5.言葉の戦場(後)
「もちろん。私は人間ですよ」
その声は低く不明瞭で、実に弱々しいものだった。
にもかかわらず、議場全体へと染み渡るように浸透していく。
ヴァルトルーデの美しさと迫力に飲まれていた人々が、はっと正気を取り戻していくのが分かる。
「こんな風貌ですので、地元ではモンスターに間違えられることもありますがね」
王族らしからぬ処世術か、あるいは単に人柄か。しゃがれてはいるが飄々とした口調で、聖堂騎士の追及を軽くかわす。
正面から美しいアイスブルーの瞳に見つめられても、マルヴァト公に動じた様子はない。それどころか、激発しても良いところを平然とその視線を受け止めた。
「まあ、人間誰しも誤りはあるでしょう」
「……申し訳ない。心より謝罪する」
「では、本題を進めましょう」
ヴァルトルーデが頭を下げる。
それをあっさりと受け入れ、手打ちとなった。こうなっては、取り巻きの貴族たちも反撃はできない。
湿った火薬のようにすっきりとしない沈黙が、議場を包む。
やり場のない怒り。驚愕。
そして、己の常識と聖女の指摘。どちらに重きを置くべきかという悩み。様々な感情で、宮廷会議は開始から荒れ模様だ。
「まったく……」
人騒がせにもほどがあるヴァルトルーデの指摘。呪文書をローブの中にしまいながら、ユウトは目立たないように、こっそりと息を吐いた。
正面にいる、チャールトン王、アルサス王子、宰相のディーター・シューケル。
皆一様に驚き、そして、それを隠すのに精一杯。体の向きを変えなければならないが、ハルヴァニ侯も似たようなものだろう。
事前の打ち合わせでは、こんな展開は予定されていなかった。
完全に彼女のアドリブ。内容も、それを正面から指摘した行為も驚愕に値する。いや、正気を疑いかねない。
けれど、ユウトの感想は彼らとは異なる。
いきなりやるとは思わなかったが、その内容自体に驚きはなかった。
豹の悪魔ドプラゲベルをはじめとして、変化するモンスターには枚挙に暇がない。理術呪文もそうだ。
どこまで確信があったのかは分からないが、だから荒唐無稽な話だとしても堂々と指摘した。いや、そんな理屈は関係ない。ただ、直感を信じただけか。
もし、本当に、マルヴァト公の中身が別物だったら。
正体を見破られたと、襲いかかってきたら。
今なら分かる。
それはむしろ、歓迎すべき事態なのだと。
証言台に立つためアルサス王子の近くに移動しているし、挑発に乗って襲ってきたのなら、それは遭遇戦だが奇襲ではない。ならば、どうとでも対処できる。
ロートシルト王国の重要人物がそろった宮廷会議。
この場で最も恐れるべきは、不意を打たれてアルサス王子を失うこと。ヴァルトルーデの指摘は否定されうやむやになったが、疑念が残ったのは確か。
ここまで明瞭に言語化したうえで実行したのではないだろうが――やはり、戦場における彼女の嗅覚は確かだ。知識や計算は苦手でも、その判断力は頼りになる。
もっとも。
ラーシアがこの場にいたら――
「もうちょっと手加減したほうが良いと思うけどなー」
――と、言っていたかもしれないが。
「イスタス侯。それでは、改めて貴卿に報告を求む」
進行役であるシューケル宰相が、不穏な空気を取り払うかのように力のこもった声をあげる。
もちろん、否やはない。武装を正装とした聖堂騎士は、了承のうなずきを送った。
「承知した。……ユウト!」
そうするのが当然とばかりに家宰を呼び、自らは一歩下がるヴァルトルーデ。
もちろん、本人に報告を求めている以上、代理を呼ぶなど通常は許されない。というよりは、しない。だが、自分でやるよりもユウトに任せた方が正確に決まっている。
だから、なんの躊躇も迷いもなく、彼女は彼を呼んだ。
(堂々としよう、堂々としよう)
そうするのが当たり前だと自分に言い聞かせ、ユウトはヴァルトルーデのもとへと向かった。
刺すような視線が全身を射抜いているのが分かる。不敬だと言い出さないのは、それを指摘すべき王も宰相もなにも言わないからだろう。
「ご指名にあずかりました、イスタス侯爵家、家宰ユウト・アマクサです。それでは、当家とクロニカ神王国との約定について――」
「お待ちくだされ!」
宮廷会議の前列から、異議の声が上がる。
ユウトも見覚えのある――思い出したくはない――バルドゥル辺境伯。たまりかねてといった風情で、噛みつかんばかりに声を上げた。
