10.フォリオ=ファリナでヴェルガとの(後)
「店の人には、悪いことをしたな」
「対価は払っていよう。問題はあるまい」
結局商品は買わず、迷惑料を払って――もちろん、ユウトが出した――店を出た直後に、そう語り合う二人。
問題がないわけがない。
あれでは、服を買うのではなく、服をだしにして議論をかわしただけだ。店員も、催眠状態になったかのように無言だった。
悪の半神なら、やりかねない。
「その、客だからなんでも許されるって態度、好きじゃないんだけどな」
「代金を払っているのは、こちらであろう。それがなくば生活の糧を失う者が、文句をつけるいわれはあるまい?」
「代金はあくまでも商品への対価であって、サービスとは……って、どうでもいいか。それで、一休みする店に心当たりはあるのか?」
頭の中で、アカネの資料にあった「おすすめの店(飲食店)」を思い浮かべる。同時に、リップクリームを塗っていた彼女の唇の記憶も。
「もちろん、当てはあるぞ」
情熱的な赤毛をポニーテールに結った女帝が、再び大魔術師と腕を組む。
それに連鎖し、ヴァルトルーデの羞恥にまみれた、でも必死な表情が思い浮かんだ。
全身にキスの雨を降らせた聖堂騎士。それは、今、ヴェルガと組んでいるこの腕も例外ではない。
「あんっ」
思わず身じろぎしたところ、具体的には分からないが、敏感な部分を刺激してしまったらしい。
悩ましげで艶めかしい喘ぎが、ユウトの耳朶を打った。
「婿殿にいたずらされるとはの。嬉しい誤算とは、このことよな」
「……事故です。ごめんなさい」
ヴェルガとヴァルトルーデ。いったいどちらに謝っているのか。ユウトにも分からないが、謝罪以外に選択肢はなかった。無駄に優秀な記憶力が恨めしい。
そのまま、振り払うこともできずに歩くこと十数分。
商店地区の裏通り。その一角で、浴衣の美女が足を止めた。
「うむ。ここぞ」
「なんだか香辛料の匂いがするな」
フォリオ=ファリナでは、いや、この周辺では珍しい極彩色の建物。朱色の門柱には黄金の蛇が巻き付き、エキゾチックな雰囲気を漂わせている。
異質だが、国際的な都市であるこの街らしいとも言えた。
「どうせなら、珍しいものが良かろう」
「こんな店があるなんて、初めて知ったよ」
さすがに、アカネの資料にも載っていなかった。
手慣れた様子で扉を開くと、予約をしていたわけでもないだろうが、すぐに個室へと案内される。この辺を深く考えても無意味だろうと、ユウトは思考を放棄して大人しくついていった。
(浴衣でエスニックってのもどうなんだろうな)
と、その後ろ姿から視線をそらし、ユウトは周囲を眺めやる。
南方の動物――象や虎、大蛇など――の像がいくつか並べられ、色とりどりの布で店内が飾られていた。それは、通された個室も同じ。
部屋の中央に置かれた木製の丸テーブルを挟み、ユウトはヴェルガと対峙する。
「では、『でぇと』らしく愛を語らうとするかの」
その途端、先制攻撃を受けてしまったが。
「愛か。地球じゃ、愛があればなんでもできるってことになってるな」
そう返答できたのは、きっちり1分ほど経過してからだった。
今、自分は笑っているのか、泣いているのか。ユウトには、それすら分からない。
「それでは、愛について語っておらぬか? どうやら、婿殿を狼狽させることに成功したようじゃの」
「俺は、そんなに冷静な人間じゃないけどな」
「なに、好きな男の子の心を乱すことができた。それだけで浮き立つものよ」
嬉しそうに淫蕩な声を上げる女帝へ、ユウトは反論をしなかった。
だが、その沈黙は肯定ではなく、単純に料理が運ばれてきたから。
商談を行なったイブン船長と同じように肌が浅黒い、しかし、きらびやかな衣装を身にまとった給女たちが、踊るようなステップで室内へ入ってくると、大きな皿をいくつもテーブルの上へ配置していく。
平べったい、ナンのようなもの。何種類も小皿に入れられたカレー。見るからに食欲をそそる、香辛料に漬けて香ばしく焼き上げたチキン。ラムチョップ、チャツネなど地球でいえばインド地方の料理に似たそれが並べられていく。
「いただきます」
「口に合えばいいのじゃがな」
会話で変な方向に誘導されるよりは、食べたほうが良い。
ある意味後ろ向きの意思でまずはカレーを口にしたが、そんな気持ちはあっさりと吹き飛んだ。
やはり、香辛料の味が強い。
もちろん、日本の家庭で食べられているカレーとは別だ。けれど、カレーの定義をするつもりはないし、むしろ、似た素材があれば同じ料理が生まれるのだなと感心する。
いや、それすらも余計。極論すれば、美味しければそれで構わなかった。
ユウトが気に入ったことが表情で伝わったのだろう。
ヴェルガも骨付きの羊肉を手にとって、豪快にかぶりつく。
