6.波紋と責任(前)
「結局、俺の仕事が増えたわけだが、どう思う?」
「ダァル=ルカッシュの主は、喜んで増やしていたものと思っていた」
ファルヴの城塞。その執務室に戻ったユウト――もちろん、レジーナとはなにもなく普通に別れた――は、次元竜の端末を前にうなだれた。
完全にユウトの秘書に収まった彼女は執務室に自らの席を与えられ、ユウトと会話をしつつも机上に積まれた書類をてきぱきと処理している。
彼女がいなかったら、何日も醤油作りにかまけていることなどできなかっただろう。
その点は感謝しているが、主をワーカホリックを通り越してマゾヒストに認定するがごとき物言いには抗議すべきだ。
断じて、そんなことはない。仕事は、少ない方がいいに決まっている。喜んで増やすなど、ありえない。
ただ、なんとなくできそうかなと思って作って、それができたら活用しなくてはもったいなくて、他にやれる人間がいないから自分で――
「泥沼じゃないか」
「泥水で水浴びをする動物もいる」
ユウトの処理が必要な書類を持って近づきながら、よく分からないフォローをするダァル=ルカッシュ。
「内容はともかく、フォローしてくれようとする心意気は身にしみるなぁ」
執務机に突っ伏すユウトが、手だけ動かしてダァル=ルカッシュの頭を撫でる。人とは違う、それどころか次元竜の本体ですらない端末。
それでも、清流のようにさらさらとした髪の手触りは極上で、温かみもあった。癒しとは、こういうことなのだろう。
次元竜は、なんら反応を示さなかったが。
「ダァル=ルカッシュの主よ、仕事はこなさなければ減りはしないぞ」
「正論なんて聞きたくない」
もしかして、絶望の螺旋を奉じる〝虚無の帳〟もこんな気持ちで世界を無に帰そうとしたのではないか。
そんな、誰にも言えないよしなしごとを考えつつ、ダァル=ルカッシュから渡された書類を素早く決済。
次に、ユウトはボールペンを手に取った。
まずは、先ほどレジーナにアイディアを披露した研究所についてアウトラインだけでも作っておかねばならない。
短期的には、防腐瓶や普通の瓶詰の利用法の確立、安定した生産の研究がメインになるだろう。
加えて、ユウトが思いついたアイディアを商業ベースに乗せることや研究員たちが独自に研究・開発を行う環境づくりも、将来的には必要だ。
「そんな人材、どこにいるんだって話だよな」
「ダァル=ルカッシュの主であれば可能」
「それができないから、困っているんじゃないか」
「設定された境界条件が曖昧だった」
これは、メルエル学長に相談したほうが良いかもしれない。ヴァイナマリネン魔術学院の卒業生なら、条件に合致する人材がいるはずだ。
「もしくは、公募もありかなぁ……」
幸いにして、本人の性質はヴァルトルーデが見抜き、背後関係はラーシアが調査してくれる。能力と信用のバランスが取れた人材登用ができるはずだ。
けれど、ユウトはあまり乗り気ではない。
「いなければ連れてくる。合理的とダァル=ルカッシュは判断する」
「そんな有能な人材が、野に埋もれてるものかなって。まあ、魔術師は変人が多いけど、そんな人が今さら表に出るとも思えないし」
その辺の釣り人や隠れ住んでいる世捨て人が有能な軍師なのは、伝説の中だけの話だ。
「しかし、探さなければ、見つけることもできない」
「売り込みは、基本的にお断りしてるしな」
官吏としての登用、パトロンの依頼などは、おおむね門前払いしている。数が多すぎて相手をしていられないのだ。もしかしたら、有望な人材がいたかもしれないが、無理なものは無理。
「もし売り込みに門戸を開いてたら、ラーシアが過労死……は、しないか。そんなの想像もできないな。そういや、ラーシアの『素敵な出会い』はどうなったのか……」
便りがないのが順調な証拠なのか、やっぱり騙されているのか。可能性としては後者が高いように思えるが、友人としては前者を願ってやまない。
「現実逃避はその辺りにすべきと、ダァル=ルカッシュは警告する」
「はいはい」
研究所構想の先――研究・開発は行うが、実際の販売は民間に任せてロイヤリティだけ徴収する――には、ロートシルト王国の協力が不可欠だし、他国も巻き込む必要が出るかもしれない。
まずは、きちんとした製品になるよう足場を固めるべきだ。
「とりあえず、人が集まるまでは俺が個人で進め……って、なにも好転してないし」
現実は厳しかった。
一応の道筋はつけておくが、時間が必要だろう。
「では、次は報告書に目を通してもらう」
「てきぱき進むなぁ」
そういえば、アカネからの買い物メモに『眼鏡。フォックスタイプで!』と書いてあったことを思い出す。つり目タイプの眼鏡は、ダァル=ルカッシュの秘書っぽさを強調するに違いない。
(邪魔なだけだろうけど、頼めばかけてくれる気がする)
しかし、それはコスプレ以外の何物でもなかった。
「ダァル=ルカッシュの主も、てきぱき進めれば余裕ができる」
「その余裕を別の仕事で使いそうな気もするけど……」
「あまりにも根を詰めすぎた場合、配偶者の誰かが無理やり休暇を取らせるものと、ダァル=ルカッシュは確信している」
「それもどうなんだ」
思うところはいろいろあるが、やらないわけにはいかない。
まず最初は、メインツとハーデントゥルムの税収に関する報告書。
今の時点での推定値だが、どちらも金貨数万枚ほどの収入が見込めるようだ。細かい計算は任せているが、前年の数倍である。
「増えたのは良いけど、いきなり払うの大変じゃないのか?」
