9.小さな冒険(中)
ファルヴ近郊、貴婦人川に沿って仔黄金竜――ゴドランが滑るように飛んでいく。
「ぬおぉっ。負けるか! ドゥコマースの鉄槌と金床に懸けて!」
「僕らの足じゃ、もう、むり……」
その横の川辺を走るハマルとサマルのドワーフの兄弟は、どんどんと距離を離されてしまう。
ドワーフの創造神。天上の鍛冶師。美しい髭を持つもの。酒類の守護者。数多の称号を持つ“豪壮なる”ドゥコマースも、引き合いに出されて困っているかも知れない。
残念ながら、ドゥコマースでもドワーフの足の短さは、どうしようもできないのだ。
まずサマルが膝をつき、次いでハマルも立ち止まって天を仰ぐ。呼吸は乱れ、脇腹も痛い。完敗だった。
「グウゥッ!」
先を飛んでいたゴドランは二人の試合放棄に気づき、そのまま低空飛行で戻ってくる。そのままドワーフ兄弟の周囲を飛び回り、喜びを表現した。
まだ子供とはいえ黄金竜。本来であれば、もう少し精神年齢も高いはずなのだが、刷り込みの結果か、ヨナに服従を誓ったためか。すっかり、良い遊び相手になっていた。
もちろん、双方が遊んでやっていると思っている。
「ゴドラン、ご褒美だよ」
氷が敷き詰められ、鮮度を保ったままハーデントゥルムから送られた鯖。箱に入ったそれを一匹取り出し、ララは喜色を満面に浮かべて放り投げてやった。
「グウッウッ」
ご機嫌でゴドランが空中で丸々とした鯖を捕まえ、一気に飲み込む。それを見て、ララはまた嬉しそうにお下げの髪を揺らした。
そのイメージに反し、ドラゴンはその巨躯に比べると小食だ。もし全世界のドラゴンが体に見合った量の食餌を欲したならば、ブルーワーズから生命は死に絶えるだろう。
極端に燃費が良いのか。あるいは、周囲の環境から魔力や源素力を吸収して補っているのか。諸説あるが、まだ結論は出ていなかった。
とはいえ、餌があれば、当然食べる。見ていて気持ちよくなるほどに。
しかも雑食で、肉でも魚でもタンパク質を好んでいた。
ヨナの豊富な資金力により、すっかり餌付けされていたゴドランだった。
彼女たちが、この仔黄金竜を保護してから三日が過ぎていた。
初等教育院の空き教室に匿い、授業の合間や放課後にはこうやって世話を続けている。ユウトやテュルティオーネは把握しているのだが、今のところ監視に留めていた。
もちろん、なにか問題が起これば即座に介入できるようにはしているが。
「すっかり元気になったわねー」
私もと、魚を一尾放り投げながらミリヤが感慨深げにつぶやく。
魔法薬の力もありゴドランの傷はすっかり癒え、体力も戻っている。今も、ただ遊んでいるのではなくリハビリの一環だ。もっとも、目立つのを避けるために、高度を上げては飛べないのだが。
それは即ち、別れの時が迫っているということでもあった。
「ヨナちゃん、ゴドランちゃんは南の方へ帰ろうとしているんだ……ね?」
「……そう」
川辺の友達を土手の上から眺めながら、レンがヨナに改めて確認をとる。
日本で買ったTシャツにショートパンツというラフな出で立ちのヨナに対し、よく魔術師が羽織るローブ姿のレン。
他に人の気配はなく、周囲になにか近づいてもヨナが展開している《タクチュアル・サイト》で、ゴドランが見つかる前に気づくだろう。
「よりによって……だね」
未だ竜語を操ることのできないゴドランとの意思疎通には、ヨナの《マインド・ボンド》が必要だった。精神をつなげて思考とイメージを共有し、彼女――雌だった――の巣は、かつて〝虚無の帳〟の本拠地である黒妖の城郭があった山地にあることが判明している。
ただ、どうしてゴドランが深い傷を負い、ここまで逃げてきたのか。そこまでは、判然としない。
「私は、みんなを連れていくべきじゃないと思う……よ」
まだ息が上がったままのハマルとサマルの兄弟。それに、魚を手にゴドランと戯れているミリヤとララを視界に入れながら、レンは珍しく強い口調で言う。
「分かってる」
一方、アルビノの少女から発せられた返答は弱々しかった。
ゴドランを巣へ帰さなくてはならない。それはみんな分かっている。問題は、その方法だ。できるなら、みんなで巣まで送り届けてやりたい。
けれど、安全面を考えるとそれは難しかった。
分かっているのだ。一番安全なのは、ユウトたちに白状してしまうことだと。
ハマルたちには、ゴドランが家に帰ったと結果だけを告げる。そして、みんなの中に、楽しくて悲しく。少しもやもやした思い出が残ることになるだろう。
だが、そうするには深入りしすぎてしまった。
ここで別れるのは簡単だが、そうはしたくない。
