4.神々の来臨(中)
「知ってはいたことだけれど、清潔な街だ」
「知ると見るは、大違いなのである」
「その通り。見聞を広めるのは重要だ。このような身であるからは、特に」
まるで言い訳でもするかのように、知識神が自らの行動を正当化する。多少の後ろめたさはあったらしい。
「それも《悪相排斥の防壁》と同じく此方の力……とは言えんのじゃ」
「……人間の力」
「いいや、君の加護でもあるよ」
金髪の少年が、少しだけ得意そうな表情で神妃に語りかける。
「もちろん、上下水道を分けたのは人間の知恵だし、豊富な水量を誇る川がそばに流れているのは前提だ。けれど、その下水を処理する魔法具には神術呪文が関わっているのだからね」
「……汚水の処理にトラス=シンクの加護が」
「立派な役割なのである」
「所詮、力は力。役に立てば良いのじゃ」
トラス=シンクは死と魔術を司るという、一般的にはおどろおどろしい印象をもたれがちな神だが、その実は慈悲深い神性でもあった。
「清潔であれば病人も減るであるな」
「施療院も多く、その中心にはトラス=シンク神殿があるんだ。これはもう、誰の加護で生活が成り立っているかは自明の理だね」
「……自慢してる」
「自慢の妻だから」
神ののろけという非常に珍しい光景だが、それが神官たちの目に触れなかったのは幸いだっただろう。深遠にして厳かな神々の人間くさいところなど見せられたら、どう反応して良いものか分からなくなるに違いない。
もちろん、神々の側はそんな事情を斟酌するはずもないのだが。
ただ、目立つ集団にもかかわらず街に入ってからなんら注目されていないのは、なにかの力が働いているからなのだろう。つまり、神官たちの心の安寧が保たれたのは、その原因である神々自身によるものでもあった。
「それにしても、全体的に石造りで整った街であるな。ドワーフたちの頑張りがしのばれるのである」
「ドゥコマースが、得意げにしそうだね」
興味深そうに、石畳がしかれた道と街並みを眺めるレグラ神。
深山幽谷で修行をした修道僧が、人の多い街に感心しているように見えて微笑ましい。実際、ユウトが石材を作っている関係で資材は潤沢。城壁を築かなかったこともあり、整然とした印象を受ける。
そんな力の神の称賛に、知識神も相槌を打った。ただ、ドワーフと鍛冶の守護神の名前を出すときには、少しだけ嫌そうな顔をしていた。神々の間にもいろいろあるようだ。
「……でも、遊び心が足りない」
「それは街に必要な要素じゃろうか?」
そぞろ歩きながら、好き勝手に論評していく神々一行。
「この一定の間隔で建っている柱はなんであるか?」
「それは、街灯と呼ばれる照明だよ。明かりの呪文を封じ込めた球体で、夜の街を照らすんだ」
「ほう。街中にも線路とやらがあるのじゃ」
「この街を中心に、いくつかの街をつないでいるからね」
ハブとスポークというのは空港で使われる例えだが、イスタス伯爵領の中心にあるファルヴから延びる線路は、その構造に近い。もっとも、運行しているのはメインツやハーデントゥルムの間だけで、近隣の村々にはまだレールは敷かれていない。
知識神にとっては、線路という代物が実に興味深い。
理屈は分かる。その有用性も理解できる。
だからといって、道を造るかのように敷設するその意思はなんなのだろう。その手間、その資金、その資源。多大なコストを支払うことも厭わずに地図を書き換える。
その精神が、実に愛おしいのだ。
「……レグラが、あの馬車と競争したそうにしている」
「我輩は絶対に負けぬ」
そんな知識神の感慨も知らず、鼻息を荒くする力の神。挑まれたなら受けねばならぬ。勝たねばならぬ。不戦敗でいいからという悲鳴が、どこからか聞こえてきそう。
「そんなことより、先に進むのじゃ」
しかし、とりあえずは物見遊山を優先するらしい。そうこうするうちに、ファルヴの中心である城塞に到着する。挑戦者レグラの疾走は、また今度ということになるようだ。
