1.大魔術師の計画(前)
大賢者ヴァイナマリネンが、ブルーワーズ帰還の手段について語る。
その宣告を受けた直後から、ユウトは大忙しだった。
まず、同じ施設にいるということだが、部屋番号などなにも聞いていない。
「なにが大賢者だよ。死ねばいいのに」
「聞かなかった私たちにも、落ち度はあるだろう」
今になって恥ずかしくなったユウトをヴァルトルーデがなだめるという珍しい役回り。だが、自分のことであのユウトが取り乱しているのだ。嬉しいに決まっている。
それはそれとして、ヒントもなく探し回るわけにもいかない。ヨナを回収すると同時に――すでに眠そうだった――真名にも確認したが、逆に驚かれてしまった。
最終的に、ユウトがヴァイナマリネンへ巻物で《伝言》を送り、事なきを得る。
仲間たちにも事情は説明し、とりあえずユウト、ヴァルトルーデ、ヨナの三名で大賢者のもとへと赴くことになった。ユウトが考え、ヴァルトルーデが決断する。
彼らは、いつもそうやってきた。
「ジイさん、入るぜ」
ホテル特有の蛍光灯の柔らかな光。独特の空気。
それを感じながら、ユウトは鍵のかかっていないドアノブを回す。
それほど広くない三和土にはスリッパが二つ。ヨナを背負ったままスリッパを適当に脱ぎ捨て、ヴァルトルーデがそれを整理してから上がる。
内心、「これが、女子力アップの行動か……。為になるな」と思いながら。
「親子のようだな」
「俺たちの子供にしては、でかすぎんだろ」
「私たちの子だと!?」
部屋へ入るなり交わされる軽口に、不意打ちを受けた聖堂騎士だけが狼狽する。だが、部屋の奥に誰がいるか気付き、即座にモードが切り替わった。同時に、討魔神剣が手元にないことを悔やむが、一歩も引くつもりはない。
それを面白そうに眺めた大賢者は、意地の悪い微笑みを浮かべながらずっと緑茶をすすった。
「ジイさん、馴染みすぎだろ」
その場にいたもう一人について、ユウトは半ば予想していたため、表立ってはなにも言わない。なにを言っても、恨み言にしかならないからだ。
「まあ、その辺に座れ」
和室で構成される、典型的な旅館の部屋。
がっしりとした和風のテーブルに、座椅子。その一角に陣取る、浴衣姿のヴァイナマリネン。ヤクザの親分のような風貌と風格を醸し出していた。
「知の求道者たるもの、郷に入っては従うのが当然であろう」
「その知の求道者様が、適当な嘘を言って良いのかよ……」
背負ったヨナを座椅子に座らせながら、ユウトの視線は部屋の隅に重ねられた荷物へと注がれていた。
黒い、有名な電気量販店の紙袋。それが、堆く積まれている。中身は分からないが、確認しても良いことはなさそうだ。
というより、無限貯蔵のバッグに入れておけばいい物を外に出しているということは、きっとこの件を触れられるのを待っているのだろう。
(子供かっ)
と思うものの、この老人と子供に違いなど、年齢ぐらいしかありはしなかった。
窓際にいる、もう一人も含めれば、その証明には充分だろう。
「それで、なんでヴェルガがいるのか説明してくれるんだろうな?」
「つれないのぅ」
言葉ほどには傷ついた様子もなく、窓際にいた小さな女帝がくっくと喉の奥で笑う。
広縁の椅子に座りウィスキーを傾けるその姿は、まさに支配者と呼ぶにふさわしい貫禄だった。
「邪魔立てするつもりであれば、容赦はせぬぞ」
「このような形の妾は丸腰で充分と? 試してみるかえ?」
浴衣を着た聖堂騎士と、いつもの漆黒のドレスを身にまとった、しかし子供の姿をした半神がにらみ合う。
だがどうにも、二人が矛を交えるにはこのシチュエーションは締まりがなさすぎた。
