4.神々の再臨(後)
「なぜ、俺が……」
宴会の準備も整ったため、タブレットの件に関しては棚上げとなった。というより、もはやできることはなにもない。
使うか、持ち帰るか。サポートはするが、すべては真名次第だ。
ユウトは今、それとは別の問題に直面し、一段高いところから会場を見下ろしていた。
二十畳か三十畳か、広くて数える気が起きない宴会場にはちゃぶ台が三つ置かれ、すっかり準備が整っている。いや、アカネが整えた。
本来はまだ季節的に早いのだが、一定の気温に保たれた室内は、鍋料理を披露するのに不都合はない。
「決まってるじゃん。ヴァルにやらすつもり?」
「本来なら、ヴァルが一番偉いんだぞ……人間では」
ユウトに振られたのは、乾杯の音頭を取る役だった。分神体とはいえ神々が勢揃いする中で、こんな役目を任せられるなど、拷問に近い。
しかも、ラーシアだけでなく、リトナやゼラス神まで、面白い話を期待する目でこちらを見てる。
「なんでもいいから、さっさと済ませてよ」
料理の具合が気になるのか、アカネがそうハードルを下げてくれる。
「そうだな。ええと……。エグザイルのおっさんの所に男の子――ベイディスが生まれたり、王都のごたごたが収まったり、地球から真名が来てくれたりとかいろいろあって、慰労会と歓迎会を一緒に行うことになりました」
やらされることになりました――とは、言わない。
言っても意味のないことは、言わない。
「今日は、前回同様無礼講ということになっていますが、節度を持って楽しみましょう」
無礼講という言葉に反応して眉をぴくりと動かし、節度と聞いて元に戻るヘレノニア神に一抹の不安を憶えつつ、ユウトは続ける。
「それじゃ、乾杯!」
続けると言うよりは、もう、無理やりといった感じで始めてしまった。
「えー。全然面白くなかった。もう一回! もう一回!」
「もう一回!」
はやし立てるラーシアと追随するヨナをにらみつけ、手近なテーブルへと避難する。
そこには、エグザイルとスアルム夫妻にヴァルトルーデ。それに、ヘレノニア神とリトナがいた。適当にシャッフルした結果だが、縁の薄いメンバーを交流させるという意味では正解かもしれない。
「なんかばたばたしてちゃんと言えてなかった気がするけど、二人ともおめでとう」
「ああ。そうだな。私からも、おめでとう」
「うむ」
「ありがとうございます」
ちょうどジョッキが空になっていたので、地球から持ち込んだビールを注いでやる。それを黙って受けるエグザイルには、よく見れば分かる程度だが、喜色がにじんでいた。
最初にユウトがここへ来たのは、ラーシアやヨナを避けるのではなく、こうして改めてお祝いをするためだ。
「しかし、結構急でプレゼントとか用意できてなかったよ」
「そうだな。しかも……」
先に、神々から加護の大盤振る舞いがあった。どうにも、難しいとヴァルトルーデも珍しく思案顔。
「そんな、お気持ちだけで」
「そうだな。もう、結構もらっているしな」
「それじゃ俺たちの気が済まないというか……。とりあえず、次は地球から赤ちゃんグッズを手当たり次第に持ってくるか」
「その手があったか」
ユウトの提案に、浴衣姿の聖堂騎士がぽんと手を叩く。
思いつきだが、名案だ。
スアルムもたぶん喜ぶだろうし、ヴァルトルーデも嬉しそうなのだから。今、この瞬間に名案になったと言っても過言ではない。
「しかし、体はいいのか?」
今さらと言ってしまえばそれまでだが、同じ女性らしい気遣いで、ヴァルトルーデがスアルムに問いかける。
「ええ。もう、すっかり。産む前よりも元気なくらいです」
エグザイルに比べて繊細な作りをした小顔に微笑をたたえ、母親になったばかりの岩巨人が断言した。
神の加護か、それとも種族の特性なのか。どちらかは分からないが、喜ばしいことだとユウトは思う。
そんな和やかな空間は、次の一言で砕け散ってしまった。
「ここは、我に任せてもらおう」
