2.出会った二人(後)
「まあ、とりあえず中へ入ろうか」
取り繕うように、あるいはごまかすように。荷物と一緒にエプロン姿のアカネを押し込んで、厨房の中へと入っていく。
「お邪魔いたします」
その動きに、カグラも乗った。ユウトの背中にくっつくかくっつかないかという微妙な間を空け、雪崩れ込むように進入した。
そこは、言われていたとおり厨房だった。かまどや調理台が配され、隅には薪や水瓶、麻袋に入った食材も置かれている。城の規模にしては小さめだが、他にもいくつかあるためだとまでは気づかない。
「やけに強引ね」
「気にするな」
「その態度で、勇人がなんか無神経なことを言ったんじゃないかという疑惑が、私の中で渦巻いているのだけど」
「いえ、わたくしが勘違いをしただけですので」
「勘違いさせるようなことがあったんじゃない」
「いえ、これ以上は本当に」
彼女が、自分のために言ってくれているのは分かっている。
分かっているからこそ、これ以上は深く追及してほしくない。さらりと流してほしい。
「まあ、それなら良いけど」
カグラの必死さに負けて、アカネも矛を収めた。実のところ、二人の様子で怪しいと感じただけで、根拠があるわけではない。
「とりあえず、彼女がリ・クトゥア……東の方にある日本みたいなところからうちに来てくれた、カグラさん」
「朱音、三木朱音よ」
「カグラと申します」
「一応というかなんというか、俺と同郷の幼なじみで、婚約者の一人です」
厨房にいるため指輪は着けていないが、はにかむような笑顔がその証拠だ。
「さ、左様ですか……」
カグラの目から見た彼女は、派手な顔立ちの美人だった。アーモンド形のパッチリした猫のような瞳。奇妙なドレス――だが、妙に魅力的な――を着ており、一目で分かるスタイルの良さ。
アカネ。
以前ユウトが言っていた女性。幼なじみで料理上手だという。
それは、意図的に省いたわけではないだろうが、過小な表現だった。なぜ、こんな美人だと教えてくれなかったのか。
驚き。
落胆。
納得。
羞恥。
様々な感情が混ざり合い、まるで星が落ちてきたと聞かされたような表情を見せる。実際に、ユウトは一度星を落としているのだが。
「それでカグラさん、来てもらったのは他でもないわ。リ……なんだっけ?」
「リ・クトゥアな」
「そう。そのリ・クトゥアって和食というか、こっちとは違う料理なのよね? なので、私が作る料理と比較をしてほしいのよ」
「ええと……」
カグラは混乱している。
「とにかく、料理を味見してくださいってことかな」
そんな竜人の巫女へ、ユウトは優しく微笑みながら補足する。アカネの説明は、やりたいことは分かるが、どうしたらいいのかよく分からない。
「味の違いとか、感想とか。とにかく、意見を聞かせてほしいのよ」
「……分かりました」
否やはない。だが、食べるだけで良いのだろうか?