艶めかしく、淫靡な光景。
食事が、欲望を満たす行為だということをまざまざと思い知らされる。
「ところで、婿殿」
「ん?」
「妾が婿殿を愛しておるのは自明のことなのだが」
食事中の唐突な愛の告白。
ユウトは手を拭きながら、不意打ちに備えて気を引き締める。
「婿殿は、どう思っているのかえ?」
「嫌いじゃない」
即答だった。
そして、マイナスの答えではない。
同時に、そこから先へは行かせないという隔意を感じさせる。
ヴェルガは喜びと失望が入り混じった表情を浮かべ――それ以上はなにも言わなかった。
そのまま、食事は静かに終わる。
その後、珍しくユウトが先導していくつかの魔法具の店を冷やかしつつ、二人は最外周の城壁を越えて、フォリオ=フォリナの街を出た。
日は傾き、太陽が月へ天の支配権を譲り始める頃。
二人の時も、終わりを迎えようとしていた。
悪の半神と大魔術師が、二人寄り添って城壁の上を歩く。
眼下には打ち寄せる波。少しだけ冷たい潮風が、二人の間を通り抜けていった。
ここは、古い砦の一部。
海賊などの外敵に備え海岸沿いに作られた施設だったが、今では兵も常駐はせず、最低限の整備が行われているだけ。
このフォリオ=ファリナを敵に回したいものなどいるはずがない。
ある意味で、繁栄の象徴と言えた。
二人は、ゆっくりと、無言で進んでいく。
城壁はかなりの規模ではあったが、無限ではない。やがて、突端へと行き当たる。
そこでデートも終りだと打ち合わせをしていたかのように、ユウトとヴェルガは立ち止まった。
「さて、婿殿。答えを聞かせてもらおうかの」
「ああ……」
こちらを振り返ったヴェルガの表情は、逆光になって見えない。
「今日は、楽しかったよ。最近忙しかったし、良い息抜きになった」
わざとではないが、ユウトは答えを引き延ばす。
「話も、まあ、油断はできないし、すべてを信じたわけじゃないけど、楽しかった」
そうしながら、ユウトはヴェルガを正面から見つめる。
今日のために、わざわざ日本で浴衣を入手し、完全に着こなした彼女。
ユウトのためにプランを練ってきた彼女。
きちんと約定を守り、強引な手段を取らずにきた彼女。
「でも、俺が選ぶのはヴァルトルーデだ。善とか悪とか関係ない。それが、人を好きになるってことなんだ」
婚約者が何人もいるのに、別の女性を選ぶのは非誠実?
違う。
「こういう言い方は卑怯だろうけど、ヴェルガのことも嫌いじゃない。決定的なラインを踏み越えなければ、案外、上手くいったかも知れない」
相手がどんなに魅力的でも、婚約者がいるのならそちらを選ぶべき?
それも、違う。
「俺が、故郷を、両親を。すべてを捨ててでも一緒にいたいと思ったのはヴァルなんだ。彼女だけなんだ」
答えは、ずっと前に決まっていた。
地球へ帰ることを諦めてでも、彼女を守ろうと思ったあの時に。
「なるほど。よう分かった」
その声に、動揺はない。
だが、心の内までは――彼女自身でさえも――分からない。
「残念。そう、残念なことではあるが、それが婿殿の意思ならば、否定はできぬ」
逆光の中、悪の半神の瞳だけが爛々と輝く。
「同時に、妾の意思も否定はさせぬ」
「しないさ」
お互いを尊重し。
お互いを認め。
大魔術師は悪の女帝から距離を取り、呪文書を構える。
デートは終わった。
「なれば、悪神の裔に相応しく、奪い取るとしよう」
ヴェルガが結んでいた髪を解き、豪奢な赤毛が夕日にきらめく。
それが合図だったかのように、城壁が揺れた。
「地震!?」
いや、そんなはずはないと、ユウトは即座に否定する。そしてそれは、城壁の向こう、洋上を見れば明らかだった。
「婿殿、妾がこの日のために、どれだけの準備をしたと思うておったかの?」
「しばらく連絡がないのが、不思議だったよ」
「女は不思議と秘密が多いものではあるが、隠しておるだけでは芸がないからの」
フォリオ=ファリナ沖、波間に艦隊が浮かんでいる。彼女の秘跡で隠れながら、ここまで航海を続けたのか。誰にも気づかれず、投石機による攻撃を加えてきた。
ただ、存在を誇示するためだけに。
「そりゃ、ヘレノニア神も船をくれるわけだ」
だが、直接介入ができないという制約から、はっきりとは言えなかった。そんな中で、できるだけのことをしてくれたのだろう。
「ヴァイナマリネンのジイさんがいないのも……か」
「無駄になってくれたら、良かったんだがの」
「俺のために、戦争を起こすのか?」
「それは妾への侮辱ぞ。戦って勝ち取る価値もない男の子に袖にされたとの」
「……今のは俺が悪い。すまなかった」
率直に非を認めるユウトに、ヴェルガは久々に笑顔を見せた。
同時に、是が非でも手に入れねばならぬと、決意を新たにする。
「だけど、あんな啖呵を切って捕まるわけにはいかないからな」
