8.玉座の間で(前)
ようやく――というほど苦労もなく――たどり着いた玉座の間。エボニィサークルそのものだけでなく、ダンジョンとしての構造まで知ったヴェルガがいるのだ。苦労のしようもない。
「ネットで攻略見ながらゲームをやるようなもんだ」
ユウトの私室で“彷徨戦鬼”バーグラーを。玉座の間への通路で死巨人の長ボーンノヴォルをあっさりと退けられたのは、彼女の助力によるものだ。
ヴァルトルーデも、それを自作自演だと言わないだろう。
「あの部屋で、また延々と見せられた映像に、意味はあるのか……」
ヴェルガの私室で最後まで見せられた、ユウトと赤毛の女帝が仲睦まじく会話や理術呪文の講義をしている光景。
最後まで見なければ、試練を終えたことにならない。
そう言われては仕方ないと、ヴァルトルーデはその映像を見終え、今は心の健康に警告ランプが灯っている。
(目なり耳なり塞げば良いのに)
最初は、なにがあるか分からないからと警戒しなくてはならなかったが、今回は違う。
それなのに、正直に見届けてしまう彼女が可愛くて仕方がない。同時に、ヴァルトルーデがそうしている以上、自分だけ目を背けることができないというデメリットも受けてしまったのだが。
「この先に待ち受けているのがなにかは分からぬ。今の妾が別れてから決められた事柄であるし、玉座の間だけは感知できぬ」
申し訳なさそうなヴェルガを見て、その頭を慰めるように二度三度と撫でる。ちょうどいい高さに浮いていたというもあるし、今までの協力への感謝でもあった。
ヴァルトルーデの視線が険しくなるが、なにも言わない。
「すまぬな。では、行くかえ?」
「いや――」
「まだ、早い」
この先に最後の障害があるのは確定。
恐らく、エグザイルたちが戦っている悪神ダクストゥムに匹敵するような相手だろう。
ならば、しっかりと準備をしなくてはならない。
術者の周囲を不可視の盾で防御する《大魔術師の盾》。第六感を与える《本質直感》といった呪文を自らに付与するユウト。いずれも、持続時間が短いため、戦闘の直前や最中に使用する必要があるものだ。
ヴァルトルーデも同じように、籠手と一体化した盾に《白銀の盾》を使用する。魔法銀の盾が、更に美しく光り輝いた。
この聖堂騎士にしか使用できない神術呪文は、あらゆる攻撃に対して清浄なる加護を与える。
「これが冒険者なんだよ」
物言いたげな小さなヴェルガに対し、ユウトは堂々と言い切った。言い訳ではなく、確固とした矜持が感じられる。
「さあ、開けるぞ」
ユウトの言葉に無言で賛同を示しながら、ヴァルトルーデが玉座の間の扉に手をかけた。巨人さえ入ることのできる扉だが、彼女にとっては臆する理由にならない。
そもそも、ヘレノニアの聖女が巨人に劣ると、誰が言ったのか。
ゆっくりとではあるが確実に、巨大な両開きの扉が開いていく。
「……やっぱりか」
扉の大きさに比べると、わずかな。しかし、人一人通るには充分な隙間ができる。
そこから見える、ふたつの美影。
ひとつは玉座に座り、もうひとつはその前に立つ――どちらも女性だ。
「婿殿にとっては、予想の範囲内であったか」
「消去法かな」
玉座の前に立ち塞がる匂い立つような美女。ヴェルガが事前に彼女の情報を伝えなかったのは、単純に知らなかったからなのだろう。
だが、それとは別に予測することは可能だ。
ダクストゥムに匹敵する存在である彼女へと、いつも通りの歩調で近づいていく。
「待っていましたよ、我が娘。そして、我が義子よ」
先頭を歩くヴァルトルーデを飛び越え、その視線は真っ直ぐに大魔術師へと向いていた。
「初めまして、悪の愛妻ベアトリーチェ。俺は、あなたの義子ではないですが」
