5.後始末
次回の更新は9/17の予定です。
まだ田植えを終えて二週間ほどの稲は、これからしっかりと根付き成長する途上にある。今、ユウトの目の前に広がる稲はまだ背が低く青々としている。
実際に米作りをしたことなどないユウトには問題があるようには見えなかったが、ジンガら本職は成長が遅いと判断した。
そんな30メートル四方はある水田を前に、大魔術師は大きく息を吐いた。
手には、以前献呈されたリ・クトゥアの秘宝。竜帝の権威の象徴たる三つの宝珠。天・地・人の宝珠がひとつ、地の宝珠。
覚悟を決めたとはいえ、緊張は隠せない。
実際に、それを使うのは初めてというのは、大した問題ではない。触れた瞬間、どうすればいいのかあっさりと〝理解〟できた。
だから、その緊張は別の原因――固唾を飲んで見守る、ジンガら竜人たちの熱い視線にあった。
「地の宝珠よ、その威を示せ」
そんな中、いつもの白いローブに制服を身にまとったユウトは天に掲げるように宝珠を捧げ持った。
金色に輝く宝玉。
魔術師ならずとも強大な魔力を感じ、思わず跪きそうになる秘宝具。
その金色の光が水田へと降り注ぎ、全体が光に包まれる。柔らかで暖かく、それでいて荘厳な光。
「奇跡じゃ……」
「竜帝さまの再臨じゃ……」
「ありがたやありがたや」
いきなり頭を垂れるほど急成長するようなわかりやすさはないが、宝珠を使用したというだけで、充分なインパクトを与えてしまったようだ。
それを見て、膝をつきこちらを祈る竜人もそこかしこにいた。
ユウトもそれに気づいていたが、正直、反応に困る。手を取って立ち上がらせようものなら、もっと大げさなことになるのは間違いない。
結局、気づかない振りをして水田に視線を注いだ。
稲は生き生きと生長し、心なしか艶さえ感じられる。土壌がどう変わったのかは見た目でわかるはずもないが、おそらく成功だろう。
「これで大丈夫ですかね?」
「はい。安心です……が……」
それでも、ジンガは、ユウトが地の宝珠を使用する可能性は低いと思っていた。もちろん諦めるつもりもなかったのだが、急展開に違和感はぬぐえない。
「まあ、いろいろ覚悟が決まったというか」
「覚悟とは……」
「いざとなったら、リ・クトゥアを征服すればいいではないかと、婚約者に言われちゃいましたからね」
「それは……」
正直なところ、魅力的な未来だと言わねばならない。望まないといえば、嘘になる。自分たちは新天地を得たが、故郷の島々には今も戦乱にあえぐ、虐げられる同胞たちがいるのだから。
だが、それを婚約者――おそらく、あの美しい領主なのだろう――が言い出すとは。
妹の前途多難さを案じて、ジンガは誰にも見つからないようひっそりと。しかし、盛大にため息を吐いた。
「うん。表から入るのは諦めよう」
ケラの森でジンガたちを前にして地の宝珠を使用した直後。宴を催したいという提案を、用事があるからと丁重に断ったユウトは、一人ハーデントゥルムの街を訪れていた。
正式な訪問となれば評議会が右往左往することは分かっているので、もちろんお忍びだ。不正を防止するために事前連絡のない視察は有効だが、今回は別の用事。
ヴェルミリオ――アカネとレジーナが立ち上げたファッションブランドの直営店の前まできたものの、あまりの行列にユウトはあっさりと白旗をあげた。
人の多さに怯んだわけではない。
ただ、女性ばかりの集団に飛び込む勇気がなかっただけだ。
裏口へと回りながら、これは失敗だったかも知れないと、心の中でもうひとつ白旗の準備をし始めてしまう。
今日、ここへ来たのは現実逃避で作ってしまった防腐瓶の扱いに関し、レジーナに相談をしたかったからだったのだが……。
「あら、若旦那だわ」
休憩に出るところだったのかも知れない。くすんだ金髪を三つ編みにしたそばかす顔の少女が、裏手に回ったユウトを目ざとく見つけ近寄ってくる。
針子の女性たちも、交代で店舗に立っていた。なにしろ、彼女たち以上に詳しい人材はいない。
「今日は、お嬢はいないわよ。社長に用事?」
「いや……。まあ、そうだけど……」
思わず、「アカネとは一緒に住んでいるから知ってる」と言いかけて、あわてて口をつぐんだ。この秘密が白日の下にさらされたら、どんなおそろしいことになるか。
「しゃちょー。若旦那が会いたいって」
「ゆ、アマクサ様!?」
店の中からなにかを蹴倒すような音がし、足音が響く。
大丈夫なのかと心配しつつ、中に入ればもっと大変なことになりそうだと、ユウトはその場でレジーナを待つ。
そして、数分。
「お、お待たせしました」
表面上は平静を保って現れたレジーナ。
襟つきで、鮮やかな赤のニットと白のフレアスカートをあわせた、やや派手目な服装だ。けれど、元が華やかな美人である彼女にはよく似合っていた。
「接客する関係上、うちの服を着る必要がありまして……」
ユウトの視線に気づいたのだろう。恥ずかしそうにスカートの裾を直し、しかし、視線は逸らさない。
「いや、似合っていると思いますよ」
「本当ですか?」
「社長が照れてる……」
「これは、レアだわ」
「あなたたちっ」
野次馬に出てきた店員たちは、レジーナの一言で蜘蛛の子を散らすかのように持ち場へ戻っていく。ただ、言われずとも、彼女たちには怠けている余裕などなかった。
「実は相談があってきたんですが……難しそうですね」
裏口からでもわかる、店内の喧騒。
店内の客たちはマネキン――当たり前のように用意したが、これもブルーワーズで初めて――に驚き、実物を手に取り、試着をして購入していく。
