5.神々の種明かし
「さて、リィヤさま。どうして、あんなことを言い出したのか、お伺いしましょうか」
アカネの問いかけに、美と芸術の女神が、びくりと反応した。
声に威圧感があるわけでもない。事実、彼女は微笑を浮かべている。それなのに、韜晦を許さぬ迫力があった。
日も沈み、水・地・闇の源素界への入り口である月が煌々と輝く頃。
宴を終えた人と神々は、就寝前の湯浴みに興じていた。
立派な石造りで、周囲には目隠しの木々も植えられた露天風呂。地下から滾々と湯が湧き出て、湯煙が月光を吸収するそこは、異世界とは思えない情緒にあふれている。
海が近いため、風にのってわずかに感じられる潮の匂いも、演出の一つとなった。
今日地球から来たばかりの真名としては逆にどうなのかと思わなくもないが、賢哲会議に育てられた彼女に、温泉旅行の経験などほとんどない。
そう考えれば、貴重な経験ではある。
なにより、自分は圏外にいる。そう認識している分、実に気楽だ。
「……どうして?」
一糸まとわぬ、ごまかしが利かぬ状態でも。いや、だからこそ本質が分かる。
輝くようではなく、月光を受けて実際に輝いているすらりと伸びた四肢。贅肉などという言葉とは無縁で、それでいて肉感すら伴っている。
白い肌がわずかに赤く染まり、ほうと息を吐いて聞き返す様は、背徳感を感じさせた。
惜しげもなく晒される美と芸術の女神の裸身は、それ自体が至高の芸術品でもあった。
アカネとしては、そんな劣等感を刺激させる相手と一緒に入りたくはなかったが、今は好都合だ。ユウトがいないという意味で。
「そこを聞き返されると思わなかったわ。だって、こう言ってはなんだけど、リィヤ様にはユウトが、その、お妾さん? を作ろうとどうしようと、あんまり関係ないじゃない?」
「そうだな。これは、私たちの問題だ」
「私たち人間の、ですね」
やや抽象的な彼女の問いに、ヴァルトルーデとアルシアは当事者として参加せざるを得ない。ヨナも、熱そうにしながらも、我慢している。
カグラやレジーナも、やや引き気味ではあるが、会話ができる位置で湯に体を沈めていた。
部外者だと感じているのは、真名と他の分神体たちだけだろう。
そのヘレノニア神は、片隅で肩までしっかり湯に浸かり瞑目していた。輝くような美貌は、しかし、眉間にしわがより、雰囲気も重苦しい。
それでも、人にあらざる美は確かに感じられたが、残念なことに、なにかの修行中という感想が先に出てしまう。
そんな戦女神の周囲で、癖っ毛の草原の種族リトナは、ぷかぷか湯に浮かんだり、お湯をかけたりなど戦女神をおもちゃにしていた。
「……関係ないだなんて、とんでもない」
「それは、どういう……?」
思いもかけぬ返答に、長い髪をタオルでまとめた盲目の大司教が問い返す。彼女が仕えるトラス=シンク神の世話係のようになっていたが、夫神であるゼラスと――実は、幾部屋かあった――客室露天風呂に入っているため、その任務からは解放されていた。
「……そのままの意味。彼の動向は、神々の関心事でもある」
「ユウトの行いが……?」
予想もしていなかった返答に、思わず言葉をオウム返しにしてしまうヴァルトルーデ。だが、それはまだましなほう。アカネは元より、アルシアでさえも絶句している。
レジーナやカグラなど、整った相貌が驚きに歪んでいた。
「ユウトは、無茶やるから」
普段ならとっくに上がっているところだが、頑張って残っているヨナ。その言葉は「だから目が離せない」という保護者目線だったが、奇妙な説得力もあった。
「そういえば、地面に巨大な裂け目を作って無数の虫を壊滅させたんだっけ?」
「トンネルを造るとも、言っていましたね」
「ど、どちらも悪いことではないだろう」
「……それもある」
「あるんだ……。つまり、勇人が愛人を増やすのが神様的に都合が良いってこと?」