その視線を正面から受け止め、ユウトは相手の名を呼ぶ。
悪の愛妻ベアトリーチェ。
ダクストゥムを愛し、愛し抜いた末、その本体をブルーワーズへ召喚し、100年に亘る蜜月を経てヴェルガを産んだ悪神の伴侶。
その際に用いた手管や、ダクストゥムを呼び出した際に殺害したあまりにも多数の生贄の数から、希代の悪女と呼ばれている。
ただ、彼女自身は純粋で情が深く、家族想いだとされていた。
ユウトの挨拶と否定の言葉を耳にしても、ベアトリーチェは笑みを崩さない。ファッションモデルのような足取りで玉座前の階段を下り、距離を詰める。
目鼻立ちがくっきりとした、見るだけで背筋がぞくぞくするような美女だ。体つきは豊満でありながらスマート。不惑に近いようにも、幼い少女のようにも見える。
大胆に胸の部分が開いた紫紺のドレスを身にまとった、年齢不詳の魔女。
男ならば、絶対に視線を背けられない。声をかけられれば、他に愛する者がいようと数分も保たず、虜にされてしまうことだろう。《本質直感》によって与えられた第六感も、彼女の危険性を訴えている。
(行きすぎたヤンデレは、純愛と見分けがつかない――とか、朱音なら言いそうだな)
だが、ユウトがその色香に吸い寄せられることはない。幼なじみの顔が自然と思い浮かび、悪の愛妻の印象がかき消される。
それに、美人ならヴァルトルーデで耐性が付きすぎていた。幸か不幸か、ユウトが悪の愛妻ベアトリーチェに籠絡されることはない。
「このわたくしは、天上に住まうわたくしとは異なるのでしょう。愛しい娘が絶望の螺旋に囚われているのも承知しています。けれど、娘に請われたからには、その身を全力で守る所存です」
そう言って、ちらりと玉座に座るヴェルガを見やる。
赤毛の女帝は赤子のようにぐっすりと眠っていたが、その体は黒い靄のようなものが覆い、絶えず二重の螺旋模様が蠢いていた。
その口振りからすると、ベアトリーチェは、自身が本人でも、分神体でもないことを自覚している。
このままでは、世界が滅ぶことも理解している。
それでもなお、背後で眠りにつく愛娘を守ると宣言した。
「妾も、母上の娘であろう?」
「もちろん。貴女を害することなどありえませんよ」
にっこりと、慈母の微笑みを見せる悪の愛妻。
「でも、不良娘にはお仕置きも必要よね?」
「……すまぬ、婿殿。説得はできぬようだ。まさか、無力な今の妾に容赦せぬとは」
「まあ、彼女に対して負い目があるのは俺も一緒だ」
絶望の螺旋を呼び寄せた原因は、ユウトと言ってもいい。彼にすべての責があるわけでもないが、相当恨まれているだろうことは自覚している。
「では、話は終わりだな」
「さあ。はじめましょうか?」
ヴァルトルーデが討魔神剣を抜き放つのと、ベアトリーチェが武器を創造するのは同時だった。
彼女が天高く付き出した手のなかに、巨大な鎚が現れる。柄頭だけで抱えきれないほど大きく、鉄棒の先に鉄塊をくくりつけたような、まさに鈍器。
悪の愛妻ベアトリーチェ愛用の、巨人の拳と呼ばれる鉄槌だ。
それを地面に叩き付け、地面と大気が震える。
――戦いの火蓋が、切られた。
「《雷光進撃》」
一番手は、当然のようにヴァルトルーデ。
全身に神の雷をまとわせて、大鎚を地面に突き立てたベアトリーチェへと突撃する。
その速さ、鋭さ。いずれも比肩しうるものはなく、悪神の伴侶といえども防ぎきることは敵わない。
避けることも受け止めることもできず、紫紺のドレスが袈裟懸けに斬り裂かれ鮮血が舞う。
だが、雷にその身を打たれながらも、ベアトリーチェは笑っていた。
「《負の枷》」
「くっ」
