エピローグ(前)
「いやぁ、これを見ると帰ってきたって気がするなぁ……」
「山積みの書類を前にニヤニヤするとか、おかしな人みたいよ?」
アカネからの指摘を受け、ユウトは一瞬顔色を変える。すぐに取り繕うが、今度は机上からも幼なじみの少女からも視線を外し、天井を見上げた。
「……現実逃避も許されないとは」
「サービスで、メイド服を着てあげてるじゃない」
追加の書類とコーヒーを持ってユウトの執務室にやってきたアカネは、今までの組み合わせでなんとなくと表現していたものではないメイド服を身にまとっていた。
長袖で、フリルがあしらわれた白いエプロンを重ねたワンピースタイプのメイド服。実用性とデザインをギリギリの所で両立させており、その場でくるっと回転すると、長めのスカートがぶわっとふくらんだ。
大きめのリボンタイもあって可愛らしいのだが、茶色い髪で派手目の顔つきをしているアカネだと、少しだけいかがわしさが先に立つ。
(でも、悪くない)
決して悪くないぞとコーヒーに口を付けたユウトだったが、非難するような視線に気づき居住まいを正す。
視線の元は、イスタス伯爵家の筆頭書記官にして留守をしっかりと守っていたクロード・レイカー。
謹厳実直を絵に描いたような老人が、書類の決裁を待って執務室の中央で直立し小動ひとつしていなかった。
「クロードさん、今すぐやりますから」
普段は、仕事をしているか監視している必要などない。むしろ、官吏の仕事を作ってくるタイプだ。しかし、今回は決済が進まないとクロード老人たち書記官の仕事も進まない。
今までとは逆のパターンにも動じず、クロード・レイカーはびしっと背筋を伸ばした格好で上司であるユウトへ告げる。
「とんでもない。いつまでもお待ちしておりますぞ」
皮肉でもなんでも無く、本心でそう言っているから困ってしまう。そんな風にされたら、自主的に片付けるしか無くなってしまうではないか。
魔術の師であるテルティオーネと並んでブルーワーズでは数少ない頭の上がらない相手を前に――ヴァイナマリネンやヴェルガは、そういうカテゴリではない――ユウトは書類の確認に戻る。
アカネは、付き合うつもりなのかソファに座って、仕事に集中する幼なじみの少年の横顔を見つめていた。
地球からブルーワーズへ帰還して、数日が過ぎていた。
制限時間2時間。それを逃すと一ヶ月は置いてけぼりという状況は、実際よりも精神的な余裕を失わせる条件だった。
地球の自分の部屋へ転移したユウトは――まず、慌てて靴を脱いでから――携帯電話でアカネに連絡を取る。
幸運にも、例のホテルのスイートに揃っていたため、集合は問題なく進む……ことは無かった。
まず、いきなり帰ると言われて賢哲会議が混乱をきたす。
当然だ。いずれとは聞かされていたが、2時間以内でなど唐突にも程がある。
加えて、ヴァルトルーデたちにも若干の混乱があった。
元は冒険者たちだ。着の身着のままでも問題ないし、荷造りもお手の物なのだが、地球は彼らにとって珍しい物が多すぎた。
テレビやゲーム機を持ち帰ろうとする者。電気がないから無理だと説得すると、今度は携帯ゲーム機なら大丈夫じゃない? などと異論が発生。
しっちゃかめっちゃかになった。
その混乱で、真名まで一度こちらへ来てしまったのは、今からすれば笑い話だ。彼女から賢哲会議へ働きかけ、ユウトたちの休学手続きなどを行なってもらわなくてはならないのに。
「もう、真名のセンパイではなくなるな」
「学校を卒業しても、先輩後輩の関係がなくなりはしないでしょう。中退も、それと違うとは思えませんが」
彼女とはそんな言葉で別れた。
ただし、今回は急なことだったので実現しなかったのだが、ユウトもしくはヴァイナマリネンとの連絡役として、彼女をブルーワーズへ派遣する計画を賢哲会議では検討中だった。
もしかしたら、再会も遠いことではないのかも知れない。
一方、ユウトやアカネの家族との別れは、さすがにほとんど面と向かってはできなかった。直接別れを告げられたのは、専業主夫の三木忠士と天草家の愛犬コロのみ。
勤め人の三人とは、仕事中だったが、電話で事情を説明するのがやっと。
しかし、数ヶ月に一度は会えるのだ。今までのような心配をする必要もない。ただ、その辺の事情を理解するはずもないコロとの別れは、ユウトにとっては辛かった。
いっそ、ブルーワーズへ連れて行こうかと真剣に検討したぐらいだ。
