レベル99冒険者によるはじめての領地経営1巻発売記念短編 ユウトのお見合い
レベル99冒険者によるはじめての領地経営1巻、本日発売です。
その店舗特典スペシャルSSと対になる短編となります。
「アハティ卿。本日は、お招きいただき、ありがとうございます」
黒い制服に、善の魔術師であることを示す、白いローブ。いつもながらの正装に身を固めた大魔術師ユウト・アマクサは、腰を折って歓待に感謝の意を述べた。
表面上は。
「よく来てくれた。心から歓迎する」
初老から老年の端境期にあるその男は、がっしりとした体格に相応しい悠然とした所作で近づき、しっかりとユウトの手を握った。
長年、北の塔壁でヴェルガ帝国に対する防衛戦の指揮を執り、ロートシルト王国の版図を守り切った名将ハルヴァニ侯爵アハティ。
今は第一線を退き、飛び地で有している王都近郊の荘園で、悠々自適の生活を過ごしていた。
しかし、体つきも眼光も、とてもリタイアした人間とは思えない。
彼とユウト。どちらが世界を救った英雄かと問われたならば、十人中九人はハルヴァニ侯を指さすだろう。残り一人は、逆張りが好きなだけだ。
その老将軍は、深緑の上衣に、細いズボン。膝近くまであるブーツを履いた乗馬服姿。これが、公式な謁見ではなく、あくまで私的な会合だと示している。
「無理を言ってすまないね、アマクサ殿」
「滅相もありません」
ハルヴァニ侯の荘園へと招かれたユウトは、その境界でいきなり歴戦の将軍から出迎えを受けていた。
それより驚くよりもむしろ、元将軍に寄り添うようにしている黒鹿毛の軍馬の方が気になる。
鼻息荒くユウトを威嚇するようにしている軍馬は、数々のモンスターと戦ってきた魔術師をもたじろかせるに充分な迫力。
「ははは。どうやら、お客人に興奮をしているようだ」
「乗馬の経験もない粗忽者が気にくわなかったのでしょう」
ウィットに富む――ように見えなくもない――会話を打ち切り、ユウトは改めて周囲を見回した。
王都近郊とはいえ、馬車で一日も離れれば都市の面影はどこにもなくなる。
曲がりくねった道にそって畑や草原が広がり、領民が農作業に勤しみ、放牧された馬たちが草を食み地を駆けていた。
さわやかな風が頬を撫で、暖かな太陽が歓迎をしてくれる。
これが、ただの遠足だったら、年甲斐もなく心が弾んでいたかも知れない。
「おお、それから。これが孫娘のデシデリアだ」
「初めまして、ユウト様。デシィとお呼びください。親しい方は、みんなそう呼びますのよ」
「こちらこそ初めまして、デシデリア嬢。今日は、よろしくお願いします」
如才ない笑顔で淑女への礼を取りながらも、ユウトの心は今にも嵐になりそうだった。
そう。なにしろ、これからはお見合いなのだから。
(勘弁してくれ……)
というのがユウトの偽らざる気持ちだ。けれど、邪悪なる炎の精霊皇子を倒し、世界を救ってから数日、この手の誘いが絶えたことはない。
ヴァルトルーデなどはすべて一蹴しているようだが、それだけに、ユウトだけでも会わなければ、問題が大きくなってしまう。
今回の訪問も、申し出の中では最も高位のハルヴァニ侯爵からの誘いということで応じただけ。デシデリア・ハルヴァニ――デシィの顔を見るのも初めてだ。
ゆえに、陽光を受けて輝くような髪を三つ編みにして、挑戦的な瞳でこちらを見つめる健康的な美少女だからお見合いをする気になったわけではない。
「……ユウト様は、私の格好をご覧になってもなにも仰らないのですね」
「ええと……」
不満気というよりは不思議そうに聞く彼女は、祖父と同じような乗馬服姿。違いはといえば、ブラウスで窮屈そうに押し込めている胸の部分ぐらいのもの。
ほめるべきだったのだろうか? しかし、断ることが前提だ。あまり相手に気を持たせるのも問題だろう。それとも、そんな気はなくともとりあえずほめるのが上流階級のたしなみなのか。