「それは、わがまま……だよ?」
そんなリスクを負うべきではない。ハーフエルフの少女の言葉は正論だ。取り返しがつかないことにも、なりかねないのだから。
けれど、そうするにはヨナの力は強すぎた。わがままを通せてしまうほどに。
「みんなを守って、連れていくことぐらいできる」
「分かってる。でも、それなら、お兄ちゃんには秘密にできない……よ」
「《テレポーテーション》で近くまで行って、歩いて場所を探せばいい」
「なにが起こるかは分からないよ?」
「レン」
「だめだ……よ」
ヨナが赤い瞳でレンを射抜くように見つめる。けれど、ハーフエルフの少女も引かない。同じ扱いをされてはいるが、一番のお姉さんなのだ。駄目なことは、はっきり言わなくては。
一方、ヨナも引く気はない。
不穏な気配。
そんな空気を察したのか、ゴドランが二人の間に飛び込んでくる。
「グウゥッ」
ヨナとレンの足下を歩き回りながら、まるでお説教でもするかのように尻尾を振りながら鳴き声をあげた。
ただ、それはゴドラン本人の認識。
客観的には、大きなぬいぐるみのドラゴンがユーモラスに動いているようにしか見えなかった。
「ごめん……ね」
「少し、大人げなかった」
それを前にして、言い争いを続けることなどできはしない。
そして毒気を抜かれたヨナは、一緒にこだわりも捨てた。
「みんな、話がある」
ゴドランを追って走ってきた友達に、ヨナは真剣な表情で声をかける。
「ヨナヨナ、どうしたの?」
「姐御……」
「ヨナちゃん……?」
そのいつもと違う雰囲気に飲まれたのか、笑顔で遊んでいたはずの皆が一様に押し黙る。
予感はあった。
でも、目を背けていたかった。
それを突きつけられるのだ。
「ゴドランは、巣に帰らないといけない」
先ほどとは違う空気をまとった、アルビノの少女。レンは、そんなヨナを信じて口を挟まない。
「でも、巣の場所は危ない。ゴドランがなににやられたか分からないけど、そのモンスターがいるかも知れない」
手がかりは、口腔内に刺さっていたあの虫の足のようなものだけ。それだけでは、レンも敵を特定することはできなかった。
「やだよ。一緒にいたい」
話の着地点に思い至ってしまい、ララがゴドランを抱きしめて離さない。
「それは、できないんですよ」
サマルが冷静に言うが、当然、効果はない。
「あんた、バカよね」
「ちょっと、蹴らないでくださいよ」
「ララ、お前らも。ヨナの姐御の話を最後まで聞け」
意外にもハマルがミリヤを押しとどめる。ヨナが絡むと、稀に調整能力を発揮するようだ。
「だからせめて、みんなで巣まで送り届ける」
「本当に?」
「待ってください」
喜色を浮かべてゴドランを愛撫するララに対し、サマルが冷静に疑問を呈する。
「そこは、危険な場所なんですよね」
「そう」
「ヨナちゃん、どうする……の?」
不審とまではいかないが、どういうことなのか説明を求められる雰囲気。
「だから、危なくなくする」
「ヨナヨナ。つまり、どういうこと?」
「大人に頼る」
そう宣言したヨナの瞳は、彼女の家――ファルヴの城塞へと注がれていた。
「なるほどね」
執務室――というよりは、たまり場と化しているユウトの執務室。城塞内の一室で、ユウトはヨナの長い話を聞き終え、一言そう言った。
長いと言っても、ヨナの語りだ。かいつまんだ内容で、言葉足らずの部分も多い。
それでもユウトには問題なかった。
偶然居合わせた、ヴァルトルーデとアルシア、アカネも同様だ。
「黙っていて、ごめんなさい。でも、おねがい」
デスクで苦々しい表情を浮かべるユウトに対し、ヨナが素直に頭を下げる。それは、いつもの受け入れてもらえることを前提としたわがままではない。真摯な願いだった。
ユウトは意表を突かれていた。
もちろん、事の経緯は、《念視》で把握していたので、内容に驚いているわけではない。
まさか、自分から黄金竜の子――ゴドランのことを打ち明け、みんなで別れを済ますために協力を求める。その行動自体は、思ってもみなかった結果だ。レンを連れてこなかったのも、予想外。
正直なところ、隠したまま《テレポーテーション》でも使用して仔黄金竜を知る者全員で転移して送り届けるという展開を予想していた。
そうなったらそうなったで、事前に旧黒妖の城郭跡地を掃除するなどして、安全を確保するつもりだった。
その予想はアカネもうなずいており、ヴァルトルーデも協力を約束してくれた。アルシアも、お説教は後回しにするつもりだった(あくまでも、後回しだ)。
しかし、これはどうだろう?
