プロローグ
本日よりEpisode 9開始です。よろしくお願いします。
女帝ヴェルガが天へ昇り、世界の危機が回避されてから二週間ほどの時が流れた。
フォリオ=ファリナ事変とも呼ばれる大事件の事後処理は、その規模に比べ、意外なほどあっさりと―― 一週間ほどで――終わった。
これは、フォリオ=ファリナの街自体に被害がほとんど出なかったこと、事件自体二日程度で収束したこと、女帝の遺言によりヴェルガ帝国が混乱に陥ったことなど、偶然と必然が入り交じった結果である。
しかし、終わりとは次の始まりに過ぎない。
事後処理があらかた片づいたあと、ユウトは新たな異変に直面していた。
「ヴァルがおかしい」
当事者である彼女を除き、ユウトの執務室に仲間たちがそろっていた。いや、集められていた。言うまでもない。彼が集めたのだ。
応接スペースのソファには、アカネとアルシア。それにラーシアとリトナが二人ずつ並んで座り、エグザイルは床にどかっと腰を下ろしている。
ヨナだけは、デスクにいるユウトの膝に乗っていた。小さなヴェルガとの暗闘があって以来、背中を譲ろうとしなかった彼女だが、物理的に困難であれば前でもいいらしい。
「というわけで、最近のヴァルなんだが、どう思う?」
「どうって、まあ、見方によってはユウトの言う通りじゃないの?」
投げやりというわけでは決してない。
それでも、あきれたという感情を隠そうともせずラーシアは答えた。この「あきれ」という成分は、多かれ少なかれ、ユウト以外のメンバーに共通したものだった。
「だよな? そうだよな」
そんな微妙な空気に気付くことなく、我が意を得たりとユウトはうなずいた。さすがラーシアだと言わんばかりだ。
「ヴァルがおかしい――今までと様子が違うのは認めますが……」
「それって、悪いこと?」
アルシアとアカネ。ユウトの婚約者二人が、暴走しているようにしか見えない彼をいさめるように言う。実際、問題視するようなことでもない。それが、二人の共通見解。
「だって、おかしいだろ」
そんな婚約者たちとは対照的に、イスタス侯爵家の家宰は深刻だ。アルビノの少女が体をよじって催促してくるため白髪を撫でながらだが、真剣だ。
「ヴァルが、自発的に勉強してるんだぜ」
そして、大魔術師が滅びの言葉を口にした。
執務室が沈黙に包まれる。まるで誰かの葬儀のように。
なぜか当然のように参加しているリトナだけは、笑顔を隠しきれずにいたが……。それでも黙ってはいるだけ、空気を読むつもりはあるようだった。
そのユウトの発言を受けて、視線が忙しなく動く。と言っても、エグザイルは瞑目したままだし、ヨナは愛玩動物のように膝にいるだけ。アルシアなど、視線は真紅の眼帯に遮られている。
ラーシアとアカネが声を出さずに責任を押しつけあうという恐ろしく高レベルだが低次元なコミュニケーションをとった結果、草原の種族が口を開いた。
「正直、こんなとき、どう返答したものか分からないんだけど……」
嫌々なのは、苦々しい表情にも声にも現れている。
「それ、領主として当たり前なんじゃないの?」
「そんな常識がヴァルに通じるもんかよ」
「言っちゃう? ユウト、それ言っちゃうんだ?」
誰しも思っていたことを遠慮なく口にするユウトに、あきれを通り越して戦慄を覚える。おかしいのは、ユウトも同じだ。いや、生きていること自体がエラーなのかもしれない。生物は、みんな異常だ――
「いやいやいや、違う。違うから」
それこそ異常な思考に囚われかけたラーシアが慌てて首を振る。駄目だ。これ以上いけない。
「言うさ。それに、最近は鎧も着ないし、剣の稽古も最低限だし……」
「勇人、ストーカーじみてるわよ」
「はっ!」
幼なじみの遠慮のない言葉に、身も心も固まった。指摘されてからというのは問題だが、確かに、今までの自分はおかしかったかも知れない。