「あ、しまった。学校を見に行きたかったんだ」
ヴァイナマリネン魔術学院など、知識神ゼラスの神殿を併設する学術施設は数多い。それを守護するのは当然だが、ゼラス神の好奇心は、ユウトが建てた初等教育院にも向いていた。
すべての者に教育を。
そんな理念を抱き、実行した者も過去には存在する。だが、領地丸ごと。しかも逆に金を払って教育を受けさせるとは。そのうえ、同時に理術呪文の手ほどきまでするなど前代未聞だ。
実に、素晴らしい。
知識神とはいえ、世のすべてを知るわけではないし、ありとあらゆる知恵を生み出せるわけではない。つまり、この神の好奇心を満たすには、人々が賢くあり、常に新たな発想を発明をし続けてくれねばならぬのだ。
たとえば、ユウトを初めて召喚したときに聞かされた、石油を繊維にしたというポリエステル。
千年、二千年かかろうとも、その開発を知識神は待っている。
「……私なら、もっと壮麗にする。美しさが足りない」
「用の美を感じるべきなのである」
「今からでも遅くはないじゃろう」
レグラとリィヤ。
ある意味で対極にある二柱を宥めるどころか、トラス=シンク神は、むしろあおった。
「この城塞を、リィヤ好みに改造してはどうじゃ」
「……なるほど」
抑揚のない声だったが、表情はやる気で満ちあふれていた。眼鏡の位置をくいっと直しつつ、改めてファルヴの城塞を観察する。
立派な城壁と正門。
それ単体で見るならば、レグラ神の言う通り実用性に美を見いだすのもやぶさかではない。けれど、やはり芸術神の好みではなかった。
また、壁のないこの街に、この城塞はいかめしすぎる。バランスがとれていない。
ならば、どうする?
答えは、すぐに出た。城壁と城門には彫刻を施そう。
ヘレノニアの偉業を称えるレリーフならば、かの神も文句をつけにくいだろう。
強度?
芸術の前には、塵芥も同然である。
それから、色合いも地味だ。
街の建物も石造りなのは良いが、同じく華やかさに欠ける。それはそれで調和がとれているとも言えるが、どうせなら街のシンボルにふさわしい、存在感が欲しい。
赤か、金色か。
あるいは、純白の城か。
「……インスピレーションが湧いてきた」
「それは、ヘレノニアが怒らないかな?」
一応、ゼラス神が配慮を口にする。
それを受けて、考え込むかのように芸術の女神は動きを止める。
結論は、すぐに出た。
「……外装だけだから」
それが免罪符にならないことは明白だったが、それ以上いさめようとする神は一柱もいなかった。
ほんの少し、時は遡る。
城塞で待機し、その時を待つユウトとアカネ。分神体の説明も聞き終え、やることがなくなった来訪者たちの間に弛緩した空気が流れる。
「しかし、暇ね。来るなら、さっさと来てくれればいいのに」
「確かにな。仕事も手につかないというか、昨日だいたい終わらせたんだが」
「そこは真面目ね」
「当たり前だろ。でも、さっさと来てくれなんて言ってると、とんでもないことが起こるんだよな」
「そんな分かりやすいフラグなんて――」
その瞬間、突如として光があふれる。二人がいる執務室も、真っ白に染め上げられた。
さらに、窓を閉めた室内にもかかわらず、かぐわしい香気が全身を包みこみ、妙なる調べが耳朶を打つ。
「……早速、フラグが回収されたわね」
「嬉しくねえなぁ……」
とはいえ、いつまでもぼやいてはいられない。
なにが起こったのかは分からないが、この程度の異変は想定済み。来臨が確信できたなら、それぞれの判断で捜索に出て、発見次第連絡を受けることになっている。
「でも、ラーシアはそのままで」
草原の種族という不確定要素は排除するに限る。ユウトは巻物から《伝言》の呪文を使用し、待機してほしい旨を伝えた。
返答はないが、元気な証拠だと思うしかない。
「俺たちも、城塞の周辺を見回ってから街を探しに出ようか」
「私も?」
「留守番してる?」
「あー。ケータイも意味ないもんね……」
