13.王位継承(後)
その調理担当者であるアカネは、会場で大騒ぎになっているなど想像もせず次の準備に取りかかっていた。
「アカネさん、種の仕込みはこのくらいでよろしいでしょうか」
「そうね。足りなかったら、追加しましょう」
王宮の厨房を借りて行なっている作業は、当然、アカネ一人ではない。
数日前から、カグラら数名の竜人を伴って、打ち合わせや仕込みなどを行なっていた。
アカネが、結婚式及び戴冠式の撮影をすることができたのも、彼女たちの協力が大きい。いや、むしろ、ほぼ任せているような状態だ。
今は、天ぷらの仕込みを監督している程度。
「天つゆも……問題ないわね」
「ありがとうございます」
いつのまにやら料理長のようなポジションにいるが、今は気にしないことにする。
魔法具の携帯コンロを使用して、客の目の前で天ぷらを提供しようという趣向を思いついたのは、直前になってから。
ヨナの《テレポーテーション》による仕入れがなかったら、実現はしなかっただろう。
すでに会場へ運ばれていた料理――焼き鳥やハンバーグサンドなど――は、宮廷料理人たちも味見済みで、形式上ではあるが許可も出ている。
しかし、直前になって追加された天ぷらは、どんな料理なのかと、自分の作業をしながらも好奇の視線がいくつも飛んでいた。
そう。当然ながら、ロートシルト王国に古くから仕える料理人が何人もいる。
いくら新王とその后の要望とはいえ、彼ら――下働きも含め、女性は一人もいない――が、アカネたちをあっさりと受け入れるとは思えない。
軽い諍いはあってしかるべきという状況だが、実は、そんなことはなかった。
これは、宮廷料理人たちの夢枕に、美と芸術の女神が立ったことと無関係ではない。
どんなお告げがあったのかは不明だが、神々を供応した存在を、同じ料理人として粗略に扱えるはずがなかった。
結局、気味が悪くなるぐらいの歓待ぶりで、竜人たちがサポートに就くことも問題視はされなかった。
アカネからすると、親子のような料理人たちから丁重に扱われるほうが気味が悪いのだが。
「それに、無理に関わりたかったわけじゃないんだけどね……」
「なにか仰いましたか?」
「ううん。とりあえず、あっちも始まってる頃だから、そろそろ移動しましょうか」
「そうですね。ぬるくなってはいけません」
時計を見ながら言うアカネに、カグラも同意する。
「アカネ殿、アカネ・ミキ殿はおられるか!」
突然、厨房の扉が開く。
顔を紅潮させ肩で息をする男が、無遠慮に部屋の中を見回した。中に足を踏み入れないのは、最後の理性が残っていたからだろうが……。
「つまみ出せ」
「へい」
相手が悪かった。
言われなければ傭兵かなにかだと勘違いされる強面の宮廷料理人が、命令を下す。
当然、弟子は命令を忠実にこなそうとする。
「ま、待たれよ。おう、王命なのだ! 至急、アカネ・ミキ殿は中庭に来ていただきたい」
必死に懇願する役人を見て、さすがにこれはただ事ではないと、カグラたちは目を丸くした。
「アカネさん、事情はよく分かりませんが、あとのことは任せてお先に」
しかし、来訪者の少女の反応は鈍い。
腕を組み考え込んでいた派手な容姿の少女が、なにかを決意したように腕を解いた。
「私、帰っていい?」
「だめです」
実のところ、カグラだけではないが、竜人たちのロートシルト王国への帰属意識は薄い。ほとんどないと言ってもいいだろう。
彼女たちにとっての「王」はユウトであり、ヴァルトルーデさえも「ユウトが敬っているから従っている」という存在に過ぎなかった。
とはいえ、そのユウトとヴァルトルーデが敬意を払っているアルサス王を粗略に扱うこともできない。
「そうよねー」
最初から分かっていたとばかりにうな垂れると、エプロンを外して、すっかり普段着同然になったメイド服姿で厨房の入り口へと移動する。
ただ、このあと、どんな展開になるか知っていたら、全力で逃げ出していたことだろう。
