5.ふたつの商談(前)
女帝との思わぬ邂逅から一週間が過ぎた。
その後、両者が出会うことはなく、表面上は平和な時間が流れていった。
ヴァルトルーデたちは、朝早くからフォリオ=ファリナの市街へ出かけては、日が沈む頃に帰ってくるという生活を続けていた。
なにか目的があるのかとユウトが聞いても、うつむき回答を拒絶されるだけのため、諦めるしかなかった。聖堂騎士と大司教が一緒なのだ。悪いことではないだろう。
一方、真名はメルエル学長の誘いを受けて、ヴァイナマリネン魔術学院を何度か見学に訪れている。ペトラも同行しており、それなりに得るものがあったようだ。
マナーモードを強いられるマキナを除き、こちらは概ね順調と言えた。
そして、ユウトは多元大全片手に商会の法――定款作りに精を出し、その合間を縫って事業計画書の提出者と面談を何件かこなしていった。
広く募集したため百件を超えた事業計画書は、まさに玉石混淆と呼ぶにふさわしいものだったが、その中には有望そうなものもいくつかあった。
例えば、様々な農具の改良、ロートシルト王国のとある地域で小規模に行われていた陶器作りの産業育成といったところだ。
この程度であれば、ユウトからもっと効率のいいやり方を教えたり、そもそも他者に頼らず自分で事業化することもできただろう。
そうしなかったのは、余裕がないのもさることながら、下手に食糧の増産が成功してしまうと、人口が増えすぎて逆に社会が不安定になる危険性を考えてのことだ。
ヴェルガに関しては責任を持てても、こんな大きな問題は手に余る。
そのため、基本的には提出者に任せ、スポンサーに徹した。これら、金貨数百枚から数千枚程度の規模の案件は、パベル・チェルノフと協議の上、面談から数日で可否を決定していった。
また、すべてにではないがヴァルトルーデも同席し、彼女の“直感”に引っかかった案件は見送りとなっている。
そのうえで、詳しい契約――具体的な出資額、販路、利益配分など――は、ドゥエイラ商会の職人や、パベル・チェルノフが個人的に抱えているスタッフ、フォリオ=ファリナ政府の役人などを交えて締結していった。
それらの対応を優先したため、ユウトはほとんど外に出ていない。忙しくて出かける暇がないのか、ヴェルガとのデートを控えて他の人間と遊ぶのは不誠実だと考えているのか。どちらにしろ、真面目だった。
ラーシアは、単純にヴァルトルーデたちと息抜きに出かけるなど思いつきもしなかったという可能性に賭けていたが、多数の同意見が寄せられたため成立はしなかった。
だが、それも悪いことばかりではない。
その多忙さを見て、ペトラの母ソーニャ・チェルノフも、娘のアピールを断念せざるを得なかったのだから。
それも、今日の二件で終わり。
ドゥエイラ商会の殺風景な応接室で、ユウトとヴァルトルーデ。それにパベル・チェルノフは、異色の提案者と顔を合わせていた。
美に執着した先代会頭の頃から変わらない、最低限の調度しか置かれていない部屋。見方によっては、実利を求める商人らしさとも言える。
「俺はイブンという。交易船の船長をやっている」
勧められると同時に腰を下ろし、自己紹介を済ませた中年の男。
髪は長年潮風にさらされて艶もなくぼさぼさで、戦闘かあるいは事故なのか。右耳の一部は欠け、指も何本か失っているようだった。また、その浅黒い肌は、ロートシルト王国やフォリオ=ファリナ周辺に住む人々とは、人種が違うことを雄弁に物語っている。
ユウトたちもあっさりとした自己紹介を行い、早速本題に入った。
「南方大陸への大規模交易船団。それへの出資をご希望ですね」
手元の資料を基に、ユウトが船長へと水を向ける。
その隣で、ヘレノニアの聖女は相手の意図を確かめようとするかのようにじっと見つめ、パベル・チェルノフは、怪しいものを見るかのような態度を隠そうともしなかった。
