プロローグ
お待たせしました、本日より再開です。
Episode6と7は領地経営ネタがメインの予定です。たぶん。きっと。
青き盟約の世界最大の人間国家ロートシルト王国。その新興だが、いや、新興であるが故に、最も活気あるイスタス伯爵領。
その政務を取り仕切る家宰。世界でも五指に入る大魔術師。二人しかいない、異世界からの来訪者。
大仰な称号をいくつも持つ黒髪でやや目つきの悪い少年――ユウト・アマクサは彼の執務室で肉体的にも精神的にも追い込まれていた。
「ユウトくん?」
「ユウト、もう一度頼む」
それをしているのは、二人の美少女。
真紅の眼帯を身につけたアルシアは、黒いローブを身にまとった、この世界ではいつもの格好。アカネがにっこり微笑んで地球で着た衣服を渡しても、頑として袖を通そうとはしない。
ただ、ユウトが請えば――アルシア本人は仕方なくだと思っているが――彼にだけは、その姿を喜んで見せてくれるはずだ。
ヴァルトルーデも、萌葱色のチュニックに地球から持ってきたデニムという運動性と引き替えに色気を捨てた服装。
けれど、同時に、彼女から溢れる躍動感と瑞々しさを引き出し、春を迎えるかのような期待感を与えてくれる。
アカネも、ヴァルトルーデに関して普段は積極的なコーディネートを控えている。なにしろ、たいていの衣服は彼女が身につけた瞬間に引き立て役になるのだ。
なら、本気になるのはここぞというときだけで良い。
そんな二人に、共通点は三つある。
同じオズリック村で生まれ育った幼なじみであり、対象となる神格は異なるが共に神に仕えるものであり、同じ男を夫とすること。
今回、ユウトが詰め寄られているのはふたつ目の共通点に拠る。
「二人とも、少し落ち着かない?」
みんなで集まって、神々から下されることになった報酬を語り合っていた結果が、この状況。
執務室の机に陣取るユウトが、今にもそれを越えて迫ってこようとする婚約者二人を、「話せば分かる」となだめながら押し返そうとした。
しかし、今の二人には通用しない。
“常勝”ヘレノニアに『半神ヴェルガとの直接対決の場』を希望した聖堂騎士が――少なくともユウトにとっては――世界一の美貌を興奮の色に染め上げユウトを糾弾する。
「ゼラス神がファルヴに来臨されるとは、どういうことだ」
「ゼラス神の分神体な」
「同じことだ」
婚約者の言い訳をぴしゃりと封じ、鋭い眼差しでユウトを見つめた。
それはそれで得難い体験だったが、なにか説明をしなければならないのも確か。
「ほら。ここにはさ、色々とこの世界の一般的なレベルを超えた設備があったりするだろ? それをゼラス神にご確認していただいて、運用のお墨付きを得られないかなって。地球の神話じゃ、高い塔を造っただけで言語をバラバラにされちゃったりするんだぜ?」
「あの神様は、いろいろアグレッシブだから……」
「この世界の神々は、急激な発展を許さないほど狭量ではありませんよ。まあ、程度にも拠るでしょうが」
アルシアがそう付け加えたのは、無貌太母コーエリレナトを送り返したマス・ドライバーもどきに思い至ったからかも知れない。
「……それで、ユウトくん。お越しになる時期も決めていないのね?」
「まさに、神のみぞ知るですね」
「勇人、別に上手いこと言えてないから」
もう一人の来訪者であるアカネも、問いつめる側にはいるが気楽なものだ。
神になら、夢を通じて美と芸術の女神リィヤから召喚を受けている。それとあまり変わらないと思っているのかも知れなかった。
もっとも、その際に願ったのが『疲れの取れるベッド』だけだったことから考えると、現実感がなく、よく分かっていないだけだった可能性も高い。
「軽く言うがな、ユウト。私たちは、いったいいつまでお迎えする状態を維持しなければならんのだ」
「ありのままを見てもらえば良いんじゃない?」
「そうはいくか!」
堪らず、声を荒げるヴァルトルーデ。
そんな会話のたどり着く先を、傍観者面してソファに座るラーシアとエグザイルが無言で眺めていた。楽しみには、少しの我慢が必要な場合もある。
しかし、ユウトは深く椅子に腰掛け、ヴァルトルーデの怒りを受け流す。
「神々であればいつでも好きなときにこっちを監視ぐらいできるだろ? つまり、上辺だけ取り繕っても、意味がない。常日頃から恥じることのない生活をしていれば、慌てることなんか無いじゃないか」
正論。
あるいは、その笠をかぶった詭弁。
「……うむ」
それは、ヴァルトルーデの弱点でもあった。
「それもそうだな。よし。まずは、ヘレノニア神殿から綱紀粛正を行うか」
そんな二人を目の当たりにして、それが見たかったと草原の種族は手を叩き、普段は表情を変えない岩巨人も山のように静かに笑う。
