5.魔術学院の古黒竜
ヴァイナマリネン魔術学院の中庭に《テレポーテーション》で降り立ったラーシアとヨナは、すぐに目的の人物を見つけた。
「マナー! ペトラー!」
メルエル学長も、多くの学生・職員を伴って古黒竜の前にいる。なにか儀式の準備でもしようとしているようだが、ラーシアには分からない。
ユウトだったら……と考え、意味がないと頭を振った。
そんな揃ってローブを身につけている集団の中、真名の制服姿は目立つ。
アルビノの少女が彼女たちへと駆け寄っていく様を眺めつつ、草原の種族の盗賊は人混みをするすると抜けて学長の下へと移動した。
「ああ、来てくれたのか。助かるよ」
「どれくらい、事態を把握してる?」
「百層迷宮に関しては、それなりに。外の騒動は、君たちを待っていた」
「うえー。ダンジョンでなんか起こってんのー?」
内に外に、問題山積だ。これも、ヴェルガの策なのだろう。厄介なのに惚れられたもんだと、自分のことを棚に上げて、ユウトに同情してしまう。
「まずは、そっちのことを教えてよ。こっちは、長くなりそうだからさ」
遠慮にも敬意にも欠ける物言いに周囲の魔術師たちは良い顔をしなかったが、当然と言うべきか、ラーシアが気にした様子はない。それは、メルエル学長も同じだった。
「百層迷宮で、モンスターの大氾濫が起こっている」
「街はいつも通りだったけど」
本当に大規模なモンスターの出現が発生しているのであれば、フォリオ=ファリナが大混乱に陥っていなければおかしい。だが、まだヴェルガ帝国が侵略してきたという報も伝わっていないのか、街は嵐の前の静けさを保っている。
「あちらには、我が師が潜っているようだ」
「それで、ボクらにヴェルガの監視を任せたんだ。最初から説明しろって」
「確信はなかったのだろう」
異常を感知し――あるいは、ヴァイナマリネンにだけ分かる形で意図的に予兆を伝え、デートから大賢者を切り離す。どれだけユウトをものにしたかったんだと、あきれを通り越して感心してしまう。
「悪いけど、こっちはもっと深刻だよ」
草原の種族から告げられる由々しき事態。結びつけるのが難しい単語ではあったが、そこに誇張も虚偽も存在しなかった。
海上からヴェルガ帝国が侵攻し、ユウトは昏睡状態。さらに、瞳の王子により、呪文や魔法具といった神秘的な事物は抑止される。
やはり、瞳の王子が持つ特殊能力は厄介だ。
「瞳の王子か。抑止のレンジは、さほど長くはないな。いるのが分かっているのであれば、遠距離から攻撃呪文で駆逐すれば良いのだが……」
「それができるユウトがいないんだよね」
ヴァイナマリネンは百層迷宮。メルエルも、この魔術学院やフォリオ=ファリナの街から離れるわけにはいかない。神術呪文では火力不足で、最も相性がいいヨナは――
「なんで、ヨナがここにいるんだろ……」
「私に言われても困るが、確かに冷静さを欠いているようだね」
「呼んだ?」
ラーシアが判断ミスに頭を抱えていると、マナとペトラを連れてアルビノの少女が合流をしてくる。すでに、ある程度は話を聞いているのだろう。二人ともぎゅっと唇を結び、ポニーテールとサイドテールが不安げに揺れていた。
「やっぱ、逃げるべきだよねぇ……」
「それもまた、私に言われても困るな。もちろん、止めはしないがね」
「止めないんだ?」
「それにリソースを割くぐらいなら、他に注力したほうがいい。それに、君たちが責任を感じるのは自由だが、義務感まで覚える必要はあるまい」
そう物分かりの良いことを言われると、反発したくなるのが草原の種族の常。
「まあ、ボクが帰ろうって言っても、ヴァルは首を縦に振らないだろうしね」
仕方ないから付き合ってあげるよと、ラーシアはおどけたように言う。しかし、ユウトからのリアクションはなかった。虚しい。
「戦争なんですね……」
「大丈夫ですよ。このフォリオ=ファリナは何度もピンチになったことはありますが、一度も負けたことはありません」
異世界でそれに巻き込まれた真名が、心配げに言う。賢哲会議の実働部隊として戦闘は幾度となくこなしているが、戦争となるとまた別。
それでも、自分も不安だろうペトラに励まされ、ぎこちない微笑を浮かべた……が。
「でも、ユウトがいない」
「そう、師匠が……」
ヨナの一言で振り出しに戻ってしまう。
「そう、ユウトはいない。ということはつまり、その間に解決したら、あとでからかったり、たかったり、やりたい放題!」
「ごほうびもらえる?」
「そうですね。私も、地球へ持って帰るお土産は多いほうがいいですから。上の覚えもめでたくなります 」
その冗談で、精神的にもなんとか持ち直した。空元気でも、ないよりはまし。そんなことを言っている場合でもないが、それでも必要なことだった。
「ところで、ヴェルガの秘跡で昏睡ということだが、ひとつ試してみてほしい」
若者たちが自分で立ち直るのを待っていたメルエルが、一束の巻物をラーシアに手渡す。
「これは?」
「《星幽体投射》だよ。これと、超能力を併用し、次元竜を解放したと聞いている」
「やった。あの女も一緒だった……」
第九階梯の理術呪文《星幽体投射》。
その巻物となれば、金貨数千枚。成否とは別にそれを使い捨てることになるが、この非常時にそんな指摘は誰もしない。真名やペトラは、事実を知ったら卒倒していただろうが。