結局、10歳を超えそろそろ老犬とも言えるコロに環境の変化が良い影響を与えるとは思えず取りやめたのだが……。
なんとか、次元門の間隔を短縮できないか。ユウトは、本気で考えてしまいそうになった。
(ただ、そうなると変なのが湧いてきそうだからなぁ……)
ヴァイナマリネンとも相談済みだが、次元門の使用は限定的。存在を知り、いつのまにか姿を消したヴェルガにも、賢哲会議にも自由にさせるつもりはない。
もっとも、ダァル=ルカッシュがユウトを主と定めている以上、誰かが勝手に使用するという心配は、元々無いのだが。
そのユウトも、極論してしまえば、たまに家族に会いに行くという以上の使い方は考えていなかった。
なぜかダァル=ルカッシュが気に入ったため桜はファルヴの地下で咲き誇っているが、他の動植物を移入させるつもりは無い。
それは、自動車などの文明の利器も同じだ。
時計の針を無理やり進めても、歪みが生じるだけ。
昔から、一貫した方針にぶれはない。
そんな考え事をしつつもてきぱきと仕事を処理し続けていたユウトの手が止まる。
「このプレイメア子爵からの賠償金ですけど……」
「なにか、不備がありましたかな」
ユウトが不在の間に、アルシアが懲罰的とも言える契約を交わした詐欺師。玻璃鉄の鉱山を狙い、ユウトが「さすがにこれは無いな」とお蔵入りにしたはずだった対抗策で散々な目にあった隣国クロニカ新興国の貴族。
事の顛末を聞いた時には、なぜか罪悪感に苛まれてしまった事件。
後は領主であるヴァルトルーデの承認待ちという契約書をチェックしていたユウトが、それを机上に放り出し腕を組む。
「これ、契約締結を先送りしても問題ありませんか?」
「それは大丈夫でしょうが……」
死刑執行が延期になって喜ばない囚人がいるとは思えない。クロードは首肯するものの、意図が分からず歯切れも悪くなる。
「一罰百戒も分かりますし自業自得なのは間違いありませんが、ちょっとぎりぎり過ぎるかと」
「では、減額をするのですか?」
「場合によっては」
莞爾として笑うユウト。それを見て、どっちがましなのかしらねと、アカネは同情する。
「プレイメア子爵の領地を、一度調査させてもらおう。それで、なにか使えそうな資源があったら、それで相殺ってことで」
「なるほど……」
有望な資源があればプレイメア子爵自身が使用していないわけが無いが、主たちであればなんらかの手段で未発見の資源や鉱脈を発見できるかも知れない。
無ければ、粛々と執行すれば良い。
同情しないでも無いが、今後、同じような愚か者に煩わされないためにも必要な措置だった。
「では、先方へそのように申し入れを行いましょう」
「よろしくお願いします」
それで話は終わったと、ユウトは保留とラベルが貼られた箱へ書類を移動させる。
次に手にしたのは、これもユウトが不在の間に問題が持ち上がったフォリオ=ファリナのドゥエイラ商会の案件だった。
会頭、いや元会頭ヘルバシオ・ドゥエイラの殺人罪で収監され、イスタス伯爵家が買収したドゥエイラ商会。
その事件の顛末は聞いているが、一刻も早く忘れたい内容だった。
「ドゥエイラ商会を誰に任せるか……か」
これは決済を求めるのではなく、指示を仰ぐ内容だ。体裁は報告書に近い。
「でも、トップの首をすげ替えるだけなんですよね? それなら、今まで通り――」
「どうも、独裁に近い運営方式だったようでして」
配下は忠実で命令を忠実に遂行する能力はあっても、創造性に欠ける。次代の人材を育てようとしていた気配もない。
これは、ヘルバシオ・ドゥエイラが死期が近づけば商会を清算するつもりだったせいなのだが、その分、ユウトたちに厄介事が降りかかることになった。
「ハーデントゥルムの評議会からは、なんて」
「なにもございません」
「なにもない?」
クロード老人が、珍しい仏頂面で首を振る。ユウトも彼も、儲け話匂いをかぎつけて誰かねじ込んでくるかと思っていたのだが……。
「そこまで手が回らないのか、人材やアイディア不足なのか」
「余所の土地ということで遠慮があるのかも知れません」
「それ、レジーナさんが一枚噛みたいけどこっちの事業があるから無理って悔しがってたわよ」
アカネからのフォローで、大体の事情を把握する。
確かに、アカネがプロデュースする衣服の売り出しも近い。そちらに注力をしたいのだろう。
