4.視察でデート
「実験結果は、上々といったところかしら」
メインツでの商談を終えてファルヴへと戻った翌日。ユウトの執務室に、ヴァルトルーデ、アルシア、ヨナ、ユウトの四人が揃っていた。
相変わらず、大鏡くらいしか調度品のない殺風景な部屋。だが、集った元冒険者たちの華やかさだけで、それを補ってあまりある。部屋の主であるユウトを除いて。
「確かに、いつも通りだったみたいだな」
報告書やユウトが不在だった間の処理案件を確認しながら、ユウトがつぶやく。ソファの背もたれに寄っかかりながらと、だらしない姿勢だったが。
「クロードさんのお陰だな」
「ええ。新しい事業を展開するなんてことがなければ、もう任せて大丈夫じゃないかしら」
「でも、それって当たり前のことじゃないのー?」
そんなユウトに、アルシアの膝に頭を載せたままソファに横たわるヨナが、もっとだらしない格好で問いかける。
人が一人欠けただけで機能不全に陥るのは、組織として間違っている。
ヨナがどこまで意識しているかは分からないが、子供らしい遠慮のない言葉だった。
「その当たり前ができてなかったからこその、実験なんだよ」
「そりゃ仕方ないねー」
「なー」
適当に相づちを打ちながら、ユウトは隣に座るヴァルトルーデの様子を窺った。
「もしかして、私はこの領地に必要ないのだろうか……」
……見なかったことにしよう。
というわけにもいかず、ユウトが冒険者時代のように身振りでアルシアに救援を要求する。
「私は聖職者だから、嘘はつけないわ」
「それ、一番残酷だよね?」
「それはそれとして、良い機会だからヴァルとユウトくんは、領内を巡ってきてはどうです?」
唐突に感じる提案に、二人は驚きの表情を見せる。
「今回留守番だったアルシアが行くべきではないのか?」
「別に、順番なんか気にする必要はありませんよ。というよりも、神殿が完成したら、ヴァルがそうそう、ファルヴを空けることなんてできなくなりますからね」
「公務であれば別だけど、まあ、そうだな……」
アルシアの言わんとするところに気づき、納得するユウト。だが、自分が一緒なのは足代わりと思っている時点で、分かってはいない。
「アルシア……」
「どうしました?」
一方、アルシアの真意に気づいたヴァルトルーデは、羞恥と感謝と余計なお節介を焼かれたと、実に複雑な表情を浮かべていた。
「そういや、今度はハーデントゥルムの港湾工事が完成するんだったかな。ついでに、村の様子を見ておくのも良いかもしれない」
ノリが先生の家庭訪問のようになっているのには気づかない振りをして、ユウトが適当に計画を立て始める。
「ま、まあ。ユウトがそこまで言うのであれば、視察も悪くはないな。うん。仕事だしな」
「そこまで言うなら、短めに切り上げるか」
「いやいやいや。待て、待て。私は、そんな風には言っていない……ぞ?」
「なぜ疑問形」
そんな二人の様子を見て、話は決まったかと安堵するアルシア。
一方、ヨナはというと――
「ユウトの世界だと、こういうのって『リア充爆発しろ』って、言うらしいよ?」
軽くアルシアに頭を小突かれていた。
その数日後。
午前中に始まったハーデントゥルムでの竣工式に出席したユウトとヴァルトルーデは、式典もそこそこに、カイエ村へとやってきていた。
港湾工事に不満があったわけではない。
イスタス伯爵領初の公共事業となった港湾工事は、ユウトに「やっと、金が減った……」と正気を疑われる喜びを与えていたのだから。
「金が減って喜ぶなど、このブルーワーズでもユウトだけだろうな」
「金だけあっても、領地は発展しないんだからな」