「彼の者は、いかなる権利を持ってこの宮廷会議で発言をしようとしておるのか」
「私が代理に指定したのだ。不備があるだろうか、バルドゥル辺境伯?」
「無論だ」
自席から立ち上がり、敵意に燃える瞳をヴァルトルーデへと向ける。その目で、ユウトは《念視》で見聞きした光景を思い出してしまう。
(そういや、ヴァルを手込めにするとか言ってやがったな)
あの決闘で解消していたはずの憎しみが、ふつふつと湧き上がる。
この場にアルシアがいたならば、危険な兆候を感じ取っていたことだろう。
「バルドゥル辺境伯の言はもっともである」
チャールトン王が、玉座から言葉を紡ぐ。
「では……」
「さりながら、この件は正確な報告を受ける必要がある。アマクサ守護爵は実際にクロニカ神王国との交渉を行なった身。今回は、特別に発言を許そう」
「陛下。彼の者が叙爵されたとは聞き及んでおりますが、守護爵などという新設の爵位しか持たぬ者に、この宮廷会議への出席のみならず、報告も行わせると。そう仰るのですか?」
「不満か?」
「恐れながら……」
ちょっと報告をしようとしただけで、これだ。
確かに、場違いな闖入者だろうことは自覚しているが、話が進まない。
「陛下。彼からの報告が許されないのであれば、後ほど文書でのご報告をお許しいただきたい」
「宰相。宮廷会議ではなく、余の裁可のみで話を進めるのは可能か?」
「重大事項ゆえ、お歴々にもご報告をと思っておりましたが……」
こうなっては致し方ないでしょうと、実務の責任者も追随する。
「ありがたく。だが、バルドゥル辺境伯にはご確認いただきたかったのだがな」
他意はない。
ユウトが決めてきた案件は、バルドゥル辺境伯家と利害が対立するものだ。だから、彼にも聞かせるべきであろう。
そう判断しただけ。
しかしそれは、挑発に他ならなかった。
(さすが、ヴァル)
変な感心をしていると、バルドゥル辺境伯の顔色が赤から青に変わり、ぷるぷると口髭も震えだした。矜持と実利と。その狭間で葛藤を続け――なにも言わずに、着席した。
認めたわけではないというのが、せめてものプライドか。
次いで、ユウトはマルヴァト公に視線を送るが、ぎょろりとした瞳で見られただけ。反対も賛成もしないらしい。
(この場は、大人しくしてるってことかな?)
まあ、地雷はもうひとつある。
この場は、バルドゥル辺境伯をどうにかしよう。
「それでは、発言させていただきます」
一同を見回し――不満気な顔はいくつもあるが、表立ってはなにも言おうとしない――おもむろに、口を開く。
そして、クロニカ神王国と交渉の結果、北の塔壁に義勇兵を送ってもらえることになったこと。それから、相手の領地を租借して自由貿易の町を作ることを説明していった。
「義勇兵を受け入れると簡単に言うが、その費用はどうするのだ」
「国内を、武装した兵を通過させることになるぞ」
宮廷会議らしく、その報告を聞いた貴族たちから疑問の声が出る。
それをユウトが、あるいはシューケル宰相が、費用はまだ検討段階だが、滞在費はあちら持ち、死亡や怪我の補償はこちらが行うと、国内の移動は細心の注意を払うと説明していく。
前者に関しては、国庫で賄えることを説明され鉾を収め。
後者の懸念は――
「ご不安なら、《瞬間移動》で送迎しましょう」
と言われては、反対のしようもなかった。
基本的に、義勇兵の派遣は歓迎すべき事態だ。貴族たちが不利益を被らないというのであれば、あとは現場の話となる。
むしろ、派兵に伴って発生する街道筋での需要に期待をする者もいた。
「わしは引退した身じゃが、仲の悪い者同士が共同戦線を張るわけでなし。指揮系統さえ整備すれば、問題なかろう」
ハルヴァニ侯の言葉を受け、反対意見もなくなる。
「関税をなくすとはどういうことか!」
だが、もうひとつの問題は別。
自領とまともに利益が対立する政策に、再びバルドゥル辺境伯が噛みついた。
先ほどは、尊厳の問題だった。
今は、バルドゥル辺境伯家の存亡に関する問題だ。
実のところイスタス侯爵家はまったく参考にならないのだが――普通の貴族の収入割合を見ると、領民からの租税よりも通行税や関税のような収入が多い。
また、農作物による税は一定の季節のみだが、それらは通年の収入となる。どちらを好都合かは、火を見るよりも明らか。
普通の貴族は、ドラゴンを倒して臨時収入を得ることはないのだ。
それなのに、イスタス侯爵家は、その収入の柱を叩き壊そうとしている。
「はばかりながら、バルドゥル辺境伯家に問題が起こりますれば、我が国の屋台骨を揺るがす事態となりましょう」
「いかにも。また、かのクロニカ神王国へ徒に利益を渡すことになるのでは?」
それは、確かに伝わったのだろう。
バルドゥル辺境伯家に近いある子爵が懸念を表明する。それに追随する者たちを、ヴァルトルーデがじっと見つめた。
「イスタス侯、アマクサ守護爵。いかに?」
「恐れながら、当家の政策の正しさは、歴史が証明しております」
「ほう。それは、どの地の歴史か」
「我が故郷の」
異世界からの来訪者。
その経歴を、今さらながら思い出す者もいた。
ユウトは、多元大全を取り出して、簡単に楽市楽座のような政策を説明していく。
「卿の言が真実だと、誰が証明するのか」
「バルドゥル辺境伯よ、それは我らが失敗すると言うことか?」
「そうだ。税を取らずして、いかにする」
「ならば、我らの政策に口出しする必要はなかろう。私でも、その程度は分かるぞ」
またしても、天然の挑発。
バルドゥル辺境伯は、悟った。
自分は秤にかけられているのだと。
バルドゥル辺境伯家は、イスタス伯爵家――なにが侯爵か――と同じ派閥にいるわけにはいかず、アルサス王子とは距離を取っていた。
むしろ、マルヴァト公爵を玉座につける工作を行なってもいた。
英雄的な行いへの憧憬が見え隠れするアルサス王子よりも、マルヴァト公爵の下に有力な貴族が集まり補佐をしたほうが、国のためになると思ってだ。
見返りを求めるわけではないが、もし実現したならば、己が補佐役の中でも主導権を握るべきだろうとも。
それを見透かされたわけではないだろうが、あの見栄えだけの女はこう言っているのだ。
「貴様の役目など、私が充分に務められる。改心するのであれば、今のうちだぞ」
――と。
冗談ではない。
あんな成り上がりの軍門に屈せるものか。
そもそも、王も王子も、あんな女を重用するのが間違いなのだ。否、たぶらかされているに違いない。臣下として、お救いせねば。
どんどんと、バルドゥル辺境伯の思考が加熱していく。
そんな彼を置き去りにして、ヴァルトルーデとユウトの出番が終わる。続けて他の貴族たちが順次証言台へと登っていくが、誰も彼も身が入っていないように見えた。
最後の報告者が自席に戻った直後、チャールトン王がおもむろに口を開いた。
「では、最後に余から皆に伝えたい儀がある」
あとは、王による閉会の言葉のみ。
そう思っていた多くの貴族たちが訝しげに同輩と顔を見合わせ、続く言葉を待つ。
「この度、我が子アルサスとユーディット・マレミアス嬢との挙式が執り行われることとなったが……」
周知の事実。
そのために集まり、貴族たちが集まったため、宮廷会議も開かれた。
つまり、わざわざそれを強調するということは――
「それが成った暁には、余は退位し玉座をアルサスに譲るものとする」
決定事項だと、異論を許さぬ王の言葉。
半ば予期していたのだろう、居並ぶ貴族たちは冷静にその言葉を受け止める。
だが、承服しているかどうかは別だ。
貴族たちの視線は、譲位の宣言をした王ではなくアルサス王子へと注がれている。
彼は平然とそれを受け止めた。
気負いも、高揚もない。
それが当り前であると、平常心で視線を返す。
外見はまだ少年だが、確かに王者の威風を感じさせた。
一方、マルヴァト公爵にも出席者の視線は集まる。
期待と憐憫が入り混じったそれを、彼もやはり余裕の態度で受け止めた。いや、むしろアルサス王子を祝福しているようにさえ見える。
それを度量の大きさと解釈するか、あるいは来るべき日のための韜晦と考えるかは、見る者の立場にもよるだろう。
「また、婚姻及び戴冠式の立会人には、イスタス侯爵をあてるものとする」
「……謹んでお受けいたします」
一拍だけ遅れて立ち上がり、ヴァルトルーデが恭しく頭を垂れる。
絵画のような光景。
この場で、反対をする者などいない。
マルヴァト公は元より、バルドゥル辺境伯ですら拍手を送っている。
だが、内心を覗く必要もなく、表情だけで賛否は知れた。当事者であるアルサス王子自身、総意ではないと理解している。
こうして、新たなる問題を生み出しながらも、宮廷会議は幕を下ろした。




