3.祭典の夕べ(後)
ヴァルトルーデとアルシア。
突如としてステージ上に二人が現れたことに驚くべきか。それとも、まったく関係ない衣装の人間が出てきたことに驚くべきか。
観衆が戸惑いを抱くと同時に、魔法銀の鎧と法衣が光の粒子になって消える。
その後に現れたヴァルトルーデは、可愛らしいミニのフレアスカートに半袖のサマーセーターをあわせた女の子を強調した格好。
一方のアルシアは、肩のラインが通常よりも腕の方に落ちている上着に、チェックのロングスカートという大人の女性らしさを感じさせるコーディネート。
先ほどの《火球》を合図に、近くの船の甲板でスタンバイしていたヨナが《テレポーテーション》で二人を送り込む。
そして、二人の鎧と法衣は《完全幻影》で作り出した幻影。その持続を切れば、元々着ていた服が露わになる。
種を明かせば簡単だが、観客からはイリュージョンにしか見えなかっただろう。
しかも、モデルが絶世の美女とも言える二人だ。
胸を反らして姿勢良くキャットウォークを歩く様を、観客たちはため息すら忘れて、ただただ見つめることしかできない。
それは舞台袖にいる彼女たちの婚約者も同じ――見るだけでなく触れることもできる特権は有している――のだが、残念ながら、彼には仕事が残っていた。
「……ようやく、最後か」
ヴァルトルーデとアルシアの二人が舞台裏へと移動するのを確認しつつ、ユウトはこの日最後になるだろう呪文を発動するため、呪文書から5ページ分切り裂いた。
「《完全幻影》」
ステージ上に呪文書が踊り、光を放ち消えると、そこに礼拝堂が出現していた。
その一画だけは昼のように明るく、青い空が覗いている。遠くから、鐘の音も聞こえてきた。
そこに、ブーケを手にしたヨナが現れる。
アルビノの少女は、ふんだんにレースがあしらわれた、純白のシルクのドレスに身を包んでいた。まるで、ウェディングドレスのようだ。
――ここまでは、予定通り。
「……なんで、ユーディット・マレミアスが!?」
ヨナが《テレポーテーション》で現れ、ブーケを観客席に投げ込む。将来ブライダル産業を興すことまでも念頭に置いた、小さな花嫁。
それだけだったはずが、なぜか同じような衣装を身にまとったユーディット・マレミアス――アルサス王子の婚約者――が、花のような笑顔を浮かべていた。隣で仏頂面をしているヨナとは大違いだ。
ユウトの目には幸せな花嫁にしか見えないし、ウェディングドレスを知らない観客たちでも、同様の印象を抱いたことだろう。
「朱音が彼女にも服を贈ったとは言ってたけど……」
とっさに、反対側の舞台袖にいるアカネに視線を送るが、彼女はなにも知らなかったと首を振るだけ。一方、ヴァルトルーデはすまなそうな表情でこちらを見ている。
ユーディットは、今回のイベントのことを聞きつけ、お忍びでやってきたのだろう。アルサス王子も、自らの前科を考えれば止めることなどできなかったと。
そして、ヴァルトルーデたちと合流し、アカネから贈られた衣装に着替えて、サプライズ参加した。
そう推測はできるが、受け入れて良いものなのか。
そんな疑問に頭を悩ませながらも、舞台は進む。
ヨナを従えてキャットウォークを練り歩き、観客へと手を振るユーディット。
ユウトはその動きを《踊る燈火》で追随。認めたようなものだが、この場は仕方がない。
将来の国母となる女性がこんなところにいるとは思わず、彼女を見る男は陶然とし、女は一様に憧れの表情を浮かべる。
成功しているのは間違いない。
同時に釈然としないが、気を抜いてもいられない。
最後に、ユーディットがブーケを投げると、ユウトはそれに合わせて灯りを操作した。
奪い合い……というほどではないが観客席が沸き、それが一段落するのを見計らって、レジーナが挨拶のため、再度舞台に立つ。