殊勝な表情で、こちらを窺うように見上げるヨナ。
自分は今、渋い顔をしているはずだ。そうしないと、笑ってしまうから。
そう自己分析するものの、それがヨナの不安をかき立てるところまでは、さすがに配慮しきれない。
結論を長引かせても仕方ない。
アカネたちも我慢の限界のようだし、ユウトは背もたれから離れて机上に肘をついておもむろに口を開いた。
「じゃあ、《灰かぶりの馬車》を出すかな。御者は、悪いけどエグザイルのおっさんに頼もう。馬は……ヴァルに頼むか、それとも、馬場からいい馬をだしてもらって疾風の肢巻りでもつけるか。どっちにしろ、帰りは《瞬間移動》すれば良いから、一日で帰ってこられるな」
「ユウト……?」
なにを言っているのか分からないと、ヨナがためらいがちに彼の名を呼ぶ。
仕方ありませんねとは言いたげだが、アルシアも止めようとはしない。
「みんなでお別れをしたいんだろ?」
「でも、《瞬間移動》なら……」
疾風の肢巻は、それを身につけた動物の移動速度を上昇させる魔法具だ。一時期、《灰かぶりの馬車》と組み合わせて使用していたが、聖堂騎士の神術呪文においやられ、無限貯蔵のバッグの肥やしになっていた。
それを使うということは……。
「《瞬間移動》? お別れするのに、一瞬で行って帰ってじゃ味気ないだろ。行きは馬車で、遠足気分でも楽しんだら良い。モンスターも適当に狩っておくし」
「勇人、遠足じゃ分からないわよ」
「ええっと、じゃあピクニック?」
「ほんとに、いいの……?」
半信半疑どころではない。
本気で叱られることを覚悟していたのに、説教ひとつも無しに、全面的に許してもらえるなどと夢にも見なかった展開だ。
「ああ。ただし、友達が一緒に来る場合には、保護者――親とか大人の承諾が無いと駄目だぞ。後で手紙を書くから、それを見せてちゃんと許してもらってからな」
イスタス伯爵家の家宰が認め、イスタス伯爵家自体が安全を保証するのだ。余程でない限り、承諾は得られるはず。
あまりにも都合の良い結果。
まるで、事前に決めていたかのようだ。
「……ユウト、のぞき見してた?」
ヨナの疑念を通り越して確認に近い問いかけに、ユウトはにっこりと笑って答えた。
「これで、おあいこだろ」
こっそり監視していた分は、今回の協力で帳消し。そう主張する大魔術師だったが、アルビノの少女は頬を膨らませた。
「ユウト、嫌い」
ぷいと顔を背けると、そのまま足早に執務室を出ていく。
「……でも、ありがと」
――出ていってから、顔だけ扉の間から出してそう言い残すと、今度こそ本当に部屋を後にした。
流れる沈黙。
「学校行かせて良かったなぁ……」
たっぷり数分してから、感動したと言わんばかりに口を開くユウト。
ヨナがこんな反応をするようになるとは、ほんの十日前には考えられないことだった。みんなもそう思っているだろうと、ソファに座っている婚約者たちの方へ視線を送るが……。
出迎えたのは、一様にあきれたような表情の三人。
「甘いわよ、勇人」
「そうだな。甘すぎる」
「ちょっと、擁護が難しいわね……」
身内には甘く、特にヨナには甘いと非難の的になる。
ただし、そんな男のことが、この場にいる女は全員、嫌いではなかった。