6.神の贈り物(前)
女湯で、運命を左右するような会話が交わされているとはつゆ知らず。エグザイルたちの子供――本当に生き写しだった――を見せてもらったあと、ユウトとラーシアの二人は、客室でタブレットに教育を施していた。
「私自身の特異性は認識いたしました、教授」
「教授って俺のこと?」
師匠の次は教授かと、ユウトは恥ずかしそうに頭をかいた。
ただ、どうもFR-10xは彼女や真名にとって目上の相手を、独自の名前で呼びたがるようだ。これも個性と、尊重すべきだろう。
「もちろんです、教授」
「えー。ユウトなんかが教授? じゃあ、ボクは?」
「なんかって、なんだよ」
「語彙検索完了。『父ちゃん坊や』ではいかがでしょう?」
「サベツッ!?」
ユウトとは比べるべくもないが、ラーシアも理術呪文の使い手だ。そのため、一緒にタブレット相手の授業に参加していたのだが、この反応からするとあまり役に立たなかったらしい。
「まあ、それはそれとして」
「流された!」
「落ち着いてください、ミスター父ちゃん坊や」
「それ採用なんだ!?」
打てば響くような反応をする草原の種族を横目に見つつ、ユウトは無理やりまとめに入る。
「さっきは特異性と言ってたけど、君の能力は、実のところそんな範疇を超えている。今までは、そのレベルに達しても即新しい呪文が使えるわけじゃない。構成と意味を学習し、理解して初めて呪文を使用することができた」
「しかし、学習部分を私が肩代わりすることで、ご主人様はその制約から解放され、学習時間が必要なくなるのですね」
若干誇らしげに言うFR-10xへ、本当に分かっているのかと疑惑の視線を向ける。しかし、座卓の上に置いたタブレットへ話しかけているという構図に気づいて我に返る。
「そんなわけで、真名は一躍時の人になってしまったんだけれども」
「照れますね」
「まあ、ブルーワーズにいる限りは大丈夫だ。彼女は、俺が守る」
決意を言葉に乗せ、ユウトはそう断言した。その真剣さに、ラーシアも混ぜっ返すことができない。
同時に、「それ、本人がいるところで言えばいいのになー。いや、ダメか」などと台無しなことを考えていたのだが。
「ご配慮に感謝いたします、教授」
「まあ、半分は俺のせいみたいなもんだしな」
「半分?」
「六割五分」
「刻むね~」
「問題は、地球へ戻ってからということになるわけですね」
人間相手であればうなずいているところだろうが、タブレットではそれもできない。会話をするのであれば、殺風景なホーム画面ではなく、なにかキャラクターがいたほうがやりやすいなと思ってしまう。
(なるほど。だから、ダァル=ルカッシュは、人間型の端末を作ったのか)
フォックスグラスの眼鏡をかけた秘書を思いだし、密かに微笑んだ。
「おっ。なんかたくらんでる顔だね?」
「地球は大丈夫なのでしょうか」
「冤罪だ」
そんな冗談には付き合っていられないとユウトは話を先に進めるが、二人とも冗談のつもりはなかったと知ったら、どう思うだろうか。
「まあつまり、地球に戻った後、普通の機械のような偽装ができればいいんだけど……」
「問題ありません、教授」
「そうなると今度は、真名が偽装のために、君がいれば必要ない呪文の勉強が必要になる。嘘を嘘で重ねないといけないわけだ」
アカネが入り口で断念した、呪文の学習。
それを省略できるという強みが活かされなくなってしまう。
「いっそ、賢哲会議だっけ? あっちの組織へ正直に話したら?」
「回収されて分解とかされてもいいなら」
「人権蹂躙! 絶対阻止!」
「……とりあえず、普通にやるしかないか」
それでも、呪文学習の比重は落とし、他を優先した方がいいだろう。遠回りだがそれが確実だと、当事者のいないところで結論を出す。
「ところでさー。えふあーるとかなんとか、呼びにくくない?」
「名前ですね。固有名。素晴らしいです」
先回りして、やや弾んだ期待の声がタブレットから聞こえてきた。
「それは、真名がつけた方がいいだろ」
「えー。エグの子供も、名付け親になれなかったのに」
「なりたかったのかよ」