だが、その言葉はほとんど聞き取れなかった。同時に、巻き起こった歓声と拍手は鳴り止まず、人の声などかき消してしまう。
わずか三十分程度のイベント。だからこそ、濃密な体験。
こうして、大盛況の内にヴェルミリオのデビューイベントは幕を閉じた。
「朱音、おつかれ」
「ああ……。勇人……」
魂が抜けてしまったかのような幼なじみの返答に苦笑を浮かべつつ、興奮で上気したその頬に冷たいガラス瓶を当ててやる。
「ひゃっ」
調子外れの声を上げ、頬を膨らませるアカネが可愛い。
そんな感想を抱いている素振りは見せず、ユウトは無言でアカネの隣に座った。
岸壁に並ぶ、ふたつの影。
既にイベントの後片付けは終え、喧騒は遠くなって久しい。本来ならばもう帰らなければならないところだが、アカネはそんな気にならず、一人岸壁に腰掛けて海を眺めていた。
「あー。気持ちいいわね」
「それ、飲みもんだからな」
よく冷えた果実水の入った瓶を額や首筋に当て、涼を取る。はっきりとした顔立ちのアカネがそうすると、妙に煽情的だ。幼なじみのあけすけな姿を見て、ユウトは心臓の鼓動が速くなるのを意識する。
クールダウンが必要だと、ユウトは自分の果実水を一気にあおった。
口の端からわずかにこぼれる液体があごを伝い、魔法具だからと気にしていないが、ローブの襟を汚す。
「まったく、ちょっとは気にしなさいよ」
「ああ、悪い」
アカネがハンカチを取り出して拭いてやり、ユウトはなすがままになっている。この二人だけだから、大人しく受け入れている。
「なんだか気が抜けちゃったわ」
彼女は瓶をもてあそびながら、ユウトの肩に頭を預け目をつぶった。それだけで満たされた気分になり、それ以上は話す必要も無い。
「あれだけ、毎日頑張ってたもんな」
企画、デザイン、進捗確認、労務管理等々。特にここ最近は、見ていて心配になるほどの働きぶりだった。
「それは、私だけじゃないけどね」
「だからって、朱音の頑張りがなくなるわけじゃない」
「じゃあ、素直にほめてもらおうかしら」
アカネが上目遣いで、ご褒美をねだる。
なにを欲しているのか察し、それが実現可能か検討。
できるが、恥ずかしい。だが、できる。
ユウトは左手を伸ばし、数秒ためらってから婚約者を抱き寄せた。
「すっかり、女の子の扱いも手慣れちゃって」
「なんだろう、この理不尽さは」
けれど、こういう空気は二人とも嫌いではなかった。特に、寄り添うことで伝わる重みと体温は。
「でも、最後で失敗したわー。まさか、あれほど受けるなんて思わなかったもの」
「まあ、俺も多少やりすぎたかなと思わないでもなかった」
「ちょっと、サービスが空回ったわね……」
「ヴァルも、アルシア姐さんもなんも言わなかったし、てっきり大丈夫かと」
本来はストッパーになるべきヴァルトルーデも地球文化に流され、強い懸念は表明しなかったのが原因のひとつ。また、アルシアの真紅の眼帯ではそこまで把握できるはずもなく、ラーシアが止めるわけもない。
「冷静に考えれば、俺の呪文だけで外注したら金貨数千枚レベルだしな。そりゃ、それだけでびっくりさせられるわ」
「そのうえ、ヴァルやアルシアさんだけでなく、ユーディット様までだもんね。どうなってるのよ?」
「俺に聞くな」
アカネのもとへ足を運んだのは、「わたくしたちの結婚式でも演出を是非」とユーディットから懇願され、逃げ出したという理由もある。
結局引き受けることになりそうな気はするのだが、無抵抗というのは良くない。
「結婚ね……」
「なんだよ?」
「私たちは、どうするのかなって」
「それは……」
考えたことが無いとは言えない。
しかし、ヴェルガにかき回され、地球に行ってしまい、今は溜まった仕事を処理するだけで忙しい毎日だ。
「そこまでの余裕は、無いよな。でも、そう言っているうちは、やっぱりできない気がする」
