エピローグ
「俺は、なにも犠牲にしたりなんか……」
この地球で過ごせばいい。ブルーワーズへまた行く理由がどこにあるのか。そのヴェルガのささやきに、弱々しく、それでもユウトは反論する。
「さて、妾には今の婿殿が自らの常識に拘泥する、旧弊な愚者共と同じに思えるぞ。そんな婿殿も、たまには良いのう」
なにも、ヴェルガは本気で地球に残れと言っているわけではない。
ただ、ユウトをいじめてみたいと思った。
それだけだ。
なのに、予想以上の効果があった。実に、面白い展開だ。これだけで、ひとつお願いを聞いてもらう約束を無かったことにしても良い。
もちろん、口には出さないが。
ああ……。それにしても、なんて甘美なのだろう。
愛するものが、言葉ひとつでこんなに心を動かすだなんて。
「いや、でも。朱音は……」
思考とつぶやきが止まらない。
仰向けに落下を続けていたユウトは、そのままの姿勢でゆっくりと地上までたどりついた。いずれ戻るのかも知れないが、地球でありながら奈落の様相を呈したまま。
そんな冷たく固い地面に、座り込んでユウトは呆然としている。
「くくく。良い、良いのう……。なんたる美味か」
期せずして、仲間と再会し大事件を片づけた心の空隙を縫う形となっていた。これも運命よなと淫靡な微笑を浮かべ、ヴェルガは愛しの君を抱きしめ慰めようとする。
「敵とさえずり合うのは、止めろ!」
そこに割り込む、白く美しい影。
最愛の彼には、慈愛に満ちた微笑みを。不倶戴天の仇敵には、射殺すような厳しい視線を送る。
実際、淫猥な女帝と対抗する意志を持ち、実行できるのはヴァルトルーデ。彼女だけに違いない。
「ヴァル……」
ユウトの力ない笑顔。生気の薄い声。
初めて見るそんな彼の姿に、抑えきれない。いや、抑えてもマグマのように噴出する感情に従い、彼女は討魔神剣を悪の首魁へ突きつけた。
「ヴェルガ! 貴様、ユウトになにを吹き込んだのだ!」
「聞こえて……ない……」
そう。ヴェルガの声は、ユウトにだけ届いていた。
みんなには聞こえていないという事実に、ようやく彼の瞳に光が灯る。
蒼白だった頬に赤みが差す様――あの忌々しい聖堂騎士のせいで――を目の当たりにし、ヴェルガは胃の腑の辺りに熱さと不快感とを憶えた。
「これは異なことを。妾は、婿殿を慮っていただけよ」
心外なと、哀しそうに情熱的な赤毛で目を隠し嘆く。人を小馬鹿にした、けれどこの悪の半神にしては大仰な演技。
いらだち――つまり嫉妬を気取られるわけにはいかないのだ。それが、女の矜持。
「協力には感謝する。しかし、まだユウトをたぶらかすつもりであれば、容赦はせぬぞ」
「これはこれは。しつけのなっておらぬ犬ほど、見苦しいものはないの」
討魔神剣を構え、ユウトを背にかばう。その聖女の瞳には、太陽よりも熱い闘志が燃え上がっていた。
一触即発。
誰も彼もが――面白そうだと笑っている者も三人ほどいるが――言葉を発することなく、事態を見守る。
緊張が最高潮に達した瞬間、ヴェルガの肢体がわずかにぶれた。
幻術のようにいくつかに分かれ、揺れ動く。
一分ほどで安定したが、そこにいたのはヴェルガではなかった。
いや、燃えるような赤毛に、悪の王権を象徴する秘宝具に、闇色のドレスを身にまとっているのは同じ。
決定的に違っているのは、身長。
「え? 幼女化?」
端的に言えば、アカネが言うとおり、ヴェルガが子供になっていた。
妖艶だったヴェルガは消え去り、あどけない……と言うには大人びた顔の少女がいる。年の頃は十歳ほどだろうか。小悪魔という表現がしっくりくる。
「やれやれ、無理をしすぎてしもうたか。ま、しばらくは大人しくするしかないかの」
「……本体?」
「その方が良かったかえ?」
どう答えても冥府への片道切符になる。ユウトは、沈黙と共に、不用意な発言を後悔した。
「まあ、ここの奈落化はしばらく解けぬようであるし、いずれ戻るであろう。捲土重来を期するとするかの」