「そういうわけじゃないけど、相談もなかったしさー。適当にダメ出しとか、変な名前とか提案したかった」
「採用されそうになったら、焦るくせに」
面白いイベントをやりそこねたと、ラーシアが駄々をこねる。どうしようもない要求だが、気持ちが分からないでもない。
「まあ、それは自分の時にやればいいだろ」
「そうだね。ユウトは、いっぱい子供をこさえないとだしね」
「ははははは」
「ふふふふふ」
座卓しかない客室に、低い笑いが木霊する。それは分類するのであれば笑い声になるのだろうが、発する当人たちの目は、まったく笑っていない。
「お妾さんまで増えるらしいじゃん。やったね! ユウト。これで、重婚オッケー法も有効活用できるよ。税金もたくさん入ってくるし。あ、でもそれを使うのもユウトか」
イスタス侯爵領内では、重婚は認められているが、その分、税金が重たくなるという法令が施行されている。ラーシアの発言はこれを意識してのものだったが、彼もまた清廉潔白ではなかった。
にまにまする親友に対し、なんでもないと肩をすくめ、ユウトは反撃の矢を放つ。
「ラーシアとリトナさんの子供って、半神ってことになるのかな? わざわざ加護を与えるまでもないよな。また分神体が来臨するようなことがなくて助かるよ」
「ふふふふふ」
「ははははは」
座卓しかない客室に、低い笑いが木霊する。それは分類するのであれば笑い声になるのだろうが、発する当人たちの目は、まったく笑っていない。それどころか、なにかを呪っているかのようだ。あえて、その対象を限定するならば、世界か。
「この話題はなかったことにしようか」
「ああ。無駄に傷つけあう必要はないよな」
まるでタブレットを証人にするかのように、その前でしっかりと握手をする二人。傷つけあう過程は存在したものの、こうして平和が訪れた。
仕方のないことだ。
和平条約が結ばれるのは、たいてい戦争の後なのだから。
「だいたい、こっちの都合じゃなく、相手の気持ちってもんが――」
「ユ、ユウト。入るぞ、入るからな?」
なぜか緊張に震える声だったため、疑問が先に立って返事が遅れた。
沈黙を肯定とみなしたというよりは、最初から返答など待っていなかったのだろう。
錆びついた機械のようにぎくしゃくとした動作で客室内に入ると、ユウトを見つけてほっと緊張が氷解して花のように湯上りの顔をほころばせ、次に、なぜここへ来たのか思い出し、羞恥に頬を染める。
その反応に、ユウトは頭上に疑問符を浮かべてしまう。
ただ、浴衣姿で恥じらう最愛の聖堂騎士は、この世のものとは思えないほど美しかった。
「実は、ヘレノニア神に言われて――」
ここでようやく、他者の存在に気付いたのか。
絶世の浴衣美人が驚きに目を大きくし、歯も舌も丸見えになるほど口を開ける。
「なぜラーシアがいるのだ……?」
「存在が全否定されたんだけど!?」
「話が見えない……」
ろくでもないことなんだろうなと頭を振るが、当然、無視もできはしない。
「ヘレノニア神がなんだって?」
「だから、ユウトが、その子供で、私が、その」
「俺が、子供?」
思わずラーシアと顔を見合わせる。
顔を真っ赤にしてわたわたと混乱するヴァルトルーデは、それはもう、永久に保存しておきたいほど可愛らしかったし、誰もいなかったら抱きしめていたことだろう。
「お任せください、教授。録画アプリを起動しております」
「すばらしい」
「できる呪文書と自負しています」
しかし、彼女がなにを考え、なにをしたいのか分からない。このまま愛でていればいいのであれば永久にそうしているところだが、それも違うはずだ。
「ふむ。集まっておるな」
そんな状況に一石を投じたのが、“常勝”を謳われる戦女神。
浴衣ではなく、透けるような純白の羽衣をまとったヘレノニア神は、常人にはありえない霊気をもまとい、居並ぶ英雄、神器を睥睨する。
「我からの贈り物を引き渡すゆえ、二人は外へ来てもらうぞ」
「贈り物……?」
「ええ? あれ? ユウトと……その……?」
ヘレノニア神の唐突な発言に、戸惑うのは同じ。しかし、ベクトルまでは同じではなかった。
