11.王位継承(前)
「相変わらずというか、パターンを破壊することに命懸けてるわね」
ちゃぶ台か、それとも将棋盤なのか。アカネの中のイメージは不明だが、なにかをひっくり返すような動作とともに、事の顛末を聞いた彼女はそんな感想を口にする。
婚約者同士が二人そろってベッドの上に座っている状況でする話ではないような気もするが、これはこれで満足だった。
「普通は、悪いヤツが王子様の結婚式とかパレードとかに乗り込んでくるのを退治するもんじゃないの?」
「なんで、わざわざそんな危ない橋を渡らなくちゃいけないんだ」
女帝ヴェルガの居城から五体満足に帰還を果たした大魔術師は、幼なじみの少女への説明を終えると、ベッドの上に体を投げ出した。
王都セジュールにある、冒険者時代に購入した邸宅。
以前は単なる冒険の拠点でしかなかったそこは、ヴァルトルーデの叙爵に伴い、イスタス侯爵家の出先機関となっている。
アルサス王子とユーディットの結婚式の衣装係兼特別調理人として働くことになったアカネも、しばらくはここを拠点にする予定だった。
「まあ、私の出番が来る前に片付けたかったんでしょうけど」
「そんなことは、ないけどな」
戦う力がないから遠ざけられるのは仕方がないが、その後まで仲間外れは寂しい。そういう意味では、事後報告でも嬉しかった。
ユウトは、かなり複雑な様子だったけれど。
彼としてはもちろん、アルサス王子のために動いたというのが第一義である。ただ、それだけではないのが、困りものだ。
しかも、アカネのためというのが大きなウェイトを占めていたことは――できれば秘密にしたかった。
悪いことをしているわけではないが、恥ずかしい。
「それにしても、あの女帝さんがあっさり帰してくれるとはね……」
「逆よりはいいだろ」
「そうだけど。ただより高いものはないとも言うわよ」
「分かってるよ」
少なくとも、来月フォリオ=フォリナで会う時――デートと表現するには、心理的障壁がある――に、強く出られないだろうことは容易に想像できた。
「それだけじゃないんだけど」
「……ヴァルも、なんか歯切れが悪かったな」
よく分からないとつぶやいて、ユウトはベッドの上を転がる。そんな幼なじみを横目で見ながら、アカネはヴェルガの変化について考えていたが……。
「まあ、いいわ」
これ以上は考えても無駄と、アカネもベッドに倒れこんだ。結局、ユウトに任せるしかないのだ。
残念ながら、この家にアカネの私室はない。だからユウトの部屋にいるのだが、その点に関しては不満はまったくなかった。
「それより、よくもデジカメを持ち出してくれたわね」
「あれ、決定的な証拠になったんだけど」
デジタルビデオカメラの原理はともかく、映像と音声を保存できるという機能は主立った貴族たちには理解をしてもらえた。
もっとも、大賢者ヴァイナマリネン所蔵の貴重な魔法具という認識だが。
そこはかとなく納得いかないものの、そこに拘泥しても仕方がない。
それを証拠にしてマルヴァト公を断罪。しかし、マルヴァト公爵家は王家になにかあった際のバックアップという役割もあるため潰すわけにはいかない。
爵位は当面アルサス王子――もうすぐ王になるのだが――が兼ね、適当な王族に継がせる予定だという。
そのマルヴァト公爵家だが、今頃、領地に乗り込んだヴァルトルーデとヨナが残党を殲滅しているはずだ。
それが終われば、どの程度汚染されていたかはまだ判明していないが、王都から書記官ら官僚たちが派遣され統治されることになる。
それもあって、バルドゥル辺境伯家への処分は比較的軽いものとなった。潰すのは簡単だが、後の統治が困難だ。つまり、どこも人手が足りない。身につまされるし、世知辛い話だ。
それに、有力貴族がふたつも処断されるのは、慶事にも水を差す。
