6.小さな出会い(前)
「師匠、なに焚き付けてるんですか……」
「燃える物がなくなれば、火は勝手に消える」
「なんか含蓄深いことを言ってるように聞こえるけど、面倒くさいから適当に煽っただけですよね!?」
ヨナが学校に通い始めてから一週間。なにがあったかは喋ろうとしないが、休みもせず通っているということは、それなりの理由があるはず。
友達でもできたのだろうかと、誰もが気になっていた。
当初は彼女から話してくれるのを待つ方針だったのだが、しびれを切らしたユウトは、こっそりと師の教官室を訪れていた。
そのテルティオーネは、うろんな目つきでユウトを見ると、ふっと笑う。
「それよりも、周辺の村とさっさと馬車鉄道でつなげ。その辺りの子供も通わせる」
「賛成は賛成ですが……。教える方の人手が、足りないでしょう?」
責任を回避させられた気がするものの、ユウトは素直に乗っかった。本と煙草の臭いが充満する室内だが、悔しいことに嫌いではない。
「ガキの中で、使えそうなのを助手にする」
年長者に面倒を見させる。
さらに、その中から本格的な魔術教育を施す者を選抜する――本人の希望が第一だが――つもりだろう。
そのアイディアは悪くないが、本末転倒ではないだろうか?
「そりゃ、他人に教えるのが自分の勉強にもなるでしょうけど……」
「そんな高尚なもんじゃねえ。巧遅よりも拙速だ。少数に対する完璧な教育より、不完全でも多数に教える方がずっと良い」
「う~ん。環境の違いか……」
背もたれに体重を預け、天井を見る。
ついつい日本の基準で考えてしまうが、教育を受けられない層にもっと目を向けるべきだったのか。
「俺も教壇に立った方がいいのかなぁ……」
「それはやめとけ」
即答だった。
「いくらなんでも、子供たちに変なことは教えませんよ」
「爺や婆が、孫をかわいがるんじゃねえんだ。忙しいから急に来られなくなったじゃ、やらせる意味がねえ」
「ぐっ」
同じ理由で、アカネやアルシアにお願いするのも難しいだろう。ラーシアは、別の意味で論外だ。
「でも、馬車とか御者とか護衛を考えるとなぁ……。いっそ、寮でも作った方が安く済むんじゃないだろうか」
「それは好きにしやがれ」
「持ち帰って、検討させていただきます」
実に政治家らしい台詞で軽く棚上げにし、ユウトは制服の襟元を緩めて息を吐く。
「でも、意外な展開というか、予想外の着地点というか、なんというか、なんと言うべきか」
「そうか?」
話題は、再びヨナの学校生活へ。
火は着けずにフィルタ部分を口にくわえ、テルティオーネが言う。
「ガキなんて、動物と同じだぞ。なら、群れで一番強いヤツがボスになるに決まってるだろうが」
「いや、動物とか群れとかボスとか……。俺の知ってる学校教育と、なんか違う」
PTAが存在したら黙っていないだろう……と、この街で二番目の権力者が思う。
「理想の教育なんざ、知ったことか」
「まあ、ヨナが迷惑かけてないんなら、とりあえずそれで良いですけど」
そんな結論に達し、そろそろ戻ろうかと腰を浮かしかけたところ、豪快なノックと共に教官室の扉が開かれた。
「失礼するであります!」
ヘレノニア神殿の実質的なトップ、アレーナ・ノースティンが鮮やかな金髪をなびかせて、室内に足を踏み入れる。彼女も臨時教員だから姿を見せてもおかしくはないが、テルティオーネとの組み合わせは実に好対照だった。
「……返答をしてから開けやがれ」
「話し声がするからもしやと思いましたが、やはり、ここにいらしたでありますな」
「じゃあ、俺はそろそろ」
聞きたいことは聞けたとユウトが腰を浮かしかけたところ、アレーナがあわてて飛び出し肩をつかんで席へ戻す。
「テルティオーネ殿ではなく、ユウト殿にお願いがあるのであります」
「俺に?」
訝しげにしながらも、一応、ユウトは聞く態勢に入る。
この教官室に他に来客用の椅子があるはずもない。だが、そんなことは気にせず、アレーナは立ったままで語り始める。
「ヘレノニア神殿にも学校が欲しいのであります」
「そういう話は、余所でやれ」
「まあまあ。こちらは気にしないであります」
「そうじゃねえだろ」
まったくかみ合わない二人。対テルティオーネには、最強のカードだ。そういえば、レンの母のメリー・アンもベクトルは違うが天然だったかと、ユウトは思い起こす。
「まあ、それは神殿でご自由に……としか」
ヘレノニアに限らず、神殿が教育機関を兼ねる例はいくらでもある。公立と私立があるように、そこは相談さえしてくれれば好きにすれば良い。
そう思っていたのだが、アレーナの希望とは違う答えだったようだ。
それなりに整った顔立ちをショックを受けたように歪め、言いにくそうに声を潜め……それでも、結局はっきりと言った。
「無料までならともかく、子供にお金を払ってまで通ってもらうなんて不可能でありますよ……」
「まあ、そりゃそうでしょうねぇ」
ブルーワーズはおろか、地球でも聞いたことは無い。
「資金援助が欲しいと? 別にそれは構わないけど……」
ヴァルトルーデが希望すれば出すのもやぶさかではないというよりは、彼女自身少なくない私財を保有しているのだから、その範囲内であれば自由だ。
「それは嬉しいのですが、さすがにそこまでされると王都の大神殿からお叱りが容易く予想される状況でありまして……」
「……どうしろと?」
「最近、当地のヘレノニア神殿の影が薄くなっておりますので、挽回の機会が欲しいなと思うところなのであります」
