3.神々の再臨(中)
「まあ、こっちでは無機物が知性を獲得する事例というのがないわけじゃあないんだ」
ユウトが頭の上を気にしつつ、そう切り出したのは東方屋の店内――ではなかった。
場所は東方屋から移って、ハーデントゥルム近くに建てられた温泉宿。その宴会場のような広いスペースに、関係者が勢揃いしていた。
東方屋での集まりは、所詮は前座のようなもの。
テーブルの上には、地球から持ってきたガスコンロがいくつも並べられている。これから行われる鍋料理が本番だった。
彼が説明できるようになるまで、それほどの時間を要したということでもあるのだが。
「つまり、割合普通なのですね?」
「そう言われると困るんだが、少なくとも史上初ではない」
「それ、慰めになるのでしょうか?」
実のところ、『忘却の大地』から来たバトラスのような機甲人を例に出すまでもなく、『知性を持つ器物』という存在は、一般的ではないにしても皆無ではない。
機甲人などはひとつの種族として認められているが、それとは別に秘宝具として分類されるアイテムの中には、人の魂が宿った『知性を持つ剣』なども実在している。
たとえば、フォリオ=ファリナの百層迷宮を踏破したパス・ファインダーズの一員である黒髪の剣士レイ・クルスの愛刀憂国者には、裏切り者の汚名を着せられながら、その最期まで故国を守るために奮戦した騎士の魂が宿っている。憂国者は、所有者に守護の力を与え、念話により高潔なる行いを求めていたという。
もっとも、所有者が闇に墜ちると同時に、虐殺者へと名を変え、歴史の表舞台から消え去ってしまったが。
だが、このような『知性を持つ器物』を創造する方法は失われて久しい。また、今回のケースは、他者の魂が宿ったのとは事情が異なる。
「なので、こいつには《覚醒》の呪文に近い効果が発生したのではないかと。俺はそう思うんだけど……」
真名が地球から持ち込んだ賢哲会議謹製のタブレットを畳の上に置き、車座になる後輩たちへ、そう推測を述べる。
「こいつと呼ばれるのは心外です。私には、理術呪文発動用携帯型電子呪文書FR-10xという識別名があります」
「分かったよ。あとで、真名に愛称でも考えてもらうから」
とりあえず、それでタブレットからの抗議は受け流す。
「しかし、《覚醒》と言われても……」
浴衣に着替えた真名が横に座るペトラへ顔を向けるものの、彼女もぶんぶんと首を振るだけ。
「聞いたことがあるような、ないような……」
「仕方ないか。メジャーな呪文でもないしな。《覚醒》は第九階梯の理術呪文で――」
「きゅう!?」
ペトラが卒倒し、真名は無言で固まった。
アッシュブロンドのサイドテールと、黒髪のポニーテールまでひび割れているかのように見える。
だが、二人の驚きは根本的に異なる。
大魔術師の中でも、真実魔術を究めた者しかたどり着けない領域である第九階梯。それを事も無げに語るユウトに驚いたのがペトラ。
一方、真名が気を失いそうになったのは、地球では第九階梯などおとぎ話でも語られない。完全に未知の領域の話だったから。
実は昔から宇宙人がいたんだよと、面を向かって言われたのに等しい。しかも、それを真実として受け入れなければならないという状態。
けれど、ユウトは何事もなかったかのように説明を続ける。
「俺も使ったことはないけど、魔導人形なんかに使用して知性と自意識を持たせる呪文だな」
必要な触媒も多く、儀式にも近い手順が必要な呪文だ。効果を考えれば当然だが、コストパフォーマンスは悪い。
「簡単な命令を遂行するだけでなく、ある程度複雑な任務も遂行できるのがメリット。でも、反乱される可能性も出るんだから、今ひとつ割に合わないよな。だから、かなりマイナーな呪文なんだけど……っと、そうだ。同じ系統で、自然崇拝者たちが、動物や植物に知性を与える呪文もあったかな」
