1.聖女の憂鬱(前)
「ああ……。本当に、名残惜しくてなりませんわ。ラーシアさま、お姉さま」
「大丈夫。半年なんてあっという間だよ。ね、ラーシアくん?」
「あ、うん。そうだね」
一国の女王が膝を折って、癖毛の草原の種族と抱擁する。そんな別れの姿を、同じ草原の種族であるラーシアはガラス玉のような瞳で眺めていた。
その向こう側には、次元航行船スペルライト号。
希少鉱石を代価にブルーワーズの生物を搭載した箱船は、出発の時を迎えていた。
だというのに、ラーシアの声に生気はない。傍目にも、疲れ切っていることがよく分かる。
「べたなマンガ表現なら、口から魂が出てるところね」
同じく見送りにきたアカネが、来訪者独特の表現でラーシアの状態を言い表す。
「それ、地球で見た」
抑揚のない声で、それにヨナも同意した。
「テンプラにして食べてた」
「食べないでよ!?」
「ボクの魂をお食べ?」
「混ぜるな危険だわ!?」
そこに現れる大きな影。
相棒を復活させた少女たちを横目に見つつ、岩巨人が女王の前に姿を現す。
「気をつけて帰れよ」
「お気遣いありがたく。それにしても、エグザイルさまのお子を見られなかったのは、痛恨の極みですわ」
「なに、またくればいい。礼もしなくてはならんしな」
エリザーベトから贈られたのは、安産祈願の護符だった。
実際には、装備者の体力を増強する魔法具なので誰にでも効果はあるのだが、その心遣いが嬉しかった。
やはり、出会った頃と本質は変わらない。
ただ、ちょっと暴走するようになっただけだ。
「ふん。別に、エグジュニアを口実にしなくても、また来るんでしょ?」
「ラーシアさま……」
二人の会話に割り込んだラーシアは、そうぶっきらぼうに言って、横を向いた。
けれど、エリザーベトは感極まったように唇をぎゅっと結び、大きな瞳を潤ませる。
「その愛、そのお気持ち。エリザに、確かに伝わりました」
「なんでこんな風に育っちゃったの……」
普段は拒絶してるのに、たまに優しくすればそうなるだろ。
――とはさすがに言えず、クロニカ神王国から戻ったばかりのユウトは、機甲人のバトラスと握手を交わす。
金属の堅い手だが、不思議と温かみが感じられた。
「此度も急な来訪だったにもかかわらず、ご対応いただき感謝に堪えませぬ」
「とんでもない」
「いやはや、猫にもいろいろな種類がいたとは知りませんでした」
ギルロント司教との交渉で培った外交スキルがなければ、思いっきりツッコミを入れているところだった。やはり、この重装騎士は危険だ。
「また会えることを楽しみにしている」
「こちらこそ。いっそ、移住したいぐらいですな」
次いでヴァルトルーデが進み出て、機甲人と言葉を交わした。
二人とも、社交辞令ではない。
特にヴァルトルーデは、魔法銀やアダマンティンの鉱石でどんな武具を作るのか、とても楽しみにしていた。充分な装備を持っているヴァルトルーデだったが、それとこれとは別問題のようだ。
なお、ユウトとアルシアは戻ったばかりなので、希少鉱石の使い道を、まだ報告はしていない。
「……大変なことになりそうね」
皆から一歩離れた場所に待機するアルシアは、この後のことを思って軽いため息をついた。
「フリーーーダム・オブ・ムーーーーブメント!」
城塞の食堂兼会議室に、ラーシアの意味がよく分からない歓声が響き渡った。
スペルライト号に乗船したエリザーベトらを見送ったあと、城塞の食堂兼会議室に集まった一行。いつもなら《祝宴》やアカネの料理に舌鼓を打ち、重要な決定を行なっている場所で、はしゃぐ草原の種族を暖かいまなざしで見つめていた。
「気持ちは分かるけど、やたらラーシアのテンションが高いな」
エリザーベトは去り、話の性質上リトナもいない。
彼女を野放しにするのにそこはかとない不安もあるが、解放感はそれを上回ったのだろう。椅子の上で踊り出しそうな勢いで、ラーシアが喜と楽を全身で表現する。
「もう、出会いが欲しいなんて言わないよ絶対」
「それはそうだ。必要ないだろう」
「エグ……」
「にらむな、にらむな」
和やかな空気が、室内を包んだ。
ユウトの左側。長方形のテーブルの辺の短い部分に座るヴァルトルーデ。右隣りにはアカネがおり、正面にはアルシア。
その隣では、ヨナが生暖かい視線をラーシアへと向けていた。
最近は本当にいろいろあって、こうして集まるのも久々のように思える。
ただ、いつまでもその懐かしさに浸っているわけにもいかない。
「それで、ユウト。報告があるという話だが?」
「ああ、うん。主に、クロニカ神王国でなにをやってきたかなんだけど……」
主君である聖堂騎士に促され、口を開こうとするが気が重い。
秘密にしていたのもそうだし、ちょっとやりすぎたという自覚もある。アカネ辺りに聞かせれば「どこが、ちょっとなのよ?」ということにもなるだろうが、それで気が晴れるわけでもなかった。
なにより、真意を悟られたくない。
「ユウトくん、私から言いましょうか?」
「いや」