なんとか復活したアカネが、その真意をただす。
「……女性には限らないけど」
「限ります!」
勢いよく反論したのは、ペトラ・チェルノフ。
一糸まとわず湯に浸かっていた――最初は相当恥ずかしがっていたが――ことも忘れ、勢いよく立ちあがると月夜に裸身がまろび出る。
女性的な体つきという観点では、この中では後塵を拝する彼女。しかし、冒険者として鍛えた肢体はきゅっと引き締まり、健康的な色香を見るものに感じさせる。
それが、濡れてはりついたアッシュブロンドの得も言われぬ色っぽさが相まって、無意識に魅力を振りまいていた。
「そんな、駄目です。駄目駄目です」
幼児に戻ったような理屈もなにもない反論だが、それは、この場で共有された思い。
「まあ、それは置いといて。結局、勇人が愛人を増やしたほうが、好都合なのは変わらないのね?」
そんなアカネのまとめを受けて、ペトラだけでなくレジーナとカグラも、露骨にほっとした表情を見せる。どちらも、無意識だったが。
短い竜の角や鱗を隠さず姿勢よく湯船に入っているカグラは――異世界だが――大和撫子と表現したくなる佇まい。
それでいて、上気したうなじとわずかにほつれた黒髪のコントラストは煽情的だった。
一方、レジーナはアルシアにも比肩する豊満な肉体を湯の中で抱くように縮ませて、それがまた強調させる結果になっていることに気づいていなかった。
「それで、そんな話をなぜ私たちがいる場所でされるのでしょう……」
最初は美と芸術の女神リィヤの分神体と聞いて臆していたレジーナも、今では普通に会話できる程度にはなっている。彼女の持論を聞いて――意味が分からなかったり、牽強付会と感じた部分も多かったが――神も人も根本的なところではあまり変わらないと気づいたからかもしれない。
「……だって、好きでしょう」
「えっ」
「それは……」
いきなりの指摘。否、断定に、二人が露骨に動揺する。ハーデントゥルムの商人であるレジーナと東方の民カグラの共通点を考えれば、リィヤ神が省略した固有名詞は自ずと分かってしまう。
「そんな、恐れ多いです……」
ペトラも同じだったが、彼女はまだ自覚が足りないようだった。
「確かに、商売。いえ、経済に明るいですし、度肝を抜かれることもありますが、その発想には素直に尊敬をしていますが……」
「里の恩人ではありますが……」
「……アマクサ・ユウトとは言ってない」
「あっ」
「ううっ……」
「……まあそれはどうでもいい。それに、その程度の縁でも、構わない」
照れ隠しだろうと本音だろうと。図星を突かれて動揺しても関係ないと、リィヤ神は話を先に進める。
「……間違っても、ヴェルガへ下られては困る」
「ああ、そういうこと」
その一言で、納得できたとアカネがほっと息を吐く。その動きにあわせて、水面にさざ波が生まれた。主に、胸のあたりを中心にして。
それは見なかったことにし、ヴァルトルーデはいつもアカネが羨望してやまない可憐な唇を開く。
「私たちだけでは、ユウトを引き留められないと?」
「……しがらみは、多いほうがいい」
「多くなりすぎても、あとで苦労しそうですが」
「しがらみは、ぶち壊すもの」
「待ってください」
当たり前のように話を進める五人に、レジーナが割り込んでいった。
「ヴェルガとは、ヴェルガ帝国の女帝ですか?」
「誰でしょう……?」
「そういえば、師匠はあの女帝から求婚されていました。もちろん、断っていましたけど」
ペトラの説明を聞いて、レジーナは絶句し、カグラも深刻そうに眉根を寄せる。
「そこまでの人……なんでしょうね」
リトナと並びこの場では蚊帳の外にいる真名――スアルムは、部屋で子供と一緒にいる――は、逆の場合を考えて、一人で納得していた。
逆。つまり、ユウトを地球に残そうと画策した場合。