悪の属性を持つ光線が聖堂騎士の体を貫き、暗黒の瘴気が両手両足に枷となってまとわりつく。第七階梯の神術呪文の効果により、まるで水中でもがいているかのように行動が鈍った。
そんな彼女の頭上に、ベアトリーチェの巨大な鎚が迫る。
「ちぃっ」
ユウトは、準備していた攻撃呪文を慌ててキャンセルした。
「《対呪抗魔》」
そして、呪文書から6ページ分裂いて彼女の周囲に展開。《負の枷》のみを、一瞬で消し去る。
「あら、残念」
「人の頭を潰しかけて言う言葉か」
間一髪、籠手と一体化した盾をかざして大槌の一撃を受け止める。《負の枷》が解呪されていなかったら、彼女自身が言うとおりの結果になっていただろう。
更に押し込んでくると予想し、それに負けじとヴァルトルーデが全身をばねにして巨人の拳を弾き飛ばそうとする。
「障害は叩き潰す物でしょう? 特に、貴女は二重の意味で障害だもの」
「勝手なことを!」
鬱憤を発散するかのように討魔神剣を横に振るうが、ベアトリーチェは空に浮かびそれをかわした。
会心の一撃であれば別だが、苦し紛れの攻撃ではなかなか通用しない。
「意外とやる」
「母上が、ここまで達者とは妾も思わなんだわ」
この攻防は、小さなヴェルガにとっても意外だったようだ。状況は深刻だが、驚く姿も愛らしい。
「相手は神だ。一筋縄ではいかぬか」
「妾にはなにもできぬゆえ、しっかりとな」
「……言われるまでもない」
ヴァルトルーデと小さなヴェルガが心温まるやりとりをしている間にも、戦況は変化する。
飛行の軍靴を起動させて、聖堂騎士が空中のベアトリーチェを追う。
一方、絶望の螺旋に囚われた玉座のヴェルガに、目覚める様子はない。だが、彼女を覆う二重螺旋の黒霧は禍々しさを増していた。
ヴェルガの“良心”が布いた法則からすると、まずはベアトリーチェを排除してからなのだろう。けれど、いざとなれば――
「……なんだ?」
不意に、首筋をちりちりとした感覚が襲う。背筋に悪寒が走り、嫌な予感が全身を震わせる。
「ヴァル!」
思わず叫んでいた。理由はない。根拠もない。それでも、叫ばずにいられなかった。
ベアトリーチェが、鉄塊の大鎚を振りかぶる。未だ、ヴァルトルーデが届かぬ距離で。
「くっ」
悪の愛妻を追って突撃態勢に入っていたヴァルトルーデが、無理やり進路を横に取った。端から見れば、滑稽に映るだろう動き。
だが、《本質直感》による警告に過誤はありえない。
悪の愛妻が、その細身に似つかわしくない鉄塊を振り下ろした。巨人の拳の柄頭から、一抱えほどもある光の束が放たれる。遅れて、地上まで聞こえてきそうな風切り音がした。
「ヴェルガもッ!」
小さなヴェルガの襟首を掴んで、ユウトもあわてて後退した。今なお、悪い予感は止まらない。それどころか、いや増すばかり。
黒い光が、玉座の間を斜めに切り取る。
その様を、ヴァルトルーデは壁際で、ユウトと小さなヴェルガは地上で見つめていた。いや、視線を逸らすことなどできなかった。
何者をも捉えられなかった光は、床を貫き、その下の黒い繭玉を打ち抜き、海をえぐった。海水が消え去り、円筒状の穴が開く。
蒸発をしたのだと、誰もが思っただろう。少なくとも、ユウトはそうだ。
けれど、すぐにそれが誤りだと気付く。
半径数メートルの円筒状に、海水が消えていた。それは確かだ。
なのに、周囲から海水が流れ込まない。まるで、その空間だけ独立でもしているかのように。あるいは、消滅しているかのように。
存在自体が抹消されているとしか思えない状態。
「これが、絶望の螺旋の滅び……」
理屈も、なにも分からない。
ただ、消滅という結果だけが発生した。
その非常識さに。そして、絶望の螺旋が顕現した際に起こる結末を垣間見て、ユウトは呆然とせざるを得なかった。




