3.生産のはじまり
色々あって難しいかと思いましたが、間に合ったので更新。
ただ、書籍化作業のため、明日(と、たぶん明後日)の更新はお休みさせていただきます。
大賢者ヴァイナマリネンが住む八円の塔は、何処とも知れぬ深山幽谷にひっそりとたたずんでいた。
中央に存在する塔を城壁や堀が張り巡らされ、七つの尖塔が取り囲む。元は古代の遺跡であるとも言われているが、現在の主人は黙して語らない。
それ単独で難攻不落の居城だが、そもそも正確な在処を知るものはきわめて少数。
また、仮にその位置を知っていたとしても、八円の塔にたどり着くには、数千メートル級の山々とグリフォン、カトブレパス、ケルベロスら危険なモンスターの襲撃を乗り越えねばならない。数種のドラゴンに加えて巨鳥や雲海白鯨が徘徊する上空からも、侵入は不可能。
つまり、八円の塔に入るにはその主から招かれるしかない。
現時点でその資格を得た最後の人物は、ブルーワーズで最も尊敬を集める大賢者の私室に入り、そして盛大にため息を吐いた。
「ジイさん、なにやってんだよ……」
書斎というよりは、書庫に机を持ち込んだという表現が正確な室内。魔法の灯りが煌々と、ヴァイナマリネンの周囲を照らし出す。
その大賢者は立派な体躯を丸めて、ラップトップパソコンの操作をしていた。
ここまでは、良いとしよう。あまり良くはないが、原因はユウト自身にもあるのだ。
「聞けば分かるだろうが」
「脳が理解を拒んでるんだよ」
あまり詳しくはないのだが、バスパワーで駆動するスピーカーから聞こえてきたのは、音声合成ソフトで読み上げた音声のようだった。違和感はあるが、なにを言っているのかははっきり分かる。
「なぁに、ちょっとした手慰みよ。将来的には、呪歌の再現ができぬか考えてはおるが」
「俺がでっち上げた、テクノマンサーとかが現実に現れるから止めてください」
呪歌は、吟遊詩人と呼ばれる者たちが操る、歌唱や舞踏により様々な効果を引き起こす魔法の一種だ。生物の精神に影響を与えるものが多い。
もちろん、ただ歌えば発動するわけではないし、上手い下手も関係ない。ヨナの超能力と同じように、才能で左右される。
「それならまだ、呪歌を録音・再生して効果が出るのか実験された方がマシだった」
「そこはもう、済んでおるわ」
効果はなかったがのと、快活に笑う。
手遅れだったかと、ユウトは頭を抱えた。
「それで、なんの用だ」
「ちょっと誘いにきたというか、教えなかったら後でねちねち言われそうだから老人に声をかけに来たんだが、早速後悔し始めてるところだよ」
「ほう。書物をデジタル化するのにも飽きてきたところだ。話せ、話せ」
「そんなことまで、してたのかよ……」
貴重な理術呪文や錬金術に関する書物、紀行誌、博物誌、日記など蔵書があまりにも膨大になったため処分方法を考えていたところ、家電量販店で勧められたそうだ。
このために、わざわざバスパワー給電可能なフラットベッドスキャナまで購入していた。
こうしておけば場所も取らず、後で必要なところのみ印刷も可能だと子供のようにはしゃぐ大賢者。
それを聞かされたユウトは災難だ。ファンタジーそのもののような大賢者からデジタル化などと聞くと、思わず頭が痛くなってくる。
「いいのかよ、結構高いんじゃないのか?」
「構わん構わん」
書物という形態に意味がある魔法具も存在するので、もちろん、すべてをとはいかない。けれど、重要なのは中身であって形式ではないと喝破する。
「先進的過ぎるジイさんだ……」
「誉めるでないわ。しかし、話が進んでいないぞ。なんの誘いだ」
「イスタス伯爵領で、醤油と紙づくりを始めるから、見学でもどうかなってさ。といっても、まだ試作をする段階だから、手順を紹介するぐらいになると思うけど」
どうせ、隠しておくことはできない。気づかれたら実演を求められるのは明白なのだから、最初から呼んでおけばいいという、嫌いなものは先に食べてしまうという理論だ。
好きなものが後に残っているかは、保証されていないのだが。
「それをさっさと言わんか」
フットワークの軽い大賢者は即座に応諾し、愛用の呪文書だけ手にして立ち上がる。そのまま《瞬間移動》を使おうとし――
「待った! 場所はファルヴの城塞じゃないぞ」
「それならそうと、先に言わんか」
「ああ、もう。大人しくしやがれ、このジジイ」
後悔。
それは、今のユウトのために存在する言葉かもしれない。
「しょうゆは、実は味噌の作り方と途中まで同じだったりするのよね」
ケラの森の集落。元は自然崇拝者たちが最低限に文明化された生活を送り、今は東方世界リ・クトゥアから移住してきた竜人たちが居を構えていた。