論点がズレているような気がしていたが、二人とも気にしてはいない。本格的な議論をする気も無いのだから、当然だ。
《瞬間移動》でやってきたカイエ村は、ロートシルト王国における典型的な農村だった。
今は、二人とも地味な格好に着替えているため、無駄に村人の注意を引くことはない。
ヴァルトルーデが身につけているのは、町娘が着ているような綿でできた萌葱色のワンピースに茶色のスカート。
ユウトも、いつものローブや制服ではなく、地味なチュニックにズボンと、遠目には旅人に見えなくもない服装だ。
村の入り口から少し離れた場所に転移した二人は、傍目には仲睦じい恋人たちのようにあぜ道を進んでいく。
村の外に広がる畑では冬まきの小麦が発芽の時期を迎えており、村人たちが忙しそうに農作業に励んでいた。女性の方が、比率は高いようだ。
カイエ村の規模は、それほど大きくない。人口は、五百人強といったところか。
「なんだか、オズリック村を思い出すな」
地球から転移してからしばらく根城にしていた、ヴァルトルーデとアルシアの故郷を思い出すユウト。
そこに他意はなかったのだが、傍らの聖堂騎士は珍しく不愉快そうに唇を尖らせた。
「オズリック村は、こんなに辺鄙なところではない。城館や水車小屋に、魔法薬屋もあるのだぞ。一緒にしてほしくないな」
「そこ、自慢するポイントなんだ……」
どちらにしろ、ユウトからすると辺鄙には違いない。地球に存在していれば、世界遺産クラスだ。
「というか、領主がそういうことを言っちゃダメだろ」
「むう。そうだな。私が悪かった」
郷土愛が行きすぎてしまったと反省するヴァルトルーデ。
「それに、あそこまで立派な防衛施設はオズリック村にも無いな」
彼女の視線の先には、村の居住区をすぽりと包み込む土塁に空堀。その背後にそびえる石壁が存在していた。
どちらも、ユウトが呪文で作り出したものだ。
さすがに畑までは囲めなかったものの、堀の深さは60センチメートルほど。深さはないが、土塁も合わせるとかなりの高低差がある。更に、底部は平らではなくV字型に掘られており、通行は困難だった。
この土塁と空堀は、ファルヴの区画整理をしたのと同じ《大地鳴動》の呪文を使って、ほんの数時間で作製したものだ。
石壁も同様に、《石壁》の呪文を何度も何度も唱えてぐるりと囲んでいる。長さを重視したため高さは2メートル弱しか無いものの、厚みは30センチメートル近くあり、ゴブリンたち邪悪な亜人や危険な野生動物相手であれば充分な設備だ。
「思うのだが、これはちょっとやり過ぎだったのではないか?」
「そうかな? まだ微妙に物足りないんだけど」
「魔術師は、本当に壁を作る呪文が好きだな。実は、壁張り職人だったのか?」
ユウトは、これと同じ設備を他の村にも作っているのだ。その貢献には頭の下がる思いだ。
そう感謝しているヴァルトルーデだが、ファルヴにも同じように《石壁》の呪文で城壁を作るつもりだったと聞いたら、さすがに正気を疑ったことだろう。
二人は堀を渡す木製の橋を通って、カイエ村へと入っていった。当然ながら、今は門番などおらず、門も開けっ放しだ。
少し離れた広場から、大人たちの声が聴こえる。なにか、集まってやっているようだった。
「ここは、カイエ村だよ」
「ん? 知っているが?」
「気にしないでくれ。言ってみたかっただけなんだ」
地球でも一部にしか通じないネタを説明する気になれないユウトは、その場にヴァルトルーデを置いて目についた村人へと駆け寄っていった。
ちょうど、壁の内側でかけっこでもして遊んでいた子供たちがいる。
