2.突破(前)
「問題は、どうやってあの繭玉を破るかだな」
「とりあえず、オレが殴るか」
「私もやるぞ!」
「脳筋はこれだから……」
最初に立ちふさがる問題を提起したところ、前衛二人が明快な答えを返した。反論の余地もないほどまっすぐな言葉に、言い出したユウトが頭を抱える。
ヴァルトルーデは、エグザイルが一人でタラスクスを退けたことに対抗心を燃やしているようだ。性質が悪い。
すっかり太陽が昇りきった頃、甲板で朝食を摂りながら作戦会議が行われていた。
長方形のテーブルの上座にはヴァルトルーデが座り、その右手側にユウト、アカネ、ラーシア、真名。左手側には、アルシア、ヨナ、エグザイル、メルエル学長が並ぶ。
ヴァイナマリネンは、長いテーブルを挟んでヴァルトルーデの向かい側にいた。
悠長なと怒られそうな光景だが、食事だけが目的ではない。時間をかけて《祝宴》を食べきることで毒への耐性や高揚状態にも似た高い士気を得られる。
決戦を前にして、この儀式を省略するほうがありえなかった。頭上の繭玉になにかあればすぐに対応できるよう、わざわざ甲板に食卓を広げているのだから、問題ないはずだ。
「前衛職の意見はともかく、勇人にはなにか考えがあるんじゃないの?」
「考えってほどじゃないんだが……」
柔らかな白パンを千切りながら聞くアカネへ視線を向けながら、ユウトはナイフとフォークを置く。
「この状況も、神々の想定のひとつなんじゃないかなって」
未来は、ひとつではない。
選択肢ひとつで。もっと大げさに言えば、サイコロの出目ひとつという些細な要素でも大きく分岐する。
今の状況が最高と最悪のどちらに近いのかは分からないが、高位存在にはある程度分かっていたのではないか。特に、ツバサ号を贈ったヘレノニア神には。
「そこんところどうよ、ジイさん」
「やはり、この霜降りの肉は旨いな」
「むしろ、足りない」
朝からステーキ。それも柔らかく舌の上でとろける最上級の牛肉を、嬉しそうに頬張る大賢者とアルビノの少女。
本当に旨い肉は、するりと喉を通り抜けていく。脂がしつこくてたくさんは食べられないという感想は、最高級品には当たらない。
咀嚼し、味わい、嚥下するたびに得も言われぬ官能を与えてくれる。
そこに、際限などありはしない。肉を食べるだけの機械になったかのように、老人と少女は皿を積み重ねる。
もっとも、アルシアに頼んで地球で食べたステーキを《祝宴》のメインディッシュとしたのは、健啖家二人だけだった。ヴァルトルーデさえも、メインは別の料理を頼んでいる。
「もうちょっと、まじめにやれよ」
「まあ、そうするか」
堪能したと口をナプキンで拭きながら、ヴァイナマリネンはどっかりと背もたれに体重を預けた。
「とりあえず、この船は飛べるぞ」
大賢者の唐突な言葉。
それを聞いて、場が微妙な沈黙に包まれる。
「いずれそうなると思ってたわ。案外、早かったのか遅かったのか……」
「むしろ、飛べなかったほうが不思議」
アカネが総意を代表し、ヨナがそれに追随した。
「つまり、こいつにはあの繭玉をどうにかできる力があるということか?」
「それは早計だよ、エグ。足は用意してやるから、ボクらが自力で突破しろって可能性もある」
「どちらにしろ、このツバサ号で征くことになるわけか」
ヴァルトルーデが、天の異変を見やりながらつぶやく。呪文で空を行くことになると考えていたが、信仰する神から下賜された船とともにあるとなれば、これ以上に心強いことはない。
「そうなると、誰に操船を任せるかという問題が出て――」
「朱音には残ってもらうよ」
言葉にかぶせるようにして、ユウトは断言した。絶対に譲らないという覚悟すら感じられる。
正直、目の前に座るアルシアに乗せられているような気もする。いや、彼女の誘導どおりなのだろう。
それでも、ここは絶対に譲れない。
「私が操縦に専念して、みんなの手を空けるというのも、ひとつだと思うけど?」
「なんとかなるさ、それくらい。それに、あのなかでなにか起こるか分からない。あまりにも危険すぎる」
「勇人が失敗したら、みんな終わりでしょ?」
「そうだけど、そういう問題じゃない」
隣同士で議論を重ねる来訪者二人。
さらにその隣の草原の種族はニヤニヤしており、その向こうの真名も「まるで夫婦喧嘩だ」と言いたいところを、黙っている。
「この指輪があっても?」
「それは不測の事態のためであって、危険に飛び込むためじゃない」
ユウトがアカネへ贈った婚約指輪、守護の指輪。
それは三回だけ着用者の危難を回避する能力を持つ魔法具だったが、だからといって連れていけるはずがない。
なにしろ、ユウトたちからして生還できるかわからないのだから。
「もう領主代理なんて二度とやらないわよ」
「分かってる。俺は、ハッピーエンドじゃないと受け入れられない性分なんだ」
それでも、彼は笑顔を浮かべた。
