5.贖罪(前)
あけましておめでとうございます。
今年も、本作品をよろしくお願いします。
……といった手前で申し訳ありませんが、切り所の関係で今回短めです。
「下郎ども、よく顔を見せた。言い訳ぐらいは――」
高慢な。そして、それに違和感のないダクストゥムの物言い。
だが、それは中断を余儀なくされた。
「なんのつもりだ?」
目の前で静止するスパイク・フレイルの切っ先を横目に、悪神が冷たい声で問う。周囲に展開していたらしい不可視の障壁によって遮られているが、逆に言えば、エグザイルの一撃は回避する余裕を与えなかったということでもある。
「本物か偽物かは知らんが、ダクストゥムなら敵だろう」
だから、攻撃した。
シンプルと言うべきか短絡と言うべきか。どちらにしろ、その判断の早さは称賛に値する。
「本物も偽物もありはしない。私は私だ」
「それって、自分でも分かってないってことなんじゃないの?」
「説明する必要を認めぬ」
ラーシアの混ぜっ返しにも動じない。同時に、障壁が破壊されたのか、スパイク・フレイルが解放される。
「用があるのは、そこの男だけだ」
あごをしゃくって指し示す先には、言うまでもなくユウトがいた。
予想通りの展開だが、かといって反応に困るのは一緒。
「俺に、用はないんだけどな……」
「それが通ると思っているのか」
恐らく、相手はダクストゥム本人でも、分神体でもない。狂える全知竜ダァル=ルカッシュの精神世界で遭遇したときと同じく、ヴェルガの心に棲まう悪神が顕在化したものなのだろう。
だからといって、力が劣るとは言えない。
「私の娘をもてあそび辱めたその咎、ここで――」
「《理力の弾丸》」
またしても、話の途中で攻撃が放たれる。
今度は、ラーシアが特殊な魔法具のクリップで三本の魔法の短杖を一纏めしたそれを振るった。
同時に撃ち出された三発の純粋魔力の弾丸が悪神を撃つ。
複数展開していたらしい不可視の障壁で二発までは防がれるものの、残る一発はダクストゥムの額に直撃した。
だが、その勢いでわずかに黄金色の髪が揺れたのみ。
痛痒を感じた様子もなく、椅子から立ち上がろうともしない。
この程度は、予想の範囲内。
むしろ、当たったことを喜んだほうが良い。
「話すことなんかなにもないよ。ここまできて、横恋慕を正当化されても困るんでね」
「安心するがいい。そこの魔術師が、犬猫のように誰と交尾しようと私は感知せぬ。だが、私の娘が受けた苦痛は返してやらねば気が済まぬのだ」
「そういう話なら、こっちが慰謝料をもらいたいぐらいだよ!」
草原の種族に正論をぶつけられる悪の神という世にも珍しい図が展開されていたが、残念ながらまったく通じた様子はない。
一方、当事者であるはずのユウトは沈黙を守っている。
なにを言っても通じないだろうし、仮に、責任を取ってヴェルガをなんとかすると言ったとしてもそれを素直に聞き入れてくれるとは思えなかった。
家族思いな悪神など想像もしていなかったが、悪だから情が深くないとは言えない。まさに、ヴェルガがそうだったではないか。
その意味では、親子だと言えるのかも知れない。
「とにかく、邪魔。《フォースミサイル》――エンハンサー」
さらに、ヨナが炎の矢――否、一抱えもある杭を創造し、超能力をぶつける。
「ならば、是非もなし。まとめて処分してくれよう」
炎の杭をまともにその身に食らいながら――痛手を受けているはずだが――悪徳にまみれた美少年は背徳的な言葉を口にする。
「《聞け、冒涜の声を》」
耳にするもおぞましき清浄なるものを犯し穢す声が、圧縮され放たれた。
「ぐっ」
「くはぁっ」
単純な音だけに、防御するのは極めて困難だ。
この中で最も汚れなきヴァルトルーデとアルシアが、体を硬直させ苦しみの声を上げる。意識は朦朧とし、その上、聖堂騎士の瞳からは光が失われていた。
