プロローグ 残った者たち
大変お待たせいたしました。
本日より、更新再開します。
ブルーワーズへ戻る。
少なくとも、向こうに生活の基盤を置く。
それは両親にも伝えたとおり、ユウトの中では決定事項。すでに決まったはずのことだった。
しかし、その決意をあざ笑うかのように、女帝ヴェルガは言う。
なぜ、ユウトだけが両親を、進んだ文化的生活を捨てて移住せねばならないのか。
逆に、ユウト以外の者が、こちらで暮らせばいいのではないか――と。
それには、いくらでも反論できる。
エグザイルの義妹にして妻であるスアルムを向こうに残しているし、領地の件もある。ヴァルトルーデやアルシアにとっては、一時的にではなく永遠に信じる神の存在と離れるのは苦痛だろう。
だが、ユウトやアカネだって同じように両親を地球に残している。ならば、なんらかの手段で、スアルムだけを連れてくることで解決といえるかも知れない。
領地も、ユウトたちがいなくなることにより混乱はあるだろうし、今までのようなペースでの発展は見込めないにせよ、残してきた官吏がいれば、それなりに上手くやるだろう。
また、無貌太母コーエリレナトが異界化させた土地なら神々とのつながりも感じられる。
それに、ただ生活するというだけであれば、それは地球の方が安全で便利だろう。娯楽だって豊富だ。
幸か不幸か、ラーシアやエグザイルの外見をごまかすための呪文はあるし、生活費も過度な贅沢をしなければ、充当できる宛はある。
つまるところ、ユウトの愛する仲間たちは、どんな世界だろうと割と面白おかしく生きていけるだけのヴァイタリティを有しているのだった。
だからこそ、悩んでしまう。
では、ヴェルガから懊悩の種を植え付けられたユウトはどうしているかというと――
「今のが、オフサイドというやつだな!」
「いや……」
「今のは違うのか……。あっ、今度こそオフサイドだな……違うのか……」
――異世界転移に巻き込まれ見逃していた、欧州の頂点を賭けたクラブサッカーの試合を鑑賞しているところだった。
無貌太母コーエリレナトを百層迷宮へ送り返してから一週間。
ホテルのスイートルームはすべて賢哲会議が借り切って、ユウトとその仲間たちは思い思いに日々を過ごしていた。
「あっ、転んだぞ。今のはファールだろう?」
「いや、当たってないから」
「だが、あんなに痛がっているではないか」
無貌太母が生み出した奈落の環境は、現状を維持している。
つまり、《星を翔る者》を使ってブルーワーズへ戻ることは可能だ。
けれど、それを使用して地球側にどんな悪影響が出るか分かったものではない。
そのため、賢哲会議やヴァイナマリネンらが様々な調査や実験を行なって移動手段を模索している。また、ふたつの世界は交わるべきなのか否かも。
それなのに、ユウトは強引に休暇を取らされてしまい――というよりは、ラーシアたちが暴走しないよう監視役を押しつけられた状態で――心も体も中途半端な状態にあった。
戻るか、留まるのか。
答えは決まっているはずなのに、選べない。
「なんということだ。平気な顔で走っているぞ」
どうも、品行方正にして公明正大な聖堂騎士とマリーシアは相性が悪すぎたようだ。憤慨するヴァルトルーデを横目で見つつ、これで良いのかと何度目かの自問自答。
繰り返していることからも分かる通り、答えは出ない。
「これも、フットボールの一部。さわぐ方がおかしい」
ユウトの悩みも知らず、ヨナが平坦で達観した声で言う。
ヴァルの素人めと言わんばかりだが、アルビノの少女の意見も一理ある。圧倒的に正しいのはヴァルトルーデなのだが……。
ラーシアやユウトとサッカーゲームの対戦をすることで知識を得たヨナは、もう立派なサッカーファンだ。さすが子供は吸収が早いとユウトは感心する。「にわか」っぽいところも、それらしい。
