9.予期せぬ邂逅
「まさか、かように早く会えるとは。しかも、婿殿から来てくれるとは思わなんだ」
聞く者の思考を蕩けさせる、淫靡な声が響く。
予期していたものの歓迎できない事態に、ユウトの返答が一拍遅れた。
「一方的に押しかけて悪いが、俺の意思で来たわけじゃないんだ」
「ほう。なかなか面白そうな話ではないか」
だが、燃えるような赤毛の女帝は気分を害した様子もなく、乙女のように、それでいて淫猥に微笑む。
「重ねて悪いが、長居するつもりもないんだ」
「これはつれなきことよ」
ブルーワーズで最も北に位置する宮殿。
その玉座の間で、ユウトはヴェルガと再会を果たした。
「時折、天上から天使が妾の命を狙ってくることがあっての。他の場所に来られるのも面倒ゆえ、ここのみは、《瞬間移動》への対策を取っておらぬ。今回は、それが奏功したようじゃな」
「感謝すればいいのかどうなのか、微妙なところだ」
「さて、婿殿。妾の誘いへの返書を携えて来てくれた――というわけでもなさそうじゃな」
「それなら、事前に約束ぐらい取り付けるさ」
それに、デートのお誘いなら、出席に丸をつけて外交ルートで返信済みだ。
「ちょっとへまをしちまってな」
「ほう。それは、やはり興をそそられるのぅ」
「……そうだな」
長居をするつもりがないのは事実だが、この状況で説明もなにもなしというのは義理を欠く――というよりは、ただの変な人だ。
「ただし、面白い話じゃなくても、文句はなしだ」
「そのように予防線を張るのが、実に婿殿らしいの」
内容など関係ない。ただ、望外の再会を楽しみたい。
そう言って、赤毛の女帝は淫蕩に笑った。
二人の距離は、5メートルほど。
ヴェルガは玉座から動かず。そして、誰も呼ぼうとはせず。ユウトも、それ以上近付きも離れもしない。
まるで、それが今の限界だと言わんばかりだ。
「しかし、どこから話せば良いのか」
仮にも、相手は敵国の女帝。
ロートシルト王国の御家騒動の顛末など、素直に説明して良いものか。
「いや、良くねえよな。となると……」
ユウトは玉座の間を意味もなく見回し、天井に目をやって考えをまとめる。
そんな彼の様子を、目を細めて悪の半神は眺めていた。
「ロートシルト王国に潜入したそっちの工作員――ダーク・クロウラーを排除しようとしたら、逆に行動を操られて、無理やりここにくることになった」
つまり、話せるのはこの程度。
「ふむ。確かに、婿殿の口が重たくなるのも道理よの。しかし、ダーク・クロウラー……」
ユウトの話を聞いていたヴェルガが、唇の周囲を指でなぞる。
ダーク・クロウラーの存在に心当たりがあったのか、少しの沈黙のあと、ユウトへ聞き返す。
「妾が直接命をくだしたわけではないが、シェレイロンから報告を受けた記憶があるわ」
シェレイロン・ラテタル。ヴェルガ帝国を支えるダークエルフの宰相。彼が、嫌がるヴェルガへ統治者の義務だと、そんな工作の報告をしたのは、何年か、あるいは何十年前か。
その記憶をたどる仕草は、それだけで欲望を刺激するに余りある。
「確か、そのダーク・クロウラーはジャーンザザと言うたか? 名乗らなんだのかえ?」
「……ああ」
初めて聞くその名。
聞こうとすらしなかったことに、わずかな罪悪感が胸に突き刺さった。
「認めるわけにはいかないが、まあ、俺たちを出し抜いたのは確かだな」
「ふむ。婿殿がほめるとはの」
感心をするヴェルガだが、それはユウトを通しての興味でしかない。
「しかし、婿殿の裏をかいたのは見事であるが、それだけでどうにかなるとも思えぬな」
また、名前は憶えていても、ロートシルト王国への工作に執着も期待もしておらず、ユウトの態度を見れば、失敗していることは容易に想像できた。
「ああ。あとのことは、ヴァルに任せてきた」
「……左様か」
ヘレノニア神に仕える聖堂騎士の名前を聞いて、赤毛の女帝から珍しく微笑が消える。
代わりに浮かんだのは、嫉妬か、羨望か。それとも別のなにかか。
けれど、それも一瞬。
すぐにいつもの淫らな笑顔を浮かべると、誘うような視線と声でユウトへ語りかける。
「事情は、だいたい分かった……としようかの」
「それはありがたい」
さあ、これからが本番だとユウトは気を引き締める。
心ならずも、敵の本拠地に飛び込んでしまった。この時点で、不利は否めない。
かつて存在した秩序の守護者の集団、白銀の腕。その指導者である大魔術師オーグマーは、同志たちを悪の巣窟、それも敵のただ中へ送り込み殲滅させるという戦術を得意としていたらしいが、今のユウトとはまったく別の話。