幼なじみの少女を安心させるためだけではない。命の危機なら、何度も経験している。仲間たちが命を失ったことだってある。
だから、分かっているのだ。余裕を失わないこと。それこそが、生き延びる秘訣だと。
「夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、話はまとまったようですね」
「その犬ならなんでも食べるっていうことわざには、異議を申し立てたい。うちの犬なんか、同じドッグフードが続くと食べないぞ。ほんと、どうにかしたい……」
「見事な回避です、教授」
結局我慢できずに口にした夫婦喧嘩というからかいを、ユウトは平然と受け流した。その堂々とした態度に、マキナが感心と称賛を贈る。
「その流れでは私も戦力外ですね。なんでも手伝うと言ったそばから申し訳ありませんが」
「気持ちだけで充分だって言ったろ」
それに……と言い掛けて、ユウトは口を閉じた。野菜の滋味が溶け込んだスープを飲み込み、念入りに会話を打ち切る。
ヴァイナマリネンが目を輝かせていることに、真名は気づいていない。
こちらに残るのも、なかなか苦労しそうだ。
そう。ヴァイナマリネンやメルエルも居残り組だ。
彼らには、こちらで最悪の事態――失敗したとき――に備えてもらう必要がある。
「そうか、私たちだけか……。久しぶりだな」
「そうなりますね」
ヴァルトルーデとアルシアの声にも、感慨がこもる。
昔ならば当たり前だった、六人での冒険。
しかし、〝虚無の帳〟を打ち倒してからはめっきりなくなった。最後は、蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザドと対峙したときまで遡らねばならない。
「おう。そうだ、小僧」
「んだよ、爺さん」
「こいつをくれてやろう」
ローブの裾からピンポン玉のようなものを取り出したヴァイナマリネンが、オーバースローでユウトへとそれを放った。
見事な反射神経で受け取ったユウトは、手のひらに闇色の球体を転がす。
岩や金属よりも硬い。というよりは、素材すら分からない。だが、凄まじい力を内包していることは容易に感じ取れる。
「我が師よ、それは……」
真っ先に気づいたのは、メルエルだった。心持ち顔色を悪くし、隣に座るヴァイナマリネンを見つめる。
「その通り、暗き深淵の宝玉よ」
暗き深淵の宝玉。
純粋な滅びを内包し、絶対の消滅をもたらすとされる秘宝具。歴史上、複数の存在が確認されており、それが一国を滅ぼしたという伝承もある。
「もしや、百層迷宮で?」
「うむ。ワシがこいつを手に入れるのも、神々は見通していたのかもしれんな」
百層迷宮では、時折、魔法具や秘宝具が発見されることがあった。たまたまかもしれないが、作為を感じるに充分な状況でもある。
「いやいやいやいや」
平然と会話を続ける師弟に、ユウトが待ったをかけた。
「こんなもん、投げて寄越すなよ!」
「大丈夫だろ、死にはせん」
感覚的には、ピンのついた手榴弾を放り投げられたようなものだ。しかも、辺り一帯を簡単に吹き飛ばせるような威力の。
安全だと分かっていても、はいそうですかと納得できるものではない。
しかし、暗き深淵の宝玉の危険性を共有できるのは、大魔術師三人だけ。彼ら以外は、なぜ騒いでいるのかと呆然としている。
「分かったよ。ありがたく使わせてもらう」
これよりも危険なものが、頭上にあるのだ。それにヴァイナマリネンはヴァイナマリネンだと納得し、ユウトは乱暴にグラスをあおった。
「そうしろ。目には目を、歯に歯を、滅びには滅びをというわけだな」
「ハムラビ法典も、異世界の危機で持ち出されるとは思わなかっただろうな」
「おう、そうそう。それな、目を潰されたら目を潰していいというわけではなく、それ以上やるなよという意味だったそうだな。なかなかできた法律ではないか」
「……ハムラビ法典も、異世界が危機的状況で、その異世界人から地球人へ誤りが訂正されるとは思わなかっただろうな」
どこでそんな知識を――といえば、地球で買ってきたノートパソコンなのだろう。
地球の知識を内政に活かしていることよりも、あの大賢者が変な知識をため込んでいるほうが危険に思えるのはなぜなのか。
(人徳の差だな)
極めて当たり前の結論に至った。
「なんだか、ユウトくんが説得力に欠けることを考えている気配がしますが……」
「気のせいでしょう」
方針は決まった。
あの内部へ侵入する算段もついた。
「あとは、出たとこ勝負だ」
「実に、冒険者らしいね」
「まったくだな」
ヴァルトルーデとラーシア。そしてエグザイルが、顔を見合わせうなずく。
言葉にはしていないが、ユウトもアルシアも、ヨナも同じ気持ちだ。
世界が滅ぶ瀬戸際なのに不謹慎だと思う気持ちは、もちろんある。
ただ、それ以上に、みんなで冒険ができるということが、純粋に嬉しかった。