決然と。まるで会戦に臨むような雰囲気で、ヘレノニア神が宣言する。手には、ユウトが印刷してきた『水炊きの作り方』。
それを熟読した“常勝”と讃えられる女神は、土鍋の蓋を開け、中身を凝視する。
鶏ガラで出汁を取り、骨付きの鶏肉を煮てしばらく寝かせたものを卓上コンロにかけている――水炊きだ。
「まだ野菜などを入れてはならぬ。まず、このスープのみ食するのが作法だそうだ。その際には、塩を多少振るように。目安は、この器で二杯程度だ」
そう矢継ぎ早に言うと、そばつゆを入れるような小さな器に、お玉で人数分のスープを注いでいく。
「えー。アタシ肉食べたい」
「タイロン、秩序を乱すな」
リトナの要望をぴしゃりとシャットアウとしたヘレノニア神は、きっちり同じ分量になるよう注ぎ終えたスープを各人に配っていく。
見ているこっちがハラハラするが、険悪な雰囲気ではない……はずだ。
「今のアタシは、リ・ト・ナなんだけど」
「そうか。それはともかく、分別の付かぬ子供ではないのだ。落ち着くことだな」
分神体同士が交わす会話に、場が静まる。
最悪の相性だった。もし相性を数値化できるとしたら、マイナスに振り切っていることだろう。
(誰だ、一緒にしたやつ……)
(私ではないぞ)
大魔術師と聖堂騎士が、長年培った絆を元に視線だけで会話するが、問題解決には至らない。
そして、ユウトが静かだと思っていたのは、スアルムが甲斐甲斐しくエグザイルの世話を焼き、黙ってそれを受け入れているからだった。
スープ自体の味は良い。
さらさらと飲みやすいが、鶏のうま味が凝縮している。具も入っていないが、お椀一杯ぐらい、するすると飲み干してしまえそうだ。
なのだが、どうにも落ち着かない。
ただ幸か不幸か、そう思っているのはユウトとヴァルトルーデだけのようだった。
「肉は、この後だ。ゆず胡椒というものを薬味にすると良いようだ」
「あ、そっちのつみれ食べたい」
「それは、肉を食べた後だ」
自らもスープを味わい、心持ち表情を緩めたヘレノニア神だが、厳格さは変わらない。
そんな雰囲気でも味は一緒と言わんばかりに、エグザイルは骨付きの鶏肉を豪快に口に運んでいく。
ジューシーなもも肉のぷりっとした食感、続いて口内を焼くような汁が飛び出て、冷えたビールで一気に流し込む。
ポン酢のさわやかさで、いくらでも食べられそうだ。
「スアルム、美味いぞ」
「はい。いただいてます」
箸は不慣れなためフォークを使っているが、その不器用さがまた、助け合っての食事風景につながる。
仲睦まじい夫婦の姿に温かな気持ちになるが、残念ながらいつまでもここにいるわけにもいかなかった。
「ええと。じゃあ、俺はそろそろ別のテーブルの様子も……」
「ユウト……?」
別に、逃げ出すわけではない。他の場所も、ここに劣らず問題がありそうだから確認しておきたいだけなのだ。
見捨てられた子犬のような瞳をする婚約者へ、そう視線と表情だけで説明し、ビール瓶を持って移動する。
まるで、結婚披露宴の予行演習のように。
「アタシ、締めはうどんがいいなー」
「なぜ、今から締めの話をするのだ。それに、締めは雑炊に決まっている」
そんなやりとりを背に、ユウトが次に向かったのは、もう一人の主賓である真名がいるテーブル。
そこでは、アカネが仲居さんのように甲斐甲斐しくゲストへすき焼きを提供していた。
「ふむ。生卵を絡めるのは、斬新だな」
「ご機嫌じゃのう、お前さま」
鍋なのに牛脂で焼いた肉に卵を絡める料理に、知識神もご満悦だ。そんなゼラス神の口元を拭いてやるなど、トラス=シンク神も嬉しげ。
ここにも仲睦まじい夫婦がいた。
(まあ、変なことにならない限りは、好きにしていいか)
できれば二柱だけで完結してくれたほうが、被害もなくていい。
「生卵を食べるなんて……」
「あちらでは食べなかったんですね? 普通ですよ」
「ええ……?」
一方、ペトラには高いハードルだったようだ。香ばしい匂いには心惹かれながらも、生卵につけるのは抵抗がある。