結局、バルドゥル辺境伯は、マルヴァト公――ダーク・クロウラーに操られたための蜂起と情状酌量され、投獄もされなかった。
ただし、王都の屋敷から出ることは許されず、そのまま朽ち果てていくことだろう。
家督は、ユウトと決闘をした嫡男ではなく、分家から適当な人材を探し出して継がせるようだ。手回しの良さからすると、ある程度は想定して動いていたらしい。
とにかく、国内の不満分子は排除された。
反アルサス王子派やヴェルガ帝国への恭順派――後者は、表立って名乗っているわけではないが――も、こぞって新王へ頭を垂れることだろう。
チャールトン三世の引退と、アルサス王子の即位を祝うに、ふさわしい結果となった。
「証拠とかなんとか、政治の話はどうでもいいのよ」
けれど、アカネは渋面を浮かべている。
二人して寝っ転がったまま視線を合わせ、色気をどこかへ忘れたような声を出す。
「ユーディット様から、結婚式を撮影してって言われてるのよ……」
「微笑ましいな」
「それで私の仕事が増えなければね」
操作なんか誰にでもできる――というのは、文明人のエゴだ。
見たことも触ったこともない機器、しかも大賢者秘蔵の品を操作できる人間もしたい人間もいるはずがない。
地球からの来訪者という例外を除いては。
真名を早めにこちらへ呼ぶべきだったか。いや、彼女をカメラマン扱いするわけにもいかない。それに、ユウトも叙爵されたため、式を放り出してカメラ係を拝命するわけにもいかなかった。
「どちらにしろ、朱音の苦労が増える運命だったんじゃないだろうか」
「たまに自分以外が苦労すると、生き生きするわね」
「気のせいだろう」
白々しくそう言い、目を合わせて笑う。
それだけで、ささくれ立った心が癒されていく。
「さて、明日からもがんばりましょうか」
アカネが手を使わずにベッドから上半身を起こす。
衣装も料理も、自分の手に余る仕事だという認識は、今も変わらない。
けれど、ユーディットから強く求められているのだ。友人――と言って良いのか分からないが――のためならば、精一杯頑張らなければならない。
たとえ、撮影が終わった直後に披露宴の料理の最終確認が必要だとしてもだ。
「アルサス・ロートシルトは、永遠の勝者たるヘレノニアに、我が愛の永遠を誓う」
「ユーディット・マレミアスも、永遠の勝者たるヘレノニアに、我が愛の永遠を誓います」
壁に彫られたヘレノニア神の聖印と、その前に立つ聖堂騎士へひざまずき首を垂れる二人。
誓いの言葉にしては、やや雄々しい言上だが、“常勝”ヘレノニアにはふさわしい。また、壇上の二人にとっては、どのような言葉であろうと念願が叶った瞬間であることには変わりがなかった。
「ヘレノニア神は、忠実な僕であるアルサス・ロートシルト並びにユーディット・マレミアスの言葉を聞き届けられた。神は、決して二人を見捨てることはない。二人もまた、神を裏切ってはならない」
それを祝福するのが、神々しいヘレノニアの聖女であればなおさら。
ロートシルト王国、王都セジュールのヘレノニア神殿。
それはつまり、ブルーワーズで最も権威と格式が高いヘレノニア神殿ということでもある。
数百人は同時に収容可能な神殿は、王侯貴族や高位聖職者や有力商人、国外からの招待客など、綺羅星のごとき来賓でいっぱいになっている。
そんな中、魔法具――という建前で――撮影をしているアカネは場違い極まりない。
だが、堂々としていると案外怪しまれないものだ。
(ここだけですでに、世界遺産っぽいわよね)
質実剛健と豪華絢爛をぎりぎりのところで調和させた神殿。白亜の壁には目立たないよう彫刻が施され、ステンドグラスも華美にならないようにしている。
全体的な色使いは大人しく、しかし、暗さはない。