ろくに機微を学ばなかったことを後悔するユウトだったが、続くデシィの言葉で疑問は氷解した。
「よく言われますのよ。『じゃじゃ馬が馬にばかり乗っていては、結婚する相手がいなくなるぞ』と」
「それはひどいですね」
「そうですわよね。こんなに可愛いのに」
もちろん、可愛いと言っているのは自分自身のことではなく――その資格は充分に有しているが――鼻面を撫でている白馬のことだろう。
「先ほど申し上げたように、馬にも乗れないような人間の戯言かもしれませんが」
「お上手ですのね」
その言葉は、その微笑は、どういう意味なのか。
それを確認することもできずに、ハルヴァニ侯が若い二人を促す。
「さあ、デシィ。いつまでもお客人をこんなところに立たせておくべきじゃないぞ。アマクサ殿、ささやかだが食事を用意している。我が屋敷まで、ご足労いただけるだろうか」
「喜んでお伺いいたします」
帰れるものなら帰りたいが、そんなことが許されるはずもなく。形式的なやりとり以外のなにものでもなかった。
しかし、ここまでは《遠距離飛行》の呪文で来たので足がない。持続時間はまだ残っているとはいえ、まさか馬の横をそのまま飛ぶわけにもいくまい。
他にも馬はいるようだから《灰かぶりの馬車》でも出そうかと思案していたその時。
「ユウト様、よろしければこちらへ」
「え?」
素早く鞍上の人になったデシデリアが、戸惑うユウトへ手を差し出す。それが、一緒に馬に乗ろうという意味だと理解するのに時間はかからなかった。
けれど、応じて良いものかどうかとは別の問題。
「歩きでお屋敷へ向かっては、日が暮れてしまいますわ」
その健康的な笑顔に、少しだけ見とれてしまう。
だから、抵抗が遅れた。
その間に、強引に手を掴まれ、そのまま引きずられてしまう。
「ちょっ。あ、危ないですよ?」
「大丈夫です。馬は優しいですから」
「それ、なんの保証にも――」
そんな孫娘と英雄のやりとりを、老将軍は馬上から目を細めて見つめていた。
「田舎料理で恐縮ですが」
「とんでもない、いただきます」
デシデリアが手ずからサーヴしてくれたのは、骨付きの鶏もも肉と人参や蕪といった根菜の香草蒸しだ。
塩のみの味付けだが、そうとは感じさせない深い味わい。
よく味が染みた野菜も、ほろほろになった鶏肉も、充分に満足できるレベルだった。
「孫自慢のようになって悪いが、この娘の得意料理でね」
「へえ。よく作られるんですか。素晴らしいですね」
半分は、社交辞令。もう半分は、貴族令嬢など、家事はなにもしないと思っていたと素直に意外さを表明する。そうユウトが感心してみせると、デシデリアは三つ編みに手をやる。そして、昂然と顔を上げて言った。
「そんな。材料を鍋に入れて火にかけるだけですもの」
そう謙遜するものの、満更でもないようだ。
ただ、ユウトは慣れない馬に乗ったため体の痛みが気になっており、社交辞令をかわしあっているとしか考えていない。
ゲストであるユウトは、アハティ・ハルヴァニとデシデリア・ハルヴァニとともに、屋敷の中ではなく、外のテラスのような所で昼食を摂っていた。
この方が楽なのは間違いないが、見透かされているような気がして素直には喜べない。
「あ、パンが焼き上がったようですので、持ってきますね」
使用人に任せればいいのではないか。
そうユウトは思ったが、実際に口に出すよりも早くデシデリアは中座してしまう。
「ところで、アマクサ殿」
「なんでしょう?」
彼女が席を離れたタイミングを見計らったかのように、アハティ卿は正面からユウトの目を真っ直ぐに見る。
「デシデリアを娶るつもりはおありかな?」
「せっかくのお申し出ですが」
言葉としては濁しているが、はっきりと拒絶した。
「そうか。それは残念だ」
その確固たる意思を見せられて、老将軍は早々に説得を諦める。
ユウトが婿入りするにしろ、叙爵されて新たな家を興しデシデリアを娶るにせよ、お互いのメリットをあげて説得するつもりは、当然あった。