「大丈夫よ、地球から持ってきた卵だから、二週間ぐらいは生食できるし」
「ありえないですね……」
「まあ、日本以外じゃ、生じゃ食べないって聞くけどな」
「師匠の国は、どこかおかしいです」
思わず、アカネと顔を見合わせた。
「反論できないな……」
「そうね。シーズンだったら、調理済みのふぐ鍋セットでも出して、どん引きさせてた可能性があるわね」
「ふぐ?」
「内臓に猛毒を持つ魚です」
「しかも、ふぐの種類によって毒がある部位が違うのよね。だから、特殊な免許が必要で」
「その内臓は、鍵付きの容器で管理するんだっけ?」
「なぜ、そこまでして……」
言われてみると確かに、なにかおかしいような気がしてくる。
「そこに、美味しいものがあるから」
箸を掴むように握り、ほとんどテーブルと並行になるように肉を食んでいたヨナが、登山家のような台詞を吐き、また食事に戻った。
それは、ある意味で真理だった。
「脂が美味しい」
それもそのはず、肉も卵も、アカネや真名が値段を聞いたら目をむきそうな高級品を用意している。
「よく分からないけど、高い肉なら美味しいんだろ」
と、男の買い物の典型のような思考でユウトが買ったのだから、当然と言えば当然だが。
しかし、その甲斐あって、肉は溶けるほどに柔らかく、卵も濃厚で、脂も甘い。それが渾然一体となって喉を滑り落ちていく過程は、いっそ芸術的。
表情はあまり変わらないが、満足そうなアルビノの少女を見ていると、生卵もふぐも些細な問題に思えてくる。
「まあ、どうしても無理なら温泉卵も用意してるけど……」
「温泉?」
「ああ、半熟ね」
「申し訳ございませんが、それでお願いします」
「じゃあ、俺が取ってくるよ」
アカネは手が離せないだろうと、ユウトは立ち上がって厨房へと移動した。そして、手伝いに来てくれていた竜人の女性から目当ての物を受け取って戻ると、また席を変える。
(あ、肉食い損ねた)
と気づいたが、遅い。
あとで食べれば良いかと、ユウトは最後のテーブルへと向かう。
「なぜ、ボクはここにいるのか」
「俺に聞かれても困る」
適当に答えながら、当たり前のようにラーシアの隣に座る。
「まあ、いいか。それより、ユウト。飲み食いしてないでしょ?」
「ああ……。ここに来るまで色々あって」
「仕方ないなぁ」
そう言うと、草原の種族の盗賊は取り皿につけダレを数種類用意し、肉をいくつか湯にくぐらせるとユウトの皿に入れてやった。
「ああ。悪い」
ようやく、食事にありつける。
箸を手にとって、しゃぶしゃぶの肉――牛と豚の両方を用意している――を口に入れようとしたところ、なぜか、レジーナとカグラから目を背けられてしまった。
傷つく……ほどではないが、理由が分からない。それに、アルシアも、なぜか憂鬱そうだ。
「リィヤ様、いったいなにをされたのです?」
けれど、原因は推測可能だ。
「……どうして私が。私は無実」
「いえ、この中ですと、一番影響力が強いかなと」
「…………」
「…………」
「……愛には様々な形がある」
「はい! それ、ダウト!」
ユウトが来る前に、なにを言われていたのか。ラーシアが立ち上がり――多少だが――上から更に言い募る。
「ボクらは、友達。ただの友達。いいね?」
「なんの話だ?」
わけがわからないと、ユウトはとりあえずラーシアがサーブしてくれた肉を口に入れる。ポン酢、ごまだれ、中華風といろいろあって飽きない。
「……アマクサ・ユウト。あなたが、妾を増やさない理由を推測し、妥当と思われる結論に達した――ところ、異論が出た」
けれど、やはり基本のポン酢かごまだれだ。
飽きてきたら、それを混ぜるのも良い。濃厚なごまだれが中和され、更に肉もご飯も進む。ブルーワーズに来てしばらく経つユウトだが、やはり、食事は酒ではなく主食に合うかどうかで選びたい。
追加で数枚肉と野菜をゆっくりと咀嚼し、飲み込む。
「はい……?」
口から出たのは、ただ、それだけ。
それしか、言えなかった。




