7.フォリオ=ファリナ沖海戦
アカネに呼び出され、ヴァルトルーデとアルシアがツバサ号の操舵室に姿を現す。5メートル四方ほどの空間に、眠るユウトを除いて勢揃いした格好だ。
「これを使えば、もう見えるわよ」
ヴェルガ帝国艦隊は北から現れ、こちらは島の南側に停泊していたが、ツバサ号の船足なら捕捉するまでそう時間はかからない。
備え付けられていた双眼鏡型魔法具を受け取ったヴァルトルーデは、操舵室から洋上を観察する。
船影は、すぐに見つかった。
「あのどれかに、ヴェルガがいるのか」
帝国艦隊は、船種に統一感がない。巨大な櫂が突き出ている点だけは共通しているものの、形状や大きさはばらばらだ。
「ヴェルガ……」
舵輪ではなくオーブで船全体を制御する指令所でもあるそこで、はっきりとした感情を込めたつぶやきを漏らす。だが、それ以上は引きずらず、ヴァルトルーデは二人の同志へと向き直った。
「間に合ったと言えるか?」
「そうね。てっきり、もう攻め込んでるのかと思ったわ」
「ヴェルガも、意外と消耗が激しいのかもしれません」
アルシアの言うとおり、なにか理由があったのか、まだフォリオ島へ上陸は果たしていなかった。
「とはいえ、それも時間の問題でしょう。なにもせずにこのまま帰ってくれるとは思えません」
「あのヴェルガだものね。ユウトと初デートしたこの街を二人の愛の巣にするとか言い出しかねないわ」
「実に否定しづらいところです」
「そんなことをさせる気はないが……あれは厄介だな」
ヴァルトルーデが指摘したのは、哨戒するかのように周囲を浮遊する瞳の王子。艦隊からもある程度距離を取っているのは、間違って味方の魔法効果を抑止しないようにするためだろう。
「ヴァル、どうするつもりです?」
「分かっているさ。私も、そこまで無謀ではない」
悪と見れば突撃する。
誤解されがちだが、それは善でも正義でもない。
敵艦隊を、目の当たりにして気づいた。
今の自分たちは言い訳のしようもないほど中途半端だ。
本当に偵察だけのつもりであれば、ラーシアを魔術学院へやるべきではなかった。彼ならば相手の索敵範囲を見極め、単独行動してでも情報を持ち帰ってくれただろう。
ヨナもそうだ。いくら移動手段が豊富とは言え、瞳の王子を相手にするのであればアルビノの少女を手放すべきではなかった。
そんな簡単なことに、今まで気づかなかったのだ。どれだけ頭に血が上っていたのか、どれだけユウトに依存していたのかが分かる。
「まずは、ラーシアやヨナとの合流を優先する。相手とはもう少し距離を取って――」
だが、その判断は遅きに失した。
相手もただの木偶ではない。遠方の艦隊に気を取られている間に、海中からサハギンたちが躍り出て続々と甲板へと登ってきていた。
「レーダーとかあればいいのに!」
「それがなんだか分からないが、あとでユウトと相談してくれ」
討魔神剣を抜き放ち、即座に甲板へと移動する。
すでにそこは、数十体もの手足のある直立する魚類がひしめいていた。
「今の私は、少々凶暴だぞ」
その言葉に反応し、平たくて長い頭部の両脇についた大きな瞳が、ぎょろりと美しき聖堂騎士をにらみつける。
それに怯まず、ヴァルトルーデは敵へと一歩踏み出す。
それで、怯んだのはサハギンたちのほう。
自前の鱗の上から、更に鱗の鎧を装備し、三叉の矛や舶刀を手にしたサハギンたち。
完全武装で、数の優位は揺るぎようがない。
にもかかわらず、光を放つような美しさの聖堂騎士に気圧された。
それを知ってか知らでか、街を歩くのと同じように自然な動作でヴァルトルーデが近づいていく。
呆然と、魅入られでもしているかのようにサハギンたちは動かない。動けない。
光が疾り、鮮血が舞った。
人間と同じ赤い血が、まだら模様を作る。中には青い血のサハギンもいたかもしれないが、どちらにしろドラヴァエルのミニゴーレムたちがきちんと洗い流してくれることだろう。
鎧と一緒に切り伏せられたと気づいたのは、甲板に倒れてから。
そのまま、草でも刈るかのようにヴァルトルーデは不埒な侵入者を駆逐していった
