8.禁断の邂逅(前)
「どうして、服まで黒く……?」
「師匠……」
乗員のことを考えない機動をする最中。なんとかユウトの船室にたどり着いた真名とペトラは、横たわるユウトを痛ましげに見つめた。
「教授の健康状態に、異常は検知できません。医学的にはただ眠っているだけと思われます」
医療アプリの応用なのか、腕の中のタブレット――マキナが機械的な音声で診断結果を告げる。
「まるで眠り姫ですね」
「怖い王子様たちが、取り合っているわけですか。ご主人様も参加しますか?」
「興味ありません」
ポニーテールを揺らして否定し、呪文書との会話を打ち切った。
「急ぎましょう」
「うん」
疲れの色が見えるヨナだったが、やる気は充分。少ない精神力をかき集め、超能力を使用する。
「《マインド・ボンド》」
アルシアを除く、三人の精神がつながった。
衝撃、戸惑い、混乱、怒り。様々な感情が渾然一体となり、上書きされ、上書きし、考えていることが、行動が手に取るように分かる。
未知の感覚に、真名とペトラの心と体が震えた。
「いきますよ」
その様子を確認し、アルシアがメルエル学長から譲られた巻物を広げる。
第九階梯の理術呪文、《星幽体投射》。本来であれば、彼女が使えるはずもない高度な呪文。
だが、巻物であれば問題ない。
「トラス=シンクよ、魔術の深奥を知る御方よ。僕たる我に、その力の一欠片を与えたまえ」
人の魂を肉体のくびきから解き放ち、現実の境界線へと赴くことを可能とする呪文。対象は、最大六人。持続時間は20時間。
心を静め、大いなる意思と一体化し、巻物の内容を読みとっていく。やがて、発動できる確信が死と魔術と女神の愛娘の胸に湧いてくる。
「《星幽体投射》」
失敗する可能性はあった。
だが、そんなことは想像もできない完璧な発動。
巻物が力を失い、代わりにヨナたち三人は精神の存在へとなった。真名がマキナまで抱えているのにはアルシアの目が見えていたら驚いたことだろう。
「頼みましたよ。ああ、でも危なかったらすぐに帰ってくるんですよ」
聞いてほしいのはヨナだが、聞かないのは分かっている。だから、二人の年長者へ向けた言葉だったが、心配性だと笑われてしまうかも知れない。
それでもいい。ちゃんと戻ってきてくれるのであれば。
「…………」
残念ながら、精神体の言葉は通じない。だが、その思いは伝わった。
ヨナが先頭になって、ユウトの精神へとダイブする。
それを見届けることはできずとも、気配は伝わったのだろう。後ろ髪を引かれながら、アルシアは船室をあとにした。
手の掛かる幼なじみをほったらかしにできない。
それに、ここで彼と二人きりになったら、感情を抑えきれる自信などなかった。
「ここが……」
「センパイの精神……」
ダァル=ルカッシュは一面の書架だったが、ユウトのそこは街。それも、ファルヴの街だった。
街の入り口に立った三人は、それぞれ顔を見合わせる。当然といえばそうかも知れないが、地球のどこかではなかったことを、真名は意外に感じていた。
「なるほど。このファルヴが、教授にとって最も印象的な光景ということなのでしょう」
「まあ、当然」
なぜか、胸を張るヨナ。
「師匠が作った街ですもんね」
ペトラも納得顔だ。
違和感を憶えているのは、真名だけのようだった。
精神世界に詳しいわけではないが、当人にとって最も馴染み深いものが現れるのであれば、やはり故郷の街ではないだろうか? それとも、同じ日本人だからそう思うだけなのか。
「行こ」
手慣れた様子で、ヨナが街の中へと入っていく。
一方、精神体は初体験の真名とペトラはおっかなびっくり。肉体とは微妙に異なる感覚に慣れず、歩き方がぎこちない。
「ご主人様、もう少し思い切りよく歩いたほうがいいでしょう。逆に、相棒は控えめに。残念ながら、相棒の足は、そこまで長くありません」
「うう……。私の理想では、もっとすらっと……」
肉体という枷がなくなった反動で、理想――あるいは夢見た――体型での動きが出てしまったらしい。マキナから指摘されて、アッシュブロンドの魔法戦士が槍を杖のように抱きしめながら赤面する。
