3.ユウトの決意
婚約者たちから心配されている頃、ユウトはまた別の難題に取り組もうとしていた。
ヴェルガは関係ない。ただし、これは彼自身が立ち向かわなければならない問題だ。
「お友達に、会いたい……ですか?」
「ああ。最初は、説明のしようも無いから黙っていようかと思っていたんだけどね……」
泊まっているというよりは借り切っているという錯覚を憶え始めた、滞在中のホテル。そのラウンジで、ユウトは真名に相談を持ちかけていた。
山西や鈴木をはじめとする友人たちへ、自分は無事だと知らせたいと。
「私たちには留め立てする権利はありませんが、多くの困難が想定されるのはセンパイもご存じでは?」
反対と消極的賛成の中間ぐらいのニュアンスで、真名が言う。
真っ向から却下しようとしないのはありがたいと、自費なら絶対に頼まない四桁するコーヒーをすする。場所代も込みだろうが、違いはよく分からなかった。
「俺も、悪いけど最初は知らせるつもりはなかったよ。父さんと母さんに会って、警察に手を回してもらえば充分だと思ってた」
説明のしようがないのは、ユウトも自覚している。真実を語ったら、また別の心配をされることになるだろう。
けれど、しばらくは地球で活動することになるから、どこで目撃されるか分からない。既に、隣近所では噂になっている可能性もあった。
だったら、先に説明してしまいたいというのもある。
「ひとつ確認です」
「なんだい?」
「センパイにメリットがあるとは思えません」
「そうかな?」
なんにせよ一区切りできる。
そう反論するが、ポニーテールを振りあっさりと再反論される。
「センパイは、洗いざらいぶちまけるほど思慮の浅い人間ではありません。まあ、いざとなったらなにをするか分からない人でもありますが」
「後半、必要だった?」
「つまり、中途半端な話しかできません。心配をしてくれた人に、そんな対応。センパイが傷つくだけでしょう」
「そんなに高尚な人間じゃないさ」
「身辺整理のつもりですか?」
「う~ん。そう言われると語弊があるけど、自己満足という意味では同じかも」
要するに、テスト期間中に部屋の掃除をしたくなる。それと同じことだよと、ユウトは言う。
それに対し、真名はよく分からないと小首を傾げる。
これ以上の説明は難しいと、ユウトは沈黙を選ぶ。
ふと、ガラス越しに外を見る。
一歩外に出れば、まだセミが鳴き、陽光が容赦なくアスファルトを照りつけている。遠目には、奈落と化して隔離された公園。あの向こう側は大変なことになったのだが、そんなことは関係なく日常は進む。
まだまだ暑そうだ。女子会――その実態は不明だが――に行くと言っていたヴァルトルーデたちは大丈夫だろうか。
いや、それよりも部屋に残っているラーシアたちだ。
ペトラに携帯電話も渡してある。使い方の練習もした。なにかあれば、連絡してくれるはずだが……。
ピアノの生演奏――どんな曲かは分からない――をバックに、静かな時が流れた。
「分かりました」
数分後。考えがまとまったらしい真名が、ユウトの希望に同意した。
「そうですね。それっぽく見える人員を手配しましょう。警察のように見える人間を同伴して、帰ってきたけど詳細は話せないと説明にならない説明をすれば、深入りすることもないでしょう」
「……その辺が妥協点かな?」
「センパイも、あちらのことを広めたいわけではないのでしょう?」
「それはそうだ」
最終的にユウトも同意し、真名は席を立って賢哲会議の上層部との調整に入った。
彼の希望が叶えられたのは三日後。夏休み最後の日。
昼前に、真名が、ブルーワーズではわりと見かけるレベルの暴力的雰囲気をまとった男を二人従え、ユウトのもとを訪れる。男たちは、本職なのか調達しただけなのかは不明だが、警官の制服を身につけていた。
挨拶もそこそこにセダンに乗って、事前に提出したリストに従い、ユウトの友人たちの家を巡っていく。
特に仲の良かった山西や鈴木を優先し、後はメールを送ってくれた高校や中学の友人を順番に。不在だった場合もあったが、さすがに夏休み最終日は在宅率が高い。
