3.希少鉱石の行方
ユウトがメインツを訪れるのは、久しぶりのことだった。
クロニカ神王国との国境線となっている山脈地帯。周辺に居を構えるドワーフたちを取りまとめる立場にあるのが、このメインツの街に住むミランダ族長だ。
「ユウトくん。どうして、街に直接《瞬間移動》しなかったのですか?」
「いきなり来たら、びっくりするじゃないですか」
黒い制服に白い魔術師のローブ。つまり、いつも通りの格好で、メインツの街への山道を登るユウト。
ヴァルトルーデとともに、この街へ初めて来た時と同じだが、傍らにいるのは彼女ではなくトラス=シンクの愛娘――アルシアだ。
「先触れは出しているのでしょう? それに、びっくりと言っても、今さらでは……?」
実際、レジーナらハーデントゥルムの商人たちを連れてきた時には、《瞬間移動》で街の入り口に現れている。
向こうも、それくらいは織り込んでいるはずだ。
「なるほど。どうやら、理由はそれだけではないようですね」
「そんなことはないですよ?」
やや呼吸を乱しながらも、笑顔を浮かべて否定する大魔術師。しかし、感情感知の指輪を持つアルシアには通用しない。いや、それがなくても看破されていただろう。
「せっかくだから、アルシア姐さんと少し話でもしながら歩きたいなって」
「え?」
ただし、それが彼女の予想通りのベクトルとは限らない。坂の向こうに見える白い煙を眺めつつ、ユウトはそんな理由を口にした。
思ってもみなかった言葉に、思わず立ち止まってしまう。
「最近、もの凄くどたばたしてましたし」
「それは……確かにそうね」
神々の来臨とその余波は、珍しくユウト以外の仲間たちにも深刻な影響を与えている。ヴァルトルーデでさえも、後始末に奔走せざるを得ない状態になっているのだ。アルシアの苦労は、いかばかりか。
交渉役ということで彼女を今回のパートナーに選んだユウトだが、ファルヴから連れ出す目的も秘めていた。
それほどのインパクトが、神々の来臨にはあった。
「こっちのことは任せてくれていたから、そんなこと思いつきもしなかったわ」
「俺も手伝えたら良かったんですけどね」
「それは、ユウトくんがあふれちゃうでしょう」
踏み固められた――というよりは、多くの通行によりすり減ってできあがったという山道。近くの一段高くなった場所を、馬車鉄道の線路が通っている。
バスのように途中乗車できるようにはしておらず、そもそも、本数も多くはないのですれ違ってはいなかった。
運動不足というわけではないが、現代人には辛い。移動を呪文に頼り切っている理術呪文の使い手にとっても辛い。
それでも、今は幸せだ。
二人は並んで。しかし、ぎりぎりで肩も手も触れることのない距離で、メインツの街を目指す。
そのまましばらく無言で歩き続けるが――先に白旗を揚げたのはアルシアだった。
「そういえば、ラーシアは大丈夫なのかしら?」
神殿の話、その他進捗の確認、メインツやクロニカ神王国での交渉について。
そんな話題が頭をよぎるが、それはないでしょうと却下。だからといって、婚約者らしい話など分からない。
だから、出てきたのは仲間の話。
「あー。まあ、世界は救われたと思いますよ」
「世界は? ラーシアは?」
「……ラーシアも、世界の一部です」
「こういう時、ヴァルなら『私の目を見て言え』って言うのかしら?」
「確認をしなければ、もしかしたら元気なラーシアが存在する可能性もあるから……」
「可能性なうえに、もしかしたらなのね……」
これが婚約者との会話に相応しいかどうかは分からないが、変な沈黙は払拭された。
ユウトと違って息ひとつ乱さず、アルシアは満足げにうなずく。
「アルシア姐さんの緊張もほぐれたみたいだ。さすが、ラーシア」