「うむ?」
「ですが、その……」
よほど恥ずかしいのか温泉に入っていたときよりも顔を真っ赤にし、不敬だという考えにも至らずに、仕える神の耳元で、ヴァルトルーデはささやいた。
こんな話、ユウトにはできない。できるはずがない。
「子作りをするはずではなかったのか……だと?」
「うわわわっー」
そうすれば今の発言をなかったことにできる。
信じているわけではないだろうが、両手を大きく振って、見えない黒板消しで、やはり見えない言の葉をかき消そうとする。
こんな子供っぽいヴァルトルーデを見るのは初めてだ。いつもの凛とした気高い聖堂騎士の面影はどこにもないが、好きな人の新しい面を見られるのは、とても嬉しい。
そんな彼女を動画で残せるのだ。ゼラス神とトラス=シンク神に、初めて感謝を捧げそうになった。
「どうしてそうなったのかは、分からないけど……」
ヴァルトルーデは、ヘレノニア神からユウトへ夜這いをかけるように命じられたと誤認し、ここへ訪れた。
今の流れからすると、そうなるのだろうか。
「本当に、なんでそんなことに」
「もう、死ぬしかないではないか……」
一方、ヴァルトルーデは致命傷を負っていた。
とはいえ、一見冷静に見えるユウトも、心臓は地震に遭遇したかのように大きく揺れ、耳まで熱を持っているのを自覚している。想像しただけで、いや、その手前で、急速に喉が乾いていく。
興奮しているということなのだろう。
単に、彼女が目一杯動揺しているので、こちらは崖っぷちで耐えられただけだ。
「もう一度、言うぞ」
そんな人間たちの狂騒にまなじりをつり上げ、ヘレノニア神は一音一音かみ砕くようにして神意を伝える。
「我からの贈り物があるゆえ、」
「最初から、そう言ってくだされば……」
誤解。完全なる誤解。
冷静に考えれば、確かにそんな勘違いをすることはなかったかもしれない。言っても詮無きことだが、あの流れでは仕方がないのではないか。
ここへ来る前に、アルシアやアカネからかけられた言葉が蘇る。忘れたい。
「よし。忘れた。忘れたぞ。読み書きもできぬ私だからな。忘れるどころか、最初から憶えていないぞ」
「まあ、ヴァルがいいならいいんだが……」
形振り構わぬ自虐的な物言いに若干距離をとりつつ、ユウトも忘れようとした。
(いや、無理だろ)
できるのは、忘れたように接することだけ。それすら、困難を伴うが。
「だいたい、なぜ我がそのようなことを主導せねばならぬのだ。自分でなんとかせよ」
真実冷静そのものだったヘレノニア神が、わずかに目を背ける。おやっと感じたのも束の間、ユウトたちの耳に思いがけない言葉が飛び込んできた。
「我はダクストゥムではないのだ。男女の愛の営みなど知らぬ。ゼラスやトラス=シンクに聞け」
なにも言わないのが正解なのか。それでいいのか。どうすればいいのか。
その空気を打破したのは、草原の種族だった。
「うん。そうだね。自分でなんとかしよう。ボクは別の部屋に行くし」
「ぶれねえな……」
「当然じゃあないか」
「なるほど。リトナという女性が待っているのですね」
「さあ、ユウト。今夜は踊り明かそうか」
「どんな呪いだよ、それは……」
意図的ではないだろうが、ラーシアによって場の空気が正常化する。
そこで、ようやく我に返ったヘレノニアの聖女が頭を垂れた。
「申し訳ございません。すべては、私の早とちりが原因です」
「その通りだな。猛省せよ」
「そこ、謝っちゃうんだ。あと、受け入れちゃうんだ」
「人が極限状態に陥るとどうなるのか。貴重なサンプルです」
結局、一人とひとつを喜ばせただけかもしれない。
「まったく……」
ユウトは、あえぐように大きく息を吐く。
今は、とりあえず丸く収まった。
しかし、ヴァルトルーデがここへやってきたということは、同意をしていたということになる。
嬉しくないわけがない。
嬉しい。
だがそれは、これまでは先送りにしていたことと、真剣に向き合うきっかけになるかもしれない。パンドラの箱を開くのと、同じ行為かもしれなかった。