それはアンフェアだ。
覚悟を決めたユウトが、ゆっくりと口を開いた。
「まず、例の賠償の代わりに、あっちの土地を借りて交易用の町を作ることになった」
「また、ユウトが大変なのではないか?」
「大丈夫、いつも通りだから」
「そうなんだけど、ヨナに言われると複雑だ」
「いいじゃん。好きでやってるんだし」
「喜べ。ラーシアの組織がクロニカ神王国へ羽ばたく基礎になる町だぞ」
ユウトとラーシア。二人が顔を見合わせ、指をさし、笑う。
周囲も慣れたもので、とりあえず終わるまでなにも言わない。
「で、それだけじゃないんだろう?」
「残念ながらね……」
エグザイルに促され、ついに核心部分を口にする。
「それとは別に、クロニカ神王国へファルヴを神都に認定をするよう迫って、それを取り下げる代わりに北の塔壁――対ヴェルガ帝国への義勇兵を出すよう約束を取り付けてきた」
「ちょっと待て」
頭を押さえて頭痛をこらえるような仕草で――そんな格好でも、実に絵になる――話を遮る。もっとも、彼女が体調不良を訴えるところなど、見たこともないが。
「ファルヴを? 神都に? どうして、そんな話になったのだ?」
「私も、ちょっとわけが分からないわね。宇宙人と会話してるわけじゃないんだから、ちゃんと説明しなさい」
「恥ずかしいんだけど……」
分かるように説明をすれば、なんのために行ったのかという動機まで詳らかになる。それは避けたかった。
けれど、現実は非情なもの。
「なんだかよく分からないけど、ユウトが困りそうな予感」
エグザイルは沈黙を守り、ヨナはなぜかテーブルに身を乗り出してこちらを見ている。
「ユウトくん、あきらめましょう」
抵抗は、無意味だった。
それに、元々、言わずには済ませられない。
「アルサス王子とも相談したんだけどさ。この際だから、クロニカ神王国もヴェルガ帝国への戦争に引っ張り出したいよねってことになってな」
実際はこんなに軽いノリではなかった……と言いたいところだが、実はこの程度のものだった。利害関係が一致し、ユーディットまで加わったのだ。
深刻な陰謀だったら、逆に今頃どうなっていたか。想像するのも恐ろしい。
「ファルヴが神都に認定された場合、ヴァルが神王の候補になります」
「私が王……だと……?」
伯爵――近々、侯爵になる予定だが――だけでも身に余るところ、いきなり国王に。しかも隣国のそれになるかもしれないと言われ、ヴァルトルーデは硬直した。
なにがどうしてこうなったのか分からないが、ユウトとアルシアが言うのだ。実際に、可能なのだろう。
「それをヴァルが知らないところで進めるって、どうなのよ」
「そうだよ。国を滅ぼす気? あ、隣国だからいいの?」
「ラーシアが王様になるよりは、大丈夫」
アカネ、ラーシア、ヨナ。三人からの非難に晒される。いや、アルビノの少女は違うかもしれない。
「なるほど。そういうことか」
岩巨人だけが一人、事情を察して重低音の理解の声をあげる。
兵法を学んでいたのが、活きているのかもしれない。
「エグに分かって、私は……」
「当事者には、分かり難いのだろう」
「私が当事者……?」
聖堂騎士はまだ分からないと首をひねっているが、アカネはそれで理解した。その証に、こっそりと隣に座る幼なじみの足を踏む。
まったく、いちいちスケールが大きすぎる。
「ユウトは、ヴァルの味方を作りたかっただけだ」
「だから、言いたくなかったんだ……」
ユウトが恥ずかしそうに頭を抱える。どうやら、正解だったらしい。
近い将来に起こると“常勝”ヘレノニアが断言した、善と悪――ヴァルトルーデとヴェルガの対決。
とんでもない策謀が、そのためのものだった。つまり、自分のためにユウトが行なった。
それはヴァルトルーデの女の部分を否応なく刺激するが、より大きな割合を占める戦友としての矜持が、本能的に拒絶しようとする。
「むぅ……」
分かった。理屈は分かった。
ユウトが自分を思っていることも、全体の利益のために動いていることも分かった。
だから、怒れない。
でも、不満はある。
「あと、魔法銀とかアダマンティンは、ドワーフの親戚みたいな連中に渡してきた」
この空気――主に、身振り手振りで揶揄するラーシアとヨナ――に耐えかね、ユウトは露骨に話題を変えた。それが、事件の引き金を引くことになると、気づくことなく。
「そう、それだ。どんな武器を作ってもらうのだ?」
「え? 作らないけど」
「なん……だと……?」
使わないんだから、要らないだろうというユウト。
「使い道がないから、なんかもっと凄い物を作ってくれって渡してきたよ」
使わなくとも、良い物は良い。密かに出来上がりを楽しみにしていたヴァルトルーデ。
「それは確かに、そうなのだが……」
これまた、利も理もユウトにある。
だから、ヴァルトルーデは怒れない。
なにもできない。
ヘレノニアの聖女は、見る者の良心と罪悪感とを刺激する儚げな微笑をたたえたまま、それ以上なにも言えなかった。