ヴァルトルーデを子供たちに近づけたくないわけではない。だが、ユウトならなんとか平静を取り繕うことぐらいはできるようになったものの、免役のない一般人に、いきなり彼女の美貌を晒すのは危険だ。特に、人間相手には。
「村長のロシウスさんに、ユウト・アマクサが訪ねてきたと、伝言してもらえるかい?」
相手の返事を聞かず、銅貨を人数分握らせる。
「ユート・アマクサだね」
「変な名前ー」
「独り占めしないで、ちゃんとみんなに分けなさいよ!」
元気よく駆けだしていく子供たち。
「…………」
そんな中、じっとこちらを見ている少女が一人。
「どうしたのだ?」
優しい声と表情で、ヴァルトルーデが腰を落としながら聞く。目線を子供に合わせるその仕草にユウトは密かに悶えていたが、二人には気づかれなかったようだ。
「おねえちゃんは、おひめさま?」
「は?」
意外なことに、ヴァルトルーデはストレートな称賛をぶつけられることは少ない。大抵は社交辞令として流しているうえ、自らの美貌に自覚がないこともあり、攻められると弱かった。
そんな彼女に、ユウトがフォローを入れる。
「ヴァルトルーデがもの凄い美人だから、お姫さまみたいだねって言いたいんだろ」
「バカを言うなっ」
照れるヴァルトルーデも世界一かわいい。
「ヴァル子はかわいいなぁ」
「ユウトぉ……」
声に出ていたようだ。
「じゃあね、おひめさま!」
世界を救った英雄を涙目にした少女は、自分がそんな偉業を成し遂げたとは思いもせず、先に駆けていった友達を追いかけて走り去っていく。
後には、甘酸っぱい雰囲気を漂わせる男女が一組。
「…………」
「…………」
言葉を出すのをためらい、おどおどして過ごすこと数分。
二人の視界に、転がるようにして駆け寄ってくる老人の姿が入ってきた。駅伝の中継所にふらふらになって入ってきた選手のようで、危なっかしい。
「これ、こっちから近づいた方が良いのかな?」
「……止めておこう。心情的にはそうしたいが、事故を誘発しかねない」
ようやくいつも通りの雰囲気に戻ったことに安心と惜しさを感じつつ、二人はこの場で村長の到着を待つ。
そんな配慮の甲斐あってか、村長はなんとか転ばず二人のもとにたどり着いた。
「突然の来訪、申し訳ないな。お忍びで、村の様子を見てみたかったのだ」
「ぜー。と、でんでもひゅー、はー」
「お忍びですから、楽にしてください」
さすがに、白髪の老人にこれ以上無茶はさせられない。
最優先で息を整えさせ、堅苦しい挨拶も抜きで村の広場へ向かっていった。
その道すがら、村長を落ち着かせるためにユウトから麦の生育状況や困り事がないかなど尋ねていく。
「作付けの方は順調ですな。寒すぎもしませんでしたので、ちゃんと芽吹いております」
「それは良かった」
「では、自警団の方はどうだろう? 無理はさせていないか?」
「いえいえ、装備は貸していただける。そのうえ、税の免除までとあっては、不満など抱きようもありませんわい」
村長の率直な言葉に、ヴァルトルーデもユウトも胸をなで下ろした。
「まあ、若い男どもはあれですな。武器とか戦いには弱いもんですな」
思わず、ユウトは苦笑を浮かべる。
傘やモップで剣道ごっこは、小学生のたしなみ。一緒にするわけではないが、本質的には同じだろう。
「今も、張り切ってやっておりますわ」
「ああ……」
村の中から聞こえていたのは、訓練の声だったのだ。
今はちょうど剣の訓練だったようで、集まった村人達が気合いの声と共に剣の素振りに励んでいた。
戦闘経験の無い村人。さらに、被害を出さないことを重視するのであれば、槍や弓の方が大事なように思える。
訓練内容は村々に派遣した元冒険者たちに一任していたが、考え直した方が良いのだろうか?