また、下手な貴族が彼を手に入れるよりは、ハルヴァニ侯爵家が取り込んだほうが、王家のためにもなるという確信もある。
しかし、実際に顔を合わせて分かった。
彼の大魔術師は、地位や名誉といった普通の貴族が命よりも大事にする要素に、これっぽっちも価値を認めていないのだ。
そして、こちらはどこまでいっても、大魔術師をつなぎ止めることができたら……という打算でしかない。本人の意思に反して強制できると考えるほど、愚かではなかった。
これは、お互いにとって非常に幸運だっただろう。
「だが、あれはアマクサ殿に会えるのを楽しみにしていてね。思うところがあるだろうが、デシィには友好的に接してほしい」
その表情は、先ほどまでの国に仕える義務感ではなく、孫娘を溺愛する祖父のものだった。
「それはもちろん」
最終的に断るにしても、顔を合わせた以上は完全に拒絶するわけにもいかない。好悪いずれも抱かずに、ご縁がありませんでしたねと別れるのが理想だ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもないよ。デシィも少しは食べなさい」
戻ってきた孫娘に優しい言葉をかけながら、大魔術師ユウト・アマクサの正体を見極めようとする。
「そういえば、ユウト様は冒険行で馬には乗られなかったのですか?」
「ダンジョンの中では逆に不便ですから」
「ですが、移動もあったのでは?」
冒険者といえば粗野な乱暴者というイメージだが、農民や狩人に宮廷作法を求めるようなもので、住む世界が違うというだけだろう。
そう理解していても、彼の知性には光るものがあった。
「ええ。その場合、呪文で馬を招請して馬車を引かせるか、空を飛んで移動するか……ですね」
「それでは、馬に乗る機会はありませんね」
知らないのか、知る気がないのか。それは定かではないし、作法に照らし合わせればおかしな部分はいくらでも指摘できる。
それでも不快感を憶えないのは、彼にこちらを尊重する気持ちがあるからだろう。どんな礼儀作法にも、最初は相手への敬意があったはず。やがて心は取り除かれ、動作や言葉のみが確立され規範となったのだ。
しかし、彼が敬意を払っているのは、私が年長者だからだろう。
そう侯爵は確信していた。
「分かりました。それでは、私が馬に乗れるようにして差し上げます」
「え? いや、それは……」
来訪者であり冒険者ある彼は、国や貴族というものに庇護される存在ではない。敬意を抱いても、服従する謂われなどどこにもないのだ。
実際にそこまで意識しているかは別にして、彼にとって、自分たちの存在など農夫や職人などとそう大差はない。
普通の貴族にはとうてい信じられない価値観だろうが、事実だ。
これは、戦場でも、まま見られる。
末端の兵士にしてみれば、互いに命を守り、命を預け、物資を補給してくれるのは国ではない、現場というもっと小さな単位。
それはやがて、兵士たちの忠誠の対象が王家ではなく、所属する部隊とそれを率いる指揮官へと置き換わる――軍閥化と呼ばれる現象だ。
将軍という立場だからこそそれに気づけたとも言えるし、同じ地位にいても、目が曇っていては思いつきもしないだろう。
彼の力を見誤り、粗略に扱ったならば、手痛いしっぺ返しがあるはずだ。
大魔術師の力がどれほどか熟知しているとは言えぬハルヴァニ侯でも、それだけは理解できた。
「おじいさま、それではユウト様と遠乗りに出てまいります」
「あまり、はしゃぎすぎないように」
「もう、失礼ですわ」
一方、孫娘のデシデリアは、そんな心配とは無縁だった。
まず、女だてらに馬を乗り回し、男のような格好をしていても嫌な顔をひとつせず受け入れてくれた。これは、彼女が今まで会った男性――血縁は除き――にもあり得なかったこと。
そして、近しい男性にはなかった理知的な受け答え。大魔術師であれば当然だろうが、それを鼻にかけたところもない。
