8.小さな冒険(前)
「――と、いうわけなんだけど」
ファルヴの城塞、ユウトの執務室。
夕陽が差す室内で、テルティオーネの教官室で聞いた一連の経緯とヘレノニア神殿からの要望、そして落下した黄金竜について説明を終えると、早速、信頼する仲間たちに意見を求めた。
「ボクとしては、ハーデントゥルムにまでヘレノニア神殿の連中が出張ってくるのに、異議を差し挟みたいんだけど」
「そんなに嫌がらなくても良いではないか、ラーシア」
「えー。めんどくさい」
「めんどくさいのか……」
ラーシアに一刀両断されて、ヴァルトルーデが哀しげな表情を浮かべる。だが、それは本筋ではない。フォローしたくなるのをぐっと我慢し、ユウトはエグザイルに話を向けた。
「おっさんは、どう思う?」
「基本的には、ヨナの好きにさせれば良いと思うが」
「え? いいの? だって、ドラゴンよ?」
常識人――相対的に――だと思っていた岩巨人の意見に、アカネが驚きの声を上げる。
彼女の感覚からすると、小学生が見つけた猛獣の子供を隠れて飼おうとしているようなもの。お話としては良いかもしれないが、現実ならばすぐに専門家へ預けるべきだ。
ソファから身を乗り出し、メイド服の裾をややはためかせながら、そう主張するアカネ。
「ドラゴンと言っても、子供なんだろう?」
「滅多なことじゃ事故なんか起こらないね」
「黄金竜であれば信頼できる。我らがヘレノニア神を信奉するものも多くいるのだぞ」
「そういうものなの?」
現地組とのドラゴン観の違いに、来訪者の少女は自分の認識が間違っているかのような錯覚に囚われる。
「……そんなわけないわよね。ドラゴンよ、ドラゴン。犬や猫と違うんだから」
けれど、すぐに正気に戻って常識的な主張を繰り返す。今ほど、アルシアの不在が悔やまれたことは無い。
その代わり――というわけではないが、今回はドラゴンに関係する問題ということで、ユウトの秘書に収まりつつあるダァル=ルカッシュも参加していた。
「状況からダァル=ルカッシュが推察するに、その仔黄金竜は生まれて十年以内の個体と思われる。竜語も話せず意思疎通は難しいが、理性と知能は十分に備えている段階でもある。故に、その仔黄金竜が極度の興奮状態にある。もしくはこちらより敵対行動を取らない限りは安全であろうという判断を下すことは可能」
けれど、仔黄金竜の状態を説明はするが、賛成とも反対とも意見を出すことはない。ある意味で公正。同時に、より一層アカネの困惑は深まる。
「だけど、相手が相手よ。アクシデントってのも考えられるでしょ?」
「まあ、一般的には朱音の言うとおりなんだけど、今回はヨナもレンもいるからさ」
安全率は確保されているとユウトが言う。それだけに、問答無用で取り上げることもできずにいるわけだが。
それに加えて、ブルーワーズではドラゴンは災害に近い認識もされている。ユウトとラーシアがリ・クトゥアへ赴く途中に赤竜に襲撃されたように、理由もなく突然襲われることもあるし、実際に見たことが無くとも話はよく聞かされている。
日本人が多少の地震で動じないのと、同じ現象が起こっているのだ。
「ヨナは、黄金竜の子を巣穴へ返すつもりなのだろう? ならば、しばらくは見守るだけに止めても良いのではないか? その経験から、なにかしら得られるものがあるかも知れん」
「そうだな」
ヴァルトルーデの決断を、エグザイルが低く響く声で追認する。この岩巨人の教育方針は、どちらかと言えば放任に近い。
「むしろ、黄金竜。しかも子供ってのが、ちょっと気になるよねー」
「ラーシアも、そう思うか?」
「うん。あのかわいそうな黄金竜との符合は、偶然なのかな?」
「かわいそうな黄金竜?」
「ああ。まあ、そこまですごい因縁があるわけでも無いんだが……」
当時はいなかったアカネに、蜘蛛の亜神イグ=ヌス・ザドと戦い散った黄金竜のことを説明する。
「俺たちが戦ってた敵の残党が攻め込んできたとき、偶然居合わせた一体の黄金竜が悪を見過ごせないと立ち向かってくれたんだが……」