ヨナだけは、なにが問題なのか分からないと、首を傾げていた。このアルビノの少女には、取り繕うという概念が存在しないのだろう。
「ふう……」
なんとか丸く収まった。
そう安心した瞬間、もう一人の神の僕から声をかけられる。
「ユウトくん」
「なん――」
振り向くと同時に、額を白く長い指で弾かれた。
痛みはほとんどない。行為としては可愛いものだ。
「反省しましたか?」
「……はい」
死と魔術の女神に世界平和を願ったアルシアは、最小限の暴力で諸悪の根元へ反省を促すことに成功した。もちろん、来臨を願う正当な理由が存在するからこそ、この程度で済ませたのだ。
決して、個人的な感情は関係ない。
だが、アカネの意見は違った。
「なんか、こう、アルシアさんの雰囲気って変わったわよね」
「色ボケた?」
「ヨナっ!?」
容赦ない指摘に、黒衣の大司教は膝から崩れ落ちそうになる。
ただし、それが悪いとは誰も言っていない。むしろ、この場にいる仲間たちは皆、それを歓迎してさえいた。
「そんな風に見えていたなんて……」
落ち込むアルシアという、珍しいものが見られるという理由からではない……はずだ。
「それで、ユウトー」
「なんだよ。一応聞くけど、悪い予感しかしないな」
「お金が足りないから、貸して?」
「まず、なんに使うのか説明をしような」
「勇人とラーシアなら、以心伝心なんじゃない?」
「きもちわるっ」
ユウトも、心の底から同意だ。
「オレが、温泉旅館を頼んだだろう?」
「ああ……。ハーデントゥルムの近くの海沿いにできてたな」
間違いない。
《念視》の呪文で、旅館というよりはホテルに近い建物ができているのを確認している。きっと、温泉も湧いていることだろう。
「それを、ボクのところで運営することになってね」
「おっさんは、それでいいのか?」
「オレたちと部族の連中が、優先して使えるようにしてもらえばな」
「年中使えるわけじゃないし、持ってても負担になるだけか」
戦闘時は無謀とも言えるスタイルのエグザイルだが、普段の彼らしい堅実な方針だった。
「しかし、随分と噛んでいくな」
「もちろんだよ。どこに素敵な出会いがあるか、分からないからねっ!」
「そうか……」
ユウトはなにも言えない。友達だから。
アカネもアルシアも苦笑を浮かべていた。真実は、時に残酷だから。
「でも、資金が足りないことはないだろ?」
「まあ、そこは足りないことで」
二人が、人の悪い笑顔を浮かべる。
ラーシアはこう言っているのだ。
「うちの組織だけで進めるといざこざになるかもしれないから、後ろ盾になって」
――と。
けれど、ユウトも易々とはうなずけない。
「事業計画を出せ。そうしたら俺が承認したことにして、ハーデントゥルムの評議会から融資させる」
「しかたないなー」
あっさりと、妥協が成立した。
これで、ハーデントゥルムの商会も新事業に影響力を及ぼすことができる。そして、ラーシアも余計な軋轢を回避できる。
「ハーデントゥルムといえば、そろそろ私とレジーナさんの服を売り出すのよ」
「……変な服は着ない」
ショートパンツにTシャツというラフな格好を気に入っているヨナが、不機嫌な表情で予防線を引く。
けれど、アカネには通用しない。
「もちろん、ヨナちゃんもファッションショーに出てもらうから」
「人の話、きかない……」
「それはヨナも同じだからな。それより、朱音。ファッションショーなんかどこでやるんだ?」
「港に舞台を作って、そこでお披露目と販売を行うのよ」
「ほー。ついに、発売開始か」
感心したような気の無いようなユウトの言葉。
それを聞き咎めたアカネが、普段着になりつつあるメイド服の腰に手をおいて幼なじみにして婚約者の少年を糾弾する。
「他人事っぽいわね」
実際には、無関心であるはずがない。
求めに応じて工員の手配をする傍ら、針縫いや裁断に失敗した素材を《物品修理》で直し、布が足りなくなったときには原料から《製造》で作り出したのは彼なのだから。
もっとも、それを片手間と表現してしまえるのが、彼が大魔術師と呼ばれる理由でもあるのだが。
ただ、アカネやレジーナの頑張りが報われて良かったとは思うものの、それ自体に関心を持ちにくいのも確か。
「俺が女性服に興味津々だったら引くだろ。それに、モデルとして出演するのは、俺じゃなくてヴァルとアルシア姐さんだし」
「なん……だと……?」
「……どういうことです?」
その二人の反応に、むしろユウトとアカネは顔を見合わせる。どう考えても、放っておくはずがない。
「諦めて。私とレジーナさんも出演するから。くくく、売れるわよ。ユーディット様にも、サンプルを送ったし……」
アカネが人の悪い笑みを浮かべるが、皮算用と馬鹿にすることはできなかった。既に、ヴァルトルーデたちがハーデントゥルムを練り歩くことで宣伝しているし、それにはラーシアの組織も一枚噛んでいる。