「悪神直々の《聞け、冒涜の声を》かよ」
第七階梯の神術呪文を秘跡として再現した。いや、逆だ。悪神の冒涜の声を呪文として再現したのだ。
そのオリジナルとも言える攻撃に晒され、ユウトはその場に膝をつく。
〝虚無の帳〟《ケイオス・エヴィル》との戦いのなかで何度か受けたことがあるが、ずっと対応策が見つからなかった呪文だった。
ヴァルトルーデが陥った盲目状態は数分で回復するものだが、厄介なことには違いない。
「その程度でッ」
《聞け、冒涜の声を》は、清浄なるもの――善なる神の信奉者ほど効果が大きい。岩巨人も痛手を受けてはいるが、比較的軽微。
素早く立ち直ったエグザイルが、自分にはこれしかないと、スパイク・フレイルを横に振るう。
天井が低いため、いつものように威力は期待できないが、その分、確実性は高い。錨のように巨大な得物が風を切り、ダクストゥムへと迫る。
「《悪の鎚》」
悪神は攻防一体の手を選択した。
漆黒の大槌を秘跡により創造し、それをスパイク・フレイルと打ち合わせる。
タラスクスをもほふった武器と、悪神の鎚が衝突した。
「舐められたものだな」
構わず、エグザイルがスパイク・フレイルに力を込める。岩の肌に血管が浮き、かみしめすぎたためか、口の端から血が一筋流れ落ちた。
「それはこちらの台詞だ、下郎」
「その下郎と互角とはな。神も案外大したことがないな」
「ぬかしおる」
椅子に座ったまま、ダクストゥムが笑顔を浮かべる。
だが、目は笑っていない。
「その大言壮語を後悔しながら死ね」
均衡が崩れるのは一瞬だった。
力は、より強い力に屈服する。
スパイク・フレイルが悪神の鎚によって押し返され、天井へと尖端が突き刺さった。
それを一顧だにせず、ダクストゥムの鎚は真っ直ぐにエグザイルへと飛んでいく。
「この程度でっ」
避けられぬと悟った岩巨人が、自律稼働する魔化された盾を前面に配置し、その一撃に備える。
果たして――その効果はあった。
「ぐぁッッ」
盾は跳ね飛ばされ、龍鱗の鎧を強かに打ち付けられたエグザイルは壁際まで後退を余儀なくされる。
岩のような筋肉が切れ、骨は折れ、内臓が傷ついている。
それでも、確かに効果はあった。
壁に衝突して、ダメージが深くなる事態は避けられたのだから。
「ユウト、行け!」
口から血を流しながら、岩巨人が叫ぶ。
狂奔するエグザイルの視線の先には、地下室に開けられた通路があった。
ヴァルトルーデが、ヴェルガからユウトを救い出すために無理やり掘り進んだ道。本来はそこまで再現する必要はないはずだが、余程印象的だったのだろう。
もちろん、悪い意味で。
「――分かった」
逡巡は一瞬。
ユウトは、仲間にこの場を任せることにした。
「《大魔術師の縮地》」
8枚の呪文書のページがふたつに分かれ、ユウトの足下へと吸い込まれた。虹色の輝きを放つ靴を打ち合わせる。
「後は任せた」
ヴァルトルーデの背後に出現したユウトは、苦労して――全身鎧を着ているのだから当然だ――彼女を抱え上げる。
まるで米袋のような扱いになっているが、許してもらうしかない。なにしろ、ダクストゥムとヘレノニアは不倶戴天の大敵。その聖女と呼ばれる彼女を残しておけるはずがなかった。
「《時間停止》」
そして、今度は9ページ分呪文書を切り裂く。
時を止める第九階梯の理術呪文。ダァル=ルカッシュのような特別な能力がなければ、神といえどもその効果に抵抗することは敵わない。
そして、担いで歩くのは難しくとも、瞬間移動であればなんとかなる。
静止した、灰色の空間。
音も匂いもないそのなかで、《大魔術師の縮地》の効果による短距離の瞬間移動を繰り返し、ユウトたちは戦場を離脱した。
いっそ、仲間を見捨てると表現したほうが相応しいようなドライな選択をして。




