9.そして、すべてが
ダァル=ルカッシュの精神世界で、唯一闇が残った空間。
ユウトとヴァルトルーデが戦い、狂える全知竜がそれを観察した場所。
そこに、時空をこじ開けてユウトの同行者たちが現れた。
けれど、ユウトがいなかった。
「あれが本体かえ。随分簡単にたどり着いたものじゃが、それにしても大人しいのう」
「天草勇人らのお陰で、主導権はダァル=ルカッシュが取り戻した。この程度の移動は容易。それに、サポートするとも言った」
「ユウトがいない」
狂える全知竜など眼中にないと、ヨナが周囲を駆け回って手の掛かる大魔術師を探す。
ヴァイナマリネンはそれを横目で捉え、しかし、注意は狂える全知竜へ向けていた。
本来は虹色の鱗を真っ赤に染めた狂える全知竜。今は力なく倒れ伏し、反抗する素振りも見せない。
狂気とは、見境なく暴れることだけではない。放心してしまい、外界からの情報をシャットアウトしてしまうのまた、狂気の発露と言えるだろう。
端的に表現するならば、心が折れてしまったのだ。
「天草勇人なら、あと3分待つ」
「どういうこと?」
「そのままの意味。他に解釈のしようがない」
ヨナとダァル=ルカッシュのかみ合わない会話。どちらも、あまり説明する気が無いのが原因だろう。
「分かった。待つ」
それでも意外と通じはするようで、アルビノの少女は大人しくその時を待った。
「……なんか、霧が出てきた」
「あれが、天草勇人」
彼女たちの視線の先に白い霧が現れる。なぜか銀糸がつながっているその濃霧は、少しずつ特定の形へと収束していく。
白いローブ、ブルーワーズでは絶対にお目にかかれない珍しいデザインの服、呪文書とそれを握る手、やや長めの黒髪。
「ふう……。死ぬかと思った」
最後に、そんな緊張感のない台詞を発し、大魔術師ユウト・アマクサが精神世界に再び現れた。
「ユウトっ」
少し離れていただけだが、相当心配していたのだろう。飛びつくようにではなく、ヨナが実際に飛びつく。
「ああ、悪い。心配かけたか?」
「それはいつもしてる」
「左様ですか……」
味わい深い苦笑を浮かべ、ユウトは背中から肩に移動したヨナの頭を撫でる。
「それで、俺がいない間にそっちはなんかあったのか?」
「夢魔やらナイトメアやら、負の夢の領域の住人が出てきたがな」
「あー。だいたい分かった」
自分で聞いておいてなんだが、ヴァイナマリネンの言葉を遮った。結果は分かりきってるし、まともな過程でもなかっただろう。
無駄とは言わないが、話を聞いてもげんなりさせられるだけのはずだ。
「婿殿の方は、どうだったのだ? なにやら、意識体の再構成を行なったようじゃが」
「簡単に言えば、負けるが勝ちだったってところかな」
「簡単すぎて、わけがわからない」
「ダァル=ルカッシュは知っていた。だが、自ら気付かねば意味がなかった」
「むー」
なぜか対抗心を燃やす二人を前に、ユウトは慌てて言葉を重ねる。
一人でこの場に転送され、ヴァルトルーデの幻が出てきたこと。
「そこで、妾が出てこぬとは。全知竜といえども、全能ではないという証左じゃな」
「どんだけポジティブなの」
そして、正面から一騎打ちを行なったこと。
「うむ。小僧はバカだな」
「うるせーな。仲間内で暴露大会するよりましだろ」
「ほめとるぞ、素直に受け取れ。その若さ、うらやましいわい」
「ぜってー嘘だ……」
終始劣勢だったがなんとか勝機を掴み――それを放棄した。
それだけでなく、自ら討魔神剣に身を晒したこと。
そして、たった今、意識体が再生したこと。
それらを順番に語っていったが――まだ、ヨナは納得してくれない。