広場に集まる彼らは、カグラと同じように皮膚の一部が鱗になっている者、爪が竜のそれになっている者、舌が爬虫類のようになっている者など竜の特徴が部分的に現れている。
それを見ても、アカネは特になにも思わない。そういう人もいるのねというぐらいだ。
見た目という意味では岩のような皮膚をしたエグザイルや、子供のようだが成人しているラーシア、ハーフエルフのレンも地球の常識から外れているが、気味が悪いなどと考えたこともなかった。
受容性が高いというのもあるし、永劫密林で護衛をしてもらったダーラなど、外見は普通の人間――棘付きの鎖で全身を巻いているのを別にして――だが内面は異常だったという例を見たせいでもあるだろう。
「手順としては、大豆を洗って、一晩水に浸けて、柔らかくなるまで煮る」
「確かに、同じですね」
料理番組のアシスタントのように、横からカグラが相槌を打つ。
二人の話を、集まった里の女性たちは食い入るように聞いていた。
醤油の美味しさは、すでに料理を振る舞って布教済み。
全員から絶賛されたわけではないが、それを自分たちで作れるというのだ。否が応にも熱が入る。
「違うのが、その大豆に炒って砕いた小麦粉を混ぜることね」
レシピという名の多元大全で調べた異世界知識を披露しつつ、事前に用意しておいたそれを皆に見せる。
そして、これもカグラに頼んで準備してもらっていた大豆の塊に混ぜ合わせた。
「だいたい、これを三日間ぐらい寝かせる必要があるの」
その間に発酵が行われ、麹ができる。麹菌の問題は、元々みそ造りをしていただけに問題ない。先ほどの樽を片づけ、今度は、すでに寝かせた麹の入った樽を皆の前に置いた。
「で、これが寝かせたもの。次はこれに食塩水――塩水を加えて『もろみ』っていうしょうゆの原料みたいのができるんだけど……」
もろみまでできれば、後は絞るだけで醤油は完成。
しかし、ここで年月の問題が立ち塞がる。
「その後、だいたい、半年以上は混ぜながら寝かせないと駄目なのよね……」
「そうなのかい……」
残念だねと、竜人の老女がため息を吐く。それまで生きていられるか心配だ――というわけではなく、単純に結果が先になって忸怩たる思いなのだ。
醤油造りには、手間も時間もかかる。それも程度の問題だろうが、ここまでとなると日本から業務用の調味料でも運び込んだ方が、遥かに手間が少ない。
それでもユウトやアカネがブルーワーズでの生産にこだわった。
この伝統的な調味料が、ブルーワーズでも受け入れられるという確信があるからだ。
もちろん、根拠はある。照り焼きソースに漬けた肉を焼き、試食としてヴァルトルーデたちに振る舞った時など――
「肉の臭みが全くないな。こちらでは食べたことのない味だが、絶対に受け入れられるぞ」
「オレは、食えればなんでも良いと思っていたが、美味いものは美味いな」
「値段次第でしょうが、ほしがる人は多いでしょうね」
「おいしい」
「さあ、アカネ。ちょっと専売契約を結ぼうか」
――と、諸手を上げて絶賛されていた。
もっとも、ヴァルトルーデたちには地球への渡航経験があるため多少は割り引くべきだろうが、それでも勝算はある。
その手始めとして、アカネはアルサス王子とユーディットの結婚式に、醤油を使用した料理を出すつもりだった。
そこで評判になれば、買い手も付くに違いない。
「でも、今回は待てないので、呪文でその辺はスキップします」
「どうも、スキップしに来ました」
「おう、やれやれい」
タイミングを見計らって、二人の大魔術師が醤油造り講座が行われている広場に姿を現す。同時に、カグラがやや心配そうな顔をしつつ、食塩水を樽に注ぐ。
残り少ない石鹸でしっかり手を洗ったユウトが、アカネに呪文書を支えてもらいながら、逆手で器用に3ページ分切り裂いた。
「《腐敗》」
触れた“物体”の腐敗を進行させる第三階梯の理術呪文。本来は、死体を腐らせて蘇生呪文を使わせないようにするのが目的で開発されたものだ。
だが、成長と老化が同じであるように、腐敗と発酵は同義。
味噌と似た色だったそれが徐々に黒ずみ、嵩も減って液体が増える。確実に、醤油へと近くなっていく。香りも、醤油そのものだ。
「いやぁ、頼んでおいてなんだけど、早送りしてるみたいね。呪文ってすごい」
「役に立ってるなら良いけどな」
やや思うところはあるものの、見守る女性たちの期待に満ちた表情を前にすると、なにも言えない。
「まったく、滅茶苦茶な使い方だな! 小僧!」
一番はしゃいでいるのは、ヴァイナマリネンだったが。
今回の講習会の前に何度か練習しただけあって――さすがに、ぶっつけ本番ではできない――順調に発酵が進んでいく。
数ヶ月分を三十分程度に短縮し、後はしぼり袋で自然に醤油を濾していくだけだ。