「わたくしも、なにかお手伝いをいたしましょう」
「……そうね。じゃあ、お願いするわ」
「かしこまりました」
カグラが巫女装束の千早を脱ぐと、つづらの中へさっと仕舞う。代わりに、割烹着のような服を取りだしたということは、元々、準備していたのだろう。
そんな様子を眺めながら、調理の役に立たないというよりは邪魔なユウトは脇に引っ込んだ。
「う~ん。似合うわね。和風美人って感じ」
「ワフウですか?」
文化は似ていても、言語はまた別。聞き慣れない表現に竜人の巫女は首を傾げるが、ほめられているのだということは分かる。
どう解釈するべきか――ストレートに解釈して良いのだが――分からないカグラを置き去りに、アカネはエプロンドレスの上から更に花柄のエプロンを身につけた。
やや年季の入った、彼女の愛用品だ。
「いつも思うけど、その重ね着はどうなんだろうな」
「メイド服が汚れたらどうするのよ」
「汚れても良いから、メイド服なんじゃ?」
「確かに、呪文で綺麗にしてもらえるし良いんだけどね」
気分の問題よと、微笑を振り撒きながらアカネが言う。その表情を見るだけで、彼女がどれだけ彼のことを想っているのか理解してしまう。
(わたくしは、どうしたいのでしょうね)
ふっと、竜人の巫女が自嘲気味に笑った。初めてのことで、兄ジンガの言葉で、二人の会話で。心が乱される。それは、着地点が分からないから。
ひとつ確かなのは、ここでみっともないことはできないということだ。
「まずは、お米を炊きましょうか」
「釜を持ってきましたので、よろしければ」
「あっ、助かるわ。こっちには、お米を炊くためのお釜って見つからないのよね。職人さんに特注しようかと悩んでたわ」
つづらから取り出された釜を、カグラが軽く水洗いする。
その間に、アカネが米ぬかを洗い流すため、ざるも使ってごしごしと米を研ぐ。この米は、以前ジンガから分けてもらったものだ。元は、ユウトがリ・クトゥアで買い漁ったのだが、精米技術の違いもあって、地球の米よりは入念に研ぐ必要があった。
そのため、日本で流通しているそれよりも、念入りに米研ぎをしなくてはならない。
その手つきは、カグラもアドバイスの余地が無かった。
「よし。こんなものかしらね」
力仕事を終えた後にもかかわらず、嬉しそうに言うと今度は給水に入る。同時に、ビンから黄金色で粘り気のある液体を少量投入した。
「それはなんですか」
「ハチミツよ。お米のサプリみたいなものね」
「さぷりですか?」
「混ぜて炊くと美味しくなるらしいですよ」
ユウトのフォローがあったが、カグラはまだ半信半疑だ。そもそも、ハチミツのような高級品を米に足すというのは、どうなのかという疑問もある。
「これで、30分ぐらい水を吸わせるとして次は……」
「使えるかどうかは分かりませんが、よろしければ」
三度つづらの中から取りだしたのは、いくつかの食材。
野菜は、まだ泥の付いているにんじんや大根。そして、ケラの森で数日前に獲った鴨の胸肉。
「ふんふん。豪華ね。じゃあ、これは煮物にしましょう」
「では、下ごしらえを」
「よろしく」
調理台で手分けをして食材を加工していく二人の美少女。
しかも、メイド服と巫女服の美少女という、非日常的な光景。それを黙って眺めている自分はなんなんだろうと、ユウトはふと我に返ってしまった。
(そういえば、うちは共働きなのに俺はなんにもできないな……)
それはユウトの母である春子が家事も完璧にこなしていたからであり、あるいはアカネのお世話になっていたからであり……。
(もしかして、なにもさせなかったのは、朱音に頼って生きるしかないようにするためだったりして?)
