2.為政者の心得
「と、とりあえず、ラーシアは無事ですか?」
女王と分神体が、草原の種族の盗賊を連れ去った翌日。妙にすっきりとした表情を浮かべるエリザーベトへ、ユウトは恐る恐る確認の言葉を口にする。
しかし、聞かれた女王は、なにを言われているのかよく分からないと、罪のない微笑を浮かべるだけ。その表情は意外と幼く、伯父にクーデターを起こされた薄幸の王女にふさわしいものだった。
「私たちが、ラーシア様に危害を加えるなど、ありえましょうか」
「そうですか。『私たち』ですか……」
揃って、この城塞へやってきた二人。非公式な訪問ということでユウトの執務室に案内されたエリザーベトにも、城塞の厨房へ食料を物色しに行ったリトナにも、遺恨は感じられなかった。
どういう過程を経たのかは分からないが、とにかく妻と姉の間に良好な関係が築かれたらしい。
愛が世界を救ったのだろうか。
ただ、ラーシアはもう愛など要らないと思っているかもしれない。
罪深きものよ、汝の名は愛なり。
ちょっとだけ文豪気分に浸ったユウトは、軽く頭を振って実務へ頭を切り替える。
「今回の交易ですが、大枠でバトラスさんと合意しました」
エリザーベトは、なにもラーシアと逢瀬を重ねるためだけに来ているわけではない。
度重なる文明の崩壊により、動物、特に家畜になる生物が極端に少なくなっている『忘却の大地』は、その一方で、ブルーワーズでは希少な魔法銀やアダマンティンなどの鉱石に恵まれている。
お互いの不足を補える貴重な取引だ。
もちろん、当初の想定よりも早く訪れていることから考えると、女王に下心がなかったとも言えないが。
「一応、ご確認ください」
「ここにいる私は、女王ではないのですが……」
そうは言いつつも、ユウトが差し出した目録を受け取るエリザーベト。銀髪のほつれを直しながら、書類に目を通していく。
前回は牛、豚、山羊、羊、馬など家畜動物を中心に運んだスペルライト号だったが、今回の要望はそれだけではなかった。
狼や鷹。あるいは、コウモリやネズミ、魚類など多岐にわたる。まるで、箱舟を目指しているかのようだ。
一部は、市場に出回っていないため、冒険者に依頼を出して特別に集めなくてはならない。
「さすがに、すべて集めるのは時間がかかります」
「当然です。いくらでもお待ちしますわ」
それが目的とまでは思わないが、遅くなっても構わないというのは本音だろう。思わず苦笑を浮かべるユウト。
「しかし、ちょっともらいすぎという気もします」
「それはこちらも同じですわ」
嫣然と女王が微笑む。
彼女のことをよく知らなかったら、思わず引き込まれてしまうところだ。
「それに、国益ではなく私欲も満たさせていただいておりますし」
「ああ……。それは、バトラスさんも同じなのかもしれませんね」
「バトラスも? あの……。バトラスがなにか?」
「なにってわけじゃないですけど」
あの機甲人の動向は気になるのか。恐る恐るといった態で、エリザーベトが聞いてくる。
重装騎士は、交渉を早々に取りまとめると姿を消してしまっていた。街の中で、猫を探しに行ったのだろう。
間違いない。初等教育院で飼っている猫に威嚇されていたと、ヨナから報告を受けている。
猫カフェでも作ったほうが良いかもしれない。良くない。入り浸られる。
「その程度で済んでいますか。ですが、監視は怠らないようにしますので」
ほっと一息吐いて、露骨に安心した様子を見せる。女王でもない、ラーシアの自称妻でもない。彼女の、また別の側面が垣間見える。
「確かに、まあ、あれですが。実害は少ないと思いますので」
「そうですわね」
「あはははは」
「私以外には、そうですわね」
「あははははは」
地雷を踏んでしまった。
しかし、ユウトは表面上、余裕の態度を崩さない。
何事もなかったかのようにハーブティーに口をつけ、同時に、別の話題をひねり出そうとする。
「そういえば、私とアルシアはしばらく留守にすることになります」
「まあ、そうですの」
「ええ。隣国へ少し交渉に」
あまり言いふらして良いものではないが、秘密にするほどでもない。
ユウトは、プレイメア子爵とのいざこざと、その賠償の代わりとなる物がないか交渉しに行くことをエリザーベトに説明した。
「左様ですか……」
だが、なぜか彼女は表情を曇らせる。
なにか問題があっただろうかと訝しんでいると、エリザーベトは表情を引き締め、厳かに口を開いた。
「余計なこととも思いますが、政治に携わる者の先達として言わせていただきましょう」
それはまさに、女王の風格。
思わず、ユウトの背筋も伸びる。
「甘いです」
「甘い?」
賠償の金額がだろうか? それとも、一度決めたものを減額しようとする、その態度がか?
