6.反省会
「反省することなど、なにひとつないな」
王都にある自宅に戻ったヴァルトルーデが、胸を張ってそう言い切った。
自信満々というよりは、それが当然。春の次には夏が来るのと同じだと言わんばかりだ。
マルヴァト公への問いかけも、その後ユウトを呼び出したことも、なにひとつとして恥じる行為ではない。
「それじゃ、反省会にならないだろ」
自宅のリビングとでも言うべき場所に二人。彼女が伯爵に任じられ領地経営を行うとなったとき、地図を広げて仲間たちとあれこれと語り合った部屋だ。
あれから二年弱。
侯爵となったヴァルトルーデと、宮廷会議における問題点の洗い出しをしようとし――いきなり頓挫していた。
「では、終わりだな」
「待て待て待て」
魔法銀の鎧を脱いだ彼女は、地球から持ってきたデニム――元はユウトの母の物――と、若草色のチュニックという世界折衷の装い。
なにを着ても似合うのは今さら言うまでもないが、実に無造作で無防備で良いものだとユウトは思う。
そんな彼女をもっと見ていたいからではないが、あわてて引き留める。
「とりあえず、マルヴァト公は黒でいいんだな?」
「私は、確信している」
中身が入れ替わっているのか、それともマルヴァト公自身が悪の信徒になったのか。それは分からないが、善の存在ではないと、改めて断言した。
あとは、ヴァルトルーデとあの骸骨に薄皮を張ったような男のどちらを信じるか。
答えは決まっていた。
「まずは、証拠が必要だな」
彼女の証言だけで処分などできないし、アルサス王子即位の正当性に瑕疵を生じさせるわけにもいかない。受け身にはなるが、向こうから手を出してもらったところを返り討ちにするのが理想か。
最悪なのは、このままアルサス王子の戴冠には異議を唱えず、後々獅子心中の虫になられること。そうなれば、最も厄介なタイミングで横槍を入れてくるにちがいない。
「それで、バルドゥル辺境伯を煽りまくったわけだ。あのおっさん、孤軍奮闘だったしな」
ユウトは足を組み直し、背もたれに体を預ける。
どうしても、彼に対しては当たりが強くなってしまう。私情を挟みすぎだとは思っているが、どうしようもない。
それでも、ユウトは頭を振って辺境伯のことを一時的に追いやった。
問題は、マルヴァト公だ。
彼を追及する証拠は、聖堂騎士の悪を識別する直感しかない。相手が認めればともかく、それだけで断罪することは不可能だ。
理術呪文の中には嘘を感知するものも存在するが――それを使用した術者が誠実であることを誰が保証するのかという問題もあり、公的な証拠とはならない。
逆よりも、よほど健全だ。
この点に関して、異議を唱えるつもりはない。
「煽る? なんの話だ?」
ユウトの邪悪な称賛に、柳眉をしかめる。正しいことを堂々と主張しただけ。彼女に、バルドゥル辺境伯を追いつめた自覚はなかった。
「うん。ヴァルはそれで良いよ」
「むう……」
「それよりも、遅いな」
「あちらにも、準備があるのだろう」
そろそろ、日も沈む頃。
本来であれば昇爵や叙爵の披露パーティでも行ってしかるべき二人だが、自宅に引きこもっているのにはわけがある。
「ん? 噂をすれば……だな」
ユウトの頭の中で、警報音が鳴り響く。
敷地の外周に張り巡らせておいた第二階梯の理術呪文《警告》が、複数の侵入者の存在を知らせる。物取りや暗殺者ならむしろ歓迎するところだが、残念ながら違った。
「迎えに行ってくるよ」
「頼む」
ユウトが玄関に向かうのと、ドアベルが鳴るのは同時だった。
「遅くなりまして、申し訳ございません」
「いえ。こちらこそ、わざわざご足労をおかけして、恐縮です」
にっこりと、満開を迎えた花のように微笑むのは、ユーディット・マレミアス。
純粋で純真で、それだけで男の心を溶かす蜜のような笑顔。
しかし、ユウトはそれに毒しか感じない。彼女が味方であることを、幸運に思うべきだろう。
「戻ってくださるかしら」
ユーディットに同行してきた、執事とメイドらしい男女に帰宅を命じ、邸内へと足を踏み入れる。従僕たちは恭しく頭を下げると、馬車へと戻っていく。
「陛下と殿下からのお言葉を伝えます」
未来の王妃は、夫と義父のメッセンジャーとしてこの家を訪れていた。もちろん、ユウトが《瞬間移動》の呪文を使用すればチャールトン王も連れてくることはできただろうが、不在に気付かれ勘ぐられることを嫌った結果だ。
ユーディットを中央の部屋のテーブルへと案内し、女主人であるヴァルトルーデと挨拶をかわす。そのまま席に着いた彼女は、正面から二人を見据えて続きを口にする。
「マルヴァト公が真実悪であるならば、排除せねばならぬ」
骨肉相食むことも辞さぬと、王とその後継者は決意した。
その決意が悲壮かどうかは、ユウトには分からない。
特に、アルサス王子などは石化している間に、従弟がはるか年上になってしまったようなもの。そこにどんな感慨があるのか、うかがい知ることもできない。
「また、我らの身を危険にさらすことも辞さぬとも」
「それは……」
「お二人は、自らを囮とせよと仰っているのですわ」
自らの言葉で、哀しげに目を伏せる。長いまつげが揺れ、どうしようもなく庇護欲を刺激する。
「私たちは臣下として、陛下にこのような決意をされたことを恥と思わねばなりませんわ」