あとは不死の怪物を対象とするものもあったが、ヴァルトルーデやヘレノニア神と同じ空間では口にするのもはばかられる。
「二人とも固まってる。だらしない」
「そういう問題かなぁ……」
少し刺激が強かったかと反省しつつ、ユウトは肩車状態のヨナへと視線を移動させる。実は、説明を始めた最初から、ずっとそこにいたのだ。
そのまま放置していれば飽きてどこかへ行くかと思いきや、沈黙を肯定と解釈したヨナはずっと肩の上で講義に参加していた。
「ヨナ、そろそろ下りろ。浴衣がズレる」
「条件は同じ」
「同じじゃないぞ?」
言っても聞かないので、頭上に手を伸ばしてヨナをクレーンで掴んだように移動させる。背中と腰が、限界に近い。
浴衣を着たアルビノの少女は素直に従ったが、今度はあぐらをかくユウトの足の上に乗っかった。
まるで犬のような懐きっぷりだと、今回の交易ではほとんど愛犬とのスキンシップができなかった大魔術師は思う。
「最近、構ってもらえなかったから嬉しいんでしょ」
そこに、リィヤ神から解放されて鍋の用意をするアカネが、側を通ったタイミングで微笑みながら言った。
「学校とか、リトナさんとか、遊び相手がいたじゃん」
「むー」
そう返すと、ヨナが足の上で不満げに暴れる。そんな抗議をされると、無下にすることもできない。頭であごを打ち抜かれそうだ。
「まあ、あっちに行かれるよりは良いか……」
宴会場の隅。
この広い部屋でそんなところにいる必要はないのだが、まるで人目を避けるように集まっている三人。否、一柱と二人。
そこで、美と芸術の女神がハーデントゥルムの若き女主人と東方リ・クトゥアから来た竜人の巫女を集めて、なにやら密談を繰り広げていた。
怪しいこと、この上ない。
並べられた本に関しては見なかったことにしつつ、ユウトは視線をエグザイルとスアルム夫妻へと移動させる。
つい数時間前に出産を終えたはずのスアルムがこの場にいるのはあり得ないのだが、分神体たちの惜しみない加護により、そんな常識は粉砕されてしまった。
生まれたばかりの子供――ベイディスは、岩巨人の産婆と一緒に別室ですやすやと眠っている。
生まれたばかりの彼を見たヨナが「弟として、最大限甘やかす」と宣言していたのは不安だが、健やかに育ってくれるだろうとユウトたちは安心した。
それにしても、大仕事を終えたばかりの妻をねぎらい、慈しみ合う二人は、先ほどとは違う意味で見ていられない。
「そういや、いつの間にかラーシアとリトナさんがいなくなってるな」
「ラーシアなら、リトナがどこかへ引きずっていった」
「……そうか」
深くは考えまい。
瞑目したユウトの視線は、なぜか正座をして正面から見つめ合うヴァルトルーデとヘレノニア神――まるで、抜刀寸前の剣豪同士のようだ――を素通りし、早速やらかしてくれた二柱の神へと注がれる。
「なるほど、これが科学というものか」
「火をつけるぐらい、呪文でも良いと思うのじゃが」
卓上コンロの火をつけたり消したり、蓋を開けたり、意味もなく火を調整したりしていたゼラス神とトラス=シンク神が、ユウトからの視線に気づく。
二柱は、にっこりと笑ってこちらを見返すと、また卓上コンロの実験を始めてしまった。
「こちらは、大丈夫よ」
今度は、トラス=シンクの愛娘の異名を持つアルシアが見てくれている。意識を持つ卓上コンロが生まれることもないだろう。
「センパイ」
「師匠」
「ああ、戻ってきたか」
「まだ耐性が足りない。〝虚無の帳〟と戦ってた頃なんて――」
「子供が、近頃の若いもんはとか言うんじゃない」
