2.神々の再臨(前)
「ええと……。本当に、神さま? ですか?」
「これが嘘だったら、俺がとても危ない人間になるんだが」
「……そのほうが、私の精神衛生上優しい結論になりますけど」
「急な話だったんだよ……」
混乱と戸惑いを、ユウトへの不審でなんとか抑えつけている後輩の少女へ、経緯を回想しながら説明していく。
事の発端は、王都での様々な用事を済ませた直後だった。
ファルヴの城塞に戻ってきたユウトたちを迎えたのは、エグザイルの義妹にして妻であるスアルムが産気づいたというニュース。
思わず色めき立ったが、冷静になると、できることはなにもない。
アルシア以外はエグザイルとともにユウトの執務室で待機して、生まれるのを待つだけ……だったのだが。
「ダァル=ルカッシュの主よ、次元の揺らぎを感知した」
「……エリザーベトさんたちにしては早すぎないか?」
「ええ!?」
露骨に動揺するラーシアを横目に、ユウトはあまり考えたくない可能性を口にする。
「まさか、事故かなんかでこっちに戻ってきたってことは……」
「いや、別種だとダァル=ルカッシュは断言する。そして、ダァル=ルカッシュでは、どうにもできない」
「それは……」
同時に、執務室が光に包まれた。
ヴァルトルーデはとっさに討魔神剣を抜き、ユウトも呪文書を手にしてアカネを背後にかばう。
しかし、それはすべて杞憂だった。
現れた、予想外の来客。
そう、来客だ。
まずは、金髪碧眼の少年神と、その配偶者。
「……ほいほい来ていいんですかね?」
最初に呼んだのはユウト自身だが、そう確かめずにはいられない。婉曲的に来るんじゃないと言っているも同然だが、相手は気にした様子もなかった。
「なに、こちらも事情があるんだ」
「左様ですか……」
「とりあえず、此度は英雄の子を祝福するためじゃな」
「それに、一回だけ来いとも明言されなかったからね」
来客――知識神ゼラスと死と魔術の女神トラス=シンクの分神体は、悪びれずに言う。
そんな開き直りをされては、拒絶もできなかった。元々、こんな風に降臨されたら、対抗手段もないのだが。
「……先生が女騎士になったと聞いて」
「情報早いわね……」
一方、美と芸術の女神リィヤはユウトの後ろからアカネを引きずり出して、久闊を叙していた。こちらは、無害だろう。
「そして、レグラの代わりに我よ」
「まさか……」
真っ先に反応したのは、当然と言うべきか、ヴァルトルーデ。
その反応で、ユウトも気がついた。
「ヘレノニア神……」
緩やかに湾曲した胸甲は黄金に輝き、その下に身につけた純白の羽衣は優美にして華麗。
武器は手にしていないが、気高き戦女神そのものだ。
「我は、我が僕であるアルサスめを王に立てた祝いである」
「ありがたき幸せです」
勇ましい宣告に、ヴァルトルーデは即座にひざまずき謝意を表す。
「うむ」
分神体それぞれに個性があるのか、ケラの森にある廃神殿にいた分神体とはまた違う性格。だが、そこで分神体と会話をしたのは当時のアルサス王子だけだったため、気付いた者はいなかった。
「相変わらず、えらそーなんだから」
「む。タイロンか……」
満足そうにうなずくヘレノニアの前に、リトナ――草原の種族の守護神であるタイロン神の分神体が進み出る。
そして、茶化すように鎧をノックするように叩いて、その周囲をぐるりと回った。
「やめぬか」
「さあ、ラーシアくんも一緒に」
「むりむりむりむりむりむりむりむり」
「じゃあ、ヨナちゃんだ」
「いってくる」
「ヨナ、いい加減にしなさい」
我に返ったユウトが襟首を掴まなかったら、アルビノの少女は確実にヘレノニア神の逆鱗に触れていたはずだ。
理屈ではなくそれを理解し、ヴァルトルーデは胸を撫で下ろす。
「このように、こやつらが、地上で好き勝手せぬように見張る意味もある」
「あ、ありがとうございます……」
では、なぜ前回同行しなかったのだろうか? そんな疑問も出てくるが、神々の事情など分かるはずもないと、ユウトは思考を放棄した。まさか、口うるさいから置いてきたというわけでもないだろう。
(委員長体質だわ……)
と、アカネは思ったが、賢明にも口には出さなかった。
その後、無事スアルムが出産したという連絡が入り、神々の来臨にも関心を示さなかった岩巨人が、珍しくほっと息をついたのも束の間。
スアルムとエグザイルの兄ベイディスと同じ名をつけられた男児に、分神体たちが母子ともに健康で過ごせるよう加護を与えると、評判の東方屋へ移動する。
そこで、地球との交易の日であることを思い出したユウトが真名を迎えに行き――地球人と神々の出会いが発生した。
「――ということなんだが。おわかりいただけただろうか?」
「さっぱり分かりません」
店の中央に設えられたテーブルに腰をかけながら、事情を説明された真名は首を振った。それにあわせてポニーテールが揺れる。
「というより、理解したくありません」
「まあ、俺が悪くないということだけ分かってもらえれば、それで」
東方屋は、いつにも増して混沌としていた。
まず、店の片隅。座敷になっているそこは、前回同様、アカネとリィヤ神のテリトリー。パソコンでアルサスとユーディットの結婚式の様子を再生しているようだった。また、なんの目的なのか、何着かドレスなども広げられている。
