7.Falling Down(前)
次回との配分の関係で短めです。
「《三対精霊槍》」
「《破魔》」
挨拶代わりにと発動した第九階梯の理術呪文、《三対精霊槍》。吸血侯爵ジーグアルト・クリューウィングを追いつめた聖槍は、しかし、発動前に消去されてしまった。
ヴェルガ本人に通用しなくとも、船上のモンスターを一掃できるだろう。
そんな目論見は、秘跡により、脆くも崩れ去る。
ユウトのやることなどお見通しだと、ヴェルガは淫靡に嗤った。
だが、究極の理術呪文すら、ユウトにとっては布石のひとつ。
「《降魔の一撃》」
その間隙を縫って、ヴァルトルーデはヴェルガに肉薄。討魔神剣に霊気をまとわせ、悪を討たんとする。
「ようやく、本気を見せるとはの」
今までになく、速く鋭い一撃。
大鎌による防御は間に合わず、指輪の障壁すら打ち壊す。閃光となった刃は赤毛の女帝の肩口を斬り裂き、鮮血がフォリオ=ファリナの空に舞った。
「どこまでも気に食わぬわ」
不快だ。
あの女は、ユウトが来ると信じていた。さらに、自らを選ぶと疑いもしていない。だから、協力して事に当たるため、力を温存していたのだ。
そして、それは図に当たり、《降魔の一撃》は確かに悪の半神の肉体を捕らえた。
腹立たしい。
「《悪の痛撃》」
だが、ユウトの《三対精霊槍》が布石であるのと同じく、ヴェルガにとっても今の負傷は計算ずくだ。
攻撃直後の無防備なヴァルトルーデへ、悪の権能たる《悪の痛撃》を見舞った。悪の霊気をまとった漆黒の大鎌は、高潔な存在に吸い寄せられるように聖堂騎士の太股を捉え、魔法銀の鎧を斬り裂く。
「くっ」
《降魔の一撃》と対となる《悪の痛撃》は、彼女の白雪の肌に深い爪痕を残していた。
ヘレノニアの聖女と称されても、半神とは比べるべくもない脆弱な人間だ。たまらず距離を取り、《手当て》で傷を癒す。
「地の宝珠よ、大地を統べるものよ。真の力を顕現し、我らの敵を打ち砕かん」
最近はほとんど怪我をすることもなくなったが、以前は傷だらけになっていたものだ。そう考えれば、ヴァルトルーデの負傷も心配するほどではない。
そう無理やり自分を納得させて、ユウトは秘宝具を掲げる。
残留思念となっている竜帝は、その内部でいぶかしんでいたかもしれない。なぜ、海上で使用するのかと。
それこそ、ユウトやアカネといった現代人と彼らの違い。映像や知識レベルであっても、海底のことをどの程度把握しているかで力の振るいかたも変わる。
地の宝珠による呼びかけに、海の底から応えがあった。
「《風の声》」
それを受けて、ユウトは呪文書から2ページ分斬り裂き、すばやく呪文を発動させる。
「朱音、離れろ!」
「いきなりなんだからっ」
呪文で届けた音声で、眼下のツバサ号に警告――あるいは命令――を出す。さすがにアカネの声はここまで届かないが、急発進する船を確認し、ユウトは安堵する。
限定的な爆発だから、もう、大丈夫。
そう、爆発だ。
海面が、膨らむ。ヴェルガ帝国の船団がビル数階分も持ち上げられた。時ならぬ天変地異に翻弄され、船体が大きく傾ぐ。どの船も、転覆を防ごうと船員たちが大慌てで帆の向きを変え、櫂をこぎ、舵輪を回す。
けれど、すべては無駄な努力。
次いで海が爆発し、もうもうと白い水蒸気が上がる。
それに巻き込まれ、帝国船団は海の藻屑と消えた。
スペイン無敵艦隊も、海戦より、帰路で巻き込まれた嵐のほうがはるかに被害が大きかったという。矮小なる人の身では、自然に勝てぬのだ。
その点だけは、自然崇拝者と同意見だとユウトは思う。
こんな近海に海底火山があったのかどうかは定かではないが、秘宝具を使用した祈願だ。多少の無理はねじ曲げてしまう。
「そんな奥の手まで隠しておったとはの。しかし……そうか。見事に、足をすくわれたわ」
「多少はミステリアスなほうがいいかと思ってね」
解き放たれた力で、精神世界に介入してきたものと同じだと気づいたのだろう。もしかすると、ユウトのなかに残してきた力と、同調が終わったのは今なのかも知れない。
すっきりとした海上から視線をヴェルガへと移動させたユウトへ、淫靡に微笑み言った。
「それも魅力的ではあるが……。やはり、婿殿が紡いだ縁は素晴らしいの」
「それ、自分も入ってないか?」
次の手を模索しながら、ユウトは聞き返す。
これで、ツバサ号の安全は確保された。アルシアやラーシアの援軍も期待できる。