「さあ、まずは練習からにいたしましょう」
「やっぱり、そうなりますよね……」
なにがそんなに楽しいのか。全身で喜びを表現し、健康的な笑顔を浮かべるデシデリア。ユウトはすでに腰が引けており、笑顔も崩れかけだが拒否するという選択肢はない。
実際、乗れないよりは乗れたほうが良いのは確か。加えて、怯えていては乗るものも乗れない。
「左足を鐙に乗せたら、手は鞍に置いて右足で思い切りよく踏み切ってください」
「それくらいは分かります……っと」
分かっているのと、実際にやるのとは別。
言われたとおりに、用意された鹿毛の馬に乗ろうとするも、途中でバランスを崩して倒れ込むような格好になってしまう。馬の体温と鼻息を近距離で感じた。
(馬も、生き物なんだよなぁ……)
そんな当たり前すぎる感想を抱きつつ、なんとか鞍に座る。
「大丈夫ですか?」
「なんとか……」
「良かったです。練習は裏切りませんから。それに、私は十になる前から乗っています」
「それ、特殊な例外じゃないかな……」
とはいえ、元サッカー部で冒険者として活躍してきたユウトの身体能力が一般人に劣るわけがない。周囲があまりにも規格外すぎて、自信がなくなっているだけだ。
「鐙は爪先の辺りだけで踏むようにしてください。はい、それから、腕は下げて。ああ、でも、引かないで前に出してください。そう、いいですよ。手綱と腕が一直線になるように」
矢継ぎ早に飛ぶ指示をこなしていると、自然と胸を張るように姿勢が正され、肩の力も抜けてきた。
そうして、なんとか2時間ほどで常足で歩ける程度には上達した。
「まさか、こんな短時間で乗れるようになるとは思いませんでした。ちょっと、体の節々は痛いですけど」
「筋が良いですよ」
「いえ、教え方が良いのでしょう」
「そんな……」
それから、馬も良いのか。
多少は余裕が出てきたユウトは、馬上からの景色に目を奪われる。普段より、何段も高い視線に恐怖と同時に新鮮な驚きを感じる。空を飛ぶことも容易だが、それとはまったく別だ。
「え、ええと……。それでは、馬場の外へ少し出てみましょうか」
三つ編みを揺らし、デシデリアはユウトの前に出て先導する。目指す先は、森を抜けた先にある草原。
森といってもそこまで深くはなく、踏みならして道もできている。危険な動物もおらず、特に問題はない。
ユウトには会話をする余裕もなかったが、常足で30分ほどの道をなんとかついていった。
「ここからの風景が好きなんです」
「……雄大ですね」
森を抜けると、そこは見渡す限りの草原。ちょうど夕暮れ時に差し掛かり夕陽で彩られた草原には、言葉にしがたい自然の力がある。
ユウトが天草勇人だった頃に、日常で見ていた風景とはまるで異なる。
世界は違っても、原風景は同じなのか。なぜか懐かしいと感じていた。
「ユウト様……」
動きを止めるユウトの横に移動し、デシデリアは意を決して彼の名を呼ぶ。もちろん、まだ恋愛感情には遠い。
しかし、彼女も貴族の娘だ。
重要なのは、今、恋愛感情があるかではない。結婚したあとに、それを育て、共に生きていけるか。
祖父からは、見合いといっても名目上のものと聞かされていた。だが、そんなものは関係ない。
彼女は、ユウトに他の男にはない魅力を感じていた。
彼なら、女らしくしろと言わず、ありのままの自分を受け入れてくれる。
(私を気持ちよく走らせてくれるのは、あの方だけ……)
そんな、根拠のない確信とともに、デシデリアは口を開き――言葉を発する前に、ユウトの固い声で打ち消されてしまった。
「……デシデリアさん、下がってください」
「ユウト様?」
突如として厳しい表情に変わった、.ユウトの横顔。
それに心を奪われながらも、言われたとおりに白馬へ意思を伝え、数歩下がる。
「ガアァァッンンッッッ」
理由は、すぐに判明した。
「ドラゴン!?」
彼女もブルーワーズの民だ。
時折、なんの理由も原因もなくドラゴンが人里に下りては、殺戮と略奪を行うという知識はある。