そこが可愛いと、ノートパソコンを持ち込んでなにか作業をしているアカネは相好を崩す。アルシアは、苦笑を浮かべていたが。
「だが、この試合形式はシンプルで良いな。ラ・グに取り入れるところがあるかもしれん」
「いや、おっさんの所のあれ、スポーツのつもりだったのかよ」
ラ・グ。
一見、野球とラグビーを組み合わせた全く新しいスポーツ……のようだが、文明人からすると頭のネジがいくつか飛んでいるようにしか思えない。
ボールらしき岩塊を、バット代わりの棍棒で打ち返す。
それは良い。そこまでは良い。なのにその後は、敵味方入り乱れての乱闘だ。
わけが分からない。
「ボクが思うに、審判を導入すべきじゃないかな。常識的に考えれば」
「ラーシアが常識とか言うと一気に面白くなるけど、確かにそうだな」
「世間の冷たさになんか負けない!」
「その前向きさだけは、見習って良いかもって思っちゃうわね」
「アカネ、それは気のせい」
ヨナの冷たい断定にラーシアは哀しそうな顔をし――演技だが――氷を浮かべたリキュールベースのカクテルをあおる。昼間から。
「ああ。お酒おいしい」
「堕落してますね」
「昼間っからただ酒だよ? しかも、あっちじゃ飲んだこともないやつ。楽しまなくてどうするのさ。アルシアも、じゃんじゃん飲もうよ」
「自分で稼ぐと言っていたはずでは?」
生真面目なアルシアには悪いが、ラーシアを解き放つよりは飼い殺した方がいい。それがユウトとアカネの結論。
「審判など、なにが楽しいのだ?」
「まあ、ラ・グはあれで良いんじゃないかな」
千年ぐらい経過したら、世界遺産のようなものになっている可能性もある。
「ていうか、いつまで閉じこもってなくちゃいけないのさー。ご飯も酒も映画もゲームもあるけど、そろそろ新しい刺激が欲しいよ」
「ファンタジーの住人が、堕落した大学生みたいなこと言ってるわ……」
「そもそも、飲みながら言うんじゃありません。ヨナの教育に悪いでしょう」
見るもの聞くものやるもの。そのすべてが珍しく、この一週間はホテルに缶詰になっても大人しく――ラーシアやヨナにしては――過ごしていたのだが、そろそろ限界のようだ。
むしろ、中途半端に地球文化に触れたせいで、外への期待が膨らんだという面もある。
「ユウトのおとーさんとおかーさんに会いたい」
「ヨナ、なにをするつもりだい? 素直に、言ってごらん」
なにを言うではなく、なにをするのか。
この辺りで、信用度が分かる。
「きせいじじつのこうちく」
「舌っ足らずに言ってもダメだ」
「ざんねんむねん」
でも、母さんならヨナを気に入りそうだよなとも思う。油断はしないようにしようとユウトは心に刻んだ。
「そっかー。ユウトの両親かー。そりゃ挨拶しないとだよね。アカネの両親にも。それはそれとして、お腹すいたねー」
「へったー」
「そうだな」
「あなたたちは、本当に……」
自由すぎるラーシア、ヨナ、エグザイルに、アルシアが頬をひきつらせた瞬間、スイートルームの扉が開いた。
「師匠、お待たせしました」
「これは、カオスですね……」
満面の笑みを浮かべるアッシュブロンドをサイドポニーしている少女ペトラと、目を細めて惨状を非難する真名。ペトラはピンクのブラウスにフレアスカートという出で立ち。真名は律儀に高校の制服を身にまとっていた。
二人が運んできたのは、昼食のカレーだ。
全員が米に慣れているわけではないので、ナンも用意されている。
「おー。なんか、いい匂いだね」
「ハーフタイム……? 休憩か」
「じゃあ、こっちも休憩だな」
リモコンを操作し、あっさりと再生を止めた。
