4.精神世界で:生き抜くために(後)
「本日は、お願いがあってお集まりいただきました」
ユウトが集めたわけでもないし集められるはずもないが、そう言う他ない。ヴェルガや、平然と諸種族の王とともにいる帝国宰相シェレイロン・ラテタルへ恨みにも似た感情を抱きながら、単刀直入に用件を切り出す。
「人間の奴隷、それをすべて陛下へ献上してください」
言葉に物理的な威力があるとするならば、それは爆弾を投げ込んだに等しかった。
誰もが押し黙り、なにも言えない。
人間の奴隷。それは、生産の要。悪の相を持つ亜人種族であっても、麦などの農作物を必要とする以上、それは命を差し出せと言われているのと同じ。
素性も知れぬ人間から言われる筋合いはない。
「結論ハ、分カッタ。詳細ヲ話セ」
ゴブリン王カードッドが、外見に反して理知的に説明を求める。
彼をはじめとして誰一人激発する者がなかったのは、ここが麗しき女帝の御前だから。そして、真っ先に反応を示すはずのボーンノヴォル伯が、腕を組んだまま瞑目していたからだろう。
ただし、“彷徨戦鬼”バーグラーなどは、下手なことを言ったら喰い殺すと言わんばかりの視線を向けていたが。
「まず目的としては、農業の大規模化と効率化です」
従来は、帝国直轄地あるいは各々の種族の支配地域で、それぞれ人間の奴隷を使って農作物を育てていた。それで上手くいっているのなら良いが、現実は反対。
だから直轄地に集中させ、そこから各地域へと分配する。
また、奴隷を解放できないまでも、目の届く範囲に置くことができれば、待遇の改善もできるかも知れない。
「それは、漕ぎ手として使っている奴隷もすべてか?」
「はい。話を聞く限り、どうも皆さんは農作業を苦手にしているようですので、可能な限り人間はそちらに回すべきでしょう」
サハギンの首領からの確認に対し、暗に、「船の漕ぎ手などゴブリンでもできるだろう」と答え、ゴブリン王から非難の視線を向けられた。
それだけで背筋が震え、手にした原稿を取り落としそうになる。逃げられるものであれば、すべて捨ててこの場からいなくなりたい。
だが、ボーンノヴォルに食われかけたときに比べれば、どうということもない。どうせ、このプレゼンで失敗したら命はないのだ。
それに、背後から信頼の視線を感じる。
ユウトは、赤毛の女帝から勇気をもらいながら、その場に立ち続けた。
「そもそも、集めたからってたくさんできんのかよ」
「分配は良いが、運搬はどうするのだ?」
バーグラーの粗雑な言葉と、ダークエルフの宰相からの他人事のような質問。上司に恨みがましい視線を向けながら、ユウトは説明を続ける。
「集中による効率化は、俺の故郷で実績があります。また、直轄地にはちょうど良い穀倉地帯もあるので、生産量の増加は充分見込めると思う……いえ、増加します。それから、運搬に関しては、戦争のやり方を変えれば街道の整備も輸送も行う人手が捻出できます」
「戦争のやり方を変えるとな?」
見事な髭を持つ黒ドワーフが、代表して確認をする。
それに対し、ユウトは軽くうなずき、一同を見回してから口を開いた。
「やり方というか、戦争は基本的にしません」
「なんだとぅ!?」
最大の武闘派である森の王者“彷徨戦鬼”バーグラーがだんっと床を踏みならし、食ってかかろうとする。“偉大なる”カードッドをはじめ、諸王もそれを止めようとはしなかった。
「最後まで聞けい!」
「オジキ……」
だが意外にも、それを止めたのはボーンノヴォルだった。瞑目していた死巨人は、片目だけ開けるとバーグラーを叱責し、再び沈黙する。
それを受けて、舌打ちをしつつも矛を収めた。
「そもそも、なぜ戦争を仕掛けるのでしょうか」
「決まっている。略奪するためだ」
宰相の相づちを受けて、ユウトは手元の原稿をめくる。
「では、やはり必要ありません。なぜなら、今後は向こうから財貨を差し出してくるからです」
「どういうことだ、ゴラァッ」
「まず、最長の国境を接しているロートシルト王国と和平条約を結びます」
ロートシルト王国は、戦神を崇める人間中心の軍事国家だと聞いている。
北の塔壁――ヴェルガ帝国から見れば南なので、単に塔壁と呼んでいるが――を挟んで対立し、常に小競り合いを起こしていた。
両者の争いは、ヴェルガ帝国がやや優勢。
塔壁を抜けて占領はできないまでも、年に一度はロートシルト王国の支配地域に侵入して略奪を行い、財貨を持って凱旋している。
それ以上の情報は入ってこないのだが、この世界の常識で考えれば、軍国主義的な国なのだろう。
それでも、損得を判断することはできるはずだ。
「ナルホド。攻メヌ代ワリニ、富ヲ吐キ出サセルノカ」
ゴブリン王にうなずきを返し、他の王たちの反応をうかがう。
まず、“蒼き”アズール=スールは中立。海を領域とするサハギンゆえに、奴隷の供出にはデメリットのほうが大きいはずだが意外だ。ボーンノヴォルからも、今のところは表立った反対はない。
そして、ゴブリン王と黒ドワーフの族長は、やや好意的。やはり、侵略による口減らしには思うところがあったのだろう。
一方、不満げなのが“彷徨戦鬼”バーグラー。理屈は分かるが、惰弱だ軟弱だと、ギラギラ輝くその瞳で訴えている。
当面の目標は彼だ。そう思い定めて、ユウトは息を整える。ここが分水嶺。ここが天王山。ここで引いたら、すべて終わりだ。緊張で喉が渇く、原稿を持つ手が震える。