その感情が感情感知の指輪から伝わり、まだ引き返せる地点だったことに、アルシアが密かに安堵する。
「すまん。正気に戻った」
「それ、戻れてないわよね?」
アカネの指摘はさておき、おかしい点はまだある。
「だいたい、あれだ。この前の、夢の話だよ」
「あー」
言わんとするところに気づき、アカネが「そう言われたら、そうだった」と声を上げた。彼女自身はそこにいなかったのだが、顛末は聞き及んでいる。
それをもって「ヴァルトルーデがおかしい」と断じるのは一面的かも知れないが、予想外だったのは確かなことだった。
目覚めると、草原の中にいた。
地平線の向こうまで途切れることのない、一面の草原だ。濃い緑に包まれ、頭上からは暖かく柔らかな陽光が差し込んでくる。さわやかな風が、頬を撫でた。
「まあ、目覚めてはいないんだけどな」
これで、もう三回目だ。慣れたとは言えないが、余裕はある。
「だけど、俺を呼び出したのはゼラス神じゃないのか? これじゃ――」
「ユウト!」
ここで聞くとは思わなかった声に、ユウトは思わず振り返った。そこにいたのは、驚いた表情を浮かべたヴァルトルーデ。彼がいつもの制服に白いローブなのに対し、珍しく魔法銀の鎧ではなく祭祀のときに着るような法服姿だ。
それはそれで新鮮だが、微かな違和感を抱いてしまう。
けれど、それを深く追及することはできなかった。
「ユウトくん、ヴァルも……」
アルシアに、ラーシア。エグザイルとヨナも次々と姿を見せる。思いがけない事態に顔を見合わせるが、驚きというよりは困惑が近い。
「ユウト、これってアレだよね」
「アレだろうな」
誰がいるわけではないが、声を潜めて言葉を交わすラーシアとユウト。
今回も、絶望の螺旋の勢力を退け、世界を救ったのだ。今までの例からすると、特別な報酬を与えられておかしくない。
疑問なのは、今まで各人が神々と面会していたにもかかわらず、集められていること。
「オレが思うに、ヨナがレグラ神へにべもない態度を取るから、保護者同伴にしたのではないか?」
「おっさん、それ胃が痛くなるからやめて」
やけにリアリティのある指摘に、ユウトは夢のなかだと知りつつも胃を押さえてしまう。
「悪くないし」
そう、本当に悪いとは思っていない平坦な口調で主張すると、アルビノの少女が大魔術師の背に飛び乗った。
そのとき、唐突に日が陰る。
ユウトが咄嗟に見上げると、その原因はすぐに判明した。巨大な黄金竜が、こちらに向かって降下してきているのだ。
アルシアの手を取って、その場から離れる。ヨナを背負いながらだと実に味わい深い光景なのだが、それを気にしている場合ではない。
低く重たい音と、震動。それに風を伴って黄金竜が着地する。体高だけで10メートルはありそうだ。
その見上げるような高さから、一人の女性が飛び降りた。
「大儀であった」
翼ある者のように優雅な着地を見せ、ユウトたちを睥睨する戦神。“常勝”ヘレノニアが、世界を救ったユウトたちへ慰労の言葉を口にした。
「もったいないお言葉です」
ヴァルトルーデが、聖堂騎士として神にひざまずき頭を垂れる。美しい主従を前に、ユウトも追随しようとしたが――自身の状態に気づいて諦めた。
アルシアの手を離したくはなかったし、ヨナは降りてくれないだろう。
「こちらも忙しきゆえ、我のみが相対することとなった。報酬の前渡しもしておるし、此度はひとつのみだ」
一人ひとつではなくなったから、全員が集められた。それはいい。ツバサ号ももらっているし、エグザイルの息子のベイディスへの加護も過剰なほどだ。
問題は、前半部分。
「忙しいって、もしかして……」
「うむ。我が姪――ヴェルガの件だ」
ユウトの顔が、苦笑で彩られる。