しかし、集団となると目端の利く者が一定数はいるものらしい。
敵わぬと見て取った何人かが、ヴァルトルーデではなく船首の投石器や大型弩砲を破壊しようと武器を振り上げる。
「ヴァル!」
「厄介なことを!」
操舵室からの声で事態に気づいたヘレノニアの聖女が、踵を打ち鳴らして飛行の軍靴を起動し、滑るように空を駆ける。
ただし、最短距離を取ったため、高さは頭上をわずかに超える程度だ。
ようやく放心状態から脱した他のサハギンたちが、無防備に移動するヴァルトルーデへと槍を突き刀を振るう。
しかし、すべて魔法銀の鎧に弾かれた。その防御力に信を置いていたがゆえの行動というよりは、最初から眼中になかったかのような動き。
眼下には、投石器を取り囲むサハギンたち。
彼らが武器を振り下ろすとの同じタイミングで、飛行の軍靴の効力を切った。そのまま、自由落下に身を委ねる。
刃を下にして。
一際大きなサハギンが頭頂から顎まで討魔神剣で貫かれ、背骨に沿って体が開かれた。だが、返り血が飛ぶよりも早く、ヴァルトルーデは刃を引き抜いて次の獲物に狙いを定める。
彼女が剣を一振りする度に、敵が一人ずつ死んでいく。相手が弱いわけでも、無抵抗なわけでもない。
けれど、鎧は紙のように切り裂かれ、武器も打ち合わせるだけでへし折られ、攻撃は届かず、逃げようとしても刃が迫ってくる。
死に飲まれるのを待つしかなかった。まるで旋風。
甲板上の敵を駆逐するのに、10分もかからなかった。
だが、それは敵の追撃を許すのに充分な時間でもあった。
一息ついて頭上を見れば、瞳の王子が迫っていた。
逃げ切ることはできるかも知れない。だが、追いつかれて魔力抑止の場に絡め取られたら、身動きが取れなくなる。
「アカネ! 前進だ!」
「ええ!?」
驚き、腰が引けているアカネだったが、操舵室から事態を見守り、必要があれば呪文で援護しようとしていたアルシアは違った。
「アカネさん、ヴァルの言うとおりにしましょう。戦場での判断は信用できます」
「……分かったわよ!」
程度の差こそあれ、ツバサ号の操船はそう難しいものではない。少なくとも、アカネがゲーム感覚で操れる程度には。
つまり、アルシアでも真っ直ぐ船を進ませることは可能だろうし、なによりユウトが乗っているこの状況で無茶はしないだろうという信頼もあった。
魔法銀を織り込んだ帆が大きく風をはらみ、一気に加速。サハギンたちという余計な荷物を搭載してはいるが、その速度に翳りはない。
「さて、目に物見せてやるぞ」
サハギンたちの死体を踏み分け、ヴァルトルーデは大型弩砲に取りついた。狙いを付けるのももどかしく、こちらへ飛んでくる瞳の王子へ長大な太矢を放つ。
空中へ向けて放たれた槍のような太矢は、わらわらとこちらへ飛んできた瞳の王子を正確に貫いた。串刺しにされたボールのような状態で、血とも脳漿ともつかぬ液体を零しながら海へと落下する。
続けて5発撃ち込み、その数だけ瞳の王子を倒していった。
だが、見える範囲でまだ十数体は空にあり、続いて敵艦隊もこちらへ舳先を向けようとしている。
「進路このままだ」
「どうなってもしらないから!」
なおも、ヴァルトルーデは前へ進み続ける。
視線の先に浮かぶ船団。その中に、宿敵がいるのだから。
それに、勝算は充分にあった。
「もう始まってる!」
「《狙撃手の宴》」
魔術学院に行っていたラーシアとヨナの二人が、真名とペトラを伴ってこちらへ飛んでくる。呪文か超能力かで移動しているにもかかわらず、その射撃は正確無比。
呪文の力も借りて正確に放たれる無数の矢が、狙いを過たず瞳の王子の急所を抉っていった。
「急所がでかいのはいいことだね。うん」
満足げなラーシアの横で、停止しながら精神力を練り上げるアルビノの少女。
「《エレメンタル・バースト》」
こちらは、狙いなど関係なかった。
半球状の爆発が瞳の王子たちを包み込み、爆炎で撃墜していく。
「一瞬で……」
「凄すぎます……」
一緒に飛んでいるポニーテールとサイドテールの少女たちが、手を出す暇もない。あれほど厄介だと言っていた瞳の王子が――少なくとも見える分は――全滅してしまった。