それだけでなく、ヴェルミリオのファルヴ支店視察と、次のシーズンの新作の相談に訪れていたレジーナ・ニエベスや、料理が一段落したカグラまで引きずり込まれていた。
(あそこはあそこで、好きにやってもらおう)
呼ばれてはいないが、近づきたくもないとユウトは思う。
色々重なっているが、今日の主役の一人であるエグザイルは、我が子を抱いたあとにこちらへ合流し、ラーシアとともに杯を重ねていた。
リトナも空気を読んで、かいがいしく酌をしたり、つまみを注文したりしている。
(こういうことをするから、ラーシアがリトナさんから離れられなくなるんだよな)
あそこは、この空間にいるから混沌の一要素になっているだけなので、やはりあのままでいてほしいと思う。
問題は、真名が座りユウトもいる中央のテーブルだ。
どうやら、この後ハーデントゥルム近郊の温泉旅館へ移動して本格的に宴を催すつもりらしく、前回ほどの酒池肉林ではない。
それでも、王都で披露した天ぷらや新作の――異世界でそれはどうなのかと地球人は誰もが思ったが――南蛮漬けに、前回好評だった焼売や魚のフライなど、節操なく様々な料理が並んでいる。
美食男爵が見たら、卒倒していることだろう。
それを黙々と平らげていくヘレノニア神。
ヴァルトルーデにも劣らぬ美女が、まるでなにかの大会のように食べ続けていく様は、なにやら狂気じみたところがある。
ヴァルトルーデも、対応に困り果てていた。
そんな幼なじみを見捨てることもできず、アルシアもそちらのフォローに回っている。
ヨナは、その神々の間をふらふらと食べ歩きをしており、畢竟、ゼラス神とトラス=シンク神の夫婦は、ユウトが相手をするしかないのだった。
「実は、秦野真名、君には興味があってね」
「興味ですか? 失礼ですが、今が初対面のはずですが?」
「うん。正確には、異世界の魔術に……かな」
少年神の言葉に、真名は納得した。
恐らく、隣に座る先輩からタブレットを使用した呪文について聞いたのだろう。知識神が興味を示しても、不思議ではない。
小学生カップルが酒食をともにしている光景は慣れないが、異世界で神だというのだ。そういうこともあるのだろう。
それに、神といっても、悪い相手ではないのだろう。もしそうであれば、ユウトが引き合わせるはずもない。
ありのままに受け入れる。
それこそ、地球人が理術呪文を操る際に重要な素質のひとつ。アカネにはなかったものだ。
「よろしければ、見てみますか?」
「是非に!」
心から嬉しそうに笑う夫神を見て、その神妃であるトラス=シンクもにっこりと微笑む。かなり長い付き合いのはずだが、夫婦仲は相変わらず良好だった。
「へえ。これが……」
「ここがスイッチで、画面を指でこうやってスライドさせて――」
「ほう。なるほど。ふむふむ」
真名がタブレットを取り出して行う操作説明を聞いて、いちいち感心するゼラス神。外見は少年だが、なぜか老人の相手をしているような錯覚をしてしまう。
一通り機能や操作の説明を終え、呪文は個人認証があるため使えないだろうと、そのまま好きに触らせることにした。
壊れても《物品修理》でどうにかなるし、現場での使用を想定したガジェットだ。少々乱暴に扱っても壊れる心配はない。
「ところで、ペトラさんのように見える人影がちらついているんですが、あれは本物ですか?」
「ああ、あのサイドテールな」
二人の視線の先に、壁からちらちらと出るアッシュブロンドの髪が見えた。
近々、ユウトはフォリオ=ファリナを訪れて、ドゥエイラ商会の件で話し合いをする予定だった。それが終わってからヴェルガのデートであり、どちらが主で従かは明らかだ。
「野暮用があって、さっきこっちに到着したんだけど……」
野暮用とは、ドゥエイラ商会の件の打ち合わせだ。また、真名がこちらへ短期滞在をするという話を聞いたペトラがタイミングを合わせてファルヴを訪れた――のはいいのだが。
「まさか、神さまに出会うとは思わなかったんだろう」
「同情します……」
旧交を温めるのは、後回しになりそうだ。
そう、真名がため息を吐いたところで、知識神と死と魔術の女神から、聞きたくない叫びが聞こえてきた。
「しまったっ」
「やってしもうたの……」
だが、見た目はなにも変わっていないように見えた。
「いやぁ、なんか生まれてしまったよ」
そんな訳の分からないことを言って、ゼラス神はタブレットの液晶画面を本来の持ち主である真名へと向けた。
「ご主人様、初めまして」
「……はい?」
エメラルド色のタブレットから発せられる女性の声。人工的だが、不思議と不快感はない。
いや、そんな問題ではない。
こんなアプリを入れた記憶はない。異世界で、新しいアプリをインストールできるはずもない。
「タブレット――理術呪文発動用携帯型電子呪文書FR-10x。その意識体のような者とお考えください、ご主人様」
「まさか……」
「センパイ、心当たりが?」
神々が操作をすることで、新たな生命が生まれてしまったらしい。
その結論に行き当たったユウトは、思いっきり頭を抱えた。