「どーいうこと?」
「ヴァルトルーデ・イスタスは、本物に限りなく近い意識を持った幻。天草勇人も意識体だった。それが理由」
「なるほどの。不愉快な話ではあるが」
自分一人だけ仲間はずれにされたと、ヨナが唸る。
できればここまでの話で察して欲しかったのだが、仕方がない。
ユウトは覚悟を決めて、それでもため息を吐いてから、最後のピースの説明を始めた。
「つまりだな、俺がヴァルに勝てるはずがないというか、もちろん勝つつもりだったんだけど……」
「つまりになってない」
「……ヴァルを殺したくなかった」
「もっと分かりやすく」
「……本物じゃないとはいえ、ヴァルを倒したら俺の心が耐えられそうになかった」
意識体。肉体の枷から精神を解き放ち、魂で行動をしているような状態。
そこで、相手は本体ではないが、限りなく本物に近い最愛の女性を自ら手にかける。正々堂々とした一騎打ちの結果とはいえ、彼の精神は深い傷を得ていたはずだ。
それは、意識体にとっては致命的。
逆に、あのヴァルトルーデも同じ。
牽制程度のつもりだった攻撃でユウトを殺してしまい、精神がそれに耐えられず消えた。
ユウトは、そのカラクリに気付き、ダメージは受けたが深刻ではなく再構成できたのだ。
「……あの痛いの喜んでた吸血鬼とおんなじ?」
「違うから。全然違うから。むしろ、あの女のことは忘れろ。教育に悪い」
「そこで妾を見られても困るのだがの」
どこまで狂える全知竜が意図していたかは分からないが、仇敵ではなく親しい者が多く現れた時点で、このカラクリは決まっていたはずだ。
にもかかわらず、ヨナは言わずもがな。ヴァイナマリネンは思い出話で平和裏に解決し、ヴェルガはベアトリーチェを創生して悪神ダスクトゥムを撃退してしまった。
メンタルの強さで選んだ面があるとは言え――本当に、相手が悪かった。
「天草勇人の率直な告白に、ダァル=ルカッシュは感銘を受けた」
「受けなくていい。むしろ、受けないでください。ああ、悪意が無い分、ラーシアより性質が悪い……ッッ」
むしろ今、旅の仲間たちに精神死させられそうだとユウトは悶絶した。
ヨナは肩の上で首を傾げ、ヴェルガは「妾を出さなかった罰じゃな」と笑う。
一方、大賢者は無表情。
それは単純にそうした方がユウトへの嫌がらせになると分かっているだけで、心中では大笑いしていることだろう。
(だから喋りたくなかったんだ!)
と言っても、もう遅い。
そして、これ以上、拘泥している場合でもなかった。
「最後は、ダァル=ルカッシュが始末を付ける」
軽くもなく重たくもなく。
ごく一般的な速度で、ダァル=ルカッシュが横臥する狂える全知竜へと近づいていく。
そのガラスのような瞳には、なんの感情も浮かんではいない。
だから、その光景にどんな感想を抱くかは、すべて受け手側の問題。
狂える全知竜に抵抗する様子は無い。
その力は既に使い切っていたのか。あるいは、終わりを望んでいたのか。
ダァル=ルカッシュがその手で紅の鱗に触れる。
その手つきは、優しく慈愛すら感じられた。
「さらばだ」
短い別れの言葉
同時に、ふたつのダァル=ルカッシュから虹色の光が溢れる。
闇を駆逐し、圧倒する光。
視界を覆い尽くし、すべてを浄化するかのような光。
それが、この精神世界で最後に見た光景だった。
『すべてはダァル=ルカッシュの主人の要望通りになった。ダァル=ルカッシュが保証する』
それからどれほどの時間が過ぎたのか。
一瞬だったようにも思えるし、一年が過ぎたと言われたら納得してしまいそうでもあった。
「ここは……」
ユウトが目を開くと、そこには桜が咲き誇っていた。
