10.予想外の帰還
「ユウト!」
「済まない。こっちの状況は……」
瞬間移動で、マルヴァト公爵の屋敷へと戻ったユウト。
大陸の半分を縦断するような大移動を終えた彼を迎えたのは、累々と積み重ねられた公爵家の使用人たちだった。
ユウトがヴェルガの居城から戻った時、すでにすべては終わっていた。
マルヴァト公爵を騙っていたダーク・クロウラーはヴァルトルーデにより成敗され、ダーク・サーヴァントも超能力で精神操作された被害者も行動の自由を失わされていた。
「一人たりとも、殺してはいないぞ?」
「分かってるって」
いきなり黙ってしまったため不安になったのだろう。
聖堂騎士らしからぬ自己弁護の言葉が出るが、心細そうな彼女の表情は珍しいものだったので、なんの問題もない。
すぐに戻れたため、ヴァルトルーデがこの場にいたのは運が良かった。
ヴァイナマリネンにまで出馬されたら、更になにを請求されるか分かったものではない。
「ヴェルガ帝国へ飛んだというのは、嘘だったのか? だが、確かに……」
「いや、本当だけど……。詳しくは、後で話すよ」
「私が油断したせいで、済まぬ……」
「まあ、それは俺も同じだし」
「とにかく、無事でなによりだ……」
目に涙を溜めた聖堂騎士が、やや覚束無い足取りで近づき、最愛の人の胸へ倒れ込む。そのまま背中へ手を回し、彼の胸板で額を擦るようにしてから、本物だと確信したのか、一歩だけ離れた。
ユウトも同じことをしたいところだったが、そうもいかない。
「とりあえず、《衝撃の場》を使っておくか」
設置した魔法陣の上に、几帳面にも並べられていたダーク・サーヴァントらを前に、軽く精神集中。
直後に、円形の青い光が発生し、可視化された静電気のように彼らを貫いた。
完全に意識を失ったことで、姿が保てなくなったのか。ダーク・サーヴァントだった者たちが人の姿を失い、ぐずぐずに煮崩れた芋や豆のようになる。
その中で、人の姿を保ったのは人間だったのは10人程度。当然、その中にはユウトの目の前で自害しようとした娘たちも含まれていた。
嘘がばれないようにするには、真実を混ぜておくことが肝要である。
けれど一番良いのは、嘘を吐かないことだ。
方向性は異なるものの、あのダーク・クロウラーは確実な仕込みをしていた。
「これで、一安心か?」
治療が必要な被害者を運び出し、聖堂騎士が神から与えられた治癒の奇跡《手当て》で応急処置を行なっていく。
「ああ。なんとかな」
救える人間は救った。
敵も倒した。
だが、二人の表情は晴れない。
実力で言えば、負けようのない相手だった。
万一のために、ヴァイナマリネンというジョーカーまで用意した。
どこかの武将や将軍を気取ったわけではないが、戦場に立つ前に勝敗を決めていた。筋書き通りの決着だ。
なのに、達成感はほとんどない。
「搦め手で来られるのが、こんなに厄介だったとはな……」
「今までは、そうされないように状況を限定させてたってのもあるかな」
床に転がったデジタルビデオカメラの電源を入り切りし、動作をチェックしながらユウトは半分上の空で返答する。
幸いなことに、きちんと電源も入り録画データも再生可能だった。
『私は、あの御方を、そう。愛しているのです』
『まさかヴェルガを……?』
『私はっ、あの御方に名を呼ばれたことも。否ッ、存在さえ認識されてはいないだろう。なにより、私が、あの御方の名を呼ぶなどおこがましい』
小さな液晶画面で再生される、マルヴァト公がヴェルガ帝国の工作員だったとう決定的な証拠映像。
『だから、私はこの国を欲した! このロートシルト王国であれば、それを手にしたものであれば、あの御方の耳目に入るだろうから』
それは同時に、告白であり。
『私は、あの御方に愛される者になりたいのではない。愛されるようになりたいのだ』
そして、魂の叫びでもあった。
善悪いずれにしろ、その熱量には圧倒される。
そこから先、戦闘が始まってからは置いていたテーブルも倒れてしまい、映像は断片的になる。だが、音声はしっかり入っていた。
早送りでざっと確かめたユウトは、軽く息を吐いてデジタルビデオカメラの電源を切る。それを待っていたかのように、ヴァルトルーデが近づいてきた。
「ユウト、今回の件は確かに終わった。そうだな?」
「そうだ。まだカードがあったら、とっくに切ってるだろうな」
「では、なぜだ? 私はなぜこんなにもすっきりとしない」
今までも、正面からぶつかり合う敵だけを相手にしていたわけではない。
ジーグアルト・クリューウィングは自らの欲望を優先する愉快犯に近かったし、〝虚無の帳〟にも、罪の無いものを人質とするような輩がいた。
だが、今回は、それらとは根本的に異なる。