仮に城砦に残るのが正解だったとしても、そうなると一人で対応することになる。それは無理だ。避けたい。
「《飛行》」
アカネの表情に理解の色が浮かぶのを確認して、二人に空を飛ぶための呪文をかける。
スカートを押さえつつ、ユウトに手をひかれて彼女の空の住人となった。
二人が外に飛び出したのは、ちょうど《悪相排斥の防壁》からの光が収まろうとしていたタイミング。街を半球状に覆う光の膜を見て、アカネは唖然とする。
「オーロラ? 虹?」
「いや……。トラス=シンクが《悪相排斥の防壁》に触れて反応した? そんなの聞いたことないぞ」
今の状態では、それ以上のことはわからない。
それに、今は神々を見つけることを優先すべきだ。
無限貯蔵のバッグから望遠鏡を取り出して、隣をおっかなびっくり飛ぶ幼なじみにも手渡す。
「これを使ってくれ」
「原始的な……」
しかし、善なる存在を感知する呪文は存在するが、効果範囲は狭い。街のどこかにいる夫婦神を発見することは不可能だろう。
「城塞の周囲にはいない……。となると、街の入口の方かな」
「子供の二人組よね?」
「ああ」
ユウトの返答は短い。
相手は神だ。姿を変えることぐらい造作もないだろうが、同時に他に手がかりもなかった。
街の外延部を飛び回りながら、焦りを抑えて道行く人々をつぶさに観察する。
ヴァルトルーデたちも同じように捜索しているだろうし、エグザイルやヨナも街の中を駆け回っているはずだ。
しかし、見つからない。
「認識阻害されてる?」
その場合、よほどの確信を抱いて観察しない限り、無意識レベルで見なかったことにしてしまう。
「じゃあ、どうやって見つけるのよ」
「見つけることができないのなら……」
待ち伏せか。
となると、あの二柱はどこへ行くだろうか。
それを考えながら、馬車鉄道の停留所、最近出店したヴェルミリオの支店、初等教育院などファルヴ特有の施設を回るが、まだ知識神たちの姿は見つからない。
「あとは、本当に考えたくないんだけど、お城じゃない?」
「……だな」
もし正解であれば不幸な入れ違いか。
思わず疲労感にさいなまれるが、見つけられるのであれば構わない。
期待と不安を抱きつつ、城塞へととんぼ返り。
上空から、目を皿のようにして観察すると――
「いたっ!」
なぜか四人いるが、気にしている余裕はない。
見憶えのあるゼラス神にトラス=シンク神の下へ、アカネの手を引いて墜落するような勢いで飛び込んでいった。途中で望遠鏡を落としてしまったようだが、構っている暇もない。
「なんで、リィヤ様まで?」
居並ぶ神々の中の一柱を見て、来訪者の少女が驚きの声を上げる。それは今まさに、美と芸術の女神がファルヴの城塞に彩りを加える寸前の出来事だった。
「アカネ先生!」
「リィヤ、普通に喋れたんじゃな」
この瞬間、アカネは大賢者が師と呼ぶユウトを超越した。
「先生か……」
この一柱と一人のコンタクトは、前回の褒賞――夢の中でだったはずだ。おそらく意気投合していろいろ語り合ったのだろうが……なぜ、師弟関係が結ばれているのか。
「なにがなんだか、わけがわからない……」
「ダァル=ルカッシュの予言が、なんか変な方向に成就している気がするわ……」
だが、それを追及するよりも優先度が高いことがある。
ユウトは姿勢を正して神々に向き直り、頭を下げた。
「お迎えもできず、失礼いたしました。すぐ他の者も集まりますので、以降は私たちがご案内いたします」
もう逃がさないぞと言外に込めて言うが、それはあっさりと受け入れられる。そう、神々にすれば、特に問題はない。
「うむ。任せよう」
知識神ゼラスが、一行を代表して鷹揚にうなずく。
「ただし、今日は無礼講だよ。堅苦しいのはやめよう」
「はあ……。はぁ!?」
そう言われて素直に受け入れられるはずもないが、ユウトは早々に抵抗を諦めた。
アカネを見るリィヤ神の目。
それは、田舎に住む少女が、都会から来た転校生へ向ける視線と同じ。憧れに満ちたものだったから。