「あれから日にちも経ったし、もう大丈夫かなと思っていたんですが」
「ありがたいことではありますが……」
売り上げは予想を超えているが、あまりに千客万来というのも困りものだ。
最初から値段を提示し、値引きはしない。一定の時間で、店内の客を入れ替える。売り切れた場合は、割引券を発行する。
そんな対策でなんとか回しているが、需要に対して供給が追いつかない。
「少々、予想以上でして……」
「レジーナさんが店頭に立っているぐらいですもんね」
アカネが別の用事で最近こちらにかかわる時間が減っているが、それとは無関係に繁盛しすぎだった。
「今日は出直します」
この状況は、ユウトではどうにもできない。資金を投下しても、どうにもならないことだってあるのだ。
「若旦那、それはいけない」
「そうそう。社長はずっと店に出ずっぱりだから持って帰っちゃって」
しかし、そんなユウトに待ったをかける娘たち。アカネとユウトが〝いい仲〟なのは知っているが、それはそれこれはこれ。
ゴシップの種は、いくつあっても困らない。
「持って帰れって、どこにだよ……」
「あなたたちは、またっ」
「社長、ここは私たちに任せて」
「どうぞどうぞ」
雇用者と従業員というよりは、教師と生徒のようなやりとりで、強引に店を追い出される二人。いや、ユウトは店に入ってもいなかった。
「……どうしましょう?」
「なんか、ごめんなさい」
「いえ、アマクサ様が悪いわけでは」
そんな風に二人で謝り合っていると、
「とりあえず、場所を変えましょう」
「……はい」
――といっても、彼女たちが期待するのとは別の意味で、人に聞かせられる話ではない。結局、ニエベス商会へ移動するしかなかった。
しかし。
なぜか、到着した二人が通されたのは、レジーナの自室。二人が、初めて会った場所だ。
あの時はヨナとセスクがいたが、今は二人きり。
別の部屋を使うつもりだったレジーナだが、使用人――番頭格であるセスク老人の妻――に自室へ追いやられ、その彼女もお茶を出した後はさっさと姿を消してしまった。
「なんだか、変な従業員ばかりで」
「まあ、変なのはうちも変わらないので……」
フォローにならないフォローをしつつ、お互いに苦笑を浮かべる。周囲の意図は分かっているが、それに乗るかは別の話。
少なくとも、レジーナも同じ気持ちだとユウトは思っている。
「それで、今日の用件なんですが……」
そう前置きしつつ、無限貯蔵のバッグからコルクで封をした瓶を取り出した。中は、白い液体で満たされている。
「これは?」
「ガラスではなく、玻璃鉄で作ってもらった瓶で、《防腐》の呪文が付与されています」
「それでは……」
「食べ物を入れることを想定していますが、かなりの長期間腐らせずに保存できます。年単位で」
「年ですか!?」
ヴァルトルーデと同じ反応をして、ユウトと瓶とを交互に見やる。
やはり驚かれるのか……と、自覚のない来訪者は渋い顔をした。
「確かに、魔法具で同じように保存できるものはありますが、商売に使用するには高すぎます。ですが、これは照明と同じように比較的安価に抑えられるのですよね」
「《防腐》の呪文は第三階梯なんで、それなりの魔術師じゃないと使用できないんですが――」
その話を聞いて、レジーナが残念そうな表情を見せる。
けれど、それは早計だった。
「俺の故郷には瓶詰という食べ物の保存方法があって、こうやって中に入れた食べ物を――まあ、これは牛乳ですけど――煮沸することで長期間保存できたりするんですよね」
これに関しては、玻璃鉄である必要もない。なんでも保存できるわけではないが、同じように年単位の保存が可能だ。
「それは……」
もし実現したら、どうなるだろうか。
豊作の時に食料を保存し、不作の時にそれを食べられたなら餓死者は大幅になくなるだろう。軍への納入も大いに期待できるし、交易には向かなかった地方との航路開拓も可能。
確実に、世界が変わる。
「ただ、俺はそこまで手が回らないんですよね」
「それは確かにそうでしょう。ええ、アマクサ様が直接される仕事ではないでしょうし。それに、手が回らないのは同じです」
「いきなり売り物にするよりは、どの程度のことができるのかという実験もしたほうがいいとも思うし」
「確かに……」
資金協力はするので、技術開発をする商会はないか。それを相談しにきたのだとユウトは言った。
「ドゥエイラ商会は、どうなのでしょう?」
「今はうちの持ち物らしいですけど、他国だしいずれ手放す予定なので……」
「しかし、ハーデントゥルムの各商会は今のところ手一杯です」
「そうですよねぇ」
はっきり言ってしまえば、ユウトが頑張りすぎてしまった結果だ。自業自得というには前向きな結果だが、仕方がない。
「じゃあ、これならどうです?」
あっさりと諦めて、もうひとつの腹案を口にするユウト。
「国――まあ、この場合は伯爵家ですが、その直属の機関が技術を開発する。そして、使用料を徴収する代わりに、そこで開発した技術を使用した製品で金儲けをしてもいい」
「……画期的かと思いますが――」
しかし、それはただ乗りにはならないだろうか。
「埋もれさせるのも、もったいないですから」
どうやら、ユウトの中ではその方針で固まったようだ。さらに大きな仕事が降って湧いたことになるのだが、いつものことだと気にしない。
そんなユウトを、畏れとも憧れともつかない視線で見つめるレジーナ。
この場に、セスク老人ら、従業員の誰かがいたならば、自らの考えの正しさを、さらに確信したことだろう。