赤毛の女帝、悪の半神。ユウトを得るために様々な策謀を展開し、絶望の螺旋に囚われ、昇天した彼女。
地上を離れ、神々が住まう天上で力を取り戻そうとしているはずだが……。
「弱っている今のうちに教育を施してやろうとしてな、ダクストゥムと引き取り先で対立した」
いきなり、善と悪の全面戦争が勃発しかけたらしい。
「さすがヴェルガだな……」
そうつぶやくユウトの声には、諦念と懐旧の響きがあった。
「しかし、あれはおもしろい混ざりかたをした」
「混ざりかた? ヴェルガは“良心”とか言っていた……」
「うむ。濃縮した悪の部分は絶望の螺旋とともに滅び、残った魂が天上へと昇り力の回復を待っているのだが、五十年か百年も我が許で浄化したならば、そなたらに会わせて良いやも知れん」
「……教育はしっかりお願いいたします」
戦女神が軽い苦笑で確約し、本題へ入る。
「此度の偉業に対し、我は報いる。望みを述べよ」
「…………」
ひざまずくヴァルトルーデへ、視線が集中する。
願いはひとつというのであれば、失った彼女の剣の代わりを乞うのが当然。考えるまでもない。
「我が領地に必要なものを検討し、改めてお願いいたしたく」
「ほう……」
面白そうに、ヘレノニア神が彼女の僕を見下ろす。背後の黄金竜も、首を左右に動かして驚きを表現した。
「よかろう。近々、祝言を挙げるのであったな。では、そのときまでに決めておくようにせよ」
それで、神との会見は終わった。
「やべえ。あれって、結婚式に来るってことじゃねえか……」
ユウトがその事実に気付いたのは、目覚めた瞬間だった。
「やっぱり、討魔神剣を失ったのが、ショックなんじゃないかと思うんだよな」
ヘレノニア神との邂逅を思い出しながら、ユウトはそう主張する。
ユウトを救うため、愛剣を犠牲にしたようなものだ。気にはしないようにしているのだろうが、その負い目が彼の目を曇らせているのかも知れない。
「ヘレノニア神から賜った大切な物だし。壊したからまた下さいとは言えないよな」
「巨人も足下は見えぬというわけか……」
今まで瞑目していたエグザイルが、ぼそりとつぶやく。しかし、それ以上はなにも言わなかったため、ユウトは首を傾げるだけ。
「ヴァルのことですし、ひとつだけの願いを自分のために使うのを嫌っただけかも知れませんよ?」
「あの場だけなら、その解釈も成り立ちますけど、あとで剣をお願いしたらって言ったら、拒否されてるんですよね」
この時点で、ユウトの疑惑感知機が完全に振り切れた。
周囲から見ると、悪い意味で。
「勇人。もう一回言うけど、ヴァルは別におかしくはなってないわよ」
「でも、ヴァルらしくないだろ」
「勇人、落ち着きなさい。あんたが冷静さを欠いてどうすんのよ」
頭痛をこらえるようにしながら、アカネが言う。仕方がない。これは付き合いが最も長い、幼なじみの役目だろう。
「人間だもの、心境の変化はあるわ。でも、本当のところは、外からじゃ分からない」
「……つまり、俺の解釈が間違っているのか?」
「なにが正解かは、自分で見つけなさい」
投げやりとも言える台詞だが、事情がある。恐らく――というよりは、確実に――他人から正解を言われてもユウトは納得しない。裏を考える。
「ユウトくん。アカネさんの言う通りですよ。人間は、変わるのです」
「変わるって言っても……」
膝の上のヨナを撫でながら、考えるがなにも思い浮かばない。焦燥感だけが募っていく。
結婚という人生の一大イベントを前にして、ユウトもいつも通りではいられないのかも知れなかった。
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こちらの情報は近日中に活動報告や作者Twitterなどでお届けする予定です。
Web版、書籍版共々、今後ともよろしくお願いします。




