1.順調な航海
「いやぁ、ボクも海賊退治に参加したかったなぁ。クラーケンやサハギンにも内臓はあるんだろうし」
「一方的に攻撃して、破壊したかった」
船首に備え付けられた投石器に腰掛け、盗賊と超能力者の二人が、物騒な台詞を吐き出した。
その近くを、ドラヴァエルが作り出した二頭身のミニゴーレムが歩き回り、甲板清掃やマストの索具の操作など、忙しなく仕事に従事している。
「そんなことを言ってるから連れていってもらえなかったという自覚は……あるな。だから厄介なんだ」
にんまりと笑う二人の顔を見て、横にいたユウトがため息を吐く。
今は、操船をヴァルトルーデに任せて休憩中。とはいえ、ほぼ自動的に航行するこの船は、乗船者の仕事などほとんど存在しない。
なんらかの力が働いているのか、甲板に吹く風は比較的穏やかで、頬を撫でる潮風が気持ちいい。日差しも暖かで、微妙に湾曲した純白船体が海を征き、帆が風を盛大にはらむ音も快い。
ロートシルト王国イスタス侯爵領ハーデントゥルムから、フォリオ島に存在するブルーワーズ最大の都市フォリオ=ファリナへの順調な航海が続いていた。
「この反則の塊みたいな船にボクらがいて。なにが起こったら不順な航海になるんだろうね?」
「草原の種族が十人ぐらい乗ってた場合とか?」
「はい! この話題お終い! 終わりー!」
不利になったら即撤退。
冒険者として生き延びるのに、重要な資質だ。
その横で足をぷらぷらさせていたヨナが、座っているのに飽きたのか、ひょいと甲板に下り立って、清掃中のミニゴーレムを拾い上げる。
アダマンティンの小人がばたばたと身じろぎして精一杯の抗議をするが、残念ながら力が足りなかった。弱者は、強者に蹂躙されるのみ。
横にしたりひっくり返したりと、まるで小学生が昆虫や小動物を観察するようにしてから、ヨナはそれとはまったく関係ない問いを発する。
「ユウト、船の名前決めた?」
そんなアルビノの少女から二頭身の働き者を救出しながら、ユウトは答えた。
「ああ。ヴァルと相談してな……。朱音が、いつまでも決まらないんなら地獄極楽丸にでもしなさいとか言うから、急いで付けた」
確かに、最後に「丸」を付けるのは日本の伝統だが、それではあまりにもあまりだ。
しかも、ヴァルトルーデが「意味はよく分からんが格好良い響き」だなと気に入りそうになったから、別の意味でも猶予もなくなった。
「まあ、決定じゃなくて一応、候補は決めたという程度だけど」
「なんにしたのさ」
「ツバサ」
純白の船体と、飛ぶような速さで進むことから有力候補となった。
「シンプル」
「ひねりがないなぁ」
「こういうのは、変に凝らないほうが良いんだよ」
逆に『タイタニック』や『ヴァーサ』のように縁起の悪い名前を付ける案もあったのだが、あまり意味はないと早い段階で却下されている。
「ユウトくん」
「ああ、アルシア姐さん」
甲板で締まりなく過ごす三人の下に、真紅の眼帯を身につけた大司教が現れた。
「そろそろ、食事と会議にしましょう」
「もう、そんな時間か」
ユウトは制服のポケットから携帯電話を取り出して、ラーシアとヨナは太陽の位置で時間を確認する。
確かに、昼食には良い頃合いだった。
ユウトがさりげなくアルシアをサポートするように横を歩き、外にいるのも飽きていたのか、問題児二人も大人しくそのあとをついていく。
いや、大人しくはない。
二人で顔を見合わせてから冷やかすように指をさす。
「ヨナ、ラーシア。なにをやっているのか分かっていますからね?」
「うっ」
「しまった……」
魔法具である真紅の眼帯は、装備者に知覚力を与えるが、それは全周囲に及ぶ。
文字が読めないなどの弱点もあるが、その分、メリットもある。
「落ち着きのないやつらだな」
どんなことをしていたのかは分からないが、ろくでもないことだとは分かった。
少しだけ上から物を言うような口調のユウトだったが、冷やかされていたことを知ったなら――ラーシアはともかく――ヨナの育て方に関して、深く反省していたかもしれない。
神々の再臨からしばらくして、ユウトたちは『ツバサ』に乗船してフォリオ=ファリナを目指していた。
《瞬間移動》ではなくわざわざ海路を選択したのは、習熟を兼ねてのことだ。
今までの活動では海とはほぼ無縁だった――ヴァルトルーデは鎧を着ても泳げると主張していた――が、ヘレノニア神がわざわざ下賜した以上は必要になるのだろう。
その時に、使えませんでしたでは話にならない。
それに関しては、今のところは順調だった。
「フォリオ=ファリナに到着してからが問題ね」
「いつか、気楽な観光旅行とかしてみたいなぁ……」
「勇人には無理ね」
「薄情な幼なじみがここにいる」
「私の予測は、もはや予言よ」
「それ、予測のほうが信頼性高いような気がするんだけど」
昼食のテーブルを囲みながら、ユウトは天井を見てどうでもいい感想を口にした。