農業が基盤の村々は収穫がないと支払うことができないので構わないのだろうが、税金を払って資金がショートしたなどという事態が起こっても困る。
商会ごとに決算月を分けるなど、配慮が必要かも知れない。その他、懸念と疑問をメモに書き添え、閲覧済みのボックスへ移動。
次は支出に関する報告書。
健康保険の費用は増加。魔法薬を配備するようにもしたから当然だが、アルシアの神術魔法がなければ目も当てられないことになっていただろう。
そのおかげで、ファルヴの街の健康状態は良好なのだが、この報告書では窺い知ることはできない。
学校事業も、当然、赤字。
収益を得られるわけではないのだから当然だが、他の領地だったら領主がいきりたって即刻解散を申し渡しているところだ。
馬車鉄道も黒字化はもう少し先の見通し。
その他、岩巨人騎士団など治安維持に要する費用、官吏たちの人件費、今も活動しているドワーフの建設部隊の手当、公共事業費など合計で金貨十万枚を超える費用が列挙されていた。
それも、ドゥエイラ商会の買収に要した費用は別計算だ。
「10億円以上とか……。それでもバランスシートは健全なんだから恐ろしい」
ロートシルト王国の国家予算をかき集めても、金貨で50~60万枚程度。
以前、アカネが表計算ソフトで作った資料と付き合わせつつ、自分たちの資産がどれだけ常識離れしたものかを改めて自覚する。
プレイメア子爵とやらが、証拠を捏造してまで詐欺を働いたのも、理由がないわけではないのだ。あれば許されるわけでもないが。
「これだけ投資すれば、そりゃ景気はよくなるよな。だから、ヨナのドラゴン退治も、一面的に禁止はできないんだよなぁ」
「治安の問題を考慮しても、充分に有益な狩りだと思われる」
「だけど、ヨナには普通の子供らしいこともしてほしい」
「それはダァル=ルカッシュの主の希望ではあるが、一般的な感性に一致していると判断する」
「含みがあるな」
「それが万人にとっての希望だとは限らない。これも、一般論と考える」
「分かってはいるよ」
輝きのないダァル=ルカッシュの瞳を正面から見つつ、ユウトは言う。
わがままだとは理解していても、道を示すことは年長者の義務だ。
ヨナはとりあえず学校へ引き続き通ってはいるが、順調に友達という名の子分が増えているらしい。期待した学校生活とは異なるが、本人が楽しんでいるのなら、それでいい。
「なにか?」
「いや、確かに眼鏡は似合いそうだなって」
適当なことを言ってごまかしつつ、次の報告書に目を通す。
ドゥエイラ商会の会頭コンペは、順調に集まっているようだ。ユウトを師匠と慕うペトラの父でありフォリオ=ファリナの世襲議員パベルには、よほど酷いもの以外は書類選考を通すよう依頼している。
多元大全やヴァイナマリネンを通じて知識を蓄えているものの、来訪者であるユウトは意外とブルーワーズのことを知っているようで知らない。だから、どんなアイディアが出てくるのか、純粋に楽しみな部分もあった。
だが、楽しいことばかりでもない。アルサス王子の結婚式に、プレイメア子爵の賠償問題で隣国のクロニカ神王国との折衝もある。
「俺、あんなもんを開発してる場合じゃなかったんじゃ……」
「先に悔やむことは不可能」
「……未来の俺は、これを糧にしてくれるだろうか」
最後、エグザイル率いる岩巨人たちから、黒妖の城郭跡地。つまり、仔黄金竜のゴドランの巣があった周辺の捜査に関しての報告書に目を通す。
なにか判明したならば、口頭で説明があったはず。
その予想通り、モンスターの出現数は多かったものの、原因は不明。地下になにかあるのだろうが、調査は困難だ。また、地下までは神々の目も届きにくいのか、有用な神託も得られていない。
大した脅威ではないのかも知れないが、無視するわけにもいかなかった。
「とりあえず、エグザイルのおっさんには、継続して見回るようにしてもらおう。本人以外が」
そう結論を出して、大きく伸びをする。
気づけば、もう夜も遅く。他に起きているのは、アカネぐらいのものだろう。
ダァル=ルカッシュも地下の本体へと返し――睡眠をとっているのかは不明だが――ユウトも部屋に戻ろうかと思案していたとき、扉がノックされた。
「どうぞ」
「こんな遅くにごめんなさいね」
「俺としては、別に遅くはないんですけど……」
そんなユウトの前にアルシアが現れたのは、日付が変わろうかという時刻。ブルーワーズでは、真夜中と表現すべき時間だった。
迷惑ではないが、どんな用事があるのかは気になる。真紅の眼帯で表情はわかりにくいが、真剣で深刻な話であろうことは容易に見当がつく。
「とりあえず、座って」
「ええ……」
ソファには腰を下ろすが、話そうとはしない。
部屋においてあるワインを《小魔法》で温めてからカップに注ぎ、アルシアが口を開いてくれるのを待つ。
こんなにも不安げで、悩んでいる彼女を見るのは初めてだ。
「実は、王都のトラス=シンク神殿から呼び出しがあって、ユウトくんにも関連があるものだから……」
「俺に?」
死と魔術を司る女神トラス=シンク。
そういう意味では無関係ではないが、彼女に限らずユウトはどの神の信徒ではなく、必要以上にかかわることもなかった。
それがなぜと彼の顔には書いてあったが、絞り出すようなアルシアの言葉で疑問は氷解し、同時に顔色を変える。
ヴァルトルーデではないが、それは確かにユウト自身の問題だった。
次回は、9/19(金)に更新します。
これ以降、更新ペースは元に戻せる予定です。