「もちろんよ。しかも、かなり重大な縁であろ」
「確かに、地球に行って帰ってこられたのも、ヴェルガのおかげだよな」
事実を認めつつ、その縁も長くはないと断じた。すべて終わりではないが、因縁はここで断つ。
「それで、デートをすることになって、今の状況だぞ。話にならん」
憤然と、ヘレノニアの聖女らしからぬ表情で抗議した。頬を膨らませた様子はかわいかったが、どちらも正論だと、ユウトは苦笑する。
しかし、正論であっても、やることは変わらない。
アルシアもラーシアも待たない。
今、ヴァルトルーデとともにヴェルガを退ける。
魂までは滅ぼせないだろうが、肉体は殺害する。
そう改めて決意した瞬間、片目から涙がこぼれ落ちた。
哀しいはずがない。後悔だってしない。元々、敵だったのだ。決定的な亀裂が走ろうと、気にする道理がない。
それなのに、その決断に手が震える。まるでもう一人自分がいるかのようだ。
ユウトは震えを抑えようとはしなかった。それも自分の一部だと、すべて飲み込む。
矛盾した感情。パラドクスは、ひとつを選び、ひとつを切り捨てることで解消される。いや、そうしなくては解消されない。
ユウトは、ヴァルトルーデに視線を送る。
彼女は、それを受け止めしっかりとうなずいた。
「《雷雲の群》」
呪文書から9ページ分斬り裂いて、上空に放り投げる。
ちょうど、空中の三人は正三角形を描くような配置になっていた。そして、呪文書のページが変じた雲が、その全体を覆い尽くした。
視界が雷雲に覆われ、幾条もの雷が敵――ヴェルガを討つ。
「この程度かえ?」
しかし、当然ながらヴェルガを死に至らしめるには及ばない。
当然だ。
それは、彼女の役目なのだから。
「《雷光進軍》」
ヴァルトルーデが仕える“常勝”ヘレノニアは、軍神であると同時に――最大の会派がアレイナの所属する雷の刃であることから分かるように――雷をも司る。当然、その信徒にも雷に関する呪文を与えていた。
《雷光進軍》は、聖堂騎士のみが使用できる特殊な理術呪文。
術者の武器が体が雷をまとい、神の敵を粉砕する。
そして、《雷雲の群》は風と雷に関する呪文の威力を増幅する効果も合わせ持つ。
「うっ、おおおッッ!」
《雷雲の群》のなかだろうと、ヴァルトルーデがユウトを見失うことはない。ならば、もうひとつの気配がヴェルガだ。
まるで雷獣のように突撃し、第九階梯の理術呪文により増幅された一撃が、雲のなかでヴェルガを吹き飛ばす。
雲が、晴れた。
ユウトの頭上には、満身創痍のヴェルガとそれを追撃するヴァルトルーデがいた。
夕陽が、美しい二人を、さらに輝かす。
「聖撃連舞――陸式」
一呼吸。
10秒にも満たぬ間隔に繰り出される、6回もの《降魔の一撃》。そのすべてが悪の半神の肉体を斬り裂き、えぐり、刻み、その肉体から生命を奪い去る。
炎の精霊皇子イル=カンジュアルすらほふった最大の攻撃に、赤毛の女帝も抗しきれない。
そのまま力なく海へと落ち――その途中で、ユウトと目が合う。最後の力を振り絞るようにしてその場に留まり、か細い声をあげた。
「婿殿――」
ユウトを求めて、ヴェルガが手を伸ばす。
彼女の炎のような赤毛は、すっかり元の状態に戻っていた。
「ヴェル――」
憔悴し、消耗している悪の半神。彼女からは最も遠い、哀れさすら感じられる。
散り際ゆえの姿か。
それに突き動かされるかのように、ユウトも彼女の手を取ろうとし――気づいた。
「また、俺をあの世界に連れていくつもりか?」
「残念なことよ」
一転していつもの淫靡な笑顔を浮かべ、腕が力なく垂れる。
彼女は、最後の最後まで勝利条件を見誤ることはなかった。確かにヴァルトルーデを亡き者にしていたが、発端は自衛のようなもの。
個人的な憎しみを除けば、ヴェルガにヴァルトルーデを排除する理由はない。
彼女が戦場に踏みとどまったのは、徹頭徹尾ユウトを、愛しい男を手に入れるため。
そのために、あえてその身を傷だらけにし、油断を誘った。
だが、それも通じなかった。
精神世界で、少し猜疑心を育てすぎたのかも知れない。
仕方あるまい。
数十年、数年もすればまた蘇る。そのときに、また……。
そうヴェルガが現実を受け入れようとした瞬間、どくんと体が跳ねた。
心に、熱く、甘く、狂おしい感情が流れ込んでくる。
その心に、触手を伸ばすモノがいた。