学校にも顔を出し、教師にも少しだけ挨拶ができた。
ただ、顔見せしただけで、分かっていたことだが、話せる内容は少ない。
行方不明になった経緯は話せない。
その間、どこでなにをしていたのかも。
学校には、たぶん戻れない。
電話やメールも、返事ができるか分からない。
そう伝えたところ、みんな複雑そうな表情を浮かべていた。
無理もない。まるで、表沙汰にできない事件に巻き込まれ、別れの挨拶だけは許された。そんな風にしか見えないのだから。
それでも、最後は笑顔で別れを告げられた。
付き添いの真名から、慰めもなにも無かったのは幸いだった。
出かけたときよりも酷い顔でホテルに戻ってきたのは、夜遅くなってから。
事前に打ち合わせでもしていたのか、出迎えてくれたのはアルシアだけだった。
無理に笑顔を浮かべ、その横を通り過ぎようとしたとき――
「ユウトくん、お願いがあります」
「……なんですか?」
服の裾をつかみ、彼を引き留めた。
疲れてるから後でと言っても構わない状況だったろう。けれどユウトは立ち止まり、しっかりと聞く体勢に入る。指輪から伝わる感情にいらだちはない。
それに少しだけ悲しみを感じつつ、彼女は単刀直入に告げた。
「ヴァルやアカネさんは抜きで、ユウトくんのお父様やお母様とお会いしたいのだけど」
こんな酷い顔をして傷ついた――自業自得と言う者もいるだろうが――彼を、このままにするわけにはいかなかった。
「父さんや母さんと会うって……あっ!」
その意味を理解するまで、数秒。
理解した瞬間、一時的にせよ悩みはすべて吹き飛んだ。
「ごめん。本当にごめんなさい」
こんな大事なことを忘れるだなんて。なにが、婚約者だ。
そう、ユウトが自分を責めるだろうことは分かっていた。
だが、同じ傷つくのなら、自分が原因になった方がいい。いや、なりたい。
ユウトの事情を完全に把握しているとは言い難いが、責任感の強い彼が傷ついているのなら、変に慰めるより別の仕事を与えた方がいい。
アルシアも、また、誰かの役に立ちたいという欲求の強い人間だ。だから、ユウトの気持ちはよく分かっていた。
「というわけで、婚約者の一人、アルシアねえ……アルシアです」
「お義父様、お義母様、改めましてよろしくお願いいたします」
翌日の夜。
夕食時に、ユウトは実家を訪れた。もちろん、婚約者としてアルシアを同伴して。
今日の彼女は、ツイードのジャケットとタックスカートというややフォーマルな出で立ち。腰の部分にあしらわれたリボンが、きつさを緩和してくれている。
「郷に入りては郷に従え、でしょう」
ユウトの訝しげな視線――正確には、感情感知の指輪から得た情報――を受けて、歌うように彼女はそう言った。
見慣れない、けれどよく似合った服装に、なにか言うべきだろうが、なにも言えなくなる。
「二人とも、気に入ると思うよ」
結局、言葉として出たのは目的には合致しているが的外れな台詞だけ。
しかし、アルシアはなにも言わずに微笑んだ。
「勇人の父、頼蔵だ」
「母の春子です」
父はむっつりと。母は、やや緊張して返答する。
この短期間に息子の婚約者と何度も、しかも別の女性と会うなど普通はありえない。両親の心労に、ユウトは心の中で土下座する。
天草家の愛犬コロは、続けての来客にテンションが上がりすぎて疲れたのか、ひとしきりはしゃいだ後は、ユウトの足下にうずくまっておとなしくしていた。
「本日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」
「大丈夫よー。ゆうちゃんのお嫁さんだもの。時間なんて、どうとでもしちゃうから」
「当然だ」
「でも、お食事の準備は良かったの?」
四人が集まるダイニングテーブル。
その上には、なんの準備もない。
「はい。今日は私が」
「死後の安寧の守護者、神秘の探求者、慈悲深きお方よ。我と我らに、力ある糧を与えたまえ――《祝宴》」
異境の地で、トラス=シンクは愛娘の祈りに応えた。