代わりに、真名でも分かるように、メルエルとヨナが目的の補足をする。
「なるほど。センパイの精神に潜って、叩き起こすわけですが」
「師匠の心……」
この二人は、やる気だ。
ユウトの下へ行くということは戦場へ連れていくということでもあるが、実際に戦わせるよりはましだろう。
巻物は、アルシアがなんとか発動させられるはず。できなかったら終わりなので、なにがなんでもやってもらわなければならない。
あとは、ヨナに瞳の王子を全滅させてもらい、残った精神力で《マインド・ボンド》を使って潜る。《マインド・ボンド》は呪文ではないので、《反魔の星》も関係ない。
順番通りだ。なんの問題もない。
「うん。やるなら、ユウトを知ってる人のほうがいいよね。かといって、ボクらは手が離せないし」
計算違いはあったが、これで帳尻はあった。
「その二人を預かってくれるのなら、こちらも助かる。なにしろ、これから戦争なのでね」
「戦争?」
「ああ」
ちょうどそのタイミングで学長秘書の女性が現れて、短く耳打ちする。
「準備ができたようだ」
気づけば、古黒竜ダーゲンヴェルスパーの周囲にいた魔術師たちも、距離をとり遠巻きにこちらを見ていた。
ラーシアたちへは特に下がるようには言わず、メルエルは呪文書を取り出す。そして、10ページ切り裂き遺骨の周囲に展開する。
「《黒色竜骨兵》」
呪文書から切り離されたページが光条を放ち、古黒竜を囲った。
だが、それも一瞬。
すぐに光は砕け、プリズムとなって遺骨へと降り注ぎ――再び光で包まれる。
それが消え去ったとき、同時に古黒竜ダーゲンヴェルスパーも消失していた。
代わりに存在していたのは、鋭角で漆黒の甲冑を身にまとった竜骨兵たち。数百ではきかないだろう。
「うひゃー」
その亜神級呪文を目にし、草原の種族以外は言葉も出ない。真名など、自分たちの魔術との違いに、目眩を起こしていた。
「私たちは、彼らを率いて百層迷宮へ行くとするよ。もちろん、いくらかは学院やフォリオ=ファリナの街にも配置するが、瞳の王子の前ではなにもできない木偶だ」
だから、そちらは任せたよと、メルエル学長はローブを翻して行動を開始する。その彼に従って、無数の黒色竜兵。その軍団も、学院へフォリオ=ファリナの街へと進軍していく。
「魔術師ってのは、どうも派手で困るね」
自分のことは棚に上げ、ラーシアはそう独り言をもらしながら、彼らを見送った。
「ヴァル、分かっているんでしょう?」
アカネの操船により、洋上へと出たツバサ号。ドラヴァエルの小型ゴーレムたちが慌ただしく働く甲板の喧騒も、二人がいる船室までは届かない。
「なんの話だ?」
魔法銀の鎧に身を包んだヴァルトルーデは、籠手と一体化した縦の具合を調整しながら、アルシアへ問い返した。
物憂げで、迷いすら見えるヘレノニアの聖女だったが、それでもなお、呼吸を忘れるほど美しい。彼女が誇りを捨てない限り、その美しさが損なわれることはない。
アルシアは、すぐには答えない。
ヴェルガとの戦いに備え、身体能力や知能へ悪影響を与える効果を無効化する《生命の防壁》、致命傷からの復活させる《克死の天命》、重傷時に更なる活力を与える《不屈の契約》といった神術呪文を付与していく。
それらが一段落すると、真紅の眼帯を身につけた大司教は、幼なじみの頬に手を当て、優しく諭すように言った。
「ヴェルガのことです。彼女を滅ぼすことは、不可能ですよ」
「なんだ、そのことか」
神は不死ではない。
だが、不滅の存在である。
同等以上の力を持つ複数の神に攻められる、特殊な秘宝具を用いるなどの手段を用いない限りは、その命を奪ってもある程度の期間が経てば復活する。
肉体的には殺害できても、魂は不滅なのだ。ヴェルガの下に訪れた天使が、悪の半神を弑するのではなく、地上からの追放を目的としていたのも同じ理由による。
討魔神剣であれば肉体を傷つけ活動を止めることはできるだろう。
それでも、数年か数十年かすれば、また肉体を取り戻し蘇ることになる。《奇跡》などで、その期間を延ばすことはできるだろうが、それだけだ。
「分かっているさ。だが、だからといって、あの女を見逃すことなどできるはずがないだろう」
「私が言いたいのは――」
「それも分かっている」
討魔神剣を抜き放ち、刀身を確認してから鞘に戻す。
そうしてから、アルシアの手に手を重ねてヴァルトルーデは言う。
「冷静……ではないな。闘志がふつふつと湧いてるが、自暴自棄でも我を忘れているわけでもない」
どう言えば、心配性の幼なじみに通じるのか。目を閉じ彼女と同じように視覚を封じて考える。
それだけで、感情感知の指輪から思いは伝わったのだが、その交流は伝声管から聞こえてきた音で破られた。
「ヴァル、アルシアさん。そろそろ敵の近くまで来たけど、どうする?」
「分かった。そちらへ移動する」
アカネの声にそう返答し、ヴァルトルーデはアルシアから手を離す。
「ただ、そうだな。あの女は、一発殴ってやらなければ私の気が済まない。それだけだ」
そう言った彼女は、世界を救った聖堂騎士でもヘレノニアの聖女でもイスタス侯爵でもない。
ただのヴァルトルーデ。
ただの恋する乙女だった。