それでも実際に遭遇するかどうかは別であるし、対処できるかとなると、まったく別次元の問題だ。
遭遇したのは赤竜。
凶暴さ、残忍さではドラゴンの中でも群を抜く存在。身の丈10メートルに及ぶ空飛ぶ災厄は、獲物を狩る猛禽のようにこちらへ近づいてくる。
「逃げるのは……無理か」
先ほどの咆哮で、馬は固まってしまっている。
けれど、恐慌状態にならないだけまし。きちんと訓練している証拠といえた。
「ヴァルがいれば……」
お見合いに女性同伴などあり得ないかと、ユウトは苦笑する。自分一人でやるしかない。
「目をつぶっていてください。その間に、終わらせます」
「ユウト様?」
思ってもみなかった言葉にデシデリアは戸惑う。そして、ユウトが鞍上から離れ空の人になったことで、それは最高潮に達する。
「ユウト様!?」
三つ編みを振り乱し、悲鳴のように名を呼ぶ。
だが、彼は振り向かない。
「まったく。運が良いのか、悪いのか」
まだ持続時間の最中だった《遠距離飛行》で赤竜を迎え撃とうとしながら、またしてもユウトは口の端を微妙に歪ませる。
見方は色々あるだろうが、最も不幸なのはあのドラゴンだ。
身の丈10メートルの赤竜。
人間で言えば、ちょうど成人したところか。
人の体など容易にかみ砕き、その巨大な鈎爪は城壁をも破壊し、吐息はあらゆる者を焼き尽くす。
破壊の象徴。暴力の権化。
――なんの問題もない。
「ガアアアァッッッ」
「《大魔術師の盾》」
吐息攻撃と同時に、呪文書からページを斬り裂いて防御呪文を発動。不可視の障壁が、灼熱の吐息を遮断する。
「さて、この草原を汚すのはしのびないな」
理術呪文は、予めその日に使用する呪文を準備しておかなくてはならない。まず、今日のユウトはこのお見合いのために移動系の呪文を用意していた。
逆に言えば、他の呪文はなにを準備しても構わない。
一年弱に渡る冒険者生活のせいか。それとも、突如として現れるモンスターへの対策にか。攻撃呪文も、準備は怠っていない。
備えあれば憂いなしだ。
「《破壊の領域》」
呪文書を8枚切り裂き、赤竜の周囲を取り囲む。
どんな脅威にさらされようとしているのか分からずとも、包囲から逃れようとするが――その巨体では叶わない。
呪文は完成し、呪文書のページが黒い球体へと変わって赤竜を覆い尽くした。持続時間は一分ほどと短いため、出てこられないわけではない。
ただし、あの内部では純粋な魔力が荒れ狂い、内部にいるものを散々に打ち付けている。その攻撃をしのぎ切れたなら、生きて出られることだろう。
「無事か、デシィ!」
「おじいさま!」
そこに、異変に気づいたハルヴァニ侯が馬に乗って現れる。祖父と孫の抱擁を視界に収めながら、ユウトは《破壊の領域》を見つめ続ける。
プロとアマチュアほど実力差はあったが、必ず勝利するとも限らない。その心配は尤もだったが、杞憂でもあった。
持続時間が過ぎて《破壊の領域》が消え去ると、同時に赤竜だったものが草原へ落下する。鱗は貫かれ、肉は焼けただれ、原形はとどめているものの、見るも無惨な姿だ。
後始末ぐらいは、ハルヴァニ侯に任せて構わないだろう。
そう勝手に仕事を押しつけることにしたユウトは、ゆっくりと地面に下りる。
「ユウト様。ご無事ですか」
「もちろん。そちらも、大丈夫そうですね」
デシデリアと、馬と。そして、ハルヴァニ侯へと視線を巡らせ、ユウトは別れの言葉を口にする。
「それでは、私はお暇します」
「ユウト様……?」
「あのドラゴンは、ただ偶然現れただけみたいですから、特に警戒は必要ないと思います」
ドラゴンなどモンスターの出現が珍しくないとはいえ、理由もなく大量出現もしない。それは、この地に住んでいるハルヴァニ侯も分かっているのだろう。
老将軍はうなずきながら馬から下り、ユウトの手を取った。
「孫娘を守ってくれて感謝する。だが、悪いが、見合いの話はなかったことにさせてもらえないかね」
