3.言葉の戦場(前)
純白の壁面には金糸銀糸で装飾が施され、無数に設置された魔法具のランプがそれを豪奢に照らし出す。
天井は高く、贅沢に使用されたステンドグラスは繊細で美しい。ただそこに存在するという一点のみで、否応なくこの場の格式を知らせてきた。
文官、武官が列席する煌びやかな儀礼の間。
彼らの庶民とは違う身なりや所作もまた、厳かな雰囲気を演出する一助となることだろう。
だが、今回だけは例外だ。
贅沢な儀式の間も出席者も、彼女の前では簡単に色あせる。
否、邪魔なだけだ。
ロートシルト王国の重鎮が集まったその場の主役は、跪いて頭を垂れ誰からも顔が見えない状態だったものの――居並ぶ誰よりも、高潔で美しかった。
特別に正装として認められた魔法銀の全身鎧を身につけたヴァルトルーデは、討魔神剣を床に置き、王の言葉をじっと聞き入る。
尚武の気風で知られるロートシルト王国でも、武装しての儀式風景は珍しい。
だが、事前に伝達された時は反発を憶えた諸侯や儀式官も、この光景を見せられたなら矛を収めねばなるまい。
儀式は、厳かに進んだ。
老齢のチャールトン王が張りのある声で昇叙の宣言を行い、儀式官の補助を借りながら緋色のマントを濃紺のそれと交換した。
新生なったイスタス家の紋章である長剣に絡みつく巻物を描いたそれを翻し、堂々とした所作で踵を返す。
儀式が終わり、イスタス侯爵ヴァルトルーデが誕生した瞬間だった。
ただの庶民が伯爵になっただけでも異例。その上、二年も経たずに侯爵に任じられるなど、どこの国でも前例はないだろう。
颯爽と儀式の間をあとにする彼女を見つめる者たちの表情には、嫉妬、蔑み、憧憬、感服と、様々な感情が浮かんでいる。
立場と派閥により異なる心の裡。
この場にいる者の中で、他とは完全に異なる感想を抱いている人間がいる。
(ビデオでも撮っておきたかった……)
しかし、カメラはどうにかするにしても怪しすぎる。頼めば許可を取れたかもしれないが、そこまでするのはどうなのか。それに、思いついたのは、ついさっきだ。諦めるしかない。
そんな会場で唯一の感想を抱いていたユウトは、我が子の行事を見守る父親のような思考を捨てる。
そのまま儀式の間を出て、王城内に割り振られた控え室へと移動した。
数少ない顔見知りの貴族――かつてお見合いをして断った相手や決闘を行なった者――と言葉を交わすよりも、まず、今後の打ち合わせをしたい。
ロートシルト王国に新設された新たな貴族――守護爵となったユウト・アマクサは、善の魔術師であることを示す魔法具のローブに取り付けられた勲章を気にしつつ、城内を移動した。
慣れるほど来たわけではないが、戻ることだけならできる。
「遅かったな、ユウト」
「そっちが早いんだと思う」
別ルートで移動してきたのだろう、普段着のように魔法銀の鎧を身につけた聖堂騎士は、やはり豪華な控え室のソファに身を沈めていた。
家具が傷んだりしないのだろうかと益体のない考えが浮かぶが、《修理》の呪文でメンテナンスでもしているのだろうと勝手に結論を出す。なんなら、自分で呪文を使ったっていい。
広すぎると落ち着かないという庶民的な思考と、ある程度の広さがないと格式を保てないという体面の問題。
その妥協点となった部屋で、二人きりになったユウトとヴァルトルーデ。
けれど、色っぽい展開にはなりようがなかった。
「それでは、イスタス侯爵閣下におかれましてはお疲れのところ大変申し訳ございませんが、この後のことをご説明させていただきたく存じます」
「うむ。苦しゅうないぞ、アマクサ守護爵」
こんな冗談を口にするのが、精一杯。
対面のソファに座ったユウトは、懐から資料の紙束を取り出して確認のために目を通し始める。
ヴァルトルーデはどうせ読めないので、日本語で書いてある資料。怪我の功名とでも言えば良いのか、機密保持の面では都合が良かった。
「……なんだ、この会話は。凄まじく変な感じだな」
「俺は、こういうのでも結構いけるけどな」
「止めてくれ。私を殺すつもりか」
「それは無理だ」
精神世界であっても、彼女を殺めることができなかったユウトだ。降参だと両手を上げて、書類をひらひらとさせる。
「それで、私はなにを憶えれば良いのだ?」
「ああ。この後、国王陛下の前に貴族連中が集まって宮廷会議が開かれるんだが……」
小規模なものであればほぼ毎日開かれているだろう、宮廷会議。しかしアルサス王子の結婚式にあわせて開かれる今回は、規模が違う。
舞踏会で使用する部屋を会議室に変えて、諸侯に文官、武官が勢揃いして行われることになっていた。
この辺りの事情や、やるべきことは何度か説明しているが、それを完全に記憶していると期待するほどユウトも甘くはない。
直前におさらいをするのは、当初の予定通りだ。
「そこで、イスタス伯爵家――いや、侯爵家か。要するに、うちがどんな政治をやってるかって表層だけ説明したりする。まあ、クロニカ神王国との交渉の結果だけ伝えれば、あとは全部うやむやにできるだろう」
というよりも、神々の分神体が降臨して昆虫人を倒してくれましたとか、歌劇場を作ってくれましたなどと報告できるはずもない。
「それを、私がやるのか?」
「フォローはする。でも、ヴァルがやんないと余計な指摘を受けちまう」
「その反応で敵味方をいぶり出しても良いのではないか?」
「軽く見られて、中立派を敵に回したくない」
「もっともだ」
家宰に理があると、イスタス侯爵は認めた。
「だが、私では原稿を読むわけにもいかぬぞ」
認めたのは良いのだが、現実の問題が立ち塞がる。いっそ、潔い。
「要点だけ憶えて、あとは自分の言葉で喋ってくれ」
「自分の言葉で……か」
そんな主に対し、ユウトは無茶で返した。これしか言いようもやりようもない。
「要点か……。まずは、クロニカ神王国から、対ヴェルガ帝国のために義勇兵を送ってくれることになったということだな」
「ああ。その動機は完全な善意だ」
「脅し……」
「善意だ。たぶん、末端の義勇兵は正義感に満ちあふれている。だから、嘘じゃない」
「嘘でなければ良いというわけではないのだが……」
しかし、背景を詳らかにできないのは、ヴァルトルーデにも理解できる。結局、押し切られるように、納得させられてしまった。
「反対意見が出たら、剣で決着をつけるというのはどうだ?」
「どこの蛮族だ」
名案だぞとヘレノニアの聖女が口にしたアイディアは、大魔術師によってにべもなく却下された。
とても、救世の英雄たちとは思えない会話だ。
「あとは、土地を租借して街を作ることになったってことな」
「ああ。細かいことは分からんが、領土を広げたようなものだろう。これは簡単だな」
「……そうだな」
もちろん言うほど簡単な問題ではないが、本人が自信満々ならわざわざ指摘するような話ではない。
このヴァルトルーデが正々堂々と断言すれば、抗弁できるような人間はいないのだから。
「んで、宮廷会議は俺たち以外にも、当然、他の領主や王国側からも議題が出てきたりする」
「当然だな」
「ヴァルに本当に頼みたいのは、その中で嘘と感じたことを知らせてほしいのと、悪そうな――信用できない奴がいたら教えてほしい」
「頼りにしてくれるのは嬉しいが、直感だぞ?」
当時のイスタス伯爵家への書記官の登用時にも猛威を振るった、ヴァルトルーデの直感。後ろ暗い者や嘘を見抜くその感覚に、ユウトやアルシアは全幅の信頼を置いていた。
「魔法も超能力もある世界で、直感だけ信じないのは論理的じゃないな」
「とりあえず、信頼されているのは分かった」
だがと、聖堂騎士はその美貌をわずかに翳らせる。
「すべてを重点的にと言うのは、さすがに自信がないぞ」
「ヴァルから自信がないなんて言葉が聞ける日が来るとは思わなかった」
「私は、エグザイルほど無謀ではない」
少しだけ頬を膨らます彼女の顔に触れて空気を抜いてから、ユウトはターゲットの説明を始めた。
「まず、ほぼ確実に味方だと判断して良いのは、チャールトン王、アルサス王子、ディーター・シューケル宰相」
「それだけか?」
「あとは、ハルヴァニ侯爵」
「ハルヴァニ侯爵……? ああ、あの」
長年、北の塔壁でヴェルガ帝国に対する防衛戦の指揮を執り、ロートシルト王国の版図を守り切った名将ハルヴァニ侯爵アハティ。
そういう意味で心当たりがあったのか。
「ユウトが見合いをした貴族か」
「それだと、アハティ卿と見合いしたみたいなんだけど」
会ったのは、二年近く前。
かくしゃくとした老将の顔を思い浮かべながら、ユウトは苦笑する。
同時に、あまり深追いもされたくないので、次の名を出す。
「そして、潜在的な敵の中で一番見極めてほしいのが、マルヴァト公爵」
チャールトン王の弟の子。
つまり、王の甥にして、アルサス王子の従弟。
病弱で滅多に自領から出てこないが、反アルサス王子派の旗頭となり得る人物だ。
「さすがに、従兄の結婚式には出席をするのか」
その他の特徴をユウトから聞きながら、ふとそんな感想を漏らす。
「本当に動けないんならともかく、そうでなければ粛正の良い理由になるしな」
それに、他の目的もあるかも知れない。
更に説明を続けようとしたところ――外から、控えめなノックが聞こえた。
「時間だ」
迎えが来たようだ。
特に身繕いの必要もなく、二人は揃って席を立ち扉へと向かう。
次なる戦場は、もうすぐそこだった。