「今度、向こうから美容体操の本とか持ってくる?」
「慰めもない!」
「理想におぼれるようでは、まだまだ」
精神体でもありのままの姿でいるヨナが、再び胸を張る。焦っても、成長が早くなるわけではない。ならば、黒幕のように泰然自若としているべきなのだ。
アルビノの少女は、最近、考えを変えていた。
これから数年以内に、ヴァルとアルシアとアカネはユウトの子供を産む。当人が聞いていたら頭を抱え、大騒ぎする内容だが、これは決定事項だ。
更に、二人目三人目と子供が産まれ、一段落。
そして、美しく成長した自分の番がやってくるわけだ。焦る必要は、まったくなかった。
素晴らしい。一分の隙もない。
「おかしい……」
だが、それもユウトを元に戻してからの話だ。
素敵な未来予想図は脇に置き、立ち止まってファルヴの街を見回す。
街の中は、閑散としていた。
それ自体はありえるかもしれない。だが、あまりになにもない。
もうそろそろ、街の中心である城塞にたどり着く。なのに、妨害者らしき影すらないのはどういうわけなのか。次元竜の時には、いろいろと出てきたというのに。
それ自体は歓迎すべきかも知れないが、怪しすぎる。
「みんな、警戒」
「分かりました!」
「私は、最後尾に移ります」
「当然です」
二人とひとつが、年端もいかない少女に従った。外見に惑わされるような人間は、ここにはいない。
互いに数メートルの距離をとって、慎重に城塞へと進んでいく。
石畳の道、馬車鉄道の線路、家々や商店、神殿といった建物は、ほとんど実物と違わない。縮尺も同じようで、数十分ほどで城塞に到着してしまった。
「なにかあると思わせて、時間稼ぎが目的だった……?」
「ですがそれでは、考えなしに突っ込まれると問題が」
「でも、実際に私たちは引っかかった」
「そうなると、時間を稼いでなにをするのかがひとつの焦点になりますね」
ぴたりと門が閉まった城塞を見上げながら、真名とマキナが可能性を検討していく。だが、材料が少なすぎて結論は出せない。
「……開かない」
「空から、入りますか? それとも、破壊を?」
そうこうしているうちに、実力行使が始まってしまいそうだ。けれど、真っ先に賛成しそうなヨナが動かない。
ほとんど精神力が残っておらず、無駄になるかも知れない行動は躊躇せざるを得なかった。瞳の王子を倒した分もそうだが、怒りに任せてヴェルガへ放った本気の《ディスインテグレータ》が効いた。次からは、もう少しやりくりを考えようと反省するヨナ。
だが、後悔はしていない。
「なら、私が試してみます」
真名が二人を押し退けて、タブレット背面のカメラ側を城門へと向ける。
「センパイなら、この程度耐えられるでしょう」
今までは、タブレットの液晶画面をフリックし、発動する呪文を選んでいた。だが、マキナのお陰でそんな操作からは解放された。
「《冷気の矢》」
呪文名を叫ぶだけで、処理はマキナが請け負う。術者が行うのは、狙いを付けトリガーを引くことだけ。
円形の魔法陣が城門の前に浮かび、そこから水色をした二条の矢が発射される。
今発動した《冷気の矢》は第一階梯の攻撃呪文。
威力は低いが、こちらでも反射でもされたら困る。ちょうどいいと言えばその通りだったが、冷気の矢は綺麗に吸収されてしまい、傷ひとつつけられなかった。
「やはり、駄目でしたか」
「じゃあ、次は私が飛んでみます!」
手を挙げて立候補したペトラが、《飛行》の呪文を使用して空からの侵入を試みる――が。
「駄目でした……」
城塞内に入った瞬間にくるりと向きを変えられ、どうしてもそれ以上進めない。何度、どこからやっても同じ結果だった。
意気消沈するペトラの肩を抱いて慰めるが、真名の表情は険しい。
ユウトなのか、敵がそうしているのかは分からないが、こちらを排除するのではなく、防御を固める方針のようだ。
それはヨナも理解できた。
そうなれば、できることはただひとつ。
「ユウトのバカーー」
山頂にたどり着いた登山者のような格好で、突如として罵声を浴びせ始めるヨナ。
「なるほど。言葉合戦ですね」