膝の上のヨナを軽く小突いてから、ユウトは説明を再開した。
「まあ要するに、神々がいじくってる間に、さっき言った《覚醒》と似たような効果が発動してしまい、こいつ――FR-10xが知性と自我を持つに至ったのではないかと」
「つまり、妾たちの愛の結晶じゃの」
「いやぁ、なんか恥ずかしいねえ」
その解説に死と魔術の女神がくちばしを挟んでくるが、まったく悪びれた様子はない。和気藹々と戯れ合う様を見せつける二柱に、アルシアは思わず頭を抱えてしまう。
「それは聖遺物認定されてもおかしくない。いえ、されて当然なのですが……?」
誰も彼も、苦笑するしかない状態だ。
「もったいないお言葉ですが、私としては、ご主人様の側を離れるつもりはありません。ご安心を」
「ありが……とう?」
それほど長く使っていたわけではないが、自分の物には違いない。慕われるのは悪い気分ではなかった。
「でも、師匠。呪文書ってことは、私たちが普段使っているのと、そう違いはないってことですよね?」
少し喋るぐらいなんてことありませんよねと、ペトラが必死に真名に助け船を出そうとする。
「それはどうだろうねぇ」
金髪の少年が、まるで瞬間移動でもしてきたように――いや、実際にそうなのだろう――その輪に加わった。
「うわっ」
「あああ、ごめんなさい。申し訳ございません」
驚く真名に、見ていて可哀想になるぐらい平身低頭のペトラ。
(もしかして、ペトラのリアクションが普通なんじゃないだろうか……)
そんな徒人の恐慌は一顧だにせず、知識神は最もお気に入りの大魔術師に話しかける。
「天草勇人、呪文書か巻物を貸して」
「なんでもいいんでしょうか?」
「うん」
なにに使うのか分からないが、呪文書を使われるのは怖い。
それと一緒に置いてあった巻物入れから、適当に引き抜いてゼラス神に手渡す。
「さあ、これを読み込んでみようか」
「承知しました創造主」
巻物の文字が書かれている面を液晶画面へと向けると同時に、何度かシャッター音が鳴り響く。
「どうだい?」
「取り込み完了。第三階梯呪文、《飛行》をアクティベート完了しました。明朝より、使用可能呪文として選択可能となります」
「ふんふん。いいねいいね」
思った通りの実験結果だったのだろう。
知識神ゼラスは満足げにうなずくと、妻が待つテーブルへと今度は歩いて戻った。
「そろそろ、鍋料理ってのを食べたいね」
「そうじゃのう。どうやら、色々用意してくれておるようじゃ」
こうなることを見越して、ユウト自らスーパーに走って様々な鍋の具材を用意したのは事実だが、それはどうでもいい。
タブレットに取り込まれてしまった呪文の巻物を確認したユウトは、絶望的な。それでいて、予想した通りだという声を上げる。
「うあ、使えなくなってる……」
「センパイ、これはどういう……?」
「師匠、それってもしかして……」
真名が気づかず、ペトラが正解に行き当たった。
これは二人の実力ではなく、環境の差。
「巻物とか他人の呪文書があれば、勉強する必要なく呪文が使えるようになる……みたいだ」
理術呪文は、ユウトが実践してペトラにも叩き込んだように、使用すればするほど高度な呪文が使えるようになる。
それが、前提。
そうやって実力を培ったうえで、個々の呪文の構成要素を読み取り、記憶し、自分のものにして習得する。
知識神と死と魔術の女神が覚醒させてしまった理術呪文発動用携帯型電子呪文書FR-10xは、後者の工程を省く。いや、肩代わりすると言うべきか。
「補助ってレベルじゃねえ」
「はい。ご主人様を支えるのが、私の務めです」
やや高めの女性の声を模した電子音が、誇らしげに宴会場に響き渡った。




