8.狂乱滞在日記(後)
「いやー。日焼けした体に染みるなぁ」
「まったくだな……」
「おまえら、もう少し異世界人らしくできないのか……」
貸し切り状態の露天風呂に浸かる草原の種族と岩巨人という光景に、ユウトは思わず言いがかりにも近い苦言を呈してしまった。
温泉を気に入ってくれているのは素直に嬉しいが、同時に、それで良いのかという思いが消えない。
頭にタオルを載せたエグザイルなど、あまりにも溶け込みすぎているからなおさら。
「でっかいお風呂って良いねぇ」
「ラーシア基準なら、大抵でっかいぞ。それに、ファルヴの城塞のもこんなもんだろ」
「いやいや。こんな風に海を眺めながらなんて風情があって良いねってことだよ」
「風情まで語るのか……」
思わず、暮れなずむ空を見上げてしまった。後頭部がごつごつした石造りの湯船に当たるが、気にしない。
昼と夜の狭間の時間。徐々に海へ沈んでいく太陽は、ラーシアの言うとおり風情があるのは間違いなかった。
ただ、ファンタジー世界へ深刻な影響を与えようとしているのではないかという不安もぬぐえない。
「ユウト、どうせならあっちでもこんな施設を造ったらどうだ?」
「エグザイル、それイイ」
「温泉は、その辺の地面を掘ったら出てくるってもんじゃないんだぞ?」
「やるなら、うちのに山の辺りを調べさせて、湧き出ている場所を探させる」
「さすが族長」
「ラーシアだって、悪の組織の首領じゃないか」
少しひりひりする肌を気にしながら、ユウトがそう指摘する。
しかし、エグザイルまで乗り気なのは意外だった。確かに、思わず眠ってしまいそうなほど気持ちいいが……。
「それもそっか。なら、海側はうちの若いのにやらせようかな」
「乗り気すぎる」
「いやほら、玻璃鉄城で娯楽は金になるって分かったからね」
「もし閑古鳥が鳴くようだったら、俺たち専用にしても良いだろう」
ぐいと乗り出してきそうな大小二人に迫られて、ユウトも考えを改める。ここまで言うのであれば、ブルーワーズでも受け入れられる可能性がある。
ファンタジー世界で温泉。
「面白そうじゃないか」
それに、疲労もなにもかも溶け出してしまいそうなこのお湯の気持ちよさに比べたら、文化がどうこうなどという心配など些細なことに思える。
「おっ、ユウトの悪巧みが始まりそうだね」
「まずは温泉を掘るところからだけど、源泉を人海戦術で探すのと同時に、使えそうな呪文がないか調べてみよう。こういう方面だと、自然崇拝者が得意そうなんだけど、コネがないから、そこも伝手を頼ろうか」
頭に乗せていたタオルで顔を拭いてから、湯に深く身を沈めて体をリラックスさせ。それでいて、思考だけは動かし続ける。
「温泉が出たと仮定してだけど、優先的に、そこまで馬車鉄道を敷いて物流を確保しよう。そして、どうせなら街にしてしまおうか。憩いを提供する街だ。もちろん、それだけだと来てもらうのが難しいから、珍しい食べ物とか……カジノみたいな娯楽を提供すべきかな。湯治を強調するのも良いか。アルシア姐さんに協力してもらう必要があるかな」
「カジノ系は、ボクの専門分野だね」
「健全経営だぞ。後はそうだな……。慰安旅行推進のため、社員旅行や町内旅行を提案して補助金出すとか、修学旅行で行かせるのも良いな」
「後半よく分からんが、ユウトが悪巧みしているのはよく分かった」
「失礼な」
ただ、財力を動員して強引に普及させようとしているだけだ。
「お金の匂いがするね」
「王都とかフォリオ=ファリナとか、金を持ってそうなところから客を呼べたらもっと良いんだけどなぁ」
「オレは、休める場所があればそれで良かったのだが……」
微妙な温度差が生まれたような気がするが、深くは考えないことにする。
「ということはつまり、ユウトは帰るつもりで良いんだよね?」
「……ああ。少し、迷ってたけどな。っていうか、気付いてたのかよ」
「逆に聞くが、隠しているつもりだったのか?」
急な話題転換。なんとか冷静に返答はできたが、恥ずかしさに、温泉へ潜りたくなる。
マナー違反だからやらないが、思わず顔は背けてしまった。
「まあボクはどっちでも良かったけどねー。エリザーベトも、まさかこの世界までは追ってこられないだろうし」
「言いつけるぞ」
「や、やってみれば良いさ」
「ラーシア、とりあえず座れ」
興奮した草原の種族が露天風呂の中で立ち上がったのを制し、岩巨人が肩を掴んで座らせる。
「というか、ラーシア先生はそろそろ同じ草原の種族のお相手とか見つからないんですかね? あの法律が、俺が自分のために作ったみたいな感じになって、世間体が悪いったらないんですが」
「か、帰ったら本気出すから。見てなよ!」
「上手くいけばいいがな……」
男湯が修学旅行の男子たちのようなノリになっていた頃、女湯の方もかしましいことになっていた。
「う~ん。やっぱり、温泉は良いわね」
アカネが露天風呂の中でぐっと背伸びをすると、それに伴い胸が突き出て強調されやや白濁した湯が波紋を生み出し揺れる。
その光景を目にし、ヴァルトルーデとペトラの二人は同時に胸元へ視線を落とし、二人で目を合わせ、そして大きく落胆する。現実など、とっくに分かっていたはずなのに。
