5.雷の刃
「雷の刃?」
「聞いたことがないか?」
自らの執務室で書類の山に埋もれたユウトが、今日も輝くような美貌を惜しげもなく晒しているヴァルトルーデに胡乱な瞳で聞き返した。
もっとも、その美貌も今は呆れの色が強い。
しかし、ユウトにも事情がある。
本格的に領地経営を始めて一ヶ月。その順調さに比例して増え続ける書類の山は、ついに机上から床上に進出した。
ただサインをすればいいというだけであれば、巻物を自動生産する魔法具、踊る筆記具に任せていただろう。
この惨状はつまり、ユウトの処理能力が低いというよりは、単純に人手不足による悲劇だった。
近々、面接を終えた官吏が赴任する予定になっている。もう少しの我慢だとユウトはひとつ伸びをした。
「それで、雷の刃ってのはヘレノニア神に関係があるの?」
「知っているのではないか」
アルシアではなくヴァルトルーデがわざわざやってきたという行動を加味しての推測だったが、彼女は別の意味に解釈したようだった。
「雷の刃って……ああ、ヘレノニア神殿の組織か」
執務机に放置していた多元大全を書類の山から掘り出し、情報を検索するユウト。
「まったく……。書類が落ちているぞ」
「ああ。悪いな、ヴァル子」
ヴァルトルーデが呆れながらも甲斐甲斐しく書類を拾っては、整理していく。そんな些細な親切が気恥ずかしく、そして嬉しい。
それを気取られないように、意識以外は多元大全へと集中させる。
「雷の刃、ヘレノニア神殿の最大会派。目的は悪神ダクストゥム及びその信者との闘争に、神殿が設置された街の治安維持。なんだよ、刑事裁判権まで持ってるのか」
ロートシルト王国は、代々の国王が聖堂騎士の資格を有しているようにヘレノニア神殿との結びつきが強い。
その背景もあってのことだろうし、地方領主程度では裁判が重荷になる場合もあるだろう。だが、日本生まれのユウトからすると、特定の神殿が持つには大きすぎる権力ではないかと思える。
「んで、その雷の刃がなんだって?」
「来ているのだ」
とんとんと机の上で書類の高さを合わせながらヴァルトルーデが言う。
「はぁ?」
「王都セジュールの大神殿からの使者が、来ているのだ。応接室に待たせてある」
「それを先に言え」
とはいえ、本当に先に言われていたら多元大全で下調べをする暇もなかったので、それはそれで困る。
着ていた制服は、そのまま。無造作に椅子にかけていた純白のローブを羽織って、早足に執務室を後にする。
「その使者は、アルシア姐さんが相手を?」
「ああ。まだ私も会っていない。アルシアから、ユウトを呼びに行くように言われたからな」
「ナイス判断だ、アルシア姐さん」
「むう……。それでは私が……」
「どうかしたか?」
ヴァルトルーデからの返答はなかった。
答えなかったのではなく、応接室へ到着したからだ。
一応、ユウトがノックをしてから、先にヴァルトルーデを入らせる。面倒だが、必要な手順だ。
「お待たせした」
ヴァルトルーデが入室すると同時に、ヘレノニアの城塞にしつらえられた応接室内のソファから、ひとりの少女が勢いよく立ち上がった。
「アレイナ・ノースティンであります!」
小柄だが、聖堂騎士の訓練を積んでいるためか、しなやかさで瑞々しい肢体。
金髪を肩口で切り揃えており、年齢のせいか美人というよりは可愛いという感想が先に立つ。元気が良く、目上の人間にも好かれそうな少女だった。
(量産型ヴァルトルーデだ)
この比喩は、なかなか分かりやすいうえに面白いのではないか。そう自画自賛するユウトだったが、惜しむらくは、このブルーワーズ広しといえども、ニュアンスを正確に理解できるのは彼一人だけという点か。
「英雄ヴァルトルーデ様に、お会いできて光栄であります」
「あ、ああ。ヴァルトルーデ・イスタスだ。こちらは、家宰のユウト・アマクサ」