「毒でぶじゅーと、殺られちゃったね」
「それは……」
簡略化されているが故に、悲惨さが強調される。
白と黒のコントラストが美しいエプロンドレスのアカネは、顎に指を当て上を向いて考え込むが、ストレートな感想しか出てこなかった。
「……本当にかわいそうね」
「善悪正邪と勝敗は無関係。同情は構わないが、気に病む必要もない」
同じドラゴンのダァル=ルカッシュの感想は、乾いたものだが、それだけに実態に近いのかも知れない。
「それに、黄金竜であれば親が子を取り戻しに襲撃を仕掛けてくることもない。まずはちゃんとした交渉をすることだろう。また、ダァル=ルカッシュの主たちであれば、襲撃されても退けることは間違いない」
「倒す前提なのね。まあ、今更ツッコミ入れても仕方ないけど……」
「ごほんっ」
わざとらしい咳払いをして、話を戻すユウト。
「まあ、別に関係者……関係竜? とにかく関係があってもなくても、やることにあんまり違いはないけど、俺としては、しばらくはヨナたちに任せても良いと思うんだけど、どう?」
「良いんじゃない?」
「そうだな」
「私も、賛成だ」
アルシアはいないながらも、賛成多数で方針が固まっていく。
「私はちょっと不安だけど、みんなが言うのなら杞憂なんでしょうね」
「心配しているのは、ダァル=ルカッシュの主も同じと考えられる」
ユウトの横に侍りつつ、意志の感じさせない瞳で次元竜の端末は、そう水を向ける。
「もちろん、ちゃんと見守るし、迷惑はかけないよう配慮するよ」
ユウトの言葉だと、それはそれで心配だ……というアカネの不安は押し流され、方針が正式に確認された。
――そんな大人たちの決定は余所に、ヨナは《テレポーテーション》で仔黄金竜を空き教室に運び込んでいるところだった。ユウトが日本の学校をイメージして建てたため、未使用の部屋はいくらでもある。
そして、当然のように、ヨナはすべて把握済み。
板張りの床に寝かされた黄金竜の子は、先ほど少し目を開けていたものの、再び眠りについている。
ここは、教官室からも一番離れた奥まった場所。見つかる可能性は低いが、ヨナは息を潜めて友達を待つ。
30分ほどして、控えめなノックと同時に音を立てないようにゆっくりと扉が開かれた。
レン、ハウル、サウル、ミリヤ、ララ。
あの場にいた子供たちが、荷物を運ぶのに苦労しながら、教室内へと入っていく。
「ヨナヨナ、寝わらを持ってきたわよ。誰にも見られてないから、安心して」
「しかしこれ、重てえ……」
「しっかりしなさい。ドワーフでしょ」
「ドワーフと言っても子供だし、限界はあるよ」
「うるさいわね。限界があるなら、超えればいいじゃない」
ミリヤの無茶な言葉に、それでもハマルとサマルの兄弟は男の子の意地を見せた。よたよたとした足取りだったが、自分の体よりも高さも太さもある藁束を運び込む。
「言われたとおり、お肉も買ってきたよ」
「先に、移動させてお薬を飲ませ……よ」
外見に共通点はないが、内面はよく似たレンとララの二人がおずおずと近づく。
そんな二人を背にして、ミリヤが二つ結びにした髪を揺らし、ドワーフの兄弟へあごをしゃくった。
「さあ、その子を藁の上に載せましょう」
「誰がやるんだよ」
「聞くだけ無駄だよ、兄さん」
「くそうっ」
ララは興味はあっても、まだ黄金竜の子に触れるほどの勇気は持てないようだ。実は、強がってはいるがミリヤもそれに近い。
レンとヨナが率先して仔黄金竜のもとへ向かうと、ハマルとサマルも任せきりにはできなかった。
「重てえ」
「いいから黙って、持ち上げなさい」
「うううー」
重労働の末――ヨナは言われれば、念動力で運ぶつもりだったのだが――なんとか取り落とすことなく、黄金竜の子を藁の上へと寝かせることに成功する。
衝撃はほとんどなかったはずだが、それで仔黄金竜が、瞳孔が縦長になった瞳をぎろりと開いた。
「うっ」
「ひっ」