ダイニングテーブルが光に包まれ、その粒子が実体化し、焼きたてのパン、熱々のポタージュ、新鮮なサラダ、美しく盛りつけられた鹿肉のローストが次々と現れる。
続けて、赤ワインにグラス。最後に籠に盛られた果物が現出し、奇跡は終わった。
まさに、魔法のような光景。
神術呪文であれば因果の反動は発生しないようだ。その分、制限はより強いのだが。
「まあ……」
母は、目を丸くして驚いているが、ユウトは気が気ではない。
事故が起こったという名目で、今も閉鎖されている無貌太母が降臨した公園。
突貫工事で壁が作られ、外部からは窺い知れない状態だが、今なお、奈落の環境を保っている。
その影響で、周辺地域――同じ市内程度――であれば、ある程度ブルーワーズの神々との交神も可能だ。
逆に言えば、第八階梯の神術呪文《祝宴》が限界でもある。
無理をしていないかと、隣に座る彼女の手を握ると、予想よりも力強く握り返された。
そのごちそうを前に、アルシアは言う。
「既にお聞き及びかも知れませんが、私は死と魔術の神トラス=シンクに仕える信徒にして、領地経営では彼の同僚のような立場にいます」
「巫女さんみたいな人なのね。それで、ゆうちゃんと職場結婚と」
「死と魔術の……か」
天然に受け入れる母と、苦み走った表情を浮かべる父。
ただ、これを見せつけられては、受け入れないわけにもいかない。ユウトが小さかった頃、一緒に見たアニメーションで似たような道具があったなと、そんなことを考えていた。
「それから、私は目が見えません。この眼帯は視力を補うものですので、ご容赦を」
「気にする必要はない」
確かにその異相は驚くが、説明を受ければ納得するしかないし、関係ない。
そして、アルシアが生み出した食事は、本当に美味しかった。
美味い料理と酒は心を溶かし、口を滑らかにする。
「それで、ゆうちゃんはアルシアさんのどこを好きになったの?」
「……聞くか? そういうこと聞くか?」
「だって、気になるじゃない」
失礼なことを聞くんじゃないと母親の暴走を止めてくれないか。そう期待して父親を見るが、目を合わせてくれない。諦めろと言っているようだ。
「一緒にいて、ほっとするところとか。頭がいいから、話してて楽しいとか。それでいて視点が違うから新鮮だとか……」
「なるほどなるほど。それじゃ、アルシアさんは?」
「彼と同じです」
「ずるくね!?」
卓上には、アルシアが生み出したワインのほかに、春子が出した頼蔵秘蔵のワインも並べられていた。
ラベルの有無で、どちらかは一目瞭然。
しかし、アルシアには区別がつかないらしく、一瞬、戸惑う。
「アルシアねえ……アルシア。どっちにする?」
当たり前のように気づいたユウトは、自然にサポートしていた。
それを見て、頼蔵からとやかく言う気持ちは完全に失せた。
最初に紹介されたヴァルトルーデも良い娘だった。お互いに好きあっているのがよく分かる。アカネは言わずもがな。アルシアは、既に年月を経た夫婦のような雰囲気。
社会的には、様々あるだろう。
常識に照らし合わせれば、明らかにおかしい。
だが、引き裂いてどうなるというのだ。
本人が望むのであれば、親は応援をする。それだけだ。
「大切にしろ。泣かせるんじゃないぞ」
ただ、親としてそれだけは言わねばならなかった。
「ふあぁ……」
つつがなく両親とアルシアとの会食を終えた後。
そのまま家に泊まっていくことになり、ユウトは先に風呂に入っていた。
湯を浴びると、一気に精神が弛緩する。
とりあえず、両親もアルシアのことを認めてくれたようだ。それがまず嬉しい。
一時的に悩みも忘れ、気も緩む。
だから、気づかなかった。
「ユウトくん」
「え? あぁっ!?」
風呂場の押し戸を開き、迷いなく中へ入ってくる美しい影。
「話があるの」
この場で聞こえるはずのない声。
いてはならない人。
白い裸身にバスタオルを巻いた、綺麗なとしか形容できない女司祭。ユウトの婚約者。大切な女性。
振り向くとそこには、少し頬を赤く染めたアルシアがいた。