状況は、孤立無援。救援は期待しないほうが良いだろう。
ヴァルトルーデがあのダーク・クロウラー ――ジャーンザザを打ち倒すのは確実にしても、《衝撃の場》を起動させることができない以上、ダーク・サーヴァントを無力化するのも一苦労。
そこからヴァイナマリネンに助力を頼んでは、いつになることか分からない。
独力で、この場を切り抜ける必要がある。
そして、実のところ方法はあった。
それは極めてシンプルだ。
《瞬間移動》は、まだ呪文書に残っている。
それをいきなり使用するのは難しいだろうが、《時間停止》を発動してからであれば余裕を持って使えるだろう。
問題は、相手がそれを許してくれるかどうか。
(許しちゃくれないだろうなぁ)
それほど甘くない。
それに、自分のどこが良いのか分からないが、前回ここを訪れた時は理性とか尊厳とか、そういったものを一切合切なかったことにして。
さらに恋人とか夫婦とかそんな段階も軽く飛び越えて、いきなり子供をねだられた。
思い出すだけで、思わず背筋に悪寒が走る。
将来的に、そういうことになるのであろう漠然とした予感はある。
だがそれはヴェルガが相手ではないし、日本では成人式も迎えていないユウトには簡単に受け入れられるものでもなかった。
そんな個人的な事情の他に、もうひとつ。
だが、ここで頑張らなければ、善と悪の決戦が始まりかねない。それは、避けねばならなかった。
「というわけで、帰らせてくれたりすると嬉しいのだけど」
「……まあ、仕方のない話であろうの」
「そうだよな、それは……え?」
あまりにも軽く、あまりにも予想外。
聞き間違いかと、ユウトは目を丸くする。
「くふふ。婿殿のその表情、ぞくぞくするのぅ」
「女帝ともあろう御方にからかわれるとは思わなかったもんでな」
「その負けず嫌いなところも、愛おしいわ」
「……やめてくれ」
真っ正面からぶつけられる好意に、ユウトは思わず後退る。
決して受け入れられるものではないが、彼だって感情のある人間だ。心の琴線には触れずとも、まったくの無感動ではいられない。
それが分かって女帝も満足したのか、純真で淫靡な表情を浮かべながら、燃えるような赤毛を指でもてあそぶ。
それは、猫が獲物をいたぶるようでもあったし、好きな子をいじめて喜ぶ子供のようでもあった。
無垢で、残酷。
「もちろん、婿殿が残ってくれるというのであれば大歓迎であるが――」
「そのつもりはない」
これ以上、いじられるのはたまらない。
ユウトは真顔で完全に拒絶する。そこに、妥協の余地はない。
「――であろうから、無理強いはできぬ」
きっぱりとした辞退に苦笑しつつ、ヴェルガは続ける。
「それにの、妾は楽しみにしておるのよ」
「楽しみに?」
なにが? とは、聞かない。聞くまでもない。
ユウトとのデートがに決まっている。
「なにを着ていくか、なにを話すか、どこへ行くか。それを想像するだけで、心が弾む。まったく、妾自身も戸惑う程よ」
完全に恋する乙女の口調で、赤毛の女帝は言いつのった。
この時ばかりは常の淫猥さは消え去り、純粋な恋心だけしか見えない。
「…………」
ユウトは答えない。
答える言葉を持たない。
心が揺れ動かなかったのは、ヴェルガからのラブレターを受け取った時、アカネたちに言い含められていたからだろう。
「ゆえに、妾は我慢する」
「……分かった。もう返事は送っているが、フォリオ=ファリナで会おう」
今までの彼女であれば、油断をさせておいて別れ際に唇を奪うぐらいしていたかもしれない。
けれど、それもしなかった。
ただ静かに、呪文書を取り出してページを切り裂くユウトを見つめる。
「《瞬間移動》」
安堵と、それを覆い尽くすほどの迷いを胸に。
それでも、手順を違えることなく、ユウトは確実に呪文を発動させた。
行き先は、マルヴァト公の屋敷。ヴァルトルーデの下。
愛する者が光に飲まれて消える様を、赤毛の女帝はただ静かに見つめる。
消え去っても、虚空に視線を固定する。
だが、言葉はなにも発しない。
やがて、玉座の主はまぶたを閉じて濡れた瞳を内に隠し、そのまままどろみへと移行した。
どのような夢を見ているのか。
それは、誰にもうかがい知れない。
昨日はお休みしてしまい、申し訳ありませんでした。
にも関わらずやや短めですが、ヴェルガ様の出番が長くなったための分割ですのでご容赦ください。




