3.神々の来臨(前)
「そういえば、分神体って、結局なんなの?」
「……そうか。特に説明してなかったな」
ついに迎えた当日。
朝からそれぞれの持ち場へ移動しているため二人きりになったアカネが、ちょうど良かったと今さら聞きにくい質問をユウトへぶつける。
「改めて聞かれると説明が難しいけど……」
執務室の椅子にもたれかかって天井を見ながら、ユウトは言葉を探す。
ヴァルトルーデとアルシアは神殿へ、エグザイルとヨナは街の見回り。ラーシアは、行方不明になったリトナを探してやはり街に。ダァル=ルカッシュは、先日次元門を開いた影響からか、端末も出さずに地下にこもっているようだ。
そのため、消去法で城塞で留守番になった幼なじみ二人。実際に降臨するまでは待つしかないので、時間はある。
けれど、二人きりとはいえ、さすがに色っぽい展開にはなりようがなかった。
「そもそもなぜ分神体が必要なのか」
「あ、そこからなんだ」
行儀悪く執務机に腰掛けていたアカネが苦笑するが、ユウトは見なかった振りをする。
「それは神々が直接地上への介入――より正確には、天上以外での活動を制限されているからなんだけど」
「かなり大がかりに振り返るわね」
「ああ。それは、善悪の神々が自由に行動をすれば、奈落の悪魔も入り乱れて大戦争が起こりかねないから。破滅を防ぐための、自主規制のようなもんだ」
「なるほど、なんとなく予想がつくわ」
きちんと、発端から始めた意味はあったのだと納得するアカネ。そんな幼なじみの様子を見て、これ以上は蛇足かなと思いつつも、ユウトは説明を続けた。
「なので、青き盟約と呼ばれる取り決めを作って、契約で縛った。これが、この世界の名前の由来でもある」
「そんな意味だったの。それで、分神体は?」
「その青き盟約の抜け道ってところだな」
姿勢を正し、机の上に座る幼なじみを見上げる。こんな状況になったことは一度もないはずだが、なぜか学校で話しているような気分になってきた。
それは、二人して制服を着ているからだけではない。学校生活に未練はないが、だからこそ思い浮かんでしまったのだろう。
「抜け道って、案外せこいわね」
「せこいが、自分の力を分割して、自らと同一の存在を作り出すのはまさに神の御業だな」
ヴェルガもその一端を披露した、秘跡。それにより生み出される分神体。
「それって、コピーロ……」
「それも充分凄いだろ」
「確かにそうね」
視線を絡ませ、同時にふっと笑みをもらす。こんな会話は、この二人でしかできない。それを改めて実感していた。
「知識も意識も共有されるみたいだ。本来の力を振るえないという以外は、神そのものだと思っていいんじゃないかな」
「なるほど。それでみんな大騒ぎだったのね」
「そうそう。ちなみに、その力の強さは千差万別だ。俺たちと同じかそれ以上だったり、ただの人間だったり。それどころか、自らが神であるという記憶を消して放浪している場合だってある」
「それで、許せぬ悪を見つけたら神としての記憶を取り戻して打ち倒し、助けた村を去っていくわけね。よく分かるわ」
「村かどうかは知らんけどな」
おとぎ話のような状況だが、実際にあったことだ。それを元にして吟遊詩人が歌ってもいる。
「あとは、とある国がひっくり返るような陰謀の裏に悪の神の分神体がいたりとかな。倒されて、その神自身がしばらく動けない状態になったとか。まあ、俺がやったわけじゃないから伝聞だけど」
「やっぱりファンタジーなのねえ」
「ファンタジーなんだよ」
ここまで説明を終え、改めてヴェルガの母である悪の愛妻ベアトリーチェの所行がどれだけ規格外か分かる。
盟約を無視して悪神ダクストゥムを招請し、子供まで作ったのだから。
愛は偉大――などと軽々しく言えなくなってしまう。
ダァル=ルカッシュの精神世界で起こったあの悲劇も、考えてみれば必然だったのだ。
アカネにも、誰にも言えないことだが。
「だけど、分神体とはいえやりたいようにやったら青き盟約が形骸化するからな。こんな風に期日を指定した降臨なんか、初めてのことじゃないか」
悪魔諸侯の一柱を封じるため領内におわすヘレノニア神の分神体は、例外といえるだろう。
「勇人がお願いしたということで、抜け道を広げちゃったのね」
「そういう見方が存在することを否定はしない」
政治家らしい言葉を苦笑で聞き流して、アカネは机から下りる。
「よく分かったわ。ありがと」
そしておどけるように一礼するが、それで胸元がちょうどユウトの目の高さになり、白い肌とその先が視界に入ってしまう。
あわてて目を逸らすが、アカネはにんまりと笑っていた。
「その反応のほうが、えっちーわよ」
「なぜ俺が悪いことになっているのか」
「それはもちろん、勇人が男だから」
「反論できないな……。っと、ラーシアからか?」
タイミング良く届いた《伝言》を開封し、露骨に話題を逸らす。仕方がない。時には逃げることも必要だ。
「リトナさんが見つかったらしい。とりあえず、ラーシアは一緒にいてもらおう」
「なんか、問題児を隔離したみたいな感じね」
「……今は非常時なんだ」
視線を逸らしたままのユウトの顔を掴んで自分のほうへ向けてから、アカネは疑問と愚痴の中間のような言葉を口にする。
「しかし、ほんとにいつ来るのかしらね。念のため料理の準備をしてるけど、そもそも必要なのか分からないとは……」
「すまないなぁ」