そこまでの忠誠心は持ち合わせていないが、確かに、能力不足を指摘されているようなものだ。いくら、神術呪文である程度のリカバリィは利くとはいえ、面白い話ではない。
「まあ、有効だとは思いますが」
「ユウト?」
じろっと、聖堂騎士が大魔術師をにらみつける。非道な行いを、彼女が許すはずもない。
(お姫様に、その護衛の騎士。それで、俺は悪の魔法使いってところかな)
ふと思い浮かんだそんな考えを打ち消して、ユウトは続きを口にした。
「とはいえ、俺も反対です」
ユーディットがほっと胸を撫で下ろした。ウェーブのかかった髪が緩やかに揺れ、見ているこちらにも安堵が伝わってくる。
ヴァルトルーデも、満足そうにうなずいていた。
「最悪の可能性なのですが――」
その直後に続く言葉を聞いて、二人とも驚愕に目を丸くする。
そんなことありえるはずがないと反射的に否定したくなるが、言われてみればその可能性もありえる。いや、次第に、妥当だとすら思えた。
「だから、相手が手を出してから叩くというのは、リスクが高い」
「仰ることは確かに」
ユーディットはユウトの正しさを認めた。
しかし、彼女の表情は曇ったまま晴れない。最悪の可能性を考えて行動するのはいいが、ではどうすればいいのか。
「陛下と殿下が囮になると仰ったのは、マルヴァト公爵ほどの高位貴族を改易するには、相応の罪状が必要になるからでもあります」
「秘密裏に暗殺――」
「ユウト?」
「――するのは簡単ですが、それではアルサス殿下の戴冠に悪評が立ちかねません」
「それは困ります」
いきなり可憐な少女が立ち上がり、大きな瞳に涙をたたえて今にも泣きそうな表情を見せた。とても、ユウトやヴァルトルーデのはるか年上とは思えない。
「困ります……」
「まあ、それは俺も本意ではありません」
ユウトは、あわててフォローに回った。
見た目は年下だし、実年齢で考えるとブルーワーズでは母親でもおかしくない。そんな相手に泣かれては困る。
「だが、動かぬ証拠をつきつけて処断するなど難しいのではないか? ラーシアでも呼ぶか?」
「いや。俺たちでできるだけやるよ」
スアルムの出産が近く、エグザイルは動かしたくない。
ラーシアには近々王都に来るアカネの護衛を任せたいし、アルシアまでファルヴからいなくなったら領地経営が立ち行かない。
ヨナは、《テレポーテーション》で緊急時の移動を任せたいので、ファルヴに置く必要があった。
手足が縛られているような状態だが、成算はある。
「動かぬ証拠となりますと、不正な蓄財やヴェルガ帝国との内通を示す手紙などでしょうか。今から作るのでは、間に合うか心配ですが」
「え?」
「え?」
「え?」
きょとんと、三対の視線が絡み合う。
少なくとも、ユウトが考えた成算はそういうことではない。
(悪の魔法使いと謀略姫だった。どうしよう)
どうしようもなかった。
「ちょっと、爺さんに確認が必要ですけど、危ない橋を渡る必要はないはずです」
大賢者ヴァイナマリネンの部屋に入った時の情景を思い出しながら、ユウトは二人に腹案を告げた。
眼窩から飛び出しそうな瞳が、来客の去った扉をぎょろりと見つめている。
そこから意気揚々と出ていった貴族――バルドゥル辺境伯のことは一瞬で忘却し、マルヴァト公と呼ばれる男は立ち上がった。
筋肉の存在を疑うほど、細くみすぼらしい体躯。顔の造形が下手に整っているだけに、それぞれのパーツが強調されて不気味さが増す。
不健康にもほどがある風貌。
彼はそのまま姿見の前へと移動する。
金属ではない、歪みの少ないガラスの鏡。一流の職人が形を整え、研磨し、豪華な装飾を施した財宝だ。
「醜いな……」
自嘲ではなく、ただ事実を確認する口調。顎に手をやり、そこから顔全体を撫で上げる。
そうしてから、彼は精神集中を解いた。
マルヴァト公の全身がひしゃげ、つぶれ、原型を失っていく。人体が、固体と液体の中間の存在になる。それはまるで、粘土をこね上げるかのようだった。
最後まで残っていた骸骨のような顔が、金属的な光沢を放つ素材へと変化した。
鏡に映るのは、錆色をしたもの。
生物とも思えない、人の姿をしたなにかだった。
「汝は人なりや……」
客観的には、彼は化物と呼ばれる存在だろう。
けれど、彼の主観では、人間だった。しかも、自分ほど人間性の高い人間はいないと自認するほどに。
ダーク・クロウラー。
人に世界に夢を見せ、堕落へと誘うもの。
奈落に住まう悪魔諸侯、悪夢の守護者マリス=アリス=カリスが創造したとされる種族だ。生来の超能力の使い手でもある。
その特性を活かし、病死したマルヴァト公に成り代わって数年。彼はただ静かに、玉座を狙っていた。
なにも手を下す必要はない。
現王が死ねば、それは転がり込んでくる――はずだった。
できうるならば、無傷で、正当なる手段でこのロートシルト王国を手にしたい。
そして、献上するのだ。
世界で最も尊く。
世界で最も偉大で。
世界で最も美しい。
彼が唯一愛する、女帝ヴェルガへと。
そう。死の巨人のような家族愛でもなく、吸血侯爵のような親愛でもない。
彼は、一人の男として、女であるヴェルガを愛していた。
人間の証明に、これ以上のものがあるだろうか。たとえそれが、一方的だとしても。
見返りなど、求めない。
ただ、そうしたいからする。
それが、彼の。
元の名も、姿も、過去すらも。
すべてを捨て去った男の願いだった。