普通はあり得ない突飛な考えだが、この状況を見るとあながち妄想とも思えなかった。
その真偽は余所に、二人は手際よく作業を進めていく。
野菜の下ごしらえを終えたカグラは、アカネと相談して汁物の準備に取りかかる。
アカネは、地球から持ち込んだ干し椎茸――椎茸は高級品なので、カグラは目を丸くしていた――の戻し汁も使った昆布と鰹節の出汁で、まずは野菜だけを煮ていった。
芳醇で、どこか懐かしい匂いが厨房に広がっていく。
その間に、別のかまどで米を炊き始め、鴨肉も綺麗にカットして別の鍋で調理を始めた。そうしながら後片付けも並行しているのだから、ユウトからすると神業に近い手際の良さだ。
「その黒いものは、いったいなんでしょうか?」
「お醤油よ。やっぱり、知らないのね」
「おしょーゆですか?」
調味料なのだろうか。
真っ黒というよりは紫がかった液体だが、見るのも聞くのも初めてだった。
「味見してみる?」
「是非」
自分で思ったよりも前掛かりになってしまい驚くが、今更取り繕うこともできない。微笑を浮かべたアカネが小皿に取って渡した。
「これは……」
それを受け取り、指につけて一舐め。
味噌の上澄みに似ているが、もっとすっきりとして深い味わいを感じる。原料も製法も分からないが、そんなことはどうでもいい。
「……美味しいですね」
「これを、煮物の味付けに使ったりするの」
「味付け……」
カルチャーショックを受ける割烹着姿の竜人の巫女を横目に平然と料理を進めるアカネだったが、内心ほくそ笑んでいた。
醤油の味を確かめてもらう。
今日は、そのためだけに料理会を行なったと言っても過言ではないのだから。
「ユウト様が、リ・クトゥアと似た文化を持つ地の出身と仰っていましたが、やはり差異はあるのですね」
「違いというか……。違うのは、時代かなぁ」
脇で見学に徹していたユウトが口を挟む。
醤油の誕生には諸説あるが、日本では16~17世紀頃と考えられている。恐らく、数十年以内にリ・クトゥアでも生まれるのではないだろうか。
ただ、地球のことが説明しづらいので、どうしても曖昧な説明になってしまうのだが。
「こっちは、これで良いかな? 次は、味がかぶっちゃうけど照り焼きにしましょうか」
その間に煮物の味を決めたアカネは、もう一品の準備に入る。カグラも、かまどの火の調節を手伝いながらではあるが、興味津々だ。
照り焼きと言えばブリや鶏肉を想像するが、ブルーワーズでの入手難度を考えて豚肉。やはり、地球から持ち込んだ料理酒、みりん。それに砂糖などを合わせて照り焼きソースを作る。
あとは、小麦粉をまぶした薄切り肉をネギと一緒に焼いて、照り焼きソースを絡めるだけだ。
途端に、香ばしい匂いが辺りを包む。
特に食事にこだわったことがないカグラでも、食欲がそそられ、期待が膨らんでいく。
同時に、兄や里の皆にも食べさせてあげたいなと思う。
「じゃあ、こっちは皿の用意をしておくから」
今まで見ているだけだったユウトが、完成が近いと見て申し訳程度に働き出す。まるで、ヒモのようだが、こういうのが大事でもある。
程なくして料理がすべて完成し、厨房内で試食会が始まる。
炊きたてのご飯に、カグラが作ったみそ汁。鴨と根菜の治部煮、豚肉と長ネギの照り焼き。それに、カグラが持ってきた漬物。
純和風の献立が並ぶ食卓。
「いただきます」
感謝の言葉を唱和し、それぞれ箸を取る。
カグラが、まずご飯を小さな口に運ぶ。かみしめた瞬間、甘みが口の中に広がった。
ユウトとアカネは、まあまあねといった顔つきだが、それに気付きもしない。
煮物も照り焼も、米を食べるのにこれ以上に適した相手役は存在しないと思えるほど。醤油という調味料はまさに革命的。
欲を言えばもう少し濃い味付けの方が好みだが、これも旨味が感じられて不満はない。あるはずがない。
ソースがわずかにかかった白米の佇まいは、いっそ官能的ですらあった。
カグラは、普段の食事を思い浮かべる。
ナスなどの野菜の煮物。
ただし、味付けはされていないので、自分で液状の味噌のようなものをつけて食べる。
すまし汁。
昆布などで出汁も取っているが、味付けは塩がメイン。
あとは、味噌味の雑炊や、たまに焼き魚が加わる程度。里では獣肉も口にする機会はあったが、需要に比べて供給は少ない。
それに比べて、この食卓の華やかさはどうだろうか。
そのうえ、味まで段違いだ。
「実は、お醤油を作りたいなという計画があって、協力をお願いしたいのだけど」
なるほど。今日の催しはこのためだったのか。
カグラは、すとんと腑に落ちた。
そして、彼女に拒絶するという選択肢は存在しなかった。