種類も咲く時期もばらばら。ただ、桜という共通点があるだけ。しかも、太陽の光も差さない地下空間だ。
「永劫密林の空洞に戻ったのか?」
「いや、どうも違うようだな」
ふらふらする頭を押さえながらいうユウトに、口調も顔つきもしっかりしたヴァイナマリネンが指摘する。
「よく見てみい。オベリスクが無くなっておるわい」
「そういや……」
永劫密林の奥深くに存在した、全知竜ダァル=ルカッシュの地下空洞。
そこに安置されていた――いや、オベリスクが隠されていたからこそ、ダァル=ルカッシュが我が物とした場所。
今いる場所は、そことは似て非なる空間だった。
「ってことは……」
「ファルヴの地下?」
ヨナの言葉に、無意識にうなずいた。
ユウトが、アカネが初めてブルーワーズへ転移した場所。
蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザドと、死闘を繰り広げた戦場。
魔力を収集するオベリスクが存在し、消滅した地下空間。
そのオベリスクの代わりに、次元竜が鎮座していた。
虹色の鱗を持つ、巨大だがシャープなフォルムのドラゴン。穏やかで理知的な相貌に、暴力的な色は無い。
『ダァル=ルカッシュの主の望みをくみ取り、ファルヴへ移動した』
「帰ってきたのか」
意識体で精神世界に潜っていたのだ。ある程度、以心伝心という部分があったのだろう。
その真偽よりも、ユウトは郷愁にも近い懐かしさを感じていた。実際は、二ヶ月も離れていないはずなのに。
そして、自然と「帰ってきた」と言えたことが少し嬉しい。恥ずかしいので、絶対に誰にも言えないが……。
「ところで、なんで桜が?」
『気に入ったので、一緒に移動させた』
「そんなに気に入ってたのか」
《大願》で咲かせた桜だ。もしかしたら、ずっと咲き続けるかも知れない。
「では、永劫密林のオベリスクはどうなったのかえ?」
赤毛の女帝が、薄桃色の花びらに彩られながら、もっともな疑問を口にする。
『ダァル=ルカッシュが分離――正確には、極限まで狂気に侵された部分を最小化したうえで、ダァル=ルカッシュがオベリスクに接触する以前まで、オベリスクの魔力を使用して因果を無にした。同時に、乱れた次元境界線の整備も行なった』
「ユウトみたいに、話がまどろっこしい」
「俺は普通だろ」
ヨナの遠慮の無い言葉に、少しだけ気落ちしたような精神波で、ダァル=ルカッシュは結論を述べる。
『過度の使用に耐えかね、彼の地のオベリスクは破壊された。ただ、永劫密林までは元に戻すことは叶わなかった。拡大はしないが、異世界の存在は残り続けてしまう』
「つまり?」
「オベリスクの力を使って次元竜から全知竜になったという事実を消し、同時にブルーワーズと地球の間の次元境界線も修正しといたよ。その時に無理をしたから、壊れちゃったよってところかな」
「ならばよし」
ヨナから、ようやく了承が下りた。
「ふうむ。痛し痒しといったところかのう」
「そっちは、最初の計画通りなんじゃないのか?」
「婿殿が我が腕の中にあれば、まったくその通りなのだがの」
淫蕩な笑顔を向けられるが、ユウトは難しい顔をして拒否する。
デートの約束を思い出し、腕の中にあるという言葉が、将来はともかく未来においても冗談かどうか、自分でも疑問に思ってしまったのだ。
「じゃあ、あの触手うにょうにょは?」
「絶望の螺旋は? だな」
『魔力は使い切り、彼方の牢獄との接続は断たれた。問題ない』
そうなると、ユウトが《星を翔る者》を使用し、地球へ帰還したという事実はどうなるのか。
そもそも、今は具体的に何時なのか。