南方大陸は、砂漠地帯――ユウトが地球へ帰ると知ったヨナが家出をした場所――を越えた先に存在する。こちらとは異なる文化や習慣を持ち、いくつかの国々が覇を競っているという。
その特産は、胡椒や唐辛子といった香辛料や綿や絹織物に砂糖。嗜好品が多く、それだけに需要も実入りも大きい。
このフォリオ=ファリナからも定期的に船団が出航し、概ねその三割程度が帰還する。
つまり、わざわざ言われなくても、貿易はやっているのだ。
パベルからすると、わざわざ会う意味が分からない。
「いや、違う」
だが、イブン船長は言下に否定した。
「というと?」
「南方大陸との交易ではなく、あちらの農作物を持ち帰って、こちらで栽培をしたい」
「それこそ、無理だ。それができるのであれば、とっくにやっている」
ユウトは本を広げ、ヴァルトルーデは黙って推移を見守るだけ。今度は、世襲議員が否定する番だった。
「香辛料や砂糖など、気候が違うから栽培できない」
フォリオ=ファリナの世襲議員は、商売に携わることを禁じられている。不偏不党を旨として都市国家の運営を行い、その対価として莫大な報酬と名誉が与えられる。
かといって、まったくの世間知らずでもいられない。ペトラが魔術師の道を歩んでいるように、若い頃はなんらかの職業に就くのが伝統だ。
パベル・チェルノフも、ある商会へ奉公に出た経験があり、専門とは言えないが、商売のいろはぐらいは分かっている。
「だから、多くの商人が危険を承知で船を出しているのだ」
「その通りだ」
あっさりと肯定するイブン船長に、パベルが鼻白んだ。ユウトやヴァルトルーデがいなかったら、激発していたかもしれない。
「ただし、すべてがではない。南方大陸も、暑い場所ばかりではない。俺は行ったことはないが、遙か南は寒い土地だという話だ」
「へぇ」
パベルにはほらとしか思えない話に、ユウトは興味深いとうなずくと、再び本をめくり始めた。
「仮にそれが本当だとしても、香辛料がこの近隣でも栽培可能だということにはならない」
はっきり言って、こんな不確かな話に乗る必要はない。かのヘレノニアの聖女がなにも言わないということは、あからさまな虚偽や詐欺ではないのだろう。今までの案件で証明されたヴァルトルーデの“直感”には全幅の信頼をおいているが、それとこれとは別だ。
「確かに、そうみたいだ」
パベル・チェルノフの横で、本――多元大全――をめくっていたユウトが、顔を上げた。わずかに、笑顔を浮かべている。
「なにが、そうなのだ?」
「もちろん説明するよ」
自己完結するなという婚約者を言葉と視線でなだめ、ユウトは全員に調査結果を伝える。
「コショウはかなり難しいみたいだけど、唐辛子はこっちでも栽培できると思う」
中国由来の言葉がどんな風に翻訳されているのか不思議に思ったが、とりあえず通じてはいるようだった。
「本当かね?」
「ユウトができるというのであれば、そうなのだろう」
「まあ、やってみなきゃ分からないけどね」
よく考えてみれば、唐辛子は日本でも育てられるし、絹だって昔は特産品だった。米が作れる気候条件で、それだけが駄目ということももないだろう。
「でも、コショウやサトウキビは、温室でもないと厳しいか」
玻璃鉄で温室は作れるはず。ガラスでもいいだろうが、玻璃鉄なら子供の頃見た児童文学のアニメ作品のように、雹で温室が壊れる心配がない。ユウトとアカネの精神衛生上、とても重要だ。
しかし、費用はともかく管理は難しい。
「土は、あの昆虫人腐葉土でどうにでもなりそうだけど……」
「ユウト、また突拍子もない自分だけの世界に行っているぞ」
「おっと、失礼」
さらりとしていながら遠慮のない指摘で、ヴァルトルーデが婚約者を現実に引き戻す。
世襲議員も船長も、戸惑った瞳で大魔術師を見つめていた。
「とりあえず、唐辛子と絹ぐらいですか?」