「さっき、みんなに味見してもらったのが、そうやって試作したおしょうゆね。でも、いつまでも呪文には頼っていられないから、みんなで練習をしてほしいの」
「味噌とほとんど同じなら、大丈夫だわ」
「そだな。うめえもん食えるなら、いくらでもやるわ」
かなり簡略化した説明だったが、里の女性のやる気は充実している。
まだ温度管理など難しい問題はいくらでもあるのだが、イスタス伯爵領における醤油造りは、こうして始まった。
一方、ユウトとヴァイナマリネンはその場を離れて、ジンガが待つ里の集会所へと向かう。
「匂いが取れねえ……」
「血の匂いよりはマシだろうて」
「他人事だと思って」
「自分以外は、皆他人よ」
「たまに、こんな含蓄がありそうなことを言うから、世間は騙されるんだ」
しかし、片手から漂う香ばしい匂いはどうしようもない。石鹸を使って洗っても、まだこびりついているように思える。
「容器に《腐敗》の呪文を魔化して、勝手に発酵が進むようにできれば……」
「樽自体が腐らんようにせんといかんな」
珍しいものが見れて上機嫌の大賢者を横目に見つつ、次は丸投げしてやろうと決意を新たにするユウト。
次、つまり製紙に関する打ち合わせだ。
「遅くなりました」
村の公民館の様に殺風景な室内。里の人間が集まれる程度には広く、申し訳程度の敷物があるそこで、里の男たちは里長となったジンガのもとに集まり、難渋さに満ちた表情を見合わせていた。
「これは、ユウト殿」
正装に身を固めたジンガが上座を譲り、自らは正座で脇に控える。
大仰なと思ってしまうが、そう思われるだけの事をしたのだ。無下にはできない。
「それで、紙づくりに関しての見通しはどうですか」
「特に問題は、ありません」
「そうなの?」
思わず、素で聞き返してしまった。
先ほどの暗い顔はなんだったのか。
一方、ヴァイナマリネンはそんなユウトの困惑も知らぬと、試食用にと用意されていた軽食を遠慮なく掴んで口へ運んだ。
「こいつは、なかなか美味いな。どんどん作って売るべきだぞ」
「ジイさん、こっちに来た目的、憶えてるよな?」
「細かいことを気にするでないわ」
醤油を塗っただけの焼きおにぎりを頬張りながら、気楽にヴァイナマリネンが言い放つ。
「試作は、すでに行なっております」
「それは聞いてるけど……。えっと、原料とかもこの森で調達できてるってこと?」
「リ・クトゥアの里で使っていたものと同じではありませぬが、代用は可能です。職人も皆、こちらへ来ておりますれば、本格的な工房さえできてしまえば量産も問題は無いかと」
もちろん、必要な量にもよりますがと付け加えるジンガ。一方、ユウトは逆に難しい顔をする。
「それは、好きに作ってくれて構わないけど……」
「ほう。東方では、木から紙を作るのか」
「正確には、木の皮を用いますが」
ヴァイナマリネンとジンガのやりとりに、ユウトは目を瞬かす。意外な言葉が飛び交っていた。
「ていうか、紙は木で作るものだろ?」
「羊皮紙をなんだと思っとるか」
「ああ……」
それは文字通りそうだ。
「それに、普通の紙もボロ布を砕き溶かして加工するものだぞ」
「マジか」
知らなかった……と、頭を抱える。
味噌造りに集中したせいで、下調べができていなかったのが敗因だ。
「俺が知ってる紙って、皮だけじゃなくて木そのものを細かく砕く感じなんだけど……」
もしくは、《製造》の呪文で生み出すか。
「それは、我々も知らぬ方法ですな……」
「……分かりました。次回までに、俺の知識をまとめておきます」
「ならば、ワシは紙づくりの工程を見学させてもらうとするか」
門外不出の秘伝ではあるが、ユウトからは話が通っている。そもそも、ユウトも和紙の作り方ぐらいはぼんやりとではあるが知っているので、秘密にしても意味はない。
紙漉職人の竜人が先導し、大賢者が早速集会所を後にする。まるで、遊園地へ行く子供のように。
これでその気になったら、紙づくりはあの老人に押しつけてしまおう。活版印刷もセットなら、きっと食いつくはず。少なくとも、プリンタ用紙は必要なはずだ。
そう勝手に決心したユウトは、ジンガへと向き直り単刀直入に切り出した。
「……それで、なにが問題なんですか?」
「実は、米作りの方が……」
それは一大事だと、ユウトは先を促す。
「気候は問題が無い。許容できる範囲なのですが、土地がどうにも」
水も問題ないが、土があまり良くないようで、生育が今一つだと言うのだ。
「できれば、宝珠を使用してはいただけないかと、思っているのです」
秘宝具、地の宝珠。
ユウトに捧げられた竜帝の象徴。
自分にはその資格も覚悟もないと、無かったことにしていた物。
それが、突然、ユウトの前へ登場してきた。