「……命拾いしたな」
「おや? 聖堂騎士が、外見で善悪聖邪を決めるものとはしらなんだわ」
「ユウトに手を出さないのであれば、それで良い。当座はな」
「嗚呼、怖い怖い」
ころころと、鈴を鳴らしたように笑う。
どのような姿をしていようとも、ヴェルガはヴェルガであることに、違いなどなかった。
「いやー。お疲れ久しぶり。凄い見せ物だったねぇ」
「見せ物じゃねえよ」
両者が矛を収めたのを確認し、満面の笑みでラーシアが近づいてくる。それに合わせて、他の皆も。
「というか、あのマスドライバーって凄いね。ユウトの国にあるの?」
「ねえよ……」
ラーシアの相手は疲れるが、楽しくもある。
ヨナがまた、断りも入れずによじ登って肩にまたがって、とんでもないことを言ってくるのに比べれば、なおさら。
「ユウト。いない間に、商会ひとつ買って、賠償金もゲットしてきた」
「どういうことなの?」
わけが分からなかった。戦争でもしたのか? 聞かなくてはならないが、それも怖い。
アルシアへと目を向けると、見えないはずなのに目を逸らされた。アカネも、乾いた笑いを浮かべるだけ。
誉めて誉めてと頭を揺らすヨナをなだめつつ、ユウトはしばし途方に暮れる。
「まあ、久闊を叙するのは、後でも良かろう。まずは、当座の宿と活動資金を手に入れねばな」
「……そんな目で見ないでください。もちろん、こちらで手配しますから。ええ、しますとも」
ユウトから屠殺間際の家畜のような切ない瞳を向けられて――半分以上は自棄で――真名がすべて請け負った。
その威勢の良さに反し、ポニーテールも、うなだれている。
それも、無理はない。
この大量の来訪者の衣食住を整えるのと並行して、この異界化した公園の封鎖と管理、それに、調査。関係各所への根回しに情報操作。無貌太母に関する報告。見るからに人間ではない種族をどう報告するか。理術呪文とは異なると思われる呪文はどう考えるべきなのか等々、仕事は一時のユウトのように山積みだった。
「でも、持ち物売ったり、ユウトにおんぶに抱っこっていうのもなんだよね」
「そうだな。体も鈍る」
「というわけで、ユウトにアカネ。この辺に、手頃に稼げるダンジョンとか無いの?」
「無いわよ!」
「ねえよ」
幼なじみたちの声が、綺麗なハーモニーを奏でる。
「ええ!? じゃあ、どうやって稼ぐのさ?」
「大人しくしててくれ……」
「そりゃムリだよ。ほんと、なに言ってんだか。ボクとエグとヨナだよ? 大賢者のおじいちゃんもいるんだよ? 学習しなよ」
「あっ、はっはっは」
「……ヴァルは、ほんと良い女だよな」
「なにを言い出すのだいきなり!?」
「はぁ……。その様子では、二人きりの間も特に進展はなかったようですね」
「アルシアぁ……」
和気藹々とした仲間たちとの会話。
気づけば、ユウトの顔から屈託はなくなっている。
だが、ヴェルガは知っている。
自らからの言葉が、背の君の心に深く突き刺さる、甘く熱い棘になっていることを。
そんなユウトを、力と姿形を一時的に失ったヴェルガは興味津々と眺めていた……。
エピローグだけなので短めですが、Ep4終了です。
よろしければ、感想・評価などお願いします。
また、短めなので珍しくあとがきのような活動報告も更新しました。
こちらもよろしければ、目を通していただけますでしょうか。
なお、いつものようにEp5開始までお時間をいただきたいと思いますが、流動的です。
7/25(金)もしくは、7/28(月)のどちらかになるかと思われます。
再開日が決まりましたら、活動報告でもお知らせいたしますので、これからもよろしくお願いします。
※活動報告でもお知らせしましたが、7/28(月)から再開いたします。
遅くなって申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。