分かっていても目を背けたくなる物。それもまた、現実だった。
真名は気にしていない風を装っているものの、わずかながら視線が険しい。
「ん? どしたの?」
「私からはなんとも……」
持つ者のグループに入る。というよりは、その最上位に位置するアルシアが曖昧な微笑みでやり過ごした。長い黒髪を上げてうなじを露わにした彼女は、そんな表情を浮かべるだけで色香を感じる。
男女問わず、注目を集めずにはいられない美女。真紅の眼帯を身につけた異相であろうとそれは変わらなかった。
特に、ユウトの視線と意識を釘付けにした双球が湯に浮き、少しだけ日焼けした周辺部とは対照的な白い肌がまぶしい。
「あー。まあ、勇人はそういうのあんまり気にしないわよ?」
「それは、こまる」
無限大の未来を持つヨナが、真顔で落胆の言葉を口にした。さっきまで、泳ごうとして怒られていたとは思えない。
「十年でアルシアを超える予定だから」
「たまに、ヨナの前向きさがまぶしく思えることがあるな」
本気で感心しているとヴァルトルーデは言って、湯をすくい白い肌に滑らせた。
沈みゆく陽光に照らされ、女神のような美しさが惜しげもなく晒される。
「私は、なぜここにいるんでしょうね……」
ペトラからすると、ヴァルトルーデもまた持てる側だ。
一糸まとわぬ姿となっても。否、だからこそ彼女の美しさは更に輝く。過去の偉大な芸術家たちが、ヴァルトルーデに出会うことなく死んだことを心の底から後悔するほど。
その肢体は一目で脳を打ち抜き、理性をとろかせ、ただ幸福感を覚える。
「そうよねー。私からするとヴァルの方が反則みたいなものよ」
「私ほど、法と常識に則って生きている人間はいないぞ」
「存在自体がよ、存在が」
「正直なところ、私もそう思います」
「マナまで!?」
「収入が多いと、税金も多い。そういうものですよ」
アルシアの、もっともだが本人からすると不満の残るフォロー。それでも、不承不承自らの不利を認める。そのふくれっ面ですらユウトからすると心を撃ち抜いてあまりあるので、存在が反則というアカネの言葉も根拠がないわけではなかった。
「それに、アルシアさんもペトラもスタイル良いじゃない。私も美容のために冒険者になった方が良いのかしら……」
「美容のためにやっていたわけではないのですが」
「その、アカネさんだって垢抜けているというか。お化粧も上手ですし。それに比べて、私なんて野暮ったい……」
ブルーワーズ最大の都市フォリオ=ファリナで生まれ育ったペトラは、それほど関心は無かったものの、ファッションセンスはそれなりだと自負していた。
しかし、地球の文化を基盤としたアカネは遥か上。
「今度、今日着てもらったような服をあっちでも売り出す予定だから。今回の経験がある分、周りをリードできるわよ」
「本当ですか?」
「うん。優先して回すわ」
「全部買います」
さりげなく令嬢らしさを発揮するペトラに、アルシアは苦笑する。
「だが、ユウトから女としてみられているのはアルシアだろう?」
「そ、そんなことはないと思いますが……」
そんな風に、ある意味油断していたからか。幼なじみの少女からの指摘に、露骨に動揺を見せてしまう。
「服装が、珍しかっただけでしょう?」
「この前、おじさんとおばさんに挨拶に行って以来、なんか空気感が変わった気がするのよね」
「アルシア、ずるい」
止まない追及に耐えかね、アルシアは顔を背ける。その格好のまま、吟味しない大胆な言葉を口にしていた。
「末席とはいえ、婚約者の一人なのだから。その、そういうのも、ある意味当然なのではなくて?」
「おー。やるわね、アルシアさん」
「うん。アルシアが前向きなのは嬉しい。それと、別に順番とかは無いぞ」
アルシアの開き直りを揶揄することなく、運命共同体の二人は、むしろ祝福する。
「皆さん、仲が良いのですね」
意外だったと、真名が言う。
デリカシーには欠けるが、こんな話題を出しても大丈夫だと判断したうえでのこととも言える。
「ハーレムなど、もっとギスギスするものかと」
「師匠の包容力なら、当然ですね」
ペトラの意見には当事者全員が内心首を傾げたが、真名の問いへの回答はシンプルだ。
「私はヴァルのおまけのようなものですし」
「ヴァルと勇人の間に割り込んだみたいな立場だもん」
やや濁った温泉に浸かりながら、二人はあっけらかんとそんなことを言う。
そうなると、鍵を握るのは一人に絞られる。
真名やペトラの視線が、ヘレノニアの聖女へと集まった。
「アルシアもアカネも、大切な仲間だ。そんな相手とユウトを取り合うなど、できるはずがない」
「そういうものですか」
「それに……」
夏の日差しに晒されても染みひとつできる気配の無い肌を赤くして、湯の中へ語りかけるかのように下を向きながら言った。
「ユウトは、私が一番だと言ってくれている。それで充分だ」
全員の感心したような声に、自分がどれだけ恥ずかしいことを口にしたのか気付く。
ヴァルトルーデは口の中で言葉にならない言葉を発しながら、そのまま顔を半分温泉に沈めてしまった。
男パートと女子パートで文字数がほぼ拮抗しているというミラクル。