それでも、ユウトはバーグラーのギラつく瞳を正面から受け止めた。
そんな彼の様子を見て、ヴェルガは嬉しそうに、楽しそうに、淫蕩に微笑む。
「北に兵力を回す必要がなくなれば、ロートシルト王国も他に侵略の手を伸ばすことになるでしょう」
「それを黙って見てろってのか? 気に食わねえ。気に食わねえなぁ」
「いえ、荷担します」
「……戦争はしねえと言ったじゃねえか。どういうことだ、コラァっ」
「戦争はしません。でも、傭兵はやります」
無理に攻める必要はない。
争いを絶やさぬようにしてやれば、それで良いのだ。
相手が払う契約金に応じて軍を編成し、殺し、奪い、異国を荒らす。費用は相手が出し、こちらの利益にすらなる。
求められれば、争う両国にそえぞれ兵を派遣しても良いだろう。否、こちらから積極的に売り込んでも良い。
こうして、恒常的に戦争状態を作り出す。
それは世界に戦乱を、帝国に大きな利益を生むことになるだろう。
「上手くいけば、ワシらの武器も高く売れるようになるやもしれんな」
あごひげを撫でながら、黒ドワーフのガンギルゾイが肯定の意見を表明する。
「同胞ニ無駄ナ血ガ流レヌノデ、アレバ歓迎スル」
「宰相府としても、反対する理由はありませぬな」
「ふんっ。まあ、気にくわねえ。気にくわねえが、あのクソッタレな壁を攻撃するよりは全然マシだな」
場が、ユウトの提案に賛成へと傾いていく。
思わず、ほっと息を吐きかけたその時。
「それで、黒くて細いのは、どんな利益を得るというのだ」
最低限の口出しのみで静観していたボーンノヴォルが、おもむろに問いかける。
それだけで、雰囲気が一変した。
実行に移されれば、ヴェルガ帝国の有り様を根本から変えるようなドラスティックな改革となるだろう。
その責任者といかないまでも、発案者としてそれなりの地位と実権を与えないわけにはいくまい。
そして、麗しき女帝が、彼を気に入っていることは上機嫌で玉座に座っていることからも明らかだ。
今はまだ、ただの非力な人間に過ぎない。
しかし、狙い通りの結果がもたらされたら、どうだ。その智謀で成り上がり、自分たちの上位者となるかもしれない。
果たして、それを許容できるのか。
出る杭は、早々に打つべきではないのか。
皆の注目が集まる中、ユウトは、死巨人の長からの問いに答えられずにいた。
(まずは、身の安全を確保したかったんだけど……)
欲求段階説ではないが、生き物として最低限の環境が満たされなければ、次の希望というのはなかなか出てこないものだ。
かといって、馬鹿正直に「死にたくないんです」などと言えば、逆に殺されかねない。ここは、そんな理不尽がまかり通る世界なのだから。
(ああ、そうだ!)
考えを巡らせ、ふと目に入った胸ポケットのボールペン。制服とともに、地球から持ち込んだアイテムを見て、思いついた。
いや、思い出したと言うべきか。
「ヴェルガ……陛下」
「妾も興味のある所よ。直言を許すぞ」
いつものように呼び捨てにしようとして、さすがにそれはまずいと慌てて取り繕う。それを二人だけ理解し、二人は密かに笑みを交わす。
「できましたら、私に魔法……理術呪文を学ぶ許可をお与えください」
「……それだけかえ? 望むなら、財宝も、邸宅も、領地も、奴隷も与えようぞ」
「それもないよりはあったほうが良いですが、それよりも力を得たいと思っています」
力は目的ではなく、手段。
そう、地球へ帰るための手段だ。
ヴェルガからの話を聞く限り、どうも、このエボニィサークルの地下にあるオベリスクは魔法に関係した物らしい。
もちろん、その専門家を紹介してもらうという選択肢もあったが、地球へ帰るという動きを悟られるのは良くないような気がしていた。
「よい。褒美を取らす」
「陛下、それでは……」
「来訪者ユウト・アマクサの提言をよしとする。各人は、そのようにせよ」
女帝の決定に逆らう者は誰もいない。
あのボーンノヴォルでさえも、その場で跪き頭を垂れ、悪の半神の意を受け入れる。
ユウトも、それに倣う――というよりは、安心で急激に眠気に襲われ、立っていることができなくなっただけ。意識まで手放さなかったのは、一欠片残った自制心ゆえだ。
「妾の威信にかけて、最高の教師を選ばねばならぬな」
そう、上機嫌で淫らな笑い声を上げるヴェルガ。
そこに、倦怠に沈んでいた赤毛の女帝の姿はない。
実際、彼女の心は弾んでいた。
三日で結果を出せと言ったのはヴェルガ自身だが、その短い期間で想像以上のプランを出してくれたのは純粋に驚きだ。もしかしたら、“現実”の経験や知識の影響があるのかも知れないが、それでも構わない。
現実世界に戻ったら、実行に移しても良いだろう。
もちろん、“婿殿”とともに。
そのまま傭兵業を推し進めても良いし、ある程度の信頼を得てから侵略軍に衣替えをしても良い。
ロートシルト王国と不可侵条約を結んで、東へ版図を広げていくのも悪くない。
夢が広がるとは、まさにこのことだ。
なにより、ユウトはこの世界に――ヴェルガ帝国の倫理観に馴染みつつある。
順調だ。
最後の手段だったが、予想以上に効果的だった。
もう一度、ヴェルガは高らかに笑う。
淫猥で、彼女らしい笑い声が玉座の間に響き、消えていった。