結果として、荘厳な神殿が出来上がった。
けれども、やはり一番美しいのは新郎新婦に違いない。
早くから要望を受け、作り上げたユーディットのウェディングドレス。純白のドレスを彩るレースは、すべてがではないが、花嫁自身で編み上げたものだ。
スカートは長く、床を覆い隠すほど。その一方、肩はむき出しになっており、貞淑さの中にもほのかに香る艶やかさがある。
このドレスが完成したとき、そして身につけたとき。ユーディットは感動のあまり涙を流していた。
(うんうん。これはばっちりだわ)
余計な感想が録音されないよう、心の中で自己満足に浸るアカネ。制作に携わったという贔屓目もあるだろうが、今日の花嫁は祝福するヴァルトルーデにも負けていない。
良識派を自認する者は眉をひそめ、令嬢たちは羨望のまなざしを送っている。ただし、前者の人々も彼女の美しさを否定することはできないのだから。
その一方、アルサス王子の衣装はかなりの突貫工事だった。
彼自身にこだわりがなく、はなはだ非協力的だったのが要因のひとつであろう。世の男の常は、王子も例外とはしなかったのだ。
そのため、最終的には、アカネが独断で決定し、ユーディットからもゴーサインが出た軍服もどきを着せることにした。
黒をベースに所々白いラインが入った上着は、ぴっちりと包み込むように王子の肢体を覆っている。大きな飾りボタンや肩から伸びる金糸の飾緒は、このブルーワーズには存在しないもの。
まだ少年とも言える容姿のアルサス王子が身につけると、美と芸術の女神からデータの提出を求められそうな妖しい魅力がある。
どちらも、伝統に真っ向から刃向かったかのような結婚衣装。
しかし、それが、新たな時代の訪れを列席者に想像させた。
「では、アルサス・ロートシルト。“常勝”ヘレノニアの代理人として、汝を新たなる王と認めることを、ここに宣言する」
この時ばかりは、ヴァルトルーデが主役だ。
仮にも臣下である彼女が儀式を執り行うことに、反対意見は多かった。それに、彼女も司祭位は持っているがより上位の司教、大司教らが存在する王都の本神殿で、それを差し置いて表に出るのはどうなのか。
様々な雑音はあったが、王家はそれを封殺した。
イスタス侯爵家がアルサス王最大の協力者であり、後ろ盾となったのは、その時だろう。
それとは別に、この模様を見ればヴァルトルーデに儀式を任せた判断が正しかったということが、誰の目にも分かる。
それほどに、息を飲むほど美しく。呼吸を忘れるほど、見入ってしまう。
一応、ユウトも彼女の介添えとして儀式に参加しており、しっかり映像に映っている。だが、残念なことに添え物でしかない。
とはいえ、見た目で好きになったわけではないし、あの美男美女だけの空間にいられるだけで尊敬する。
「異議ある者は、疾く述べよ!」
攻撃的な物言いに、しかし、声を上げる者は誰一人としていなかった。
当然だ。形式的な問いに過ぎない。
だが、もし存在したならば、アルサスは実力でそれに立ち向かっただろう。
「神も人も、皆が汝の戴冠を認めた。ここに、祝福を授ける」
アルサス王子の背に、討魔神剣の刀身を当てる。
同時に、その体に刻まれた、ヘレノニアの印が反応した。
眩いばかりの光が神殿内を包む。
それは不思議と暖かく、まさに新たな王の治世を祝福するかのよう。
「ロートシルト王国の新たなる王、アルサスだ。我が意は神意とともにあり。余は皆に、正義を奉じ、仕えることを望む!」
万雷の拍手が鳴り響いた。
音が物理的な圧力すら伴って、会場を支配する。
涙を流す者、惚ける者、油断できぬと自国への報告を組み立てる者。
反応は様々だったが、思いはひとつ。
誰一人として、アルサス王の資質に疑問を持つ者はなかった。