『次元竜たるダァル=ルカッシュにとって、その問いは定義が難しい問題だが――』
「いや、一般的な意味合いで頼む」
『現在は、ブルーワーズでは三木朱音らがファルヴからフォリオ=ファリナへ旅立ってから五日。地球では、ダァル=ルカッシュの主らが世界移動をして、やはり五日』
そのように調整したと得意げな精神波を送るダァル=ルカッシュに微笑ましい感情を抱きつつ、大きなタイムラグは無いようだと安心し……。
先ほど二度ほど発せられた心当たりの無い呼び名に引っかかりを覚える。
「ダァル=ルカッシュの主……?」
『個体名は、天草勇人』
「やっぱ俺か……。でも、主なんて言われるようなことは何もしていないぞ」
『ダァル=ルカッシュを救う。それを諦めなかっただけで、返しきれない恩義がある』
「この次元竜には、今後もここで管理人をやってもらわねばならんだろ。大人しく、主人の座に納まっておけい」
「他人事だと思いやがって」
「とりあえず、上下関係をはっきりさせてくる」
「ヨナは、アルシア姐さんが来るまで余計なことをしないように」
そう。そのためには、地球との次元門を繋がなければならない。
「ダァル=ルカッシュ、地球への次元門はいつ頃になったら作れる? どうやれば良い?」
『ダァル=ルカッシュの主が持つ、鏡の魔法具を必要とする』
「ヨナ、悪い」
「分かった」
ユウトの意を汲んで、アルビノの少女は《テレポート》で素早く往復してミラー・オブ・ファーフロムを運び込んだ。
『これを、核として使用させてもらう』
ダァル=ルカッシュの提案に、ユウトは無言で頷いた。
それを確認し、次元竜が咆哮を上げる。
大気だけではなく空間そのものを揺るがす叫びを受けて、ミラー・オブ・ファーフロムが鉛色の円盤のようなものに姿を変えた。
ただし、厚みが無く、表面が極限まで磨き抜かれた、半径5メートルはあろうかという円盤だ。
桜の花びらがその上に舞い散り、まるで摩擦が無いかのように鉛色の円盤の上を滑っていく。
『ブルーワーズと地球は、本来断絶した世界。しかし、いくつかの罪と偶然により接触してしまった』
本来であれば、また元の形に戻すべきなのだろう。
だが、ユウトのわがままで、それはできなかった。
『故に、次元竜ダァル=ルカッシュは二つの世界が過度に交わらぬよう、しかし断絶せぬよう時空の管理を行う』
次元竜ダァル=ルカッシュの宣言。
ユウトは、自慢気な精神波に微笑みを返す。もし交流用の端末が近くにいたら、頭を撫でていたかも知れない。
『この次元門が、両者をつなげる唯一の扉。さあ、ダァル=ルカッシュの主よ。何処につなげるべきか、指定を』
「それは……」
初めて転移した学校の前?
無貌太母コーエリレナトが降臨した、奈落化した公園?
それとも、みんなで止まった賢哲会議の宿泊施設?
様々な候補が思い浮かぶが、心は最初から決まっていた。
ユウトは、自分ではさわやかなと信じている――大抵、なにか悪いこと思いついたんだねと評判の悪い――笑顔を浮かべ、希望を伝える。
「俺の部屋につなげてくれ。できるか?」
『それを、ダァル=ルカッシュの主が望むのであれば』
「でも、ずっと繋ぎっぱなしじゃないよな?」
『その通り。2時間は持続する。その時間を過ぎたら、次に次元門を開けるのは1~2ヶ月後以降になる』
「分かった。ヨナ、ちょっと行ってくるよ」
それだけあれば充分すぎる。
ユウトは、なんら躊躇せず次元門に足を踏み入れ、仲間を愛しい人を迎えに行く。
それは、この異世界から来た大魔術師が、念願を叶えた瞬間でもあった。
次回、次々回とエピローグでEpisode5は終了の予定です。