けれど、神から「先生」と呼ばれるアカネも、当たり前の話だが全知全能にはほど遠い。
「おお! あなたが神か!」
「え? なにこれ?」
――だから、王宮の中庭に足を踏み入れた途端、脂肪が人に化けたような中年男性に迫られるなど想像もしていなかった。
「女神よ! この愚かな私を、無知と疑問の煉獄から救い給え!」
というよりむしろ、したくない。
助けを求めて周囲に視線をやると、困った顔をした婚約者と、驚きに固まっている婚約者の婚約者がいた。
「ええと、アンソン男爵? 今、紹介しますので」
関わり合いになどなりたくないだろうに。
それでも、ユウトが二人の間に割って入り、さりげなく幼なじみの少女を背中にかばう。
周囲から歓声にも似た声があがるが、気にしてはいられなかった。今日の主役よりも目立っているのは……余興だと思って許してもらうしかない。
けれど、遠巻きに見ながらはやし立てているラーシアたちは、あとでどうにかしよう。本当に。
そう決意しつつ、まずは美食男爵と話をつけようとするユウト。
「彼女がミキ・アカネ。あの料理を作った私の婚約者です。そして、アカネ。こちらはアンソン男爵。料理の秘密を知りたいそうだよ」
「そうなのだ! この私が知らない調理法に調味料を使っているな。いや、言わなくて良い。それは分かっている。分かっているのだが、それがなんだか分からない」
「ええと……」
答えるべきなのだろうが、相手の盛り上がり方が凄すぎて、口を挟めない。そして、リトナは手を叩いて笑っている。
「アンソン男爵、私の友人にも発言の機会を与えてください」
見かねたユーディット王妃が助け船を出した。さりげなく、友人だと伝えるところが彼女らしい。
「はっ! これは、失礼を……」
さすがに王妃にたしなめられては、美食男爵とはいえ一歩引かなければならなかった。ただし、引いたのは本当に一歩だけ。
物語をせがむ少年のようなつぶらな瞳で、アカネの言葉を待つ。
彼女も、この場を切り抜けるには説明をするしかないと悟ったのだろう。戸惑いながらも、口を開いた。
「とりあえず、サンドイッチのほうは牛と豚の挽肉をこねて、焼いて――」
「その比率に、秘密があると見た!」
「そうね。だいたい、7対3かしら」
「ふむふむ。それであのジューシーさが! しかし、あの鶏の焼き物もそうだが、ソースがまた独特だ。そして、美味だ!」
「鶏の焼き物? ああ、焼き鳥ね」
言わんとするところをようやく理解した来訪者の少女は、決定的な一言を口にした。
「しょうゆをベースにした、たれを使ってるの」
「ショウユ……?」
美食男爵をして、東方リ・クトゥアの調味料までは――
「はっ。イル=アイル公国の健啖王と名高いカールブレヒト王が書き残していた黒い宝石とはまさか!」
――聞いたことがあるようだった。
「宝石かどうかは分かんないけど、確か、レンズ豆のスープの隠し味にも……」
「なんですと!」
舞うように飛ぶように、トロルにも似た美食男爵が、スープを求めて走り去っていった。
緊張から解き放たれ、アカネが思わず長い息を吐く。
「いったい、なんだったの……?」
「ハンバーグサンドとかたまご焼きとか喰った瞬間から、あんな感じだったぞ」
「なにそれ。怖いんだけど」
「アンソン男爵は、大層な美食家でね」
「はい、それはよく分かります。それと、お二人ともおめでとうございます」
事前にお祝いは言ったような気もするが、結婚式と戴冠式の後に顔を合わすのは初めてだった。
それに気づいたアカネが慌てて頭を下げ、アルサス王はそれを鷹揚に受け取る。
「私が知っていた頃よりかなり進歩しているようだが、その才能と情熱もまた、我が国には欠かせないものなのだよ。そうだな、ハルヴァニ侯」
「はっ。我が国で兵站――兵の食事に気遣いとこだわりのある人間を他に知りませぬな」
いつの間に側にいたのか。ハルヴァニ侯までがこの騒動に加わっていた。