「いや。その他に、荒れ地でも育つイモと、赤くて酸味のある果実がある」
それは調べるまでもない。ジャガイモと、トマトのことだろう。
どちらも、地球から種芋や苗でも持ち込めばいいのかもしれないが、それはやらないと決めている。
けれど、ダブルスタンダードのようだが、元々ブルーワーズに存在するものであれば、拒絶はしない。あとは、バランスの問題だ。
「いいですね」
ユウトは、この事業計画に、かなり乗り気だった。なにより、ヘレノニア神のことがある。
あの女神が、船が必要になると下賜したのだ。絶対に、なにか理由があるはずだった。
ユウト自身は行けないかもしれないが、例えばラーシアをツバサ号の船長にして一緒に送り込むというのも、本人次第だが、悪くないだろう。
もし違ったとしても、ラーシアのストレス解消には役立つ。
「そうだ。壊血病を起こさない方法があるとしたら、船団の規模はもっと小さくても大丈夫ですか?」
「どういうことだ、それは」
余りにも大事で手が余ると、ペトラから判断を丸投げされた話。
その効果は劇的だった。
「どうですか?」
「それは、もちろん……。だが……」
イブン船長は元より、パベル・チェルノフも目を丸くする。
こんなに心臓に悪い話ばかり聞くのは、彼の人生でも二度目。妻が悪魔の呪いに冒され、娘が冒険者になると言い出して以来だ。
「最後に、もうひとつ」
けれど、ユウトは、詳しい説明は後で良いと話を続ける。
「香辛料や絹は、あちらもできれば独占したい物資のはずです。それを手に入れ、育てられる宛があるんですか」
「……どちらもある」
ためらいながらも、イブン船長ははっきりと肯定した。
「嘘はない」
「なるほど」
婚約者の言葉に、ユウトは目をつぶって考え込む。
「ということは、そうか。看板の掛け替えか」
危うく、だまされるところだった。
いや、相手が上手だったのか。ただ、悪い気はしない。
「イブン船長、あなたの計画は、移民。希少な産物を育てている人たちごと、こちらへ連れてくることですね」
「……その通りだ」
観念したのか、浅黒い肌をした海の男は、ぼさぼさの頭を振ってユウトの言葉を認めた。
そして、本当の事情を語り出す。
「金持ちが儲ける理由。そいつは簡単だ。利益を他の人間に分け与えないからだ」
「それは一方的に過ぎる」
「世襲議員さんには分からんだろうがな、奴隷たちを食うや食わずで働かせ、そうやって育てたものを売り払って巨万の富を得る人間もいるのさ」
義憤か、それとも他に事情があるのか。
海の男の声と瞳に怒り――本物の感情が宿る。
「プランテーションみたいなものか……」
地理の授業で習った気がする生産形態。
それを思い出しながら、ユウトは言葉を重ねる。
「その奴隷を連れてくると言っても、相手だってただじゃ渡さないでしょう?」
「……ああ」
「まさか、力ずくでか? それこそ、大問題だ」
だから、イブンも黙っていたのだ。
殺風景な応接室が、気まずい沈黙に包まれる。
「そういうことなら、話は簡単だ」
それを打破したのは、ヘレノニアの聖女。
「そのような正義にもとる扱いをされている民を、見捨てることがあってはならない。知ってしまった以上は捨ておけぬ」
「それはそうだが……」
「ヘレノニア神殿から、神官戦士や聖堂騎士を派遣すればいいだろう」
国家とは独立した機関である神殿。
その教義に従った行動であれば、抗弁する余地も出てくるはずだ。
「パベルさん」
「さすがに、一商会でどうにかできる話ではないな」
最悪、このイブンが独自に事を起こしていた可能性もある。それが事前に分かっただけでも、僥倖だ。
「議会に諮ろう」
パベル・チェルノフは最悪の事態にならずほっとしていたが、ある草原の種族がこの場にいたら、「ユウトと関わると、周囲の仕事もやたら増えるんだよね」などと言っていたかもしれなかった。