ヴァルトルーデは当然だが、真名とペトラも今回の同行者だった。ペトラは元々ユウトを迎えに来たようなものだったし、大魔術師の婚約者たちも同行しないはずがない。
子供が生まれたばかりのエグザイルは留守番となっているが、実際のところ、ヨナとラーシアが同行する理由もなかったのだ。
「悪の女帝とデートなんでしょ? なんでついてこないとか思ってんの?」
「あの泥棒猫は絶対阻止」
このように、それぞれの理由で、参加することにはなったのだが。こうなると、ユウトに止められるはずもない。
「まず、なんだったか? なんとか商会の件を詰めてはどうだ?」
「ドゥエイラ商会な」
「ああ、それだ」
ヴァルトルーデに。いや、ヴァルトルーデの美しさに偏執的な執着を示し破滅することになったドゥエイラ商会のヘルバシオ・ドゥエイラ。
その対象にほとんど把握されていない様は哀れさすら誘うが、聖堂騎士には詳細は伏せられているという事情もある。
ユウトとヴァルトルーデ不在だった間の事件だったからというわけではなく、わざわざ耳に入れる情報でもないからだ。
「詰めると言っても、先にペトラが資料を持ってきたお陰で、俺の腹は大体決まってるんだよな」
「しょうか。しょれはちょうじょうだなゃ」
「侯爵さまのやることか……」
ちょうど塩漬けした豚肉のソテーを口にしていたところだったイスタス侯爵は、脂でなぜか滑舌が悪くなってしまっていた。
「センパイ、ここは見て見ぬ振りをすべきでは?」
「それは人類に可能な所行なのか?」
真名の提案を、しかし、ユウトは一蹴する。
今回はアルシアではなく、アカネが子供でも世話するようにヴァルトルーデの口を拭いてやっていた。
情けない光景だが、かわいらしさがそれに勝る。
「……まあ、私はどうでもいいですが」
あっさりと自説を放棄した真名は、パンを一口分千切って飲み込んだ。さすがに焼きたてではないが、アカネが用意しただけあって、柔らかく甘みもある。
日本で食べるパンとそこまで大きな違いがなく違和感もなかったため、本当の現地の味というものに、今まで触れる機会がなかった真名。
まったく現地調査になっていなかったことに後から気付き、文字通り後悔することになるのだが、それは少しだけ先の話。
「確か、そのドゥエイラ商会の新しい経営者を募集していたのよね」
「ええ。でも、そっちは望み薄かな……」
ヘルバシオ・ドゥエイラは狂人だったが、そのヴァイタリティゆえか、純粋に経営者としてみれば一流だった。
ただし、独裁者タイプの。
それを失っては早晩、商会が立ちゆかなくなることは自明。けれど、世界でも最大の都市であるフォリオ=ファリナで五指に入る商会を潰すわけにはいかない。
ゆえに、外部から新しい経営者を招聘しようとしたのだが、ペトラから受け取った応募者からの事業計画書に目を通したところ、大半は経営者になりたいというよりも、商売のアイディアへの出資を求めるような内容がほとんどだった。
「まず、経営者だけどオーナーじゃない概念が受け入れられなかったのかも」
「そうかもね。株式会社とかないんでしょ?」
偶然だが、蕪などを蒸したホットサラダを同時につまみながら、そう語り合う二人の来訪者。もう一人は、専門ではないと沈黙を守っていた。
「なので、ドゥエイラ商会は、今内部にいる人で運営できる規模にスリム化させて、事業を売り払った金を投資に回す形になるのかなと」
「ふむ。無駄を省くということだな」
ヴァルトルーデが彼女なりの理解で、ユウトの方針を了承する。
これでしばらくは、食事に集中することになった。
「そういえば、船なのに野菜が多いですね」
「もっと肉とか魚とかがいい」
塩漬けした豚肉のソテーは早々に食べ終えてしまったヨナが、もう一品用意されていた焼き野菜にフォークを突き立てながら抗議する。
「なんか、昔の航海は野菜が取れなくて大変だって思い出したらついね」
「ああ、壊血病はビタミン不足が原因だったんでしたね」
「長期航海してる中で野菜や果物を取れってのも、無理な話よねぇ」
「ビタミン剤なんかもないだろうしな」
当たり前だと語る来訪者たちを、ペトラが瞬きもせずにぽかんと見つめる。アルシアも、二の句を継げなかった。
「へー。で、ビタミンってなに?」
「人?」
「凄まじい、スプラッタになっちゃうぞー。というか、前にヨナには壊血病のことをちらっと話した気がするぞ」
「野菜に興味はない」
「肉食系ね……」
そんな気楽な会話を、しかし、紙のように白い顔をして聞いているサイドポニーの少女がいた。
「あの、師匠……。壊血病って、野菜とか果物で治るのですか……?」
「治るっていうか、食べてればならないんじゃないか?」
「たぶん、そうね」
「ライムジュースやザワークラウトで予防していたと聞きますね」
「大事件ですよ……? 大事件ですからねっ!」
ここで交わされた会話によりブルーワーズの航海史が大きく塗り替えられようとしている。
だが、そんな大層なことになると、ペトラを除く当事者は、誰一人として考えていなかった。