そんな言葉を発する前に、ヴァルトルーデがつぶやいた。
「ほう。まずは、基礎からみっちりやるつもりなのか」
「さすがですな。息子も、そう言っておりました」
「どういうことだ?」
「武器など持たせずに、基礎体力から作ろうとしているんだろう」
「でも、剣を振ってるじゃん」
「毎日、走り込みに腕立て伏せでは続かないからな」
サッカーもそうだ。
ランニングが重要なのは分かる。よく分かるが、やっぱりボールを触りたい。ゲーム形式なら、最高だ。
「どのくらいのものか、試してみたくなったな」
「ヴァルが出てって稽古になるのか、それ?」
「ぐぬぬ……」
「まあ、目隠しをして、相手が五人がかりなら多少は勝負になる……かな?」
「そんなところだな。もちろん、私は素手だが」
「それはすでに、稽古とは言えないのでは……」
村長が困っているようなので、ユウトは少し話を変えてみた。
「なら、年に一回ぐらい各村から代表者を出し合って剣闘試合でもやってみましょうか。優勝者には、模範試合としてヴァルトルーデと戦う権利をあげたりして」
「それは、盛り上がるかも知れませんな……」
「会場は一年ごとの持ち回りで、お祭りみたいにしたら喜ばれるかな?」
ユウトの頭の中で、思いつきが形を為していく。イメージは、町内対抗運動会だ。
「無闇に白熱して、大事にならなければいいが……」
「アルシア姉さんに待機してもらえば問題なし」
「それもそうだな」
どんな大規模な大会でも、第九階梯の蘇生呪文を使用できる神術呪文の使い手がバックアップしているなどということはまず無い。
ことごとく常識外れな企画だったが、誰一人指摘できず村長の家まで到着する。
出迎えてくれたのは、ゆったりとした服装をした赤毛の女魔術師マリアンだった。目立ち始めたお腹を苦にもせず、ユウトたちと義父を迎え入れ、ハーブティーなどいれてくれる。
「急に押しかけて、申し訳ない」
「お気になさらず。少しぐらい動いた方が気晴らしになりますから」
定番と言えば定番のやりとりをし、暖炉の前に置かれたテーブルへと移動する。
村長の家といっても、豪華な家というわけではもちろんない。他の住人の家に比べると広く間取りにも余裕があるが、これはちょっとした集まりに使ったり、外からの来訪者を宿泊させたりするためなど、実務的な要請からだ。
調度品もほとんどなく、隙間風も感じられた。
これがブルーワーズの"平均"だとユウトは心に刻む。これを、少しでも良くしていかなければならないとも。
皆でハーブティーを口にし、そこからは和やかに会話が続けられた。
ユウトは村長と収穫量や現金収入の手段、肥料などについて細かく聞き取りをしていく。他の村でも同様に情報を集め、多元大全で調べた知識を基に、改善が可能であれば提案していくつもりだった。
それから、馬や牛などの家畜を買い与えた場合、村で維持が可能かといった、突っ込んだ話も。特に馬に関しては、馬車鉄道を展開するのであれば早めに確保しておかなければならない。
ヴァルトルーデからは周囲の治安、山賊の類やゴブリンなどについての質問が出た。
言うまでもなく、ヴァルトルーデたちが〝虚無の帳〟を壊滅させてからは何事も無いようだ。モンスターも、ほとんど見かけなくなったと村長は喜んでいる。
それを聞いてヴァルトルーデも安堵したが、ユウトはなぜか考え込むように手をあごに当てていた。
朗報と言って良い情報に、なぜそんな反応をするのか。
それを問い質そうとした瞬間、ユウトの前に手のひらサイズのカードが突然ポップアップした。
村長は驚きの表情を浮かべるが、この場では例外。魔術師のマリアンもヴァルトルーデも見慣れた呪文だった。
「ん? アルシア姐さんからか」
《伝言》の理術呪文により届けられたカードに、視線を向けるユウト。ヴァルトルーデに送らなかったのは、単純に読み書きの問題だ。
魔術神トラス=シンクとはいえ、すべての信徒に理術呪文と神術呪文の双方を行使する力を授けることはできない。
しかし、すでに呪文が蓄えられている巻物や魔法の杖であれば発動することは可能だ。
「セジュールから使いが来たってさ」
「王都から?」
従順な飼い犬のように読み終わるのを待っていたヴァルトルーデへ、ユウトが内容を説明する。
「ああ。アルサス王子からの招待だ。食事でも、一緒にいかがですかって」
「それだけならば、わざわざ使者を立てる必要もあるまい?」
「めんどくさい話があるんだろうなぁ……」
解釈によっては不敬罪にも問われかねない相談をする二人を、今度ばかりは身重のマリアンも口を開けて眺めることしかできない。
そういえば、二十年にわたり行方不明だったアルサス王子を救出したのも彼らだったのだ。
今更ながら、目の前の二人が偉大な英雄であるという事実を思い知らされたのだった。