「となると、どうするかな……」
ドゥエイラ商会は大店だ。
既存の取引を継続するだけでも維持は可能だろうし、将来的にはフォリオ=ファリナへ――当然、対価は受け取るが――引き渡すことになっている。
一時的に、ユウトが面倒を見るという手もあるが……。
「コンペでもやるか」
「え? 社長を一般公募するってこと?」
「どういうことでしょうか……?」
聞き慣れない二人の言葉に、クロード老人が困惑する。もちろん。それを放置するはずもなく、ユウトは思いついたアイディアを喋りながら具体化していく。
「自分がドゥエイラ商会の会頭になったとして、どのような事業を行うか。その計画を提出してもらって、専門家に審議してもらいましょう。そして、優秀者をヴァルトルーデを中心に面接して、任せられそうな人がいたら、その人に会頭を任せましょう」
「……ドゥエイラ商会の権利をお譲りになると?」
「いや、給金を払って会頭をやってもらうだけですよ。商会自体の権利は我々か、フォリオ=ファリナの議会が所有します」
でも、そうなると株式会社にした方が良いのかなぁなどと自分の考えに沈むユウト。あるいは、事業計画を募集して、それに出資をする形態に変更するのもありかもしれない。
そんな上役の姿を見て、クロード老人はにっこりと微笑んだ。
「それでは、その布告は何処に出しましょう」
「ん~。フォリオ=ファリナ、セジュール、ハーデントゥルムで良いかな? 応募期間は三ヶ月。それだけあれば、能力のある商人なら情報を掴むでしょうからね」
「承知いたしました」
これで懸案は片付いた。否、更にやりがいのある仕事が増えたと、喜び勇んでクロード老人はユウトの執務室を退出する。
ある意味でお目付役がいなくなったとも言える状態だが、もちろん、ユウトがさぼるはずもない。
ヴァルトルーデやアルシアも、それぞれ神殿で業務をこなしているはずだ。そんな状況で手を抜くなど、彼にできるはずもない。
「ふう……。これで最後か」
すべてを決済したわけではないが、目は通し、問題ない場合にはサインをして許可を与え、問題があると判断したものは再提出とした。
ちなみに、ラーシアが提出した源泉調査計画は、書類の形式が完全に整っていたため突っ返すこともできなかった。少し悔しい。
そのラーシアは、ヨナを連れて温泉を探す旅に出ている。私財の持ち出しをしている状態だ。
(どんだけ温泉気に入ったんだ……)
そう思いつつ、最後の書類に目を通す。
「今度、ちょっと福利厚生のため買い物をしたいだけだから、ちょちょいと承認してね」
「ああ。朱音が持ってきてたやつか……」
福利厚生というのが気になったが、アカネがそう言うからには高額な物でもないのだろう。目を通す前からペンを握ってサインを書こうとし……その手が、途中で止まった。
「朱音ちゃん、朱音ちゃん?」
「なぁに、ゆうくん」
「この、シャンプー、コンディショナー、ボディソープに化粧品色々という項目はなんでしょうか?」
「今度地球行く時、買うリストに決まってるじゃない」
「それはそうだ。他にどこで買うんだ……って、おい」
ユウトが半眼でにらむ。
メイド服のアカネが目を逸らす。
「もちろん、環境に影響を与えないオーガニックな製品よ」
「オーガニックって、それだけで一気にうさんくさくなるな……。まあ買うのは別に良いんだけど、地球で買い物となると資金がなぁ……」
この前までは緊急避難に近い状態だったので賢哲会議から資金提供も受けていたが、さすがにこれからはそうもいかない。
一番簡単のは金貨や銀貨を適正な値段で買い取ってもらうことだろうが、相手にも狙いがある。
魔法薬、巻物、魔法具、ドラゴンなど地球に存在しない生物の検体。
賢哲会議が欲し、こちらから提供できるものはいくらでもあるが、その後どうなるか、コントロールしきれない部分もあった。
「ちゃんと向こうと話し合うよ」
「よろしくね」
この件を心のメモに書き足し、ユウトは大きく伸びをする。
今日の仕事も一段落し、気付けば日も暮れていた。
地球で、ホテルにこもってだらだらするよりも、今の方が充実感がある。
このまま、波風を立てずに仕事を片付けていこう。
この日、床につくまでユウトはそう思っていた。
昨日お伝えしたとおり、明日でEpisode5終了します。
今後の予定などに関しては、明日の後書きと活動報告でお知らせします。