8.神の贈り物(後)
「どういう組み合わせなんだ、これは……」
“常勝”ヘレノニア、大賢者ヴァイナマリネン、そして岩漿妖精ドラヴァエル。種族も地位も異なり、所属や信仰でくくることもできない三者。
強いて言えば、その共通点はユウトやヴァルトルーデということになるのだろうが、その二人も呆気にとられていた。
「ドゥコマースではねえが、声をかけられれば、応えねばならん」
「縁をたどれば造作もないことよ」
羽衣をまとった戦女神が、月光の下で少しだけ自慢げに言う。
「元々、ヘレノニア神は俺たちに船を下賜されるつもりで、その製造をドラヴァエルたちやジイさんに命令したってことか? どんな化学反応が起こったのか、確認するのが怖い」
「おお、そうそう。科学といえば、地球の歴史はもう自分でなんとかするからな。今度は、科学や数学を教わりにいくぞ」
「それこそ、自分でなんとかしろよ」
天草勇人は元体育会系の文系である。教えられたとしても、中学レベルがせいぜいだろう。アカネや真名はどうなのか……と考えていると、よく分かっていなさそうな婚約者の姿が目に入った。
「なるほ……ど?」
中天の月すら嫉妬するヴァルトルーデの美貌に理解の色が浮かばないのは、足下から見上げてくるドラヴァエルがいかなる存在か分かっていないからだろう。
「こりゃ、えらい別嬪よお」
「だが、この前とは、違うおなごぞ」
「よかよか。男は、それくらいであるべきよな」
「ユウト……?」
「よし、ヴァル。まずは俺の話を聞こうか」
ドラヴァエルたちのことは忘れていたわけではなく、ただ他のことが立て込んでいただけなのだが、向こうから来られると若干の罪悪感があった。
……のだが、そんなものは一瞬で吹っ飛んだ。
「焦るのは、後ろ暗い証拠だろう!」
「ジイさんは、黙っとけ!」
余計なちょっかいを出してくる大賢者を一喝し、婚約者をこちらに引き寄せる。そして、苦労しながらも、きらめくアイスブルーの瞳を正面から見ながら口を開いた。
「ほら、言っただろ。アルシア姐さんと一緒に、ドワーフの親戚にアダマンティンとかを渡したって」
「あの時のか……」
彼女も、その時の醜態――拗ねてベッドでいじけていた――を思い出したのだろう。封印したい過去だと言わんばかりに、あっさりと矛を収める。
「まあ、50点といったところだな」
「私が納得したのだから、100点だぞ」
「そっちの話ではないわ」
「はっ」
あわてて口を押さえるが、遅い。
孫の成長を喜ぶ――というには意地の悪さが勝った笑顔で、ヴァイナマリネンは言う。
「この船は、正真正銘ヘレノニア神の秘跡により創造されたものよ」
「うむ。だが、我は海や船は専門でないゆえにな」
「そこに、ワシがちょいちょいと手を入れ、ドラヴァエルたちの装備を搭載したというわけだな」
なぜ帆船なのかという疑問は消えないが、ようやく事情は伝わった。
「ちょいちょいねぇ……」
「随分と、疑わしげだな」
「日頃の行いを省みろ」
「うむ。やましいところはなにもないな」
「おい、こら」
「では、説明をしてやろう」
同じ大魔術師とはいえ、ユウトとヴァイナマリネンとでは、役者と年季が違った。不審をあっさりと受け流した大賢者は、まず、マストを指さす。
「さっき気にしとったセイルだがな、厳密にはあれは布ではない」
「馬鹿なことを。どう見ても布ではないか」
夜風をはらんで膨らむ帆は、ヴァルトルーデの言う通り他の材質とは思えない。
「だから、厳密にはと言ったであろうが」
「あれは、ワシらが魔法銀で編んだもんよう」
「そんなこと、できんの?」
金糸や銀糸のように金属を繊維にするという例は聞いたことがあるが、魔法銀でそのような加工が可能とは想像もしていなかった。
「ああ。どんなに細くとも、チェインメイル程度ぐらいのものかと思っていたぞ」
「それ以前に、あのでかいのが全部魔法銀とか。一枚でどれくらいになるんだ……」
「びっくりしとるな」
顔がほぼ髭に覆われ、表情は杳として知れないドラヴァエルたち。
しかし、その声の調子と膨らんだ小鼻で得意になっているのが分かる。
「まだ、驚くには早かろう」
素直な反応を示す二人と喜ぶドラヴァエルたちの間に入ったヴァイナマリネンが、再度マストを指さし説明を続ける。
「そこに、風を増幅する魔化を施してな、凪でも向かい風でも関係なく航行できるようになっておる」
「無茶苦茶やりやがる」
内燃機関が存在しない――エリザーベトのスペルライト号のような例外はあるが――この世界では、アドバンテージどころか、反則級の機能だ。