その威圧感は本物だ。突然のことに、子供たちが短い悲鳴を上げて後ずさる。
「グゥルルッ」
それに反応したわけではないだろうが、黄金竜の子供は威嚇の声を上げ、間近にいたヨナにいきなり噛みついた。小さいとはいえ、ドラゴン。アルビノの少女の小さな頭ぐらいは一飲みだ。
「ヨナちゃん……っ」
平常時であれば、黄金竜がいきなり暴力を振るうことはあり得ない。戦いに傷ついた後で過敏だったこと、いきなりの状況変化に戸惑ったこと、目覚めてすぐに痛みと違和感でストレスを憶えたこと。それらの不幸な偶然が重なった結果。
だが、幸か不幸か黄金竜の子が牙をむいた相手も普通ではなかった。
「なにもしない。おちつく」
避けるのでも、恐怖に固まるのでもない。
ヨナは利き手を伸ばして、黄金竜の口腔内に突き入れた。
「グムムゥ」
「暴れない」
口を閉じられず、離れることもできず。その場でもがく黄金竜。あまりの事態に、仔黄金竜は、光の吐息の存在も忘れていた。
それを良いことに、ヨナは突き入れた腕をぐりぐりと捻っていく。
「なにが起こってるの……」
「ヨナちゃん、すごい」
「さすが、ヨナの姐御……」
この状況こそ、アカネが懸念していたアクシデント。けれどユウトが指摘したように、ヨナであれば心配の必要などなかった。
「んっ、取れた」
周囲の反応はまったく意に介さず、目的は達したと腕を引き抜く。その手には、黒く所々に繊毛が生えた昆虫の足のような物が握られていた。
だが、それにしては大きすぎる。その木の枝のような物を投げ捨て、ヨナは仔黄金竜へと視線を向ける。
「グゥウ」
「敵ではない」
その言葉を理解したのか、痛みから解放されたためか、それとも力の差にひれ伏したのか。先ほどのいきり立った雰囲気は全く無くなり、すっかり落ち着いていた。
「それが刺さっていたん……だ?」
ヨナは小さくうなずき、よだれで汚れた腕を珍しく困ったように見つめる。だが、まあ、いいかとそのままにすることにした。
「レン、魔法薬を」
「サマル、水だ」
「うん。兄さん。そういえば、ドラゴンにも必要かも知れないしね」
ドワーフの兄弟が、子分よろしく空き教室を出ていく。
「はぁ……。ヨナヨナ、びっくりさせないでよ」
「ヨナちゃん、大丈夫?」
「問題ない」
なんでもないと、ヨナは短くクラスメートへ答える。しかし、この場にラーシアがいたら、意味ありげにニヤニヤ笑っていたに違いない。
「さあ、飲んで……」
「グウゥ」
ヨナに任されたレンが、負傷回復と体力回復の魔法薬を口へ近づけるが、仔黄金竜は嫌だと顔を背ける。先ほどのような攻撃的な対応は見せないものの、完全に信用したわけではないのだろう。
「飲む」
「グゥ」
だが、アルビノの少女の一声で、従順に口を開いた。露骨な反応だが、レンは気にしない。
「いい子……だね」
優しい笑顔を浮かべ、ハーフエルフの魔術師が丁寧に魔法薬を飲ませていく。仔黄金竜も、それに害があるどころか、苦痛を取り去ってくれることに気づいたのだろう。途中からは、積極的に嚥下していた。
もう、一安心。
二人の雰囲気からそれを察したミリヤとララも、ほっと息を吐く。
けれど、それで終わりではなかった。そうなれば、次の問題が出てくる。
「……そうだ。名前を付けましょう」
「うん。必要だね」
ミリヤとララが盛り上がるが、レンはドワーフの兄弟がいないのに、いいのかなと首を傾げる。そして、それを実際に口に出すが、答えは一言だった。
「いいのよ」
「金色の鱗だから、ゴールド?」
「もう一捻り欲しいわね」
「じゃあ、ドラゴンも足して、ゴドラン?」
「良いわね。かわいいじゃない」
「かわい……い?」
その感性は違わないだろうか。あと、どこもひねっていない。そうレンは再び首を傾げるが……少なくともこの空間では少数派。
「ゴドラン、肉たべる?」
ヨナがララの買ってきた生の豚肉を仔黄金竜の鼻先で揺らす。それに釣られて、仔黄金竜の視線も左右に動く。
「グウゥッ」
どうやら、それで決定のようだった。




