気にしてます?」
「視座が遥か高みにありますからそう思われるのも仕方ありませんが、当家は周辺から常に注視されております」
なぜか誇らしげに胸を張るクロードを見上げ、ユウトは執務机を指の腹で叩きながら考える。
(注視ねえ……)
むしろ、腫れ物に触れるようなもの。できれば、関わり合いになりたくないのではないか。
そう分析しながら、今までの行いを思い出していく。
〝虚無の帳〟を滅ぼしたのは、冒険者時代のことだ。カウントする必要はないだろう。
そうなると、領地経営を始めてからだ。
まず関心を集める要素として思い浮かんだのは、バルドゥル辺境伯を一対百の決闘で打ち破ったこと。
しかし、降りかかる火の粉を振り払ったに過ぎない。ただの自衛だ。多少、私怨は含まれていたが、他人に分かるはずもない。
もしかしたら、玻璃鉄のことだろうか? 確かに、輸出も順調で、領内の稼ぎ頭になっている。
けれど、それだけで注目されるとは思えない。
ハーデントゥルムの製塩事業も目立つというほどでもないし、ジンガたちの米や醤油造りもまだこれからのこと。
アカネやレジーナのファッション革命もまだまだだろう。
「余所にちょっかいかけてる暇があったら、自分の長所を伸ばすよう努力したほうが良いんじゃないですか?」
「ダァル=ルカッシュの主は、自らの行いにもっと目を向けるべき」
「自らの行いか……。もしかして、戦闘行為も含まれるのか? でも、〝虚無の帳〟関連や昆虫人は影響が外に出る前に始末つけてるよな。ヴェルガも最近のことだし……」
「かの女帝からは、公式に求婚もされておりましたが」
「そうか。そもそも、アルサス王子……じゃない。アルサス王の結婚式にもいろいろ絡んだっけ。朱音の料理も目立ったし」
なるほど。ひとつひとつは小さくとも、積み重なると異常になるんだなと、今さらながら自覚する。
(目立つ部分は広まってないはずだし、今表に出てる部分なんて、些細なことだと思ってたんだけどな……)
もっとも、彼の思考を覗ける人間がいたら、まだまだ自覚が足りないと嘆いたことだろう。
「忠告ありがとうございます。二人とも相談しますけど、結婚式の招待状にはその辺のことも記載しておきます」
クロードが無言で頭を下げ、主人の結論を受け入れる。
「となりますと、アルシア様とアカネ様も個別に挙式されるのか。それとも、お二人は一緒に行われるのかという問題も出てまいりますな」
「……それも、相談します」
確かに自分一人では決められないが、実のところ二人同時に結婚式をするつもりはない。
アルシアにはトラス=シンク神殿があるし、アカネは両親のこともあるため地球での挙式を考えていた。
もちろん、夢よりも妄想に近い思いつきでしかないが。
「承知いたしました。取り急ぎは、領主様との婚姻でございますなぁ。招待者の選定は元より、立会人をお選びいただき依頼もせねばなりません」
立会人とは仲人のことだろう。
アルサス王夫妻にヴァイナマリネンなど候補者の顔と名前が浮かんでくる。
「……ろくな大人の知り合いがいない」
「しかし、下手な御方ではそもそも引き受けてくれますまい」
「クロードさんは……」
「無理を仰いますな」
「……そうですね」
どこの世界に、上司の仲人をする部下がいるというのか。
「まあ、近々王都にも行く予定なので、アルサス王に確認をしてみます」
もちろん結婚の相談に行くのではなく、ヴェルガ亡き後の北方情勢についての話し合いだ。イスタス侯爵領から遠く離れているとはいえ、他人事ではない。
「でもその前に、ダァル=ルカッシュ。次元門の準備も頼む。準備もあるから、数日以内に」
「承知した」
一切の感情を交えず、次元竜の端末がうなずく。
結婚となれば、報告をしなければならない一番大切な人がいる。世界を隔てても、それに変わりはなかった。