アルコール類は地球から持ってきたが、料理はそうもいかない。缶詰を大量に用意するだけでも喜ばれたかも知れないと気づいたのは、つい最近になってから。
そして、アルシアの神術呪文で歓待するわけにもいかず、アカネの負担がまた増えたという構図。
「別にそれは良いけど、やっぱり空から降ってくるのかしら?」
「気づいたらそこにいたってのもありそうだけど、やっぱり分からないな。一応、ゼラス神とトラス=シンク神の特徴は衛兵のみんなにも伝えて、見つけたら報告してもらうようにはしてるけど」
だからこそ、エグザイルとヨナに見回ってもらっているのだ。
「本当に、神のみぞ知るだな」
褒賞としてゼラス神をファルヴに招いた。それを説明した時と同じ台詞を口にすると、ユウトは再び椅子の背にもたれかかった。
その頃、ファルヴの街の入り口に奇妙な四人組がいた。彼らはそろって入市手続きの列に並んでいるが、どうにも互いの関係が判然としなかった。
保護者あるいは父親なのか。筋骨隆々とした、たくましい体つきの男がまず目につく。ただの農民ではありえない体躯の男は、それでいて寸鉄も帯びていなければ鎧も身につけていない。修道僧と呼ばれる、徒手空拳の格闘を究めた信仰者の一人かもしれない。
確かに、修行者らしいいかつい顔立ちではあるが、柔和な笑顔がそれを中和している。一緒に連れている子供の世話も、きちんとしているようだ。
その子供は男女一人ずつおり、兄妹なのか手を繋ぎながら行列やその向こうに見えるファルヴの街並み、運行する馬車鉄道を珍しそうに見物していた。
最後の一人は女性だが、子供たちの母親と言うにはあまりにも若い。綺麗にウェーブした金髪をリボンでまとめており、地味だが仕立てのしっかりとしたチュニックとロングスカートを身にまとっている。
子供たちと違って彼女は周りに注意を払うことなく、手にした書物を食い入るようにのぞき込んでいた。それ以外の動きは、時折眼鏡の位置を直すことだけ。
そんな四人組だったが、衛兵たちは特に疑いもせず街の中へと招き入れた。報告すべき子供たちの特徴も頭に入っていたが、なぜか彼らは素通しに近かった。
「ここが、噂のファルヴであるな」
「……別の街だったら、いい笑い物」
「そんなことになったら、いろいろと困る者が多く出てしまうよ」
修道僧のような男の発言に、さすがに本はどこかへ仕舞ったらしい眼鏡の女が皮肉げに答える。けれど、男はまったく気にしていない。
彼らは和気藹々と街へと歩みを進め、銀の粉で描かれた結界を前にして立ち止まった。
「城壁はなくし、《悪相排斥の防壁》を代わりにしたか。なかなか冒険的な作りだな!」
「ふふん。その《悪相排斥の防壁》は此方の加護であるぞ」
「……半分はヘレノニアの力」
「細かいことなのじゃ」
初めてファルヴを訪れる人間は、皆この境界線で立ち止まる。ゆえに悪目立ちはしていないが、いつまでもここにいても仕方がない。
「レグラ、リィヤ。そろそろ先へ進もう」
金髪の少年が、大人二人を先導するように促した。二人ともうなずくが、もしその呼びかけを聞く者がいたならば、少し驚きの表情を見せたかも知れない。
レグラにリィヤ。それはいずれも、神の御名であった。
力を司り挑戦という行為を守護するレグラと、芸術の女神であるリィヤ。過去の偉人にあやかって名付けをする場合もあるが、御名を借り受けるのは珍しい。
そしてより珍しいことに、彼らの名は借り受けたものなどではなかった。
力の神レグラと芸術神リィヤ。その分神体なのだ。
「のう、おまえ様。此方にはなにも言ってはくれぬのか?」
「君はなにも言わなくとも、ついてくるだろう?」
「まったく、ずるい人じゃ」
子供たちの会話にしては、あまりにも老成したやりとり。目の錯覚だろうか。不思議なことに、仲睦まじい二人が年を経た夫婦にも見える。
だが、そんな違和感は、より大きな異変によりかき消されてしまった。
その奇妙な四人組が《悪相排斥の防壁》を越え、ファルヴの街へと足を踏み入れたその瞬間。
突然、光があふれた。
天空からファルヴの街を見下ろしたならば、彼らがいた地点から円を描くように暖かな光が広がり、半球状になって街全体を綺麗に覆い尽くした光景を目撃できたことだろう。
同時に、甘くそれだけで夢見心地になるような香りが周囲に漂い、天の調べと呼ぶにふさわしい音色が聞こえてくる。
ヴァルトルーデとアルシアの二人が、《悪相排斥の防壁》を使用した時の再現だ。
「これはいったい、何事であるか?」
「ふんふん。これは想定していなかった」
「……知識神が、予想もしてない?」
「ありがちな誤解なのじゃ。全知など、ありえぬぞい」
「しかし、困ったね。こんな騒動になったら、すぐに見つかってしまう」
ただ、この奇跡により、彼らの存在が目立たなくなったとも言えた。人混みに紛れた神々は、当然だが、往来の人々とは異なり、この事態の原因を知っている。
「《悪相排斥の防壁》が強化されているのである」
「問題は、分身体が四つも触れたからなのか、それともこの四柱でなくてはならないのか。二柱では三柱ではどうなのか。実験をしたいな」
「……どうでもいい」
「どちらかといえば、此方もリィヤに賛成じゃ」
「我が輩もだ」
「仕方がない」
ここは譲ろうと、少年が肩をすくめる。
知識神ゼラスの好奇心を刺激するものは、他にもあるのだろうから。
神々の休日は、まだ始まったばかりだった。