その意図を正確に理解したのは、マキナだけ。
要するに、子供の喧嘩で悪口を言い合うようなもの。だが、挑発して乗ってくれればしめたもの。
「低次元すぎますが、他に方法もなさそうですね」
「師匠に悪いところなんかありますか?」
遠慮というよりは、本心からそう思っているらしいペトラにマキナを押しつけ、両者にイヤホンを取り付ける。取り出してから、ここが精神世界でだったことに気づくが、まあ、いい。
「マ、マナさん!?」
「ちょっと、本気を出します。マキナ、音楽でも鳴らしておいて」
イヤホンに切り替えたため応えは聞こえなかったが、命令通りにしていることは、ペトラが目を白黒させていることから明らかだった。
「センパイは、非常識すぎます」
最初に思いついた内容を、城門へ向かってしゃべり出す。
「地球でのあれこれは、まあ、知らなかったから仕方ないとしましょう。でも、ペトラから聞きました。なんですか、いきなり地獄みたいなところで修業させるとか。どういうことですか。なに考えてるんですか」
いきなりの正論。
だが、城門にもこの世界にも変化はない。
「あなたができることは、誰もができることじゃありません。いい加減自覚してください」
けれど、構わず真名はしゃべり続ける。
「あと、あれです。女性関係をしっかりさせてください」
ぽんと手を打ち、この際だからと言ってしまうことにする。
「婚約者が三人というのは、センパイなりに頑張ったんだとは思います。でも、だからって惚れさせて放置はないでしょう。責任を取れとまでは言いませんが、はっきりさせましょう」
なんだか、自分でもなにを言いたいのか分からなくなってきた。
それでも、なにかに突き動かされるように口を開く。
「はっきりさせると言っても、あれですよ。一人一人面接して好意を確認するとか、そういうことはやめてくださいよ? ちゃんと自分で自分の行いを考えて因果を見極め行動するんですよ?」
これ以上は、やめよう。
未成年にもかかわらず、居酒屋へ連れて行かれて聞かされた愚痴のようだ。ああはなるまいと思った大人に似てきたという自覚は、女子高生には辛いものがある。
「センパイ……」
声のトーンが、がらりと変わった。
甘えるような、それでいて泣きそうな。胸を締め付けられるような声。
「さっさと戻ってきてください。みんな、心配してるんですよ。あなたのことが好きなんですから」
そうでなければ、危険かもしれないと分かっていながらこんなところに来たりしない。
「マナ。なかなかやる」
罵倒と説得と哀願と。
様々な感情が入り交じった真名の心が、ユウトに届いた。
――ただし、ほんの少しだけ。
城門が、ほんのわずかに開く。
「《ディスインテグレータ》――エンハンサー!」
その隙を、ヨナは見逃さなかった。
最後の精神力を振り絞り、緑色の破壊光線をその隙間に放つ。
「…………」
城門が開き、その奥にユウトが無言で立っていた。
漆黒のローブに身を包んだユウトが。
「ユウト!」
「センパイ!」
「師匠!」
だが、その声は届かない。そもそも、ユウト本人なのかも分からない。
確かめる暇もなく、それは口角を上げて邪悪に微笑むと、呪文書のページを切り裂いて宙にはなった。
「《悪夢》」
悪夢を見せる理術呪文。
ただし、この世界のユウトにとっては正夢だ。
精神世界への侵入者たちの頭上に、光の粉が降り注ぐ。
その夢は、その光景は。
ユウトが、ヴェルガの下に世界転移してから経験したすべて。それを圧縮し、一瞬で追体験させる。
だから、詳細までは記憶にとどめられない。
だが、その衝撃を受け止められるはずもない。まるで強制的にログアウトさせられるかのように、ヨナたちはユウトの精神から追い出されてしまった。
「よくやった」
だから、その声を聞いたのは精神構造の異なるマキナだけ。
「あとは、任せな」
ユウトの声とは異なるが、どこか似ていて。
とても、力強い声だった。
二巻の作業が佳境のため、今週は月水金のみの更新とさせていただきます。
今週を乗り越えればなんとかなりますので、ご迷惑をおかけしますが、ご了承のほどお願いいたします。