直接換金はできないが、資金はある。そもそも、お金を持っていても、それに拘泥した様子はない。
異世界の知識も経験も豊富で、端的に言って、力もある。
そんな彼を、地球に、賢哲会議という枠にはめようとするならば、『情』は最も有効な手段となるだろう。
「……冷静に考えてほしい。イル・カンジュアルを滅ぼしたということであれば、あなたたちは同じ。けれど、別世界の知識を操り、竜帝の資格を持ち、次元竜を従え別世界と関係を持つ。そんな人間は他にいない」
「うむ。その通りだ」
むしろ誇らしげに、聖堂騎士は胸を張る。
長く湯に浸かっているにもかかわらず、疲労の色はまったく見えない。それどころか、その美しさはいや増すばかり。同性ばかりのこの場でも、ため息を誘っている。
「……そんな人がヴェルガと組まれたら、善は滅ぶ」
「いや、滅ぶって」
「ありえない話ではないかもしれません」
もし仮に万が一だが、ユウトが寝返った場合、ヴェルガ帝国が大きな利益を得るだけではなく、こちらも凄まじいマイナスの影響を受けることになる。
ヴァルトルーデやアルシア。あるいはエグザイルらでもそれは同じだが、影響を与える範囲が違いすぎた。
それを神々が懸念しているのは予想外だったが、言われてみればうなずける。
「そうよね。ぶっちゃけ、勇人はなにしてくるか分かんないわよね……」
「ユウトを危ない人間のように言うのは、どうなのだ」
「でも、そこがいい」
珍しくヨナが笑顔を見せるが、同意は得られない。
「もしかして、再度来臨されたのは……」
「……これを直接伝えるためもある」
アルシアの推測を、美と芸術の女神はあっさりと肯定した。
もちろん、エグザイル――英雄の子を祝福するというのも大事だが、裏の理由もまた重大だった。
「……その辺をあわせて、名分がたった感じ。だから、腹芸のできないレグラは留守番」
「そういうことだ」
ヘレノニア神が堂々と立ち上がり、その肢体を隠すことなく一同を睥睨する。
「我は、そこまでは心配はしておらぬがな」
「そーなの?」
足下から見上げて聞いてくるリトナを一瞥し、戦女神は雄々しくうなずいた。
「未熟だが、あの男子にはしっかりとした芯がある。心配は用心につながるが、過度なそれは怯懦と同じく有害だ」
勇ましく表現したヘレノニア神は、なにかに気づいたような表情をしてから、再度言の葉を紡ぐ。
「それに、子は多いほうが良かろう」
「子供って……」
まだ早いと、アカネがつぶやくが、残念ながらその価値観は、ブルーワーズでは特殊だった。
「継がせる家が、今のところ三つか。それが、最低限だな。それに、新興で家臣も少ないのだ。子供はいくらいても足りないだろう」
「……ヘレノニアの言うとおり」
「ああ。だから子供ができやすいお湯に変えようとしてたの」
「その通りだ、タイロン」
「アタシは、リ・ト・ナ」
同じことだとつぶやいて、“常勝”と謳われる戦女神は出口へ足を向ける。周囲の反応などまるで気にしない、男らしい歩みだ。
「そうだ。ヴァルトルーデよ」
「はっ」
仕える神からの衝撃発言から我に返った聖堂騎士が、精一杯の敬意とともに言葉を待つ。
「この後、彼の大魔術師の部屋へ来るように」
「承知いた……いっ!?」
舌をかんでしまったらしく、ヴァルトルーデが涙目になる。
美しい彼女が見せる可愛らしさに、ユウトがいたら幸せを感じる物質が分泌されていただろうが、それどころではない。
「あ。子宝の湯作戦は成功してるよ。ここの温泉が枯れるまで、効果は残るかなー」
「……さすが、ヘレノニア。いい仕事する」
平然としているのは、二柱と。
「どしたの、みんな?」
純真無垢なアルビノの少女だけだった。
賢明なる読者諸兄はお分かりでしょうが、本作品は健全をモットーにしています。