それが分かっているが、言語化できない。それでヘレノニアの聖女は苦しんでいた。
けれど、清廉潔白な。どこまでも正しい彼女が理解できないのは当然だ。いや、ユウトだって、正しく相手の気持ちを汲み取っているなど、言うつもりはない。
「価値観が違った。もっと狭めて言えば、勝利条件が俺たちとは違ったんだ。俺たちは、当然、生き残って相手の意図を挫くことが目的だろう? だけど、彼にとっては自分の命ですら、もっと大きななにかを達成するための道具でしかなかったわけだ」
ヴェルガは知っていた、あのダーク・クロウラーの名。ユウトも憶えているが、悪の半神以外の誰かが口にするのは間違っている気がした。
「そうか……」
ヴァルトルーデは理解した。
理解できぬものであるということを、理解した。
そして、理解はできぬまでも、敬意を払うべきであろうことも。
「《聖焔》」
聖堂騎士だけが使用できる、神術呪文《聖焔》。
ヴァルトルーデがそれを発動すると同時に、討魔神剣が聖なる炎に包まれる。
「せめて、その魂に平安が訪れんことを」
このブルーワーズでは、死後の世界が実在する。
大抵は、審判の果てに善・悪いずれかの天上に迎えられ次の誕生を待つことになる。だが、奈落に囚われ、永遠の責め苦を受ける者もいる。
それは生前悪魔と契約を結んだ者であり、邪悪な儀式に魂を捧げられた者であり、そして悪魔自身だ。
ダーク・クロウラーもダーク・サーヴァントも、その魂は奈落に迎えられるはず。
だから、その浄化にどれほどの効果があるかは分からない。
それでも敬意の表れとして、ヴァルトルーデは討魔神剣に宿した聖なる炎でその肉体――ペースト状のそれがそう言えるならだが――を浄化する。
神の奇跡により生み出された魔法の炎は、邪悪なる者のみを焼き尽くし、しばらくしてそれごと消え失せた。
「ところで、ユウト」
「なんだ?」
二人してその光景を見つめていたのに、今はお互いを見つめ合っている。
ただし、ヴァルトルーデのアイスブルーの瞳に宿る色合いは、艶めかしさよりも剣呑さが勝っている。
「この指輪のお陰で、ユウトがヴェルガの居城へ瞬間移動したのは分かったのだが……」
「どうして、こんなにすぐに戻ってこられたかって?」
「うむ。それ自体は喜ばしいが……」
不思議だ。
なにかあるのではないかと勘ぐってしまう。
(まあ、普通そうだよな)
ユウト自身、逆の立場だったらなんらかの陰謀を疑うに違いない。
「ただ、普通に行って帰ってきた」
「……なるほど」
それでも、ヴァルトルーデなら本当だと分かるはず。
そう思って事実をありのままに告げたところ、意外にも彼女はあっさりとそれを受け入れた。
「それだけで良いの?」
「できれば、詳しい話も聞きたいところだが、大体のところは分かった」
聖堂騎士は、極めて平静。完全に落ち着き払っている。
「まあ別に隠すようなことじゃないしな」
それに、驚くようなイベントがあったわけではない。
「いきなり《瞬間移動》してきた理由を説明して、帰るって言ったら、特に妨害もされなかった。最悪、地の宝珠を使ってでも逃げ出すつもりだったんだけどな」
それだけ。
本当に、これだけだ。
とはいえ、ヴァルトルーデたちからすると、浮気相手の家に行って――しかも、あのヴェルガだ――それだけで済むはずがないと考えるのも当前。
だが、今度もヘレノニアの聖女はあっさりとその説明を受け入れた。
「あの宝珠を使わなかったのは、幸いだったな」
「まあ、俺も好きこのんで竜人になりたいわけじゃ――」
「そういう意味ではない。いや、それもあるが、更に力を見せたら、相手からの執着が強くなるだけだぞ」
「それは確かに……」
妥協案として、ヴェルガ帝国でもロートシルト王国でもない東方を、二人の愛の巣にしようなどと言い出しかねない。
「だいたい、事情は理解した」
「え? 今ので分かったのか?」
「分からないはずが、ないだろう」
少し頬を膨らませて不機嫌そうに。だが、口調は穏やかにヴァルトルーデは言った。
「ある一点のみに関しては、私もあの女も同じなのだからな」
「そう……なのか?」
悪の半神であり、同時に悪の帝国を統べる女帝。
ヘレノニア神から剣を賜り、世界を救った英雄。
そんな善と悪を代表する二人に、共通点など――あった。
「それ、メチャメチャ恥ずかしいんだけど」
気づいてしまったユウトは、思わず天井を見る。ダーク・クロウラーにより穴を空けられた天井。なにもないが、婚約者の顔を正面から見ることもできない。
「それは私も一緒だっ」
一方、ヴァルトルーデは下を向いた。
ユウトのことを見ることはできないが、後ろを向きたくもない。
後に二大貴族の乱と歴史書に記される大事件は、こうして幕を下ろすこととなった。