そのうえ、デザインも着心地も手軽さも上となれば、売れないはずがない。
「関係ないし」
「そう言うなって。子供服も売りたいんだろ」
「ユウトが裏切った……」
アルビノの少女がこの世の終わりのような声を出すが、いつも通りの無表情なので違いはあまりない。
そんなヨナへ、ユウトは更に言葉を重ねる。
「あと、ヨナ。学校の入学手続き済ませたからな。師匠にも話は通してある」
「やだっ」
言下に否定するヨナだったが、今度ばかりはユウトもアルシアも譲らない。
「私たちと一緒にいるのはいつでもできるけれど、同年代の子と一緒に過ごすのは、今しかできないのよ?」
「うー」
二人は絶対に譲らない。
それを感じて、ヨナがうなり声をあげる。
「これは、決定だからな」
「行かないし」
父と娘のやり取りを横目に見つつ、また別の不安を抱くヴァルトルーデ。
「ヨナをテュルに任せるのか……?」
優秀ではあるが、ユウトの育て方で分かるとおり、非常識なエルフの魔導師。
その心配は、程度の差こそあれラーシアもエグザイルも同感だった。
「ヨナとテュルは火だけど、二人合わさると炎になるっていうやつだ」
「二人とも、元々、炎ではないか?」
ユウトだって分かっている。とんでもない化学反応が起こるだろうことは、分かっている。
それでも、どうしようもないことだってあるのだ。
「ダァル=ルカッシュの主よ、書類を分類してきた」
そこに、虹色の髪をした背の高いスレンダーな美女が、両手と髪の先に紙束を載せて執務室へ入ってきた。
「誰? って、答えは分かってるんだけど」
「いかにもダァル=ルカッシュの接触用端末であると、三木朱音の推測を肯定する」
若干胸を張り、得意げに言うダァル=ルカッシュ。
次元竜としての本体とは別に、独立して稼働するインターフェース。服装こそエネルギーそのもので構成されたような丈の長いドレスだが、顔や体は彼女の精神体で見たような精霊に近い姿ではなく人間に近い。
病的なまでに白い肌に、作り物めいて見えるほど整った顔立ちは、ほとんど表情が動かないことも相まって人形のようにも見えた。
「美人秘書とか、やるじゃん」
「ああ、なんか手伝ってくれるって言うから」
他意はまったくないとユウトはダァル=ルカッシュを受け入れる。
彼女も満足げだ。
「あれ? なんか、私たち負けてない?」
それは、一分の隙もない真実だった。
空の向こう天上には神々が住まい、地の底深い奈落では悪魔たちが常に相争う。
多くの伝説伝承で語られ事実として認識されているが、実際には天空遙か高みへと昇っても天上には至らず、地面を掘り進んだとしても奈落にたどり着くことはない。
いずれもブルーワーズをはじめとする物質界とは異なる次元にあり、次元門を開くなどしなければ門を叩くこともできない。
偶然のアクシデントで迷い込んでしまうことは極稀に発生するが、意図的に移動するにはそれこそ大魔術師級の理術呪文が必要となる。
確かに、ブルーワーズの地下には奈落は存在しない。
しかし、地底には地上と異なる生物相があり、異なる世界が存在していた。
ロートシルト王国の最南端。
かつて、〝虚無の帳〟の本拠地が存在していた場所。
見捨てられた地。
その地下深くに蠢くモノがあった。
遠目には、黒い塊が動いているようにしか見えない。
だが、暗闇を見通す者がいたならば、悲鳴を上げるのを抑えられなかっただろう。
そこには、直立する蟻のような生物がいた。蠍に人の上半身が生えた異形がいた。知能を持つ巨大な蟷螂がいた。数メートルはある蚯蚓を百足を蜘蛛を蛞蝓を使役する、蜂の頭部を持つ者がいた。
人間とは、地上の生物とは思考が倫理が価値観が異なる存在。
地下に独自の生態系を築き、地上とは交わらなかったモノたち。
かつて、黒妖の城郭を拡張していた〝虚無の帳〟と彼らに不幸な接触があった。
相争い、しかし、決着はつかず。
黒妖の城郭が地上を離れた際に地下との通路も塞がれ、誰にも存在を知られることなく、闘争は終了したものと思われていた。
けれど、それは早計だった。
地下道に、キチキチキチキチキチキチと虫の声が木霊する。
羽から腹部から、何百何千もの虫たちが、それぞれの流儀で鳴き声をあげる。
地上への羨望を。
新鮮な生餌への渇望を。
シンプルで、妥協の余地無い欲望を。
羽を震わせそれを鳴き声にし、昆虫人は再び地上を目指した。
そういえば、ツイッターとか始めてみました。
今のところはそうでもありませんが、作品についてもつぶやく予定なので、フォローなどしていただければ幸いです。
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