「緊張? 私が?」
まったく自覚のなかった指摘に、またしてもアルシアは立ち止まってしまう。それで不意に、二人の手が触れる。
事故のような、意識をするまでもない接触。
それなのに、アルシアの顔は真っ赤に変わってしまった。
「なんか、ずっと顔が強ばってたし……って。あれ? アルシア姐さん?」
そう。思い出してしまったのだ。
事件が起こりすぎて、意識の隅に追いやってしまっていたが――すぐ側にいる彼は、自分を守って決闘し、圧勝し、丸く収めてくれた男。
そんな彼と二人きりでいるという状況。
今の今になって、そんな単純な事実に気付き、アルシアは目に見えて動揺した。
「なにやら微妙な雰囲気を感じますな……」
「気にしないでください、ほんと」
メインツの街にたどり着いたユウトとアルシアの二人だったが、不自然な距離があり、それでいてお互い意識していることが隠しきれていない。
自らの邸宅で、そんな二人を迎え入れたミランダ族長は、不思議そうに見やる。
――もちろん、演技だ。
ドワーフやエルフなどの亜人種族は、繁殖期にならないとそういう気分にはならないが――そのため、ドワーフが多いファルヴでは娼館のような施設の需要が低い――惚れた腫れたは日常茶飯事。
年かさの彼女が気づかないはずがない。
里の恩人である彼らのそんな様子に、笑顔を浮かべる。ただし、顔のしわが濃くなった程度の変化のため、今のユウトに気づかれることはなかった。
「トルデクらは、お役に立っておりますかな」
「もちろん。彼らなくしては、成立しませんよ」
ユウトがヴァルトルーデとともにメインツを訪れた際、族長と二人だけになって玻璃鉄の導入について話し合った場所。
族長の私的な応接室は、往時の雰囲気を残しつつも、印象はかなり変わっていた。
大広間とは違い、採光をあまり重視しないドワーフらしい部屋。
岩をくりぬいたような印象を受ける室内は、以前はなかった調度が飾られ、玻璃鉄で作られたドワーフの守護神ドゥコマースのシンボル――鎚と金床――もあった。
玻璃鉄に燈火を封じ込めた灯りで照らされた室内は、玻璃鉄により蘇ったメインツを象徴しているかのようだ。
「お陰で、ファルヴもだいぶ街らしくなりました」
「ならばなによりじゃ」
簡単な挨拶を交わしたところで、以前よりも上質になった敷物の上で姿勢を正し、ユウトは本題を切り出した。
「今日、伺った理由はいくつかあります」
「詳しいところは、まだ聞いておらなんだが……」
「できれば、どれも秘密で進めたいので」
ミランダ族長の顔が、わずかに引きつる。玻璃鉄の時も馬車鉄道の時も、こんな風に、なにも知らされず切り出されたのだ。
アルシアは、そんな彼の言葉を黙って聞いていた。
「まず、以前、玻璃鉄で瓶を作ってもらったんですが」
「うむ。聞いておるぞ」
「実は、あれにちょっと呪文をかけると、中の食べ物が年単位で腐らないという代物になりまして」
「……なんですと?」
族長の動きが停止する。
それによって世界がどう変わるかまで思い至ったわけではないだろうが、理解できる範囲でも、衝撃的過ぎた。
「まあ、使用する呪文は《燈火》よりもかなり上の階梯なので、大量生産ってわけにはいかないんですが……」
ドワーフのもてなしは、茶ではなくビール。
壺に入れておかれたそれで舌だけ湿らし、ユウトは続ける。
「でも、瓶ごと煮沸すると呪文使わなくても保存食ができるんですよね。呪文を使うよりも中身は限られますが、年単位で」
「……なんですと?」
「あとついでに、こういう蓋とか作れたら良いかなと」
そう言って無限貯蔵のバッグから取り出したのは、地球から持ち込んだジャムの瓶詰。それをいくつか並べながら、話を続ける。
「あ、これは差し上げますのでどうぞ。中身も捨てるなり、食べるなり」