サハギンら海に棲む亜人種族が海棲生物を調教して船を曳かせている場合もあるが、それは数少ない例外で、結局のところ、ガレー船とそう変わりはない。
「船体そのものは、我の作だぞ。しかも、すべてスティールツリーだ。頑丈で、燃えることもない」
スティールツリーはエルフや自然崇拝者たちが守る森に生える樹木で、鉄のように硬く、木材同様の軽さで、しかも燃えにくい。
船だけでなく、あらゆる建材として理想的だが、流通量が少なく、高額でもある。
「まあ、秘跡で生み出せば関係ないがな」
「……なんとなく、ユウトに敵対したものの気持ちが分かってきたな」
「なぜ、俺限定なんだよ」
ヴァルトルーデの剣技やエグザイルの暴力も、充分驚異的だと主張したい大魔術師がそこにいた。それと同時に、深入りすると逆にダメージを受けそうな気もしたので、とりあえず流すことにする。
「でも、スティールツリーは、確か幹の中まで黒かったのでは……」
「それも、ワシらの仕事よう」
再度、ドラヴァエルが髭に隠れてほとんど見えない目を輝かせて説明をしてくれる。
どうやら、今度はタールに魔法銀の粉末を混ぜて塗料を作り、それで塗装したところ純白の船が誕生したらしい。
しかも、単なる防水ではなく、装甲としての役割を果たすのだという。
かなり有用な技術ではあるが、当然、コストの問題で真似できるものは存在しないだろう。
「というか、ドラヴァエルたちは、よく思いついたもんだ」
「驚かすために、いろいろ考えたもんよう」
軽く考えていたわけではないが、かなり真剣に考えてくれていたようだ。神々に消費された分もあるが、酒類の大盤振る舞いをしなければならないなと、心の中で感謝を捧げる。
「ふむ。だが、これだけではないぞ」
少しだけ得意そうに言うヘレノアニア神。
しかし、その誇らしげな表情は、いささか過小だった。
甲板の前後には、大型弩砲と投石機が一機ずつ設置されている。それぞれ、180度まで旋回し、全方位へ攻撃が可能だ。
しかも、大型弩砲のボルトは自動的に生成・装填され、熟練の射手に匹敵する連射性能を誇る。投石機にはそれはないが、代わりにただの岩ではない特殊な弾丸を用意しているらしい。
「オーソドックスなところだと、火球のように着弾すると燃えるやつだな」
「普通じゃないのだと?」
「着弾した場所から数百メートルの空間を、凪にするのもあるぞ」
「その発想が恐ろしい……」
大型弩砲の一撃も城壁を貫くほどであり、実際にヴァルトルーデが試射したところ、近くの岸壁に深々と突き刺さっていた。
この一隻だけで、艦隊を相手取ることも可能だろう。
これが必要になるという状況が、まずおかしいのではないか。
そう目の前が暗くなるユウトだったが、ヴァイナマリネンは一笑に付した。
「どうせ、小僧が乗っておれば、好き勝手に蹂躙できるだろうが」
それはそうなのだが、そういう問題でもない……はずだ。
そのほか、貨物スペースはかなり小さめだが、それは一部に無限貯蔵のバッグと同じように異空間へとつながる処置が施されている為でもあった。
その分、船室はかなり贅沢で、豪華客船並だ。水も食料も質にこだわらなければ、備え付けの魔法具でなんとかできる。
「でも、俺たちは操船の素人だぜ?」
「そう、だな……」
常識外のスペックを持っていることは分かったが、動かせなければ絵に描いた餅に過ぎない。
そう言外に告げる二人だったが、それ自体、まだ本当の機能を把握していない証拠。
「では、操舵室へ行くとするか」
ヘレノニア神に先導され、甲板から移動を始める。
だがそこに、舵輪は存在しなかった。
存在していたのは、緑色に輝くオーブだけ。
「これに手を触れて念じるだけで、操船は可能だ」
「すごいな、ユウトっ!?」
今までユウトと同様に、やや疲れた表情を浮かべていた聖堂騎士だったが、今ので逆に振り切れてしまったようだ。体を折り曲げて、間近でそれを眺める。ショーウィンドウの前で目を輝かす子供のように。
「でも、帆の向きを変えるとか、なんかいろいろ仕事はあるんじゃないの?」
「そのために、ちゃんと用意したぞい」
「おお、今日の本命はこれぞ」
まだなにか出るのか。
ユウトがそう身構えた瞬間、ドラヴァエルたちが手を叩く。
金属製の角張った小人。
二頭身のそれが、一列になって十数体も操舵室へと入ってきた。
「アダマンティンで作った、魔導人形の一種よう」
「簡単な命令であれば聞くし、船を操るのに必要な技能は備えちょる」