「よく来てくれた。皆、中へ入ってくれ」
「うっわっ。死屍累々じゃん」
「波に乗り遅れた……」
「それどころではないでしょう」
早速一仕事終えた四人が甲板に降り立ち、死体の間を通り抜けながら操舵室へと移動する。殿はヴァルトルーデが務めたが、敵の追撃はない。
「メルエル学長から、師匠を治せるかもしれない巻物を預かってきました」
「もらったのは、ボクだけどね」
「希望が見えてきたわね」
オーブに手を当てながら、アカネが安心したように言う。
「アカネ、潜ってくれ」
「分かったわ」
だが、それにすがってはいられない。ヴァルトルーデが冷静に指示を出し、アカネもそれに従う。やはり、リーダーが揺らいではいけない
「詳しい話は後ね。みんな、その辺に掴まって」
ツバサ号の船体が、斜めに傾く。舳先が海中に向いていると気づいた刹那、その角度のまま海中へ海底へと進んでいく。
「ああ、掃除が楽で良いね」
「むしろ、してない」
そのため、固定などされていなかったサハギンの死体が海中へ流れだしていた。今は、水葬だと思うしかない。
「ユウトくんを救う方法があるということですが?」
とりあえず海中に逃げ込んだものの、悠長にはしていられない。この状態では、こちらの攻撃能力も大きく制限されてしまうのだから。
「うん。アルシアに《星幽体投射》を使ってもらって、直接起こしに行く感じ」
「そういうことですか」
感情感知の指輪から伝わる、真名とペトラの意思。それとラーシアの説明で、事情は察せられた。
「よく分からないが、私はヴェルガに専念したほうが良さそうだな」
アルシア、ヨナ、真名、ペトラはユウトの下へ。アカネはこのまま操船を担当し、ヴァルトルーデとラーシアは敵と対する。
「ユウトとエグがいないと人手不足」
「仕方あるまい」
「あ、瞳の王子を倒したんだったら、学長の呪文である程度は街の防衛もできるはずだよ」
「それは好都合だな」
手早く役割分担を決め、早速動き出す。
「みんな、頼んだわよ」
「まかせて」
ユウトの船室へと急ぐ四人の背中に声をかけたアカネが、返ってきたヨナからの平坦だが頼もしい声に安堵する。
そうして、次はヴァルトルーデへと振り返って指示を求めた。
いや、同じ男を愛した連帯感だろうか。どうするつもりなのかは分かっている。
目を合わすだけでそれが間違っていないと理解して、笑顔を交わす。
「巻き込んで済まないな」
「その謝罪は、ユウトが起きてからじっくり聞くわ」
「……そうだな」
すべては、それからだ。
「浮上してくれ。場所は――敵の中心だ」
無謀にも思えるその指示に、アカネは無言でうなずいた。ラーシアも、仕方ないなと笑っている。
アカネの意思に従って、海中でツバサ号の帆が膨らみ船首が斜め上――海上を向く。
海上を移動するのと変わらない速度で上昇した船は、そのまま海面を割って敵船団のただ中に浮上する。
同時に、ヴァルトルーデは甲板へと移動した。
「ヴァル、めっちゃ怒ってたねぇ」
操舵室の甲板側の入り口に陣取って、弓を構えるラーシアが体と声を震わせて言うが、アカネは怪訝な表情を浮かべる。
「そう? いつも通りだったけど」
「この状況なのに、いつも通りのほうが怖いよ」
それはそうねと、オーブに手を当てながらアカネも首肯した。
なにしろ、こうすれば同士討ちを恐れて攻撃されにくくなる……というのは、大砲などの火器が積まれるようになってからの話。
先ほどのサハギンたちのように敵がなだれ込んでこられれば、不利は否めない。
それでも、ヴァルトルーデはこの場所を選んだ。
そうすれば、絶対に悪の半神は姿を現すと確信して。
「久しいな、ヴェルガ。そして、これが最後となるだろう」
「奇遇よな。妾も、まったくの同意見よ」
二人が舳先で対峙する。
善と悪。
雌雄を決する戦いが、始まろうとしていた。
二巻の作業が佳境のため、来週は更新が不定期になる可能性があります。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。