「ユウトくん、一旦止まりましょう」
そこで、アルシアがストップをかける。
ミランダ族長がひどく慌てているのが、目の見えない彼女にも分かった。
「ミランダ族長、私どもとしては、こういった瓶の増産と、増産に適した形状の見極めなどを行なっていただきたいと思っています」
「そういうことであれば……」
ユウトの言葉に押されていたドワーフの長が、落ち着きを取り戻す。
彼の悪い癖だと、アルシアは思う。
秘密主義というわけではないが、確実を期するためギリギリまで全貌を明らかにしない。それでいて、誠実であろうとするため、情報を全部開示しようとする。
これでは、相手が戸惑って当然だ。
だが、問題はない。
それを補佐するために自分はいるのだから。
「じゃが、最近は人手が足りんでのう。あまり多くは無理ですじゃ」
「こっちもまだ、完全に研究も終わってないので、構わないですよ」
隣に座るアルシアの手にそっと触れて感謝を伝えたユウトは、そう言いつつも難しい表情を浮かべた。
「となると、こっちは難しいかな……」
そう言って、次に無限貯蔵のバッグから取り出したのは、エリザーベトから受け取った交易品の一部。
澄んだ青緑や黄土色に近い、神秘的な鉱石だ。
「話には聞いておりましたがのぅ……」
以前、エリザーベトたちが来た時、内々に事情は説明していた。前回の交易量は武器や鎧を10セット作れるかどうかという程度であり、使い道があまりなかった。
そのためストックしていたのだが、今回はその10倍はある。
今取り出した分だけでも、ミランダ族長を驚かせるに充分な量だった。
「実際にこれだけの量を見せられると、誰にも明かさなんだ自分の判断をほめたくなりますわい」
貴重な鉱石を任せられる。
それは、ドワーフの鍛冶職人の矜持を大いに刺激するものだ。
玻璃鉄の際にはそれが上手く働いたのだが、更に魔法銀やアダマンティンが加わるとなると、話が違ってくる。
まず、任せられる熟練の職人の数が少ない。
他の職人でも時間をかければできるだろうが、そうすると様々なところにしわ寄せがくる。
族長が胸に秘めていた理由がこれだ。
「ここでも、人手不足か……」
「トルデクたちを戻していただけるのであれば、なんとかなるかもしれませぬが……」
「できなくはないけど……」
そうなるとユウトが建設業に精を出すか、あるいは領地の外から移民を迎え入れて従事してもらうかになってしまう。
「本人の希望もありますよ」
「だよなぁ。それなら、うちに来てくれるドワーフの当てを探したほうが……」
「そういうことであれば、ひとつだけ心当たりがありますのじゃ」
そう言ったミランダ族長の表情はしかし、皺が深くなっており憂色も濃かった。
「聞かせてください」
そんな小さな老婆に、ユウトは躊躇なく頭を下げる。
気乗りはしなかったが、そこまでされては言わないわけにもいかなかった。
「この山脈の奥深くに、ワシらの親戚のような連中が住んでおりましてな」
かつては、洞窟内で暮らしていたふたつの種族。
ひとつは、地上に出てドワーフと呼ばれる種族となった。
もうひとつは、同じく地上には出たものの、火山の頂近くに住み着き、外界との接触を断って生活しているという。
岩漿妖精――ドラヴァエル。
「偏屈で、酒好きで、鍛冶仕事にしか興味を持たぬ連中ですじゃ」
ドワーフがそう表現するからには、相当なものなのだろう。
「彼らが、この近くに?」
「大まかな居場所しか分かりませぬが」
その口調から、なるべく関わりたくないという雰囲気が伝わってきた。
けれど、ユウトの心は決まっている。
感情感知の指輪に頼らずとも、あるいは、手を触れずとも。アルシアには、それがよく分かっていた。