集中して試合に見入っていたヴァルトルーデとは異なり、ユウトは集中できていない。見始めたときにディスクの総再生時間を見てしまい、延長戦になることが分かってしまったからだ。
(やっぱ、録画じゃなくて生だな)
そう持論を再確認したところで、またヴェルガの言葉を思い出してしまう。まさに、呪いだ。
「いっただっきまーす」
「ます」
ラーシアとヨナが先陣を切って、早速食べ始める。
草原の種族はナン。飽くなき食の探求家であるアルビノの少女はライスという違いはあったが。
「これは、香辛料がふんだんに使われてるね。なかなか贅沢だ」
ナンを選んだ者には、チキンバターカレーとキーマカレーの二種類。ライスを選んだ場合は、日本では一般的な普通のカレーとカツカレーが選べた。
「独特の風味があるが悪くないな」
「そうだろう? 病みつきになる味だ」
重低音で称賛するエグザイルに対し、既に経験済みのヴァルトルーデが誇らしげに言う。福神漬けを口にしながらでも絵になるのは、逆にやり過ぎかもしれなかった。
「アカネも、このカレーってのを知ってたんだったら向こうで作ってくれたら良かったのに」
「無茶言わないでよ。確かに、国民食だけど」
「そうよ、ラーシア。さすがのアカネさんでも――」
「配合をユウトペディアで確認してできなくはないけど、こっちと同じ香辛料があるか分からなかったし。ちょっと無理よね。もっと他に、再現しやすいのもあったし」
色々な意味であきれてしまったアルシアは、一心不乱に食べるヨナの食べこぼしを綺麗にすることにした。この汚れは、なかなか手強そうだ。
「運んでるときからおいしそうだと思っていましたが、確かに後を引きますね」
「……やや高級な感じはしますが、ただのカレーですよ」
ユウトたちとは離れた場所で向かい合って食べながら、感想を言い合う二人。
ルームサービスとして注文したものを受け取り、運んできただけで自分で作ったわけではない。それに、小間使い扱いしているわけでもなく、ペトラが望んで雑用を受け持っていた。
どうやら、その方が落ち着くらしい。
まあ、それで真名との交流も増えたし、この二人の仲が良さそうなのは悪いことではないと思うことにする。
「ところで、ユウトの揚げ物が気になったりなんかするんだけど」
「一切れやるよ」
カツカレーのカツだけをスプーンですくい、池の鯉のように口を開くラーシアへつっこんでやる。
「あつっ、うまっ」
かりっと揚がった衣の触感。その後に来るのはしっかりとした肉の噛み応えと甘い脂。そして、わずかにかかったカレーの妙なるハーモニー。
未知の食感と味わいに、ラーシアは大きく目を見開いた。
ヴァルトルーデとアカネも、それとは別の意味で目を見開いた。
「なにこれっ? うまっ」
「ユウト。あ~ん」
そんな婚約者たちの様子には気づかず、ヨナの小さくて可憐な唇の中へ、もう一切れ送り込む。
「ったく、ほら熱いから気をつけろよ」
「……これは凄い」
大げさなとは思うものの、喜んでくれるなら別に良いかとも思う。自分だけで独占するよりも、よほど嬉しかった。
「というかこれ、私たちがやるべきことよね」
「はっ!」
理解が及ぶと同時に、自らの皿を見るヴァルトルーデ。
だが、そこはすでに空だった。
アカネはまだ残っていたが、さすがにこの人数を前に「あーん」などとやる勇気はない。アルシアも、同じだろう。
「ユウト、アカネー。この揚げ物だけでも、戻ったら、あっちでも作ろうよ」
「……そう、だな」
戻ったら。
その言葉が、またユウトの心をかき乱す。
心にしこりを残して、仲間たちと過ごさなくてはならない。
それは、常にヴェルガの存在を意識することと同じ。
してやられたと思うものの、まるで蟻地獄の巣の如く、ユウトの心を引きずり込み離そうとしなかった。