「そうなの?」
ここファルヴの治安維持は、従来通りヘレノニア神殿の管轄だ。元々犯罪発生率が低いこともあるが、それは彼らが未然に防いでいるお陰でもある。
それに、ヘレノニアを信仰するだけあって、不正とも無縁。
「一言で言うと、地味なのであります」
沈んだ様子のアレーナ。
さすがに、そんな状態でも美しい……とは言いがたい。恐らくというよりは確実に、彼女の不幸は完全上位互換であるヴァルトルーデが身近にいることだろう。
「岩巨人部隊の皆様は、揃いの装備で馬車鉄道の護衛や外でモンスターを狩るなど、大活躍でありますよ? それに引き替え……」
「だって、イスタス伯爵家の直臣じゃないじゃん」
「ここでまさかの外様扱いでありますか!?」
外様というよりは寄騎だろうか。
当初、刑事裁判権との兼ね合いや主導権争いがあったせいで、どうしてもヘレノニア神殿に辛くなってしまうユウト。
ただ、今や欠かせないパートナーであることも確かだ。
「生臭え話だな。学校でするんじゃねえよ」
「まあ、確かにそうですが、師匠の教官室なら例外的に問題ないでしょう」
「てめぇ……」
しかし、そんな状態だったとはまったく気付かなかった。
「ヴァルトルーデからは、なにも聞いてないけど」
「言えるはずが無いであります。ただでさえ、最近は、近々知識神様が来臨されるなどと仰せになって綱紀粛正の真っ最中であります」
「ううむ……」
その点に関しては、こちらに責任がある。正確には、ユウトにだが。
「じゃあ、ハーデントゥルムやメインツにも進出してみる?」
足を組み替えながら、「店を出してみる?」と言うぐらいの気楽さでユウトは提案を口にした。
「領内の別の都市に分神殿をというわけでありますな。それは、そちらでも治安維持などをヘレノニア神殿へ任せていただけるということでありますか?」
「そうだね。ただ、もちろん、どっちの都市にも既存の警備隊は存在するわけだ」
「それはそうでありますが……」
その提案自体は嬉しいが、着地点が分からない。
若干警戒する聖堂騎士へ、大魔術師が微笑を浮かべながら言う。
「とりあえず、ヘレノニア神殿を警備隊の命令系統上位に置こう。そのうえで、希望者を神官とかに引き抜きをしたらどうかな? しばらくは、現地の流儀に合わせる必要もあるだろうしね」
「なるほど……で、ありますな」
イスタス伯爵領でのヘレノニア神殿の権力の拡大。
三つの街で人材の交流や融通。広域捜査の充実など建前はいくらでも作れる。
治安維持の命令系統からハーデントゥルムの評議会やメインツに住むドワーフの族長らの影響力が排除されることになるが、すぐにどうこうという話でも無いだろう。
それに、イスタス伯爵領におけるヘレノニア神殿のトップはヴァルトルーデだ。いざとなれば、どうとでもできる。
それに、ヘレノニア神殿が失敗したら失敗したで、ユウトに損は無い。
「俺に弟子入りした時は、こんなヤツじゃなかったはずなんだがなぁ」
「人を悪者みたいに」
心外だと、師にうろんな目を向け、ユウトは咳払いをひとつ。
そうしてから、おもむろに再度口を開いた。
「あと、さすがに初等教育院に通う生徒が、全員理術呪文の道に進むとは思えないですよね、師匠」
「まあ、そりゃそうだな。誰でも憶えられるとは言っても、誰もが憶えたいわけでもねえだろ。そこで強制しても意味はねえ」
「ええ。勉強よりも運動が好きな層は必ず、一定はいるわけだし」
「つまり、どういうことでありますか?」
「今はまだ早いかも知れないけど、体育の一環で戦いの仕方を教えても良いかなって」
その言葉を耳にして、アレーナは素早く損得の計算を始めた。
道徳教育は、彼女も受け持っている。さらに、軍事教練――とまでは、ユウトも言っていないが――を任せてもいい。
つまり、実質的にヘレノニア神殿が教育機関を運営しているのと同じ。
「こっちは、当座、岩巨人の部隊だけで賄うつもりだから」
「承知した――ッ、であります」
感動したアレーナがユウトの手を握り、感謝と感激で激しく上下に揺らす。
ほとんどの実務を押しつけられていることに気付かぬまま。
「だから、ここでやるんじゃねえと言ってんだろうが」
「ところで、その子供たちですが、ヨナ殿を中心に、貴婦人川の方へ行くと言っていたでありますよ」
テュルティオーネの抗議も完全に無視して、アレーナが、そういえば思い出したといった風情でそんな情報を提供する。
「川か……」
雨が降ったのは一週間も前。
流れが速くなっているとか、そんなことも無いだろう。それに、今日は少し気温も高い。川遊びをしたくなる気持ちも分かる。
つまり、ヨナは普通に同年代――厳密に言えば違うのだが――の友達と遊びに行っている。
その事実に、ユウトは目頭が熱くなる。
「それはそれとして、心配だから様子を見に行ってきます」
「決定かよ。バカ親じゃねえんだから、ちったぁ自重しろ」
「いや、ヨナが心配なんじゃありませんよ。ヨナの無茶に付き合わされて、余所様のお子さんになにかあったらどうするんですか」
「アルシアに任せりゃ、どうとでもできるだろ」
「その、神さまに願えば生き返るから殺してもオッケーっていう思考はどうかと……」
「それが可能な前提で話す方が、どうかと思うでありますが」
ただ今回に限っては、結果論ではあるが、ユウトが正解だ。
ちょうど同じ時間に、ヨナたちのもとへ小さな訪問者が、今まさに、落下しようとしているところだった。