「隣国とは、即ち敵です。敵に情けをかけるのは寛大ではありません。罪悪です」
「友好国なんですが……」
隣国のクロニカ神王国は、ロートシルト王国と同じく善の神々を奉じる同盟国だ。間違っても、敵ではない。
だが、それが誤りだとエリザーベトは指摘する。
「今はそうだったとしても、未来は保証されません。クロニカ神王国ですか? その国が防波堤の役割をしてくれているというのであれば、国力を削るのは下策ですが……」
「逆ですね」
ヴェルガ帝国――悪からの防壁になっているのはロートシルト王国のほうだ。クロニカ神王国との同盟は、後背を気にする必要がなくなるというメリットはある。
だが、それ以上に、ヴェルガ帝国と直接対峙する必要がないという恩恵をクロニカ神王国に与えていた。
「ならば、甘い対応は相手をつけあがらせる可能性があります」
「同盟国相手だから、許される……と」
「ええ。私だったら、少なくとも国境に兵を送ることはしています」
苛烈。
だが、それも為政者のひとつの選択なのだろうと思わせる雰囲気が彼女にあった。内乱と、その後の即位。様々な困難があっただろうことを思わせる。
とはいえ、ユウトは国政に関与しているわけではない。一地方領主の代理程度の存在だ。だから、そこまでの権限も義務もありはしないのだが……。
「甘いですか……」
「そうですね。賠償の見直しも、厳しすぎて余計な反発を招いては意味がありませんが、搾り取ること自体を忌避されているように見受けられます」
「それは確かにありますね」
エリザーベトの指摘を、ユウトは全面的に認めた。
プレイメア子爵に苛烈な対応をすれば、最終的に困窮するのはその領民たち。こちらも金に困っているわけではないのだ。
ならば、向こうが資源だと思っていないようなものを発見して相殺できれば、双方に利益がある話になると思った。
それが理想論だと、銀髪の女王は喝破する。
「力を持つ者ゆえの余裕もあるかと思います。寛容は美徳ですが、相手が素直に感謝してはくれません」
「耳が痛い……」
ユウトは、思わず素に戻ってしまった。
力の誇示など趣味からも美学からも反するが、確かに、それで毎回敵対者を叩き潰していては意味がない。
「私からすると、むしろ歯がゆいですわね。いっそのこと、独立して国でも興されては? そして、ラーシア様を大臣に」
「あはははははは」
先ほどの意趣返しではないだろうが、あけすけなエリザーベトの言葉に返事ができない。というより、笑って誤魔化すしかない。
もちろん、エリザーベトも本気ではないのだろう。
優雅に微笑み軽く頭を下げて、先ほどの提案も同時に取り下げる。
「部外者が余計な口出しをしてしまいました。お忘れください」
「とんでもない。独立の話は別ですが、他は参考になりました。ありがとうございます」
思えば、利害が対立も関連もせずに政策の話ができる相手は彼女が初めてだった。しかも、より規模が大きく、経験もある先達だ。
大いに参考になる。
けれど、特殊な事情というものもあった。
「しかし、イスタス伯爵家は、名分も大事にしなくてはならないんですよ」
「ああ……。それは、めんどうですわね」
「好きでやっていることですから」
ヴァルトルーデ・イスタス。
ヘレノニアの聖女。世界を救った英雄。
彼女の名の下で行われる外交が、利益だけを追求してはならない。それはヴァルトルーデの、彼が世界で最も愛する人を哀しませることになってしまうから。
「本当に、国益とか政治とか面倒な話ですわ」
「まったくです。うちの国内事情も多少関わってきますし」
アルサス王子からの手紙。その中にあった、結婚式のこと以外の政治的な記載を思い出しながら、ユウトは苦笑する。
場合によっては、敵の味方をこちらの味方に引き入れることも考えなければならないのだ。そのためには、プレイメア子爵――クロニカ神王国を追い詰めすぎるわけにもいかない。
さすがに、これは口外できないが。
「そういえば、エグザイル様にお子様が生まれるとか」
「ええ。近々らしいですね」
岩巨人の妊娠や出産を人間と同じように考えて良いのか分からないが、あと一、二ヶ月で出産らしい。
あのエグザイルが子供の名付けに四苦八苦している様は、とても感慨深い。
「私からも、なにかお祝いを贈らせていただきますわ。さすがに、立ち会うことは難しいでしょうけど」
「喜ぶと思います」
政治的な話は終わり雑談になりかけたところ、執務室の扉がノックもなしに開かれる。
こんなことをするのは一人しかいない。
「えりえり。もう仕事は終わった?」
「はい。お姉様」
「えりえり……。お姉様……」
小さな体躯で駆け寄るリトナと、それを満面の笑みで出迎えるエリザーベト。
もしかしたら、彼女は草原の種族ならなんでも良いのではないかという疑惑が芽生えたが、即座にゴミ箱へたたき込んだ。
翌日、ユウトはアルシアとともに、まずはドワーフの里メインツへと旅立った。
結局、ラーシアと顔を合わせることもなく。