「ねむい……」
「ジイさん、今回の話にはヴェルガも絡んでるんだな?」
「でなきゃ、呼びはせぬ」
「ヴァル、話だけでも聞こう」
「……分かった。後回しだ」
「それはこちらも同じよ」
一人の男を巡って、相容れない二人が争う。ラーシア辺りが「いやー。男冥利に尽きるね」などと言い出しそうな状況だが、当事者からするとたまったものではない。
「もっとも、向こうへ戻らねば婿殿とのでぇとの約束も果たせぬ。それまでは、休戦でよかろう」
「……やはり、今すぐ雌雄を決するべきだな」
「そこは、ちゃんと説明するから。後、ジイさんも止めろ」
「小僧の身から出た錆だろうが。ワシに押しつけるでないわ」
呵々と、放任どころか焚きつけるようにヴァイナマリネンが笑う。
「ねる!」
「あー。もう、ヨナのためにも争い事は抜きだ。とっとと終わらせるぞ」
もう関わらないぞと座椅子にどかっと座り、聖堂騎士と悪の半神を順番に見やる。
それで、二人とも矛を収めた。
ヴェルガは広縁の椅子から動かず、ヴァルトルーデはユウトと女帝の間を遮るように座椅子へ腰を下ろす。
「婿殿は、子煩悩であったか」
「ユウトは、子供に優しいのだぞ」
「だが、その割に今の妾に懸想する様子がないとは……。解せぬ」
「ジイさん、頼む……」
困った様子のユウトを愉快そうに見やってから、大賢者ヴァイナマリネンはおもむろに口を開いた。
「まず、そうだな。今、この地球という世界は、不安定ながら安定しておる」
「低空飛行? 前よりは、まし?」
「どちらもだな。ブルーワーズからのモンスターの流入は、ほぼ止まっておる。一方、不可侵であったはずの次元境界線の揺らぎは、未だ回復の兆しはない」
まずは、ユウトが休んでいた間の調査結果からのようだ。
知りたかった情報でもあり、ユウトは熱心に聞き入る。
その一方、ヴァルトルーデは聞くつもりはあるがどの程度理解できるものかは未知数であり、ヨナはすでに夢の世界へ旅立とうとしていた。
そんなアルビノの少女を抱き寄せつつ、ユウトは確認する。
「無貌太母の顕現による部分的な奈落化が、その原因か?」
「そうであるとも言える、あるいは無関係かも知れん」
「どっちだよ」
「最大の要因は、幾度も世界移動が繰り返されたことだな」
最初にユウト、次にアカネ。
その後、ユウトとヴァルトルーデが《星を翔る者》で移動し、止めにコーエリレナトの侵入。
頻度もそうだが、最後は規模も極めつけ。確かに、異常をきたしても不思議ではない。
堤防で洪水は防いだ。
しかし、その堤防は未だ修復されていない。
そんなところだろうかと、当たりを付ける。
「では、その次元境界線とやらを修復すれば良いのか?」
浴衣では、あぐらはかけない。
慣れない座り方に裾を気にしつつ、ヴァルトルーデが言う。
「それでは、帰れなくなるであろ」
「むっ」
よりによって悪の半神から一刀両断され、ヘレノニアの聖女は鼻白んだ。そんな表情でさえ美しいのだが、今はそれを称賛している場合ではない。
「確かに、ヴェルガの言うとおりだな」
「ユウトまで……」
「言葉の正しさと、発言者は無関係だ」
「その通りよ、諫言を容れる度量なくば、為政者とは言えぬ」
「そんなに大げさな話ではないはずだが、反論できん……」
広縁で幼くして淫猥な微笑を浮かべるヴェルガから視線を外し、誰よりも存在感のある浴衣の大賢者へ問いかけた。
「じゃあ、どうするんだ? ブルーワーズへ戻ってから復旧できるものなのか?」
「できるはずだ。しかし、ワシは別の手を考えておる」
当ててみせい。
そう髭を揺らして笑う大賢者。
試されているのは業腹だが、ここで分からないと答えてバカにされるのはもっとごめんだ。
完全に寝てしまったヨナの髪をなでながら――それをショーウィンドウにかじりつく子供のように見つめる婚約者には気づかなかったことにして――思考を進める。
現実の手段はいったん忘れる。
考えるべきは、あの老人の意図。
「できるできないは別として、ある程度不安定なまま、安定させる。つまり、特別な方法や機器を知っている、使える者だけが行き来できるような状態にする」
思いつくまま、取り留めもない思考を言葉にする。
完全な断絶はユウトの本意ではない。そして、それはヴァイナマリネンも同じだ。それは、あの積み上げられた家電製品――恐らく、パソコンとその関連の機器だろう――からも明らか。
その一方、無制限の交流も大賢者の意向からは外れるはずだ。
大航海時代におけるヨーロッパの植民地事業には不快感を露わにしていたし、今の地球とブルーワーズの大規模な交流はデメリットの方が大きいと感じているはず。
「理想は、俺たちとジイさんが個人的に使える程度。地球側からは、賢哲会議の関係者が、俺たちの承認を受けて来られるくらい。こんなところか?」
「まあまあだな」
ヴァイナマリネンが、そう合格点を出した。
恐らく、賢哲会議とも話は付けているのだろう。
「なにやら悪巧みをしておるが、それでは妾に利益がないのぅ」
「当然だ」
睨みつけながらヘレノニアの聖女が、今度は逆に一刀両断にする。
しかし、ヴェルガがここにいる以上、幼女の姿となっても彼女の力が必要ということ。無条件で協力を求めるというわけにもいかない。
「なにを言うか。ふたつの異なる世界があるのだ、混じり合わせた方が楽しかろう」
硝煙と弾丸と魔術がぶつかり合い、人と亜人とモンスターの死体が重なり合う。血と泥濘がすべてを覆い尽くし、科学と幻想が混じり合う。
麗しき混沌の世界。
「想像するだに素晴らしいではないか」
「理解できんな」
決して、相容れない二人。
その争いを止めたのは、ある意味で元凶である大賢者ヴァイナマリネンであった。
「そこの小僧と逢い引きの約束をしておったであろう」
「あ、逢い!?」
「なんでも知ってやがるな……」
「それがなんと? よもや、デートひとつで、これも受け入れよと?」
「その時、そこの伯爵の嬢ちゃんや眼帯の嬢ちゃんたちの尾行も監視も無しにしてやろう」
「ジジイーーーーッッッ」
密かに、ヴァルトルーデたちの説得用に考えていたプラン。それをあっさり潰されて、ユウトは思わず絶叫する。膝の上のヨナがびくりと身じろぎした。
「ほう、ほうほうほう」
嬉しそうに楽しそうに赤毛の女帝が淫蕩に笑う。
「なにをするか分からぬが、その条件で引き受けるとしようかの」
「戻ったらすぐ始末を。いやしかし、それでは信義に……」
底なし沼の上に蜘蛛の巣をかけられた。
そんな絶望感を憶えながらも、他に提示できる条件がなくては這い出すこともできない。
「とりあえず、それで良いとしてだ」
「良くはないが、話は進めてくれ」
「そこの伯爵の嬢ちゃんにも分かるよう、簡単に言うぞ。この次元境界線をワシらの都合が良いように保つため、管理者を置くつもりだ」
「管理者……?」
そんな都合の良い存在がいるのか?
ヴァルトルーデは当然、ユウトにも心当たりはない。
「小僧も、否、ここにおる者は皆知っておるはずだぞ」
「……まさか」
「やはりのぅ」
そのヒントで、二人が気付く。
「次元竜ダァル=ルカッシュ。あれを管理者とするぞ」
浴衣の大賢者は、そう宣言した。