「まあ、当然でしょう。申し訳ありません、デシデリア様。ご縁がなかったということで」
「なんで、どうして……」
事態の推移についていけず、デシデリアは馬から下りることも忘れて踵を返すユウトを見守ることしかできない。
その彼は振り返ることなく、《瞬間移動》の呪文で姿を消してしまった。
「デシィ、本当は分かっているのだろう? 彼と一緒にいるには、あれくらい軽くできなければならないのだよ」
一年後には、故郷に帰るということよりも、それがなにより重要なのだ。
英雄は、必ず危難とともにある。
それを乗り越える力がなければ、伴侶たり得ない。
デシデリアは、祖父の言葉には答えず。
ただ、唇を強く噛んで、ユウトが消えた方向を見つめていた。
「ユウトは貴族にならないのー?」
「……なるわけないだろ」
大切な友人――面と向かって言うことはないが――であるラーシアの問いに、ユウトは鶏胸肉のパイを飲み込んでから、ぶっきらぼうに答えた。
昼に食べた料理も充分に満足いくものだったが、どういうわけか、今のほうが美味い。
ハルヴァニ侯の荘園から戻ったユウトは、とある酒場の個室で仲間たちと夕食を摂っていた。
「これは、ヴァルとアルシア姐さんへのお土産に包んでいこうか」
「多めに持って帰るべき」
「一緒に食うつもりか? ヨナは、ここでちゃんと食べていくように」
「家に帰ってから、ちょっとつまむのが美味しい」
といっても、ヴァルトルーデとアルシアは伯爵への叙爵――冒険者を伯爵にするなど前例がなかったため、断絶した家を再興して与えるらしい――に関する説明や手続きのため不在。
それ以外の四人で、集まっているところだった。
「やはり、故郷へ戻るのか」
「それもあるし、貴族になってどうするの?」
その根本的な疑問に、岩巨人の蛮族戦士エグザイルは答える言葉を持たない。
「まあ、それもそうだな」
あっさりと追及を放棄し、スパイスがよく利いたスペアリブにかぶりつき、その脂を強い酒で流し込む。
ここは、冒険者として王都を拠点にしていた頃からひいきにしていた店でもある。
酒の品揃えも、料理の質もユウトが満足するほど。最上級というわけではないが、格式張って好きに飲み食いできない店などより、評価は余程高い。
「えー。貴族だよ? なんかでっかい屋敷に住んで、働きもせず一日を漫然と過ごして、良いもの食べて美味い酒を飲んで、たまに狩猟とかして過ごして、税金を搾取するの」
「別に、貴族にならなくても、それくらいやれるだろ。あと、重税を前提にするのはやめろ」
「そうだけど、ユウトには夢がないよね。それと、重税を課して反乱が起こるところまでが貴族じゃないの?」
「もしそれがこの世界のスタンダードだったら、ヴァルを説得しにいくよ」
パイの取り皿に残った脂をパンですくいつつ、ユウトは言った。日本で食べていた頃の料理には様々な面で及ぶべくもないが、不満もない。
ただ、衛生面で生水に不安があるため普段はワインなどで水分を摂らなくてはならないのは、この世界に来て一年経った今でも慣れなかった。
「じゃあ、ユウトは故郷に戻るまでなにをする?」
「そうだな……」
アルビノの少女からの問いに、ユウトは口を閉ざす。店もユウトたちの金払いが良いことは熟知しており、良いものしか出してこない。
だから、言葉を濁したのはワインが口に合わなかったためではなく、ただ単に決めかねていたから。
「ダンジョンにこもってばっかりで、あんまりこの世界のことを見て回ってないから旅に出るかな」
「あれ? ヴァルと一緒にいないの?」
「なぜそうなる」
素直じゃないなーと言いたげにイヤラシイ笑みを浮かべるラーシアへ、きつい視線を送る。
「まったく、素直じゃないなー」
「なにがだよ」
「だいじょうぶ。ユウトは、こっちと一緒だから」
「それは甘いよ、ヨナ。ユウトは、ボクたちと一緒に『忘却の大地』へ行くことになるね」
「そうなのか? じゃあ、しばらくは一緒だな」
「俺の進路が、勝手に決まっていくんだけど」
ヨナは、ヴァルトルーデやアルシアとともに、下賜される領地へ赴くことになっていた。一方、ラーシアとエグザイルの二人は、このブルーワーズを離れ、並行に存在する他の物質界へ旅立つのだという。
「『忘却の大地』なんて行ったら、オベリスクの魔力が溜まるまでに帰ってこられないかも知れないだろ」
「ええー? ボクらの友情はそんなものだったの?」
「そんなものだった」
「なぜ、ヨナが答えるのかな?」
特に訂正することでもないので、ユウトも沈黙を守る。代わりに、川魚のスープで汚れたヨナの口の周りを拭いてやる。
「ラーシアは、ユウトが大好きだな」
「違うし。一人で旅なんかに行かせたら、その先々で女の子といい感じになって、ボクが悔しいだけだし」
「私怨かよ。あと、そんなイベントが起きるわけないだろ」
なにしろ、このブルーワーズに転移して一年間。そんな事件が起こった試しはない。
――そう、ユウトは思っている。
「確かに、それは心配だな……」
「ようし。エグザイルのおっさん、そこは否定しようか」
「というわけで、ユウトの面倒はアルシアたちと一緒に見るから」
「そっかー。ざんねんだなー」
「なんで俺の取り合いみたいになってるんだよ。あと、棒読みやめろ」
しかし、言われて思い知ったが、〝虚無の帳〟と戦ったあとのプランがなにもなかった。
「金がありすぎるってのも、問題だな」
働く意味が無ければ、時間を持て余すだけ。そして、この世界にはずっと引きこもっていられるような娯楽もない。
「大人しく、ヴァルと一緒に領地経営しちゃいなよ」
「それもなぁ……」
「なにが問題なのさ?」
「頼まれてもないのに押しかけるって、普通に迷惑だろ?」
周囲が沈黙に包まれた。
その意外すぎる言葉に、誰も彼もが二の句を継げない。
「……ユウトって、たまにバカだよね」
「さすがに、擁護できん」
「でも、ヴァルもおんなじ」
「そっかー。それもそうだね」
「よく分からないけど、非難されてるのは分かった」
不愉快だと頬を膨らませ、ユウトはパンを食い千切った。硬くて、塩味しかしない。飲み込むのも一苦労だが、今は逆に都合が良かった。
「なんのために、綺麗なおねーちゃんの求婚を蹴って帰ってきたのさ。これがバカじゃなければ、誰がバカなのさ」
「ほう。なんで、デシデリアさんが綺麗だって知っているのかな?」
「……貴族のお嬢さんなんて、みんな美人でしょ? そうなんでしょ? そうなんでしょでしょ?」
「ミラー・オブ・ファーフロムで、ちょっと見てた」
「味方に撃たれたよ!?」
「ヨナだからなぁ……」
とりあえず、これで覗き見は不問に付すことにした。元々、特に怒ってはいないし、なにより、ヴァルトルーデには見られていないだろうから。
「まあ、なんだ。オレたちがとやかく言うことでもないが、一度、ヴァルトルーデと相談してみるべきではないか?」
そのエグザイルの正論には、うなずくことしかできない。
しかし。
先に王都の家に帰っていたヴァルトルーデとアルシアは、部屋にこもってなにか相談の真っ最中。
出鼻を挫かれたユウトは、結局、なにも言えずにベッドに入った。
翌朝も、同じ。頭を押さえながら自室から出てきたヴァルトルーデには、軽い声しかかけることができない。
「ヴァル子、二日酔いか?」
「そうではないのだが……ユウトには言えぬ」
その後は、彼らの勝利をたたえる宮中舞踏会の準備もあり、なにも言えないまま、その夜を迎えることになった。
大きく運命を変えることになる、その夜を。
It continues to a prologue.
書籍版も是非お手に取ってみて下さい。よろしくお願いします。
それから、書籍版はあとがきがないので、本日中に活動報告であとがき(のようなもの)を掲載予定です。
よろしければ、書籍版の感想はそちらのコメントにお願いします。