二十歳前に、こんなことを真剣に考えることになるとは思わなかった……と、傍らに彼女の存在を感じながら感慨にふける。
自然と、肩を抱く手に力が入った。
「まあ、今はそれで良いんじゃない?」
「そうか?」
「そうよ。色々あるけど、私たちのペースってもんがあるでしょ」
「それもそうか」
ブルーワーズで生きていくと決めた。だから、風習や常識にも則って生きていく。
それは立派なことだが、無理があることでもある。
「結婚は別にして、こ、婚約はしてるけどね!」
「照れるくらいなら言うなよ! 俺のためにも」
夜の海で、二人とも目を合わせられず頬を赤らめる。
どうも、みんなして恋愛方面の耐性が低い。高ければ良いのかという疑問もあるが、エグザイルぐらいの冷静さが欲しいとも思う。
「ああ、そういえば」
「あー、そうそう」
耐えきれず、二人同時に話題を変えようとしてしまった。
「なんなのよ、このタイミング……」
「いや、俺はアルシア姐さんが嫁き遅れがどうこうって気にしてたなって思い出しただけだから」
「私は、せっかく用意した在庫を持って帰ることになったのは痛いわって思ったんだけど……って、なんで私が仕事の話? 納得いかないわ」
盛り上がりを見せたのは良いのだが、当初の計画では、あのショーで盛り上げた後に即売会として商品を売る予定だった。
しかし、混乱が容易に想像できたため、中止になってしまったのだ。
確かに、気になる問題だろう。
だが、ユウトとの話題の違いに、女子としてのプライドを傷つけられてしまった。
「まあ、俺もちょっと配慮に欠く話ではあった」
ユウトはアカネへ主導権を譲り、先を促す。
「心配がひとつあってね」
「在庫が心許ないとか?」
「違うわよ。今日の販売中止は事故防止を考えれば当然なんだけど、明日、お店に来てくれるかしら……」
「いやいやいや。売れるって、むしろ行列を心配した方が良いだろ」
ユウトは、観客席の反応を一番よく見ていた。
出演したのは、四組九人。わずか数十分のイベントだったが、観客たちの目の輝きは本物だった。
ユウトの呪文を使った演出。
出演者たちの美しさ。
それはもちろん類を見ないものだっただろうが、アカネが、レジーナが。みんなで協力して準備をした衣装だって、それに負けていたとは思えない。
「あれで売れなければ、なにが売れるっていうんだよ」
「そう。そうよね……」
不安げに揺れていたアカネの瞳が力を取り戻し、
「まあ、心配になるのは分かるけどな」
「気が抜けて、弱気になってたのかも知れないわ。今日は、まだ第一歩なのにね」
アカネは肩を抱く幼なじみの手を強く握ってから、その腕の中から抜け出して立ち上がった。
気力に満ちあふれ、燦々と輝く太陽のようにまぶしい。
「服だけで終わりじゃないわ。アクセサリも、下着も、靴も、すべてを塗り替えてやるんだから」
「……アカネは、そんな風にふてぶてしい方が良いよ」
ユウトも立ち上がり、彼女と肩を並べてそう賞賛するのだが、どういうわけか隣にいる幼なじみは微妙な顔をしている。
「それ、女の子に言う台詞?」
「ほめてるんだけど……」
ストレートすぎたかと反省はするが、意味自体は訂正する気は無いとユウトは両手を広げた。
「まったく。まあ、私たちの関係だからこそ出た表現ってことにしてあげるわ」
「……それはどうも」
今ひとつ釈然としないが、ここは乗っかっておくべきだろう。生存本能に従ってユウトは小さく返事をし、また話題を変える。
「とりあえず、これが終わったんで、次はヨナの入学だな……」
「だいじょうぶなの?」
「大丈夫だったら、こんなに悩んでない」
「それもそうよね……」
先ほどまでは確かに存在していた甘い雰囲気。
それがあっさりと雲散霧消し、そこにいたのは子育てに悩む若い夫婦だった。