「じゃっとん、その宝玉で下した操船命令にあわせて動くようになっとるきに、任せたほうがよか」
船員までついてくるらしい。
しかも、命令に忠実な。
この瞬間、ユウトは両手を上げて降参した。誰へ向けてそうしたのかは分からないが、あえて言えば、自分にだろうか。
「かわいいではないか!」
今度は整列するミニゴーレムへ相好を崩しながら近づき、今にも抱き上げんばかりの勢いで愛でるヴァルトルーデ。彼女からは、「可愛いものが好きなかわいい自分を見せたい」という邪気は一切ない。ただ、純粋な喜びだけがあった。
天稟に恵まれた彼女には、可愛らしいものを軟弱だと忌避する精神とも無縁らしい。
地球でまともなデートもしなかったことを、ユウトは、またしても悔やんでいた。
「本当は、ちんまいのではなく、でかいのをひとつ作るつもりだったんよ」
「びっくりさせるためには、それくらいでねえとなぁ」
「でかい?」
「おう。山のようによう」
「領地を歩き回らせて、悪いやつさとっちめるのさ」
「だが、材料が足りんでな」
「いやいや、これで充分だって」
少しだけ残念そうなドラヴァエルたちをいさめるように、ユウトはあわてて手を振った。さっきの後悔も、今は忘れた。
「ほかほか」
「ならばよか」
ユウトの気持ちが伝わったのだろう。
一転して、岩漿妖精たちも満足げな雰囲気に変わる。
「しかし、これじゃ……」
酒の大盤振る舞い? そんなものでは足りない。
「ヴァル」
「うむ。イスタス侯爵家が存在する限り、酒を贈り続けることにしよう」
「ああ。美味い酒をだな」
その言葉を聞いて、髭で隠れてほとんど見えないが、ドラヴァエルたちの瞳が期待に輝く。くりくりとした瞳が、髭の向こうで忙しなく動いていた。
「おお、そういえば忘れとった」
「聞きたくねえなぁ」
これで一件落着。
そんな雰囲気を易々と破壊する大賢者の言葉。
「こいつは、陸の上もそのまま移動できるぞ」
「……これ、船、だよな?」
「当たり前だろうが。だが、ドラヴァエルの住処からここまで、どうやって運ぶというんだ? ん?」
「そもそも、山の上で作るのが間違いだろ」
船の竜骨が特殊な魔法具になっているらしく、陸の上も海のように進むことができるらしい。
「それに、当然、海中にも潜れるぞ」
「確かに、海の中から現れて……」
ヘレノニア神のその補足には、二人してうなずくことしかできなかった。
今なら、戦女神がユウトとヴァルトルーデだけを呼んだ理由が分かる。
アルシアやアカネがいたら卒倒しかねず、ラーシアやヨナがいたら大興奮して説明にならなかっただろう。
「それでな、この辺にサハギンの海賊団の根城があるんだがな」
「いや、そこは……」
オーブの側にある海図で指し示した場所は、ロートシルト王国の領域外。この世界では領海という認識は希薄だが、ある程度の活動領域。縄張りのような意識は存在する。
「とある悪人に雇われた、別のサハギンや水竜たちが全滅して以来、ライバルがいなくなってのさばるようになったという話でな」
「俺たちのせいじゃねえか」
「悪を討つのに、事情など関係あるまい」
やるしかないようだった。
操船はユウトが担当することになり、最初はかなり不安げだったが、レースゲームとほとんど変わらないことに気がついてからは、簡単に水上を移動できた。
しかも、かなりのスピードで。
サハギン海賊団が根城にする島が見えると、そのまま水中へ潜る。
湾内には調教済みのクラーケンが存在していたが、水中。いや、海底から一気に上昇し、その勢いのままヴァルトルーデが大型弩砲を発射する。
その連射を受けてクラーケンは息絶え、停泊する船は浮上する際に船首の衝角で引っかけて航行不能になった。
そんな無茶な操船にも、ミニゴーレムたちはよく応えた。
更に、勢いはそのまま島に上陸し――本当に、陸上を航行できた――悪は滅んだ。
「船の名は、あとで決めるが良い。そなたたちだけでな」
後始末は近くの国に任せることとなり、ハーデントゥルムへと戻る途中、ヘレノニア神がそう忠告する。
その真意は、旅館に戻って理解できた。
「なにやってんの?」
ユウトたちが目にしたのは、真名と知識神が命名権に関して議論を交わしている姿。
最終的に、仲裁という名の懇願を経て真名が得ることになり、FR-10xは機械仕掛けの神――デウス・エクス・マキナにちなみ、「マキナ」と名付けられた。
今回で間章は終了。次回より、フォリオ=ファリナ編です。
ヴェルガさまの出番まで、もう少々お待ちください。