アカネは「またなんか偉いっぽい人が来たわね」としか思っていないが、アルサス王の側近が勢揃いしている異常な状態。
チャールトン前王と宰相が他の参加客の相手をしているからこそだ。
「人間は美味い物を食わねばならぬと上奏を始めたときはどうしたものかと思いましたが、確かに前線では食事が唯一の楽しみとなりますからな」
食事に関することだけは、辣腕を振るうのだと、ハルヴァニ侯が愉快そうに笑う。
「……防腐瓶を押しつける先ができた」
「今、ユウトが良からぬことを考えている気配がしたのだが」
ようやく我に返ったヴァルトルーデが、心配そうな視線を婚約者に送る。それに、もう一人の婚約者も賛同した。
「そうね。こんな時に、仕事のことを考えなくてもねぇ」
「……そうですね。俺が悪かったです」
でも、アルサス王を通して話はすべきだなと、心のメモには残しておく。
「確かに、あのスープには常ならぬふくよかな味わいが感じられたぞ! 肉にもスープにも合うとは、万能調味料だな!」
「……それなら、今日の調理で余った分をあげましょうか?」
「なんとぉ!」
スープの味を確認して戻ってきたアンソン男爵が、今にも卒倒しそうに体を反らして喜びと感動を表現した。
もう慣れたが、扱いには困る。
そこに、準備を終えたカグラが姿を現す。
「アカネさん、天ぷらの用意ができましたが……」
「それは、いかなる料理かね!」
「え? なんですか、これ?」
「これって……」
結局、その圧力には抵抗しきれず、報告をしに来ただけのカグラは美食男爵に捕まって揚げたての天ぷらをサーブさせられることになった。
「うむ。塩もいい。だが、このつゆもいいな。否、食材により最適な味があるということか!」
定番のエビやカボチャ、白身魚にきのこ。卵のような変わり種まで一通り試食したアンソン男爵は、天の啓示でも受けたかのようにフォークを持ったまま感動に体を震わせる。
「そこのご夫人も、食べるべきですぞ」
「いえ、私は……」
そんな男爵を遠巻きに見ていた人間の中から、妙齢の女性を捕まえて強引にエビの天ぷらを口に入れさせる。
「あら、確かに美味しいわ」
「うむ。そうであろう、そうであろう」
……本質的には悪い人間ではないのだ。
その後、デザートとして用意していたみたらし団子まで食べ尽くしたアンソン男爵は、再びアルサス王の前に進み出たかと思うと膝を折って上奏を始める。
「陛下。臣は、感服いたしました。このアカネ嬢は、国として保護すべきかと存じます」
「ふむ。卿がそこまで言うのであれば、間違いあるまい。それに、それは余も初めてアカネ殿の料理を食べたときに思ったことでもある」
「え? え?」
いきなりの。いや、事前に予想できていたとしても、この話の流れには違和感しか憶えないだろう。
なぜ、料理ぐらいで人間国宝のような扱いをされなければならないのか――
「様々な感謝の意を込め、余は、アカネ・ミキ嬢に騎士爵位と王の友の称号を贈りたいと思う。受けてくれるだろうか」
「え? あ? はい? ……喜んで?」
その戸惑いだらけの返答をかき消すような拍手が、パーティ会場となった中庭に響き渡る。
「騎士って……。とりあえず、重力を自在に操ったり、光速の異名を持ったりしたほうがいいのかしら?」
「できるものならな」
夫婦漫才にも切れがない。
それも当然だろう。
なにしろ、新王が即位して最初の叙爵なのだから。
それがどれだけの大事か、周りの反応を見れば、来訪者である二人でも理解せざるを得なかった。
ヴァルとユウトの子 →イスタス侯爵家
アルシアとユウトの子→アマクサ守護爵家
アカネとユウトの子 →ミキ騎士爵家
と、跡取りが三人必要になりました。
そして、そんな話のあとでなんですが、本日書籍版1巻発売です。
Web版の更新も基本的には同じペースで続けていく予定ですが、
どちらもよろしくお願いします。