「さて、投石機で飛んでくるのは弾丸だけではないぞ」
呪文書からページを切り取り、《瞬間移動》で離脱しようとするユウト。彼の気を引くかのように言の葉を紡ぐ赤毛の女帝だったが、取り合わない。
素早く呪文を完成させた大魔術師は、しかし。
「発動しない?」
「だから、言うたであろうに」
次の瞬間には、周囲に展開した7ページ分の呪文書が、はらりと力なく地面に落ちる様を呆然と眺めていた。
「単眼の王か」
「その下位種であるな」
頭上に視線を向けると、空に無数の目玉が浮かんでいた。
単眼の王は、その視界内の一帯からすべての魔法的な作用を抑止し、十数本ある触手から放たれる光線で敵を討ち滅ぼす邪悪なるモンスターだ。
今、投石機により飛来したのは、その亜種である瞳の王子。触手はなく、効果範囲は狭くなるが、瞳の作用は同じ。
つまり、今のユウトはただの人間と変わりない。
見れば、平たい甲板から、次々と瞳の王子が飛び立っていく。
「空母というものとは違うが、面白いので使わせてもらった」
「俺より、異世界知識を活用してるじゃないか」
絵に描いたような絶体絶命。
その皮肉は、せめてもの抵抗か。
「では、ちょうだいするとするかの」
ユウトは知っていた。
単眼の王らの魔法抑止作用も、秘跡には通用しない。それは理術呪文とも神術呪文とも似て非なる、生まれつき持つ能力であるがゆえに。
「ユウトーーっ」
ユウトは知っていた。
単眼の王らの魔法抑止作用も、超能力には通用しない。それは理術呪文とも神術呪文とも似て非なる、生まれつき持つ能力であるがゆえに。
監視をしていたアルビノの少女が空中を行きながら、限界まで精神力を解放して瞳の王子を一掃する。
――だが、遅きに失した。
力を取り戻したユウトが次の手を打とうとしたその瞬間、女帝はすでに目の前だった。こちらから迎え入れたくなるような淫蕩な、感極まった表情を浮かべたヴェルガは、問答無用で愛しい男と唇を重ねる。
「ユウトっ」
「《催眠》」
ヨナの悲鳴をBGMに、悪の女帝が秘跡を発動させる。
抵抗もできず、ユウトは眠りに落ちた。
「《ディスインテグレータ》――エンハンサー!」
「ほう、これは」
そこに、怒り任せの。
しかし、計算通りの破壊光線が空から落ちてくる。
以前、あっさりと逸らされたヨナは、今度はヴェルガ自身ではなく足場となる城壁を緑色の破壊光線で削り取った。
さしもの悪の半神もバランスを崩してしまい――
「《サイコキネシス》」
念動の腕に絡め取られた愛する男を――
「ユウトは渡さない」
「まあ、よい。目覚めるまでは、預けておくとしようかの」
淫靡な微笑をたたえ、悪の女帝は沖の艦隊を目指して飛び去ろうとする。すべての札を表にしたわけではないが、さすがに、領域外で無理をしすぎた。
ヨナもまた、これ以上の無茶はしない。一人であれば別だっただろうが、腕の中で眠るユウトがそれを許さない。
「次は殺す」
「物騒なことよの」
仕込みは終わっている。
一緒にいられないのは残念だが、結果に変わりはないだろう。
ユウトに撃ち込んだ、《催眠》。
それが、それこそが、彼女の望みを叶える鍵。
忌々しきヘレノニアの聖女、ヴァルトルーデ・イスタスを消し去るための一手なのだから。
「なんだここは……」
天草勇人は、直前までの記憶――幼なじみの少女との会話――を思い出し、だからこそ困惑を隠せない。
本来であれば、わざわざ口に出すまでもない疑問だ。見ればわかる。洞窟かなにかだろう。ちょっと、背後のオベリスクが禍々しいが。
「珍しい客人よの」
そこに、赤毛の美女が現れた。
闇そのものをドレスにしたかのような、肉感的な妙齢の女。
「あなたは……」
誰で、どこから来たのか、いつからいたのか。
そんな疑問は、彼女の美しさに、すべて粉微塵になった。どうでもいい。些末事だ。
「名を聞こうか」
「天草……天草勇人」
だから、なんら疑問にも思わずに、素直に答えていた。
そして、それは正しかった。
彼女の満足そうな微笑みが、それへ与えられたのだとしたら、とてつもなく過大な報酬だ。
「妾はヴェルガ。歓迎しようぞ、異世界からの来訪者よ」
淫靡で淫蕩で無垢な笑顔に導かれ、天草勇人は異世界ブルーワーズでの第一歩を踏み出した。
これにて、エピソード7終了です。
感想や評価などいただけましたら、作者が喜びます。
なお、いつもの様に、プロット作成と書き溜めのため、一週間ほどお休みをいただきます。
再開は、11/26の予定です。
それから、次エピソードより、平日のみ更新とさせていただくことになるかと思います。
あらかじめご了承いただけますでしょうか。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。