「よろしく」
「よろしくお願いするであります」
その語尾は固定なのだろうか……。
ヴァルトルーデに比べてあっさりとした挨拶に気分を害した様子もなく、ユウトはそんな感想を抱く。
見れば、先ほどから対応していたアルシアも苦笑気味だ。
「それで、ヘレノニア神殿――雷の刃からの使者ということだが」
アレイナに着席を勧めながら、ヴァルトルーデも対面に当たる位置に腰を下ろした。そのソファの後ろに、侍るようにしてアルシアとユウトが移動する。
「はっ、具体的にはそちらの書状に認められておりますが、簡単に説明致しますとファルヴにヘレノニア神殿の建立を許可していただきたいのであります」
「神殿か。土地ならあるが……」
元々、勧請するつもりではあったし、そういう意味では渡りに船と言える。
しかし、ヴァルトルーデは諸手を挙げて賛同する気にはなれないでいた。その理由は、ユウトから警戒の意識を感じたからだった。
書状を――読めないのだから仕方ない――ユウトへそのまま回しながら、ヴァルトルーデもその警戒感を共有する。
冒険者時代からの積み重ねだ。それが恋人同士も羨む以心伝心だとは、残念ながら当事者は気付いていない。残念なことに。
「今、説明を受けた通りだよ。神殿建立の許可と、土地の提供。神殿の建設費は、ヘレノニア神殿の持ち出しだ。ただし、領内の警察権と刑事裁判権を求めている」
「むう……」
書状の内容をすらすらとかいつまんで説明するユウトへ、アレイナが不満の視線を向ける。
恐らく、ヘレノニア信徒の英雄へのぞんざいな口の利き方や、要約の仕方が気にくわないのだろう。
だが、ユウトは気付かないふりをした。
「そうか。特別な内容ではないようだな」
「そうですね」
アルシアもヴァルトルーデの言葉に頷く。
いつも通りなのは良い。
だが、アレイナという少女の思惑は別にして、先触れも立てず不意打ちのように使者を出したヘレノニア神殿の思惑が、ユウトには透けて見える気がした。
「では、アレイナ……」
「はっ、アレイナ・ノースティンであります!」
「返答は、後日する。それまでは、この城塞で過ごしてほしい」
「本当で、ありますか! って、ああ、それは駄目であります……」
ヘレノニア神が奇跡を用いて一夜にして創建した城塞。
そこに逗留できると目を輝かすアレイナだったが、すぐに意気消沈したかのように肩を落とす。
「恐れながら、同じ神に身を捧げるものとして、この場で許可を頂いてくるようにとの指示を受けておりまして」
書状にも、遠回しな言い方ではあるが、同じことが書いてあった。
(これは、マズい……)
ユウトは、天を仰ぎそうになるのを必死に我慢した。
彼としては警察権はともかく、裁判権まで明け渡す気はさらさら無かった。
未だ、ろくな衛兵も揃えていないファルヴにとって、雷の刃による治安維持は実に都合が良い。だが、同じヘレノニアの聖堂騎士であり、英雄でもあるヴァルトルーデが背後にいるこのファルヴで裁判権まで与えたら、どうなるか。
善を奉じる雷の刃とはいえ、いや、だからこそ暴走した時に押さえられなかったら、致命的な事態が発生しかねない。
雷の刃の背後にも、王都セジュールの大神殿があるのだ。
安易な権力の委譲は、将来的な火種でしかない。
ユウトがヴァルトルーデへ助言し、思う方向に誘導するのは簡単だ。
だが、〝同じ神に身を捧げるものとして〟ということは、交渉相手を明確にヴァルトルーデに限定している。だから、それはできない。
そんなことをやろうものなら、やたらとクチバシを挟もうとする魔術師に、傀儡の領主という図式が出来上がってしまう。
それは、今後のためにも避けねばならなかった。
「了承したと、伝えておいてほしい」
「ありがとうございます!」
(ヴァル子ッ!)
思わず声を上げそうになるユウトだったが、次の瞬間、その意味が変わる。
「ただし、神殿の責任者には私を任命してほしい」
「はい……?」
「名目上の物で構わないし、問題が起きなければ口出しするつもりもないぞ」
ヴァルトルーデの妙手で、風向きが完全に変わった。ユウトは快哉を叫ぶのを必死に我慢している。
「それは私の、一存では、その……」
「私は、司祭の資格も持っているのだから、問題ないはずだ。済まないが、同じ神に身を捧げるものとして、この場で決定してほしい」
「うぐ……」
名目上でもヴァルトルーデがトップに立っているのであれば、色々とやりやすくなる。横槍を入れたりとかな。
とうとう悪い笑顔を我慢できなくなったユウトが、にんまりと今後の展開を考える。
ヘレノニア神殿だか雷の刃だか分からないが、結局、ヴァルトルーデの提案を呑まざるを得ないだろう。実に、妥当な話だからだ。
恐らく、ヴァルトルーデは、ユウトがどこに危機感を抱いたのか、深いところまで理解はしていないはずだ。
それでも、ユウトの意志をくみ取った優れた判断力と的確な交渉力。今回は、それに救われた。
(そうだよな、知識とか計算とかが絡まなければ、ヴァル子も結構できる奴なんだよな)
改めて、ヴァルトルーデのことを見直すユウト。
「ヴァルトルーデさま、よろしければ使者殿とご一緒に、王都セジュールへ赴かれますか? 《瞬間移動》の準備は問題ございません」
慇懃な口調で、ユウトがヴァルトルーデに問う。言われた彼女は「ヴァルトルーデさま」という呼びかけに目を白黒させたが、それが身内以外に悟られることはなかった。
「そ、相談してくるであります!」
そう真っ赤な顔で宣言したアレイナ・ノースティンがバタバタと退場したのを確認して、数秒後。
「よくやった、ヴァル子!」
ユウトが背後からヴァルトルーデの頭をぐしゃぐしゃと撫で、珍しく感情を爆発させる。
「お、おい。止めろ、止めないか」
内容以外はまったく説得力のないヴァルトルーデの抗議をもろともせず、ユウトは後ろから抱きつかんばかりの勢いだった。
実際にそうしていたなら、嬉しさにとろけそうなヴァルトルーデの表情は、どうなっていたことか。
「しかし、さっきのヴァルトルーデ様というのは、なんだ。寒気がしたぞ」
「俺もだ」
「……まあ、良かったですね」
無邪気に笑い合う二人を見ながら、傍らで他人事のようにアルシアがつぶやいた。
アピールとは、こういう意味ではなかったのだが……。心底嬉しそうな親友の姿に、無粋な指摘をする気にはなれなかった。
パリンと宝石が砕け散る音が、深く暗い闇の中に響き渡る。
同時に、一人の青年が深い眠りから覚醒した。
整っていると言って良いだろう顔立ち。険はあるが、同時に人を引きつける魅力のある雰囲気を纏っている。その割には、中肉中背で印象に残りにくい男だった。
覚醒と同時に、トリアーデと呼ばれていた者の魂の器は、絶望をするでもなく状況を整理し始める。
失敗した。
水泡に帰した。
絶望の螺旋を招請する大儀式。
〝虚無の帳〟のほとんどの者は知りもしなかった悲願。
我らが宿願。
たった六人の冒険者によって、すべてが崩壊した。
儀式による適切な死によって絶望の螺旋を招請するはずだった、邪悪なる炎の精霊皇子イル・カンジュアル。彼と目的を同じくするトリアーデの二人。
神々の介入により魂を破壊され、復活することも輪廻に乗ることもなく存在が消滅していることだろう。
手塩にかけて数十年運営してきた〝虚無の帳〟も、壊滅して久しい。
黒檀の狂熱の宝珠も失われた。
二度と、同じことはできない。
〝虚無の帳〟唯一の生き残りとなった男が、冷静な判断を下していく。
彼とて、生き残ったのは偶然に過ぎない。
《魂の器》という呪文がある。
焦点具となる宝石に自らの魂を移し、一定の範囲内に存在する生命と入れ替える理術呪文。それを使用し、肉体的に優れた個体を乗っ取っていた。
その体が滅び、乗っ取った肉体の魂と共に焦点具となる宝石は砕け、彼の魂は元の体に戻った。
つまり、より優れた肉体を使いたかっただけで、生き残るためにこの呪文を準備していたわけではないのだ。
しかし、今はその幸運を神に感謝すべきだろう。絶望の螺旋が与え給もうた加護に違いない。
寝台に座った男は、口元を邪悪に歪ませた。
与えられた挽回の機会は、最大限に活かさなければならない。
この部屋は、入り口はどこにもなかった。
《瞬間移動》の呪文で出入りするしかない、彼の私室だ。あの冒険者たちであっても、見落とすのは無理もない。
ここから、もう一度始まる。
確実に絶望の螺旋を解き放つ手段は、炎の精霊皇子イル・カンジュアルの喪失と共に潰えた。
だが、方法がないわけではない。
ファルヴの廃神殿地下のオベリスク。
魔力を集め、時空の扉を開く秘法具。
当然、その情報は得ている。魔力の充填まで、まだ一年の期間があることも。
「準備期間としては、上々だ」
男がつぶやく。
モンスターを集め、組織するのだ。作戦を立案し、実行の日まで、闇に潜る。
一年? そう、たった一年だ。
そのための呪文も、魔法具も、資金も、最後の切り札も残っている。
「すべては、等しき虚無のために」
聞く者の魂を凍らすかのような声が、暗黒の空間に浸透し、やがて、男の姿も消え去った。
今回で第三章は終了です。
次回からは閑話編としてキャラクターの日常話になります。
一区切りとなりますので、評